12話
アニエス達と別れてから、与一は宿に戻ることを心の底から楽しみにしていた。それは、調合師のスキルの検証とシチリ南部平原で手に入れた様々な薬草、毒草等の実験ができるからだ。
「今戻ったぞ──ッ!?」
「う、うわぁああああッ!? って、なんだ与一じゃねぇか……びびらせんなよ」
宿の扉を開けてすぐに、掃除をしていたアルベルトがびくりと肩を震わせ、首だけこちらを向いて元気のないトーンでつぶやいた。
無理もない。姪を怒らせ、説教すらされ、挙句の果てには勘違いしていた自分に貴重な治癒の粉塵を使わせてしまったのだ。後ろめたい気持ちがあるのだろう。
アルベルトからは今朝のような覇気は感じられず、ただただ元気のないおじさんに成り下がってしまっていた。
「その、だな。与一。すまんかったァ!!」
深々と頭を下げるアルベルト。
いきなり謝られて困惑した与一であったが、そんなことよりも検証等をしたいと言う気持ちのほうが大きかった。
「まぁ、また作ればいいし大丈夫だ。じゃ、そういうことで」
「はぁ!? え、おい。与一ぃいいいいッ!!」
今にも泣きだしそうなアルベルトを無視して、与一は物置部屋へと入っていく。その背中を、手を伸ばして掴もうとしている体勢で停止していたアルベルトは、しゅんっと項垂れると、溜め息をひとつこぼし、掃除を続けるのであった。
今日収穫した草花を分別していく。どれもこれも、ひとくせふたくせある薬草や毒草の類だ。セシルの鞄の中にも同様に、いくつの薬草が入っているのだが、それはまた後日受け取ればいいだろう。と、考えながらも与一は手を動かす。
「まずは、こいつだな」
手に取ったのは、黄色い蕾が特徴的な花だ。
「花粉に麻痺毒があるが、まだ蕾だから自分が麻痺する心配はない! それに、俺の見立てが正しければ量を調整するだけでなにかしらの効果が得られるはずだ」
俗に言う、『多量摂取すれば毒』の反対の原理だ。いやし草から抽出できた治癒の粉塵も同じことが言える。治癒の効果があるからと、大量に摂取すればなんらかの形で身体に負荷がかかってしまう。ならば、その逆も検証できるはずだ。と、与一は考えていた。
慣れた手つきで黄色い蕾の花──シビレ草へと意識を向ける。そして、出来上がったのは握るだけで粉々になってしまいそうなほど乾燥したシビレ草。抽出する成分は麻痺毒。
砂時計のような音を立てながら床へと落ちていく粉末。だが、いやし草と同じで色は白だった。
「もしかして、抽出する成分を絞ってるから……とか?」
思い立ったら即検証あるのみ。
再度シビレ草を手に取り、即座に乾燥させる。そこから、抽出する成分を黄色い色素と麻痺毒にする。意識を集中させ、出てくる粉末の色を確かめる。
「っしゃぁッ! 成功じゃぁあああッ!!!」
黄色い粉塵の抽出に成功し、両手を上げて喜びを叫ぶ与一。
そこへ、厨房からアルベルトが晩御飯を運んできた。パンに魚の塩焼き、魚介類を存分に使ったシチューと、献立はにおいを嗅いだだけでもお腹が鳴りそうだ。
「与一、飯だ──は、は、はっくしょぉんッ!!!」
入って早々に、アルベルトの大きなくしゃみが炸裂。その手前に置いてあった白いの粉塵並び、黄色い粉塵が同時に宙を舞う。
「んなぁッ!? なななな、なんだここここりゃぁあああああ」
「……ま、ままま、麻痺……ど、どど毒」
「な、ななな。なんだ……つぇえええッ!?」
がくりと力が抜け、地に伏してびくんびくんと身体を痙攣させる与一とアルベルト。床に散らばった晩御飯を食べたかったとばかりに悔し涙を浮かべる与一。しかし、アルベルトは身体が大きいからか毒のまわり具合が遅いようで、ぷるぷると震える手足で厨房の外へと助けを呼ぼうと這っていく。
扉まであと少し。と、いうところで、足音が近づいてくることに気づく。そして、扉が開く。
「たたたた、たす、たすけ、助け。てくれぇッ!」
扉を開いた人に向かって、手を伸ばすがタイミング悪く全体へと麻痺毒がまわってしまったようだ。伸ばした手がぷるぷると震え始め、やがては全身をも激しく痙攣し始めた。
「……………………………」
だが、声をかける訳でもなく、助けるわけでもなく。返ってきたのは沈黙だった。そして、必死に相手を見ようを首を動かそうとするアルベルトを気にも留めず、扉はゆっくりと閉まっていった。
『与一も叔父さんも寝てたわ。起こしたら申し訳ないから帰りましょ、セシル』
扉の向こうからよく知っている声が聞こえ、足音が遠のいていく。身内に見捨てられたと叫びたい気持ちを飲み込み、歯を食いしばる。が、思うように力が入らずにカタカタと小刻みに音を鳴らすだけであった。
アルベルトは必死に起き上がろうとする。だが、小刻みに震える指が、手が、腕が、それらを拒絶し、再び床へと倒れ込む。
「あ、ああ、あに、アニエスのややつ。ま、まままだ、おおお、おこ、怒って、やが、やがる」
「こ、こここ。これ、これからは。の、ののの、ノックしてく、く、くれ」
厨房の奥、物置部屋の居候が突っ伏してこちらを見ながら必死に嘆いた。
「わ、わわか、った。な、ななな何度も、す、すまん……な」
やがて全身にまわった毒が身体の自由を完全に奪い、ふたりはぴくりとも動かなくなった。