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30話

 宿の一歩手前で、カミーユは不自然な視線を感じて港の方角を見やった。

 何かに驚いたかのように、目をくわっと見開く。だが、視線の主であろう者はおらず、ただただ一方的に見られている感覚と共に、全身へと走る鳥肌にごくりと唾を飲んだ。

 強いて言うならば殺気だ。まるで、『近寄るな』と警告しているようにも感じるそれは、何度に渡って悪寒を感じさせた。

 今まで感じだ事のない程の鋭く、身に刺さる感覚に肩を抱いた。


「まさか、ね……」


 今自分を見ているのが遠見の弓師であるのなら、視線を辿って本人を目視することは可能だろう。だが、その前に自身に待っているのは死か、手足の一本や二本を失う可能性である。迂闊(うかつ)に動けば問答無用で仕掛けてくるのは明白だ。この場合、無理に探そうとはせず身を隠したほうが得策なのかもしれない。

 身をもって得た情報は──自分では遠く及ばない存在だと理解すると同時に、それに対しての絶望感と危機感だった。


 ぐったりと疲れた雰囲気を醸し出すカミーユが宿の扉を開けたのは、立ち止まってから数分経ってからであった。

 誰かに見られていると感じると、どうしてもその方角を見てしまうのは、情報屋として身を危険に晒してきた経験からなのだろう。俗に言う、職業病というものだが、彼女の場合は危機管理の一環にすぎないのかもしれない。


 大きなため息をこぼし、嫌な鼓動を刻む心臓を落ち着かせようとする。一度感じてしまった戦慄を忘れようとしても、本能が逃げろと叫び続けているために胸を撫で下ろすどころか、一息つくことさえできない。

 まるで、


「嫌な予感がするね……」

 

 なぜ宿の手前でなのか。居場所を把握するためにやったのなら、逆に見ているぞと存在を強調する必要なんてなかったはずだ。では、何のために殺気を露わにして自身を見たのか……。


「はぁ、アルベルトほどじゃないけど頭が破裂しそうだよ」


 こめかみを手で押さえ、与一に報告せねばと厨房の扉に手を掛けた。


「あらぁ。カミーユじゃないの、戻ってきてたのぉ?」


 声を掛けられ、振り向く。そこには、ちょうど階段を下りてきたのか、穏やかな笑みを浮かべるカルミアの姿があった。扉を閉め、こちらへと足を進める彼女が、日の光が窓からの差し込んでいる場所に差し掛かった瞬間、


『──……ッ!』


 風精霊の声が鼓膜を叩いた。


「伏せるんだ、カルミア!」


 刹那、パリンという甲高い音が響き渡り、咄嗟に伏せようとしたカルミアの左肩へと矢が刺さる。びいんという音を立てたそれは、かなりの速度で飛来したものだと判断するほかなかった。


「──カルミアッ!」


 急いで彼女の元へと駆け寄り、その身体を引きずりながらあちらから見えないであろう、入口付近へと移動する。

 抱きかかえるような体勢で確認した矢は貫通しており、矢先は肩甲骨の辺りから飛び出ていて、その先端を伝って鮮血がぽたりぽたりと垂れていた。カミーユは、すぐに応急処置をしようと矢を抜こうとする。だが、


「ま、待って。あの爺さんの矢は特殊でねぇ。矢じりを見てちょうだい……」


 彼女は痛みに眉を寄せながら、か細い声で指示を出してきた。

 身体をぐいっと自身のほうに寄せ、その状態から肩甲骨の辺りから飛び出ている矢じりに目を向ける。


「なんなんだい……これは……」


 それは、引き抜こうとすれば釣り針のように内側の肉をえぐる小細工が、矢じりの両端に施されたものだった。

 どっと冷や汗が垂れる。痛みに唸り声をあげる彼女を前に、このまま引き抜けば文字通り腕の一本をダメにするかもしれない代物に、カミーユはどうすることもできず唇を噛むことしかできなかった。


「ぬ、抜けないわ……彼が獲物を逃さないのは、この矢があるからよ」


 抜けないから血が止まらない。抜こうとすれば大量に血が流れる。その合理的すぎる殺人道具を前に、カミーユは懐から取り出そうとしていた治癒の丸薬の使用を諦めた。


 ──どうすることもできない。


 刺さってしまったら最後、骨肉をえぐる激痛を我慢して矢を引き抜くか、死を待つかしかない。

 前者を選んでもいい。だが、流血による出血多量の可能性も考慮すると、治癒の丸薬を()てしても助かるとは言い切れない。

 

「窓が割れる音がしたが、って。どうしたんだ!」


 驚いた表情をしながら、与一がこちらへと寄ってくる。


「やられたよ。まさか、こんな白昼堂々と仕掛けてくるなんて……」

「どちらにせよ……短い命って事ね……」


 痛みに顔をゆがめるカルミア。

 肩に刺さる矢を見た与一が、厨房へと駆け込む。そして、手を白く汚して、何かを握ってすぐに戻ってきた。


「与一君、彼女を救う方法でもあるのかい!?」

「さぁ、な。こんな状況になるとは思ってなかったが、やるしかないだろ!」


 手に握っていたものを肩へと少しずつ振りかける。すると、まるで小麦粉をこぼしたかのように、白い粉が彼女の肩を白く染めた。そこから、貫通している矢じりを確認し、矢を両手で握り、折る。


「……へ?」


 カミーユの間の抜けた声がこぼれる。だが、与一は止まらず、矢じりをぐっと握りるとそのまま引き抜く。


「──い、痛いわねぇ!」


 彼を睨んだカルミアであったが、矢が抜けると同時に傷口が塞がっていく様を『信じられない』とでも言いだしそうな顔をしながら凝視する。一瞬だ、一瞬の内に傷口がなくなり、残ったのは血で汚れた衣類のみとなった。


「痛いってわかってるなら最初に言うわよねぇ?」

「いやぁ、カルミアみたいな人なら大丈夫かなって」

「どこが大丈夫なのよぉ! すんごく痛かったんだからね!」

「あーはいはい。悪うござんした」


 自分ではどうすることもできなかった矢を、彼は即座に判断して治して見せた。

 調合師とは、皆これほどまでに命に係わる場面に強いのだろうか。と、カミーユはカルミアにぴーぴー怒られている与一に対して、好奇なものを見る目を向けた。


「それで、この矢は例の?」

「あ、あぁ。間違いないだろうね。さっき視線を感じた時はなにもしてこなかったんだけど……」

「私を探していたってことぉ?」

「可能性はあると思う。あちらさんからしたらここは敵陣だからね、そんなところに仲間がいたら寝返ったと考えて消そうとするだろう」

「もう向こうには知られているってことねぇ……」


 ため息交じりに話すカルミア。


「でも、なんで港の方角なのかしらぁ?」

「それなんだが……今夜、そこに俺が呼び出されてるんだ」

「……その情報は初耳だよ。絶対、罠だと思うよ。与一君」

「わかってるさ。でも、行かないといけない理由があるんでね」


 何もない(てのひら)を見て、ぎゅっと握る与一。

 アルベルトから何も聞かされていなかったカミーユは、彼がなぜ港での情報を集めろ言い出したのかを理解する。それと同時に、怒っていた与一が言っていた『セシル』という少女と関係があるのだとすぐさま察したのだった。

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