15話
道中、何度も振り返ってセシルの様子を窺っていた与一。だが、彼女はアニエスに寄り掛かるようにとぼとぼと歩き、時折溜め息をこぼしたり、口元をきゅっと締めたりとまるで別人のようだった。
本人の口から詳しいことを聞かない限り、なんと声を掛ければいいのかもわからず、与一はアルベルトの宿に付くまでの間、セシルがなぜ依頼を断るように言い出したのか考えていた。が、何が悪かったのかもすらわからず、納得のいく答えも出せず、歯がゆい思いをしていた。
宿についてから、いつも通りに厨房へと足を向けるアニエスに手を引かれ、俯いたままついていくセシル。
「ん? おぉ、早いじゃないか。仕事はどうだったんだ?」
洗い物をしていたアルベルトがこちらをちらりと見てから声をかけてきた。
「あー、ちょっと問題が発生してだな……」
歯切れの悪い与一に、アルベルトは手を止めて振り返った。
厨房に設けられた長机の傍に椅子を寄せ、そこに座るアニエスと元気のないセシルを見やると、彼は頭をぽりぽりと掻きながら与一の元へと歩み寄ってくる。
「なんかあったのか? セシルちゃんがあそこまで眠そうなのは初めて見るぞ」
「いや、どう見ても違うだろ。依頼を受けようとしたらセシルに止められたんだよ。そのあと、なんか知らんけど怒鳴り出してな……」
「セシルちゃんが怒鳴っただぁ? おい、与一。おめぇなにしたんだ」
小声で話始めるアルベルトに、与一は嫌そうな顔をして距離を取る。
「俺じゃないって。わからないからここまで戻ってきたんだよ」
やれやれと、手を上げて見せる与一。
「ほんっと、どうしちまったんだろうな……」
はぁ、っと溜め息をこぼすセシルを見ながら、与一は肩を竦めた。
アニエスが彼女の背中を撫でながら、『大丈夫?』と声を掛けるが返事がない。なにか思い詰めているような、必死に考えているような。だが、そこまで落ち込むようなものなのだろうか。
どうしたらいいのか。と、困り果ててアルベルトを見るが、両肩を少し上げて『わからん』と言いたそうな顔をするだけであった。
「なぁ、セシル。さっき言ってたよな、『調合師に対する侮辱』って。あれは、どういう意味だ?」
彼女が声を荒げてまで発した言葉だ。感情的になって、怒り任せに叫んだとは思えない。
「……依頼内容がおかしかった。調合師の作るポーションは、薬師の作るポーションじゃ足元にも及ばない。効果と価値が等価で高い」
「この間、俺に説明してくれたな……この街だと俺の作るポーションひとつで一か月は過ごせるって」
調合師がどういうものか、どういう存在なのか。最初に教えてくれたのは、アニエスとセシルだ。薬師のセシルならまだしも、剣士の──冒険者であるアニエスが、どういう職でどういう立場なのかを教えれるほどだ。
つまり、世間では調合師がどういう扱いなのかを知っているという事。それを侮辱するという事は、依頼書の内容は調合師にとって失礼にあたるものだったのだろうか。
「ん、でも……依頼書に書かれてた報酬額は、一か月どころか10日も過ごせない──ッ!」
ぎゅっと手を握り締めたセシルは、感情的になって再び声を荒げた。
「普通に考えておかしい! 先生のポーションがそんな報酬額で、それも10を超える本数を納品するなんて、調合師に依頼する内容じゃない──ッ!」
「そ、それは……ギルドで何かしらの不備があったからじゃ……」
「おいおい、それってよ──」
ギルドの手違いだ。と、言いたかった与一を遮るように、アルベルトがすっと彼の前に手を伸ばした。
「例えばの話だが。10を超える本数を本来の額で買い取るとしても、冒険者ギルドにそんな金があるのか……?」
「ど、どういうことだよ! アルベルトさん!」
「はぁ……そういうことね……」
アルベルトの発言に、何かを察したのか。頬杖をついていたアニエスは、深いため息をこぼすと、こめかみに親指を当て、深刻そうな表情を浮かべる。
「アニエスまで……ど、どういうことか説明してくれ!」
「まだわからないの? ギルドからの納品依頼は転売目的。あなたは利用されそうになったのよ!」
「転売、目的……?」
「約3分の1の値段で買い取って、本来の価格で売れば大儲け──まるで商人みたいなやり口じゃない!」
セシルが怒っていた理由がわかり、事情を深く知らないはずのアニエスは苛立っていた。だが、仕入れをして販売をすることが商売として普通だった世界に生まれた与一にとって、彼女の言っていることが本当だったとしてそれの何が悪いのか。と、思ってしまう。
「あなたが作ったものは、あなたのものなの! それが、例え安価なものであっても、調合師の作るポーションであっても!」
「価値を決めるのは本人であって、他の誰でもねぇってことだ。セシルちゃんが怒った理由はもっともだ。尊敬して、憧れてさえいるおめぇが作るポーションを、勝手に安い値段を添えて依頼してくるなんざ、逆鱗に触れて当然の行為だ」
ここにきてようやく理解したのか。小さくうずくまるセシルが、他の誰でもない自分自身のために怒って行動したことに対して──与一は、言葉を失った。
毎度のように、自身を先生と呼んでくれるのも。
毎度のように、調合の手伝いをしてくれるのも。
毎度のように、自分に称賛を送ってくれるのも。
そして、依頼内容に対して怒ったのも。
──すべて、与一のためであり。与一のことを、心から尊敬しているからであった。
「せ、セシル……? 本当……なのか?」
ぽつりぽつりと、声を震わせながらも与一は問いかける。
正直、今にも泣きだしてしまいそうだ。誰かに慕われたことなんて今までになかった。それも、出会ってからそう時間も経っていない相手に、だ。
「…………っ」
与一と目を合わせようとはせず、セシルは少し恥ずかしそうに頬を赤めながら、小さくこくりと頷いた。それを見ていたアルベルトとアニエスは、互いに見合ってから吹き出した。
「がっはっはっは! セシルちゃんが与一に付きっ切りで調合の手伝いしてるから、そうかとは思っていたが!」
「ま、まさか……っ、これほどだなんてっ、お、思ってなかったわっ!」
大笑いするアルベルトと、必死に笑いを堪えるアニエス。
俺の感動を返せ。と、一瞬にして雰囲気をぶち壊したふたりに対して、与一は真顔になっていた。
「はぁ、あぁ笑った笑った。しっかし、ギルドもギルドだな。なんでまた、こんなことしたんだ?」
アルベルトの発言に、目じりに涙を浮かべ始めたアニエスがぴたりと止まる。
「そうね、まずはそっちの問題から解決しないと」
切り替えが早いのか、アニエスの表情はいつもの真面目な顔つきになっていた。
「お前ら、絶対楽しんでるだろ」
「「気づかないおめぇが悪い──」」