プロローグ
それは、とある雨の日の交差点での出来事だった。
東京へと接近した台風により、強風と激しい雨の降り続ける道路。もちろん、車を運転する側からすれば視界が悪く、すぐ先が雨によって見え隠れする世界だ。
「はぁ……台風だってのに、仕事とかさぁ。ウチの社長も頭湧いてんだろ」
疲れ切った顔に、心の奥底から絞り出したかのような愚痴を吐くスーツ姿の男──『渡部 与一』。暴風警報などが発令されるなかで、会社からのモーニングコールによって通勤を余儀なくされたひとりの社畜である。
時刻は夜遅く、すでに日を跨ぎそうな頃合い。そんな時間であっても都会の道路はちょろちょろと車が走っている。
切る事すらめんどくさくて伸びっぱなしになった髪を眠そうにぼりぼりと掻きながら、嵐の中よく仕事ができるなぁ、と感心する与一。信号が赤から青へと変わり、アクセルを踏んで発進する車。そして、赤信号であるにも関わらず直進してきた車に気づいた。
「え、はぁ!?」
咄嗟にハンドルを切り、避けようとするが虚しくも避けきれず車にズドンという衝撃が走った瞬間、与一の乗っていた車は横へと傾き始め、運転席側から地面へと倒れ込んでしまった──。
何が起きたのかと周りを見ようと目を開けた与一であったが、目の前に広がっているのは何もない白い空間だった。疑問に思いながらも身体を起こし、辺りを見渡す与一。
「渡部与一さん、あなたは交通事故によってなくなりました」
背後から声をかけられてびくりとする与一。自身が死んだと言われ、半信半疑なまま振り向いた先には、神々しい輝きを放つ白いローブを羽織った女性が立っていた。銀色の長髪に、赤というよりも桃色に近い瞳。少し幼い雰囲気を醸し出す顔立ちに、雪を連想するほど白い肌。ローブの下には薄い水色のドレスを着ており、物静かなで落ち着いた印象を受ける──そんな女性に与一は目を奪われた。が、彼女の発した言葉に我を思い出した。
「え、死んだって。俺が……ですか?」
「はい。信号無視をして突っ込んできた車との衝突によって、横転した車の窓ガラスが首の頸動脈を──」
「いやいやいや、いきなりそんな生々しい話をされても……。テレビのドッキリとかそういう感じのやつですかね?」
彼女のいう言葉はにわかにも信じがたい。自分が死んだというのなら、なぜここに立っていて息をしているのだろうか。与一の頭の中は現状を把握するために様々な思考が左右したが、結局のところなにも結論がでてこなかった。
「ごほん。自己紹介が遅れましたね。私はここ、『天国へと続く道』でいろんな人を送り出している女神様ですっ!」
びしっと指を差されて、小悪魔のように可愛らしいウィンクをして見せる自称女神様。第一印象をどこかに置いてきたかのような仕草に、裏切られたとばかりに勢いよく項垂れる与一。
「まぁ、基本信じてくれない方のほうが多いのでもう慣れましたっ!」
「な、慣れたって……はぁ。それで、自分はそのネーミングの欠片もない『天国へと続く道』で何をすればいいんですか?」
「いえ?渡辺与一さん。貴方の人生の履歴書に目を通しましたが、田舎から上京してすぐにブラック企業へと就職、それから22歳になるまでの4年間、人間としては程遠い廃人のような生活をしていたそうですね。これを見たときは驚きましたよ? まさか、こんなつまらない人生を歩んでる人がいたなんてって」
「は、はぁ……まるで見てきたかのような言い方ですね。ほんとに女神様なんですね……」
思い返したくもない社畜の日々を思い出し、自分はなんのために上京してきたのかと今更になってから後悔をする与一を横目に、女神様は申し訳なさそうに頬を掻いていた。
「そ、それでですね。そのぉ、もしよかったらですけど異世界とかって興味ありませんか? 今、天国に行っても地上に未練があったりすると後々相談所に通い詰めてくる人とかいるんですよ」
「未練はないのかと言われればありまくりですけど、異世界ってアニメとか小説とかに出てくる世界ですよね。そんなところに行けるっていうなら喜んでいきますけど──」
「本当ですか!? いやぁ、正直助かります。なにせ天国で老いた今の世代っこたちの相談がもうめんどくさくって……って、この話はどうでもよかったですね! 喜んで行ってくださるのであれば問題ありませんね。ちゃちゃっと送っちゃいますので楽しんできてくださいね!」
ずいずいと言い寄ってくる女神様を止めることができず、なぁなぁに話が進んでしまい、与一は異世界へと転生させられることが確定してしまった。生前にあった出来事や、実家の田舎での思い出を振り返っていた与一を無視して、女神様の横に突如として現れた宙に浮く謎のレバーが引かれると、与一の足元へと大きな穴が出現した。
「こっちの世界でちゃんと長生きしてくださいねー!」
遠ざかっていく女神様は手を振りながら与一を応援するのだが──与一の落とされたのは穴ではなく空──地面に向かって落下していたのだ!
「ちょ、えぇぇぇぇぇ!? もうちょっとましな送り出し方があるだろおおおおおおおおッ!!!」
こうして、社畜だった渡辺与一は異世界へと送り出されていったのだった。