17話
蓋を開けようと力を込めると、甲高い音と共に瓶は割れてしまった。
「「「……………」」」
与一、セシル、アニエス。沈黙。
何もない虚空をわきわきと掴もうとする与一。が、先ほどの割れた瓶の破片で指を切ったのか、鮮血がぽたりぽたりと床に垂れていくだけであった。『え、何が起きたの』と言いたそうな顔でふたりを見るが、アニエスは真顔のまま硬直しており、セシルはいそいそと床にこぼれた粉塵を集めると、手に取って彼の傷口へと振りかけた。
「あ、ありがとうな。セシル……って、どういうことだよ!?」
「なんで私に向かって大声出すのよ! 自分が割ったじゃない! 私に言われても困るわよ!」
「ん、握力化け物?」
与一の手をフニフニと触りながら、セシルが上目遣いに問いかける。
「いや、平均以下だぞ……全部。うん。んー、瓶を握力で粉砕するっておかしいだろ。はぁ、どういうことだ……?」
シビレ草の粉塵を多量摂取すれば身体の自由が奪われるが、微量の場合は痛みを感じないという結果がでただけでも大きな一歩だ。だが、痛みがなくなるという事は神経系統になにかしらの干渉をしたこと。となると、
「仮に、この麻痺毒が神経毒の類だとしよう」
「神経毒……?」
「あぁ。人間には神経ってものがあって、それが身体を動かしたり、痛みを感じたり、熱を感じたりと様々な役割があるんだ。神経毒ってやつは身体の自由を奪ったり、臓器などの活動を停止させたりと種類は多いが、シビレ草の場合は前者だと思う」
ある程度の知識は、生前に読んでいた本やアニメなどの雑学からだ。こういう時に役に立ったりするので、会社の後輩との会話や、上司との話題作りにも応用していた甲斐があった。と、与一は過去の自分に心の中で感謝をしていた。だが、
──力加減まで狂って、瓶を粉砕するほどの握力を手に入れる……?
与一の中に、ひとつ気がかりな点があった。本来、人間の身体というものは自身の力で怪我や細胞がおかしくならないように制限が掛かっている。もし、薄めた麻痺毒が痛覚神経の麻痺だけでなく、筋肉自体の枷を外してしまっているのなら、
「やばいだろうな……」
「先生?」
「あ、いや。なんでもない」
言えるはずがない。
そんな代物といやし草の治癒の粉塵を混ぜた場合、出来上がるのは『飲むだけで今日からあなたも狂戦士☆(治癒効果あり)』でしかない。そんなもの作るわけにいかない。だがしかし、ここは与一の知らない世界。もしものことがあった場合は頼らざるを得ないだろう。
「はぁ……今まで、出回っていなかったのがおかしいくらいだ」
与一がめんどくさそうに頭を掻きながらぼそりぼそりと呟くと、ふたりは揃って首を傾げた。
「いや、待てよ……出回っていなかったんじゃなくて、誰かがそれを阻止しているとしたら」
セシルとアニエスは教えてくれた。『調合師はどこかしらの国に重宝される』と。逆に考えれば、調合師の作り出す様々な種類のポーションが一般的に入手できないように、もしくはその存在自体を隠蔽したいような。となると、フリーな調合師がほいほいと現れたら場合、大きな組織、あるいは民間団体はどうする──もちろん、喉から手が出るほど欲しがるだろう。
そして、アニエスは言った。『まるで商人みたいなやり口』と。冒険者ギルドは、住民からの依頼や、旅人や商人からも依頼を受けていて、所属している冒険者達を養わなければならない。信用を第一と考える冒険者ギルドが、今回の依頼のように評判を下げるような行為をするのだろうか。
「あぁ──ッ!!! 考えるにも情報が足りない!」
「いきなりひとりで喋りだしたり、叫びだしたり。忙しないわね、あなたって人は……」
「…………?」
片眉を吊り上げて、呆れ口調で喋りながら物置部屋を後にするアニエス。
与一の隣で、困惑した表情を浮かべるセシル。
「まぁ、いろいろとわかったという事だ」
与一がにししと笑ってみると、彼女も少し口元を緩ませた。
和んでいる空気の中で、与一はふと目の前にある割れた瓶の破片と床にこぼれている粉塵を見た。
「カウンターに瓶がまだあったはず……」
「ん、いっぱい」
「そうかそうか。ひとつ減ってもばれないよなっ」
厨房で退屈そうにしているアニエスの前を通り、カウンターへと足を向ける与一。
宿に入ってすぐに正面にあるカウンター。その後ろにはいくつもの棚があり、アルベルトのコレクションとしている調味料や食器などが飾れている。その中から、手に収まりきらない大きさの瓶を手に取る与一。
「これでいっか。さぁ、て。こぼしたやつ全部入れないとなぁ……ん?」
「お、しっかりと店番していてって、なにまた瓶を持ち出してんだぁあああああ────ッッ!!!」
「ひ、ひぃいいいいい──ッ!!!」
タイミングよく戻ってきた持ち主に見つかり、逆鱗に触れてしまった与一の悲鳴が辺りに木霊した。