自堕落な生活をしていたら同僚の女子にバレた年末
「本年もお疲れ様でした!また来年元気な姿を見せてください!」
課長の一言で今年の仕事は納まった。
明日からは年末年始の休みに入り、少しの間だが会社は休みになる。
その会社に勤めるサラリーマン、黒川 隆二は明日からの休暇に胸を踊らせていた。
「やっと今年も終わったな〜。なあ黒川、今から飲み行かね?」
「ごめん、ちょっとゆっくりしたいから今回はやめとく」
「そっか、じゃあまた来年な〜」
「うん、また来年」
いつも明るくて少しうるさい同僚の美馬
みま
から飲みに誘われたが、今はそんなものに行っている気分ではない。
だいたいこの前忘年会をやったばかりだというのに、彼はまだ飲む気なのだろうか?
隆二は隆二で、この休み期間でやりたいことがあるのだ。
隆二は会社では真面目でしっかり者という人間で通っていた。
そのため仕事でミスをすることはあっても、上司や先輩からの評判は決して悪いものではなかった。むしろ良い方である。
しかし、そんな真面目でしっかりするということに少々疲れを感じてしまっていた。
別に真面目でいることが嫌なわけじゃない。この性分は昔からだった。
学生時代も先生の言うことを素直に聞いて、問題も起こさず、勉強してテストで良い点数を取って.....
そうしていることが当たり前だと思って生きてきた。
でも、それって結構疲れることなんだなと最近感じるようになってきた。
ただ、だからといって今さらこの性分を変えようという気にもなれない。長年それで生きてきたのだ。そう簡単に変えられるものでもない。
だから、こうした少し長い休みに入ると「新しい生活」と称していつもの真面目でしっかり者をしている生活から離れて、自堕落な生活を送ることがいつしか習慣になってしまっていた。
最初はこんな生活してちゃダメだろうという気持ちもあった。でも今では休みの期間が近づくとそんな生活を楽しみにしている自分がいた。
こんなことをしていて、自己嫌悪が全くないと言えば嘘になる。
でも、自堕落な生活もそれはそれで快適なため、なかなかやめる気にもなれなかった。
美馬の誘いも断ってさっさと家路につく。
帰りの電車で隆二は心の中で高らかに宣言した。
「明日からはまた新しい生活の始まりだ!思いっきり自堕落な生活を送ってやる!」
しかし、今年の年末年始の休暇に関しては、そんな隆二の宣言通りの生活は長くは続かなかったのである.....
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年末年始の休みに入り1日目。
隆二は昼の1時頃に起床した。
起きたらまず...歯はさすがに磨いておいた。歯周病は意外と怖い病気だから。
それからは顔を洗わない、髭も剃らない、寝癖も直さない...
1人暮らしであり普段は自炊して自分の食事を賄っている隆二であるが、この休み期間中は食事もコンビニ弁当で済ませていた。
それから食っては寝るを繰り返したり、お菓子を食べながらアニメや映画を観るなどなど、宣言通り自堕落な生活を送っていた。
ただ、お風呂には入った。さすがにこれを飛ばすのは汚い。
2日目もほぼ同じような1日を過ごした。特に変わったこともない。
暖房の効いた部屋でアニメを見ながら隆二は思った。
「これをほぼ休み明けまで続けられるってほんと快適だ〜」
もっとも、大晦日と元日に関しては実家に顔を出さなきゃいけないためその限りではないのだが。
こんな姿を母親などに見られたら確実に怒られるだろう。
でも今は、普段きちんとしていることをやらなくてもいい。
だって基本どこにも外には出ないつもりだから。
隆二はこの「新しい生活」を満喫していた。
この先、自身に降りかかる出来事も知らずに...
休みに入り3日目。
隆二は休みに入る前に買っておいたコンビニ弁当が底をついたため、新しく買いに行くために近くのコンビニまで出かけていた。
今の隆二はジャージに寝癖のついたままの髪で髭面という格好。
我ながらなんともだらしない格好だと隆二は思う。
でもコンビニまでは歩いてそんなにかからないんだし、用が済んだらさっさと帰ればいい。
別に知人に会うことなんてないんだし、と高を括っていた。
コンビニに着くと、隆二はまず軽く週刊の漫画雑誌を立ち読みした。
お目当ての漫画はちょうど真ん中のページあたりにあった。
カーレース物の漫画で今週は主人公が3位を死守できるかどうかの正念場のシーンであった。
長居すると迷惑なため、立ち読みもほどほどに隆二は飲み物をカゴに入れた後、お目当ての弁当コーナーへと向かった。
弁当コーナーには唐揚げ弁当やとんかつ弁当、カツ丼など様々な商品が並べられている。
隆二はとりあえず気に入ったものは全部カゴに突っ込んだ。
これでまあ大晦日の昼までは持つだろう。
夜は実家にいるだろうから、食事の心配をする必要はない。
最後にお菓子を数袋カゴに入れ、買い物はこれで終わりとしてレジに向かおうとしたところ...
「黒川君?」
突然自分の名前を呼ばれ足が止まった。
声のした方向を見ると、そこには見知った顔があった。
「やっぱり黒川君だよね?こんなところで偶然だね」
「い、飯野、さん...?」
そこにいたのは隆二と同じ会社の同期で同僚の、飯野 恵麻
であった。
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「びっくりしたよこんなところで。黒川君もここのコンビニよく来るの?」
「まあ、そう、だね」
「私もだよ。今までよく会わなかったね」
「う、うん」
「ということは結構近くに住んでたりするの?」
「まあ、ここまで歩いて行ける程度には...」
それから恵麻のことを適当にあしらうこともできず、隆二は恵麻と2人でコンビニの前で雑談を始めてしまっていた。
それよりも.....最悪の失敗をした。
知人に会うことはないなどと高を括っていたのが間違いだった。
なんの根拠もない自信を持っていた数分前の自分をぶん殴りたい。隆二はそう思った。
よりによって会社の知人女性に今の姿を見られるなんて...
目の前にいる彼女---飯野恵麻とは会社で同じ部署で働いている。
どちらかというと物静かな性格をしており、仕事もそつなくこなす。
肩にかかる程度の髪の長さで、目鼻立ちも整っている方だ。
ただ、会社内でも別にそこまで仲が良いというわけでもない。逆に悪いわけでもない。
普段は事務的なやり取りばかりで隆二とは世間話をするような間柄ではないのだ。
そのため、いや、それに加えて今はジャージにボサボサ頭の髭面というだらしない格好を見られているということもあって隆二の会話の返答もどこかぎこちないものとなっていた。
対する恵麻の服装はブラウンのコートに白のニットなど外を出歩くにはまず問題ない服装だ。
その全く正反対の格好をしている男女2人という状況が余計に隆二の恥ずかしさを助長させていた。
「それよりさ、黒川君そんな格好で外出歩くような人だったんだね」
「うっ...」
できれば突かれたくないところを突かれてしまった。
会社では真面目でしっかり者という人物で通っているため、そんな人間がこんなだらしない格好をしているということが意外なのかもしれない。
仕方がない。今は自堕落な「新しい生活」を送っている最中なのだから。
「い、いや、普段は外出るときはもっとちゃんとするようにしてるんだけどね!」
まるで言い訳をするように返してしまう。
「ふぅん」
彼女はそう言うだけだったが目では「本当に?」と問いかけていた。
自堕落生活をしている影響なのだから本当だ。できれば信じて欲しい。
「まぁいいや、黒川君の意外な一面が知れたし」
「できれば会社の人には内緒にしてくれるとありがたいです...」
こんなことを会社の人に知られたら恥ずかしすぎる。
「それじゃあ、俺はこの辺で!良いお年を!」
これ以上恵麻にだらしない格好を見せておくのは気が引ける。
雑談もほどほどにさっさと帰ろうとしたところ...
「あ、待って黒川君」
「ん?」
恵麻に呼び止められた。まだ何か用があるのだろうかと思ったところ。
「今日この後時間ある?」
「えっ?」
恵麻から予想外の問いかけが飛んできたのであった。
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隆二の自堕落な「新しい生活」は3日目にして終わりを迎えた。
いったん家に帰る。3日ぶりに顔を洗い髭を剃り、髪も整えた。
服装も一応人前に出て恥ずかしくない程度のものに着替えた。
「突然元の生活に逆戻りか...」
一言ボヤいて身支度を済ませると再び家を出た。
そこからバスを使い、駅前まで出る。
隆二の住んでいるところから最寄りの駅は家電量販店や百貨店、飲食店などが並ぶ街中の中心に位置していた。
その駅前まで着くと目当ての人物は駅の1階の入り口の目の前にいた。
「あ、やっときた」
恵麻は隆二の姿を見つけるや微笑を浮かべた。
「さっきよりもだいぶちゃんとしてるね」
「あんな格好でこんなところには出てこれないよ」
さすがにまだそこまで肝は据わっていない。いや、この先もそこまで据わることはないだろうが。
「それで、付き合って欲しいところって?」
「うん、すぐそこのカフェだよ」
そう言って恵麻が指したのは駅からすぐ近くにあるコーヒーチェーン店だった。
「へ?あそこ?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「そう、あそこ」
恵麻はなんでもないような顔で言う。
てっきり買い物だとかそういうものだと思っていたのだが...
今から1時間半ほど前。
コンビニで恵麻に呼び止められた隆二は恵麻に「ちょっと付き合って欲しいとろがあるんだけど」とお誘いを受けることに。
今こんなだらしない格好を見られた手前、隆二はすぐにでも帰りたいところだったのだが...
「断るなら年明けに黒川君って実は自堕落なとこあるって会社で言いふらそうかな〜」
悪戯っぽく笑い、そんなことを言ってきた。
「ちょっと待って飯野さん、君そんな人だったの!?」
言いふらされるなんて新手の羞恥プレイだ。それだけは避けたい。
と、そんなこんなで弱みを握られた隆二は恵麻の誘いに応じることになったのであった。
2人で目的のカフェに入る。
隆二はブラックコーヒー、恵麻はカフェラテを注文し席に座る。
「付き合って欲しいとこというかただのお茶だよねこれ.....」
「だって黒川君とは前から話してみたいと思ってたから」
「話なら会社でもしてると思うけど」
「それって事務的なものがほとんどでしょう?もっと世間話みたいなのがしたいな」
「そ、そうですか」
「そうです」
恵麻が自分と話をしたがっていたなんて隆二は思ってもいなかった。
いつも目の前の仕事に手一杯でそんなことに気づけなかった。
そもそも会社は仕事しに行くところだと思っているため話をしようだとかそこまで考えが至らなかった。
「それはそうと黒川君、会社ではかなり真面目だけど休みの日はあんなになっちゃうの?」
「いや、さっきも言ったけど、いつもはもっとちゃんとしてるって...」
「じゃあ何で今日はあんなだらしない格好してたの?」
恵麻の疑問も当然だ。普段ちゃんとしてる人間があんな自堕落な姿を晒していたのなら。
「.....ここ1年くらいからかな、あんな感じになるようになったのは」
その疑問に答えるかのように、隆二は自分が感じていることを語り始めた。
真面目に仕事に取り組む中で疲れを感じてしまっていること。
その疲れから逃れるように、まとまった休みになると「新しい生活」と称して自堕落な生活を送ってしまっていること。
恵麻は隆二のそんな告白を嫌な顔ひとつせずに聞いていた。
「そんな感じであんな格好で出歩いてたってわけ.....ってごめん!なんか変なこと話しちゃったな、ははは...」
全て語り終えた時、隆二は自分の内面を別に親しくもない女性に打ち明けていることに気づき、急に羞恥や引目が込み上げてきた。
「まあ、これからはあまりしないように気をつけようかなって思ったかな! 今日みたいなこともあるし---」
「別にいいんじゃないかな、そんなこと気にしないで」
「え?」
早口で捲し立てる隆二の言葉を遮って、恵麻はそう口にした。
「休みの日にだらけてる人なんていくらでもいるじゃない? それこそ今日の黒川君みたいな格好で出歩いてる人だって珍しくないと思うけど」
「そ、そうだけど...でも...」
「でも?」
「俺みたいなさ、真面目なやつがあんな格好してて、飯野さん、笑わない?」
「笑わないよ」
恵麻ははっきりとそう答えた。
「黒川君、いつも仕事真面目に頑張ってるじゃない。そんな黒川君を笑う資格なんて、誰にもないと思うけどな」
「飯野さん...」
「黒川君だけじゃない、みんな真面目に仕事を頑張ってる。頑張ってるからこそ、休みの日に自堕落になってしまうこともあるんだよ。だからさ、ちょっとくらいだらけた姿を見ても、それを笑うことなんてできないよ」
「................」
あまりにも大人な答えが返ってきて思わず黙り込んでしまう。
「そういう私だって、自堕落になっちゃうことだってあるんだからね?」
「えっ、そうなの?」
自堕落な恵麻.....それはそれで見てみたいものだ。
なんて邪なことを考えていることに気づき、隆二は急いで思考をストップさせた。
「そうだよ、こっちもこっちで疲れるんだから。課長もちょっとうるさいし」
「ははは、なんかわかるかも」
それから2人は好きなテレビのことや、学生時代や就活の時など様々なことを語り合った。
そして、帰る頃にはもう日が傾きつつあった。
バスで恵麻と出会ったコンビニの近くまで戻る。
家の方向が違うため、恵麻とはその場で別れることに。
「今日はありがとう。あんな風に言ってもらえたの初めてだから、ちょっと嬉しかった」
「私の方こそありがとう。黒川君のことよく知れたし。あ、でも嫌な誘い方しちゃってごめんね...?」
「もう気にしてないよ。飯野さん悪い人じゃないみたいだし」
恵麻が謝まったのは自堕落な隆二の姿のことを会社で言いふらすと言ったこと。
多分冗談のつもりで言ったんだろう。そうだと思う。
「良かった。そうだ黒川君、大晦日は夜予定ある?」
「大晦日?あー、実家に...」
と言いかけたところで何故か口が止まる。
理由は自分でもわからない。
「そっかー.....友達とかみんな実家帰っちゃってるから初詣に付き合って欲しかったんだけど、そういうことならやっぱり自堕落な黒川君のこと会社に.....」
「飯野さん君本当に悪い人じゃないんだよねそうだよね!?」
そう、悪い人じゃない。隆二は心底そう思いたいのであった。
結局恵麻とは大晦日の夜11時半頃にコンビニでと約束することになった。
実家にはちょっと今年は帰るのが遅くなると連絡を入れた。
母親からは「ついに彼女でもできた?」と言われたが今はイエスともノーとも言えない状況のため適当にはぐらかすしかなかった。
恵麻とお茶をした翌日。
なんとなく自堕落生活に戻る気にもなれず、朝起きたら顔を洗い、髭も剃り、寝癖を直して1日を過ごしていた。
「これはある意味今までとは違う『新しい生活』が始まったかもな.....」
隆二はひとりそう呟くのであった。
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大晦日の12月31日午後11時30分頃。
例のコンビニの前で隆二は車を停めて待っていた。
車内のラジオからは旧年の終わりと新年の訪れを扱う番組が始まろうとしているところだった。
しばらく待っていると目的の人物が姿を現した。恵麻だ。
「ごめん、待った?」
「いや、そんなことないよ」
隆二は一度車から降りて恵麻を出迎えた。
それから恵麻を助手席に乗せて車を走らせた。
「黒川君ってほんとに車持ってたんだ」
「ほんとにって.....疑ってたの?」
この前初詣の約束をした時、神社まで歩くと遠いから車出すよと言った時は少し驚かれた。
「だって会社は電車で来てるんでしょう? 車とか要らないじゃない?」
「実はドライブが趣味なもんでね」
「そうなんだ.....どの辺走ったりするの?」
「海辺の辺りとかかな」
「あ、もしかして水族館とか島がある辺り? じゃあ今日の初詣もあの辺にした方が良かったかな」
「あそこはどうせ激混みするだろうから予定通りのとこでいいよ」
隆二は人混みはどちらかというと苦手な方なため、普段観光地としても賑わいを見せている水族館や島周辺はできれば避けたかった。
少しの間車を走らせると目的の神社についた。
隆二の住んでいるエリアは有名な神社が多く、初詣となると人がごった返すことが多いのだが、この神社は比較的人が少ないため隆二にはお気に入りの場所であった。
車を降りたとほぼ同時に恵麻がスマホの画面を見せてきた。
画面には0時0分 1月1日と表示されている。
どうやら無事に新年が明けたようだ。
そのままお互いに「あけましておめでとう」と新年の挨拶を交わした。
本殿の前には既に順番待ちをする参列客の列ができていた。
ただ、そんなに長い列ではない。順番はすぐに回ってきた。
隆二と恵麻は横に並んで立ち、賽銭を投入し鈴を鳴らした。
二礼二拍手してしっかりとお参りをした。
参拝を終え隆二は自販機のコーヒーを、恵麻は配られていた甘酒を飲んでいた。
そんな時、恵麻が聞いてきた。
「黒川君はどんなお願いしたの?」
「それ人に言ったら叶わなくなるって言わない?」
「そういやそんな話もあったね。じゃあ私も内緒にしとかなきゃね」
そう言って恵麻は笑った。
隆二にしてみれば叶うにしろ叶わなくなるにしろ絶対に言いたくなかった。
言ったら恥ずかしさで死にたくなるようなことだから。
「ところでほんとに甘酒飲まなくていいの?」
「いいよ。飲んだら飲酒運転になるかもだし」
「甘酒にはアルコール入ってないって言わない?」
「それでも念のためやめておくよ。飯野さんに迷惑かかるかも知れないし」
「真面目なのね」
少し呆れたような感心したような様子で恵麻は言った。
「でも、そういうところ、嫌いじゃないよ...」
「何か言った?」
「ううん、なんでもない」
恵麻が何か小声で言ったがよく聞き取れなかった。
「あ、黒川君!あれ引いてみよ!」
何を言ったのか気にかかったがそれを聞くまでもなく恵麻が小走りにとある箱の前まで行ってしまう。
その箱には「恋みくじ」と書かれていた。
男女2人でこんなものを引くなんてカップルのやることじゃないのだろうか?
ついこの間一緒にお茶をしただけの恵麻との間にはそんな特別なものはない。少なくとも今は。
それでも特に断る理由はないため100円玉を入れて隆二は恵麻と2人でくじを引く。
くじには吉と書いてあった。対する恵麻は...
「大吉だ!」
嬉しそうに見せてきた。
「『人間関係に恵まれます』だって。黒川君は...吉?」
「『思いやりを忘れずに』とか書いてある」
「なんか全体的に可もなく不可も無くって感じだね」
所詮はおみくじだ。当たるか当たらないかなんて神様の気まぐれだろう。
ただ、恵麻が嬉しそうに引いた大吉は、できれば当たって欲しい。
隆二はそう願うのであった。
神社を後にし、集合場所のコンビニまで戻ってくる。
「じゃあ、そろそろ解散かな」
「うん、そうだね」
初詣も無事に終わった。
これ以上、隆二が恵麻と一緒にいる理由はない。
このまま恵麻と別れたら後は仕事が始まる日まで何もないし、恵麻と会うこともない。
そのまま、また自堕落な生活に戻ればいい。
また快適だった「新しい生活」に戻ればいい。
それでも何の問題もない。
でも、何故だろう。そうしたくはない自分がいた。
いや、本当は理由なんかわかっている。
大晦日の予定を恵麻に聞かれた時、実家に帰るつもりと言いかけたが口が止まった理由も。
恵麻が引いた大吉のおみくじが当たって欲しいと願った理由も。
お参りの時「飯野さんともっと仲良くなれますように」と願った理由も。
本当は全部わかっていた。
だって、彼女と過ごしてた時間は、とても楽しかったから。
もっと彼女のことを知りたい、そう思ったから。
だから、隆二は、今自分がするべきことが、はっきりしてきているのを自覚していた。
「飯野さんっ」
少し緊張して声が軽く上擦る。
「どうしたの黒川君?」
「.....連絡先、交換しない?」
そう彼女に問いかけた。
それを聞いた飯野さんは少し驚いたような光を瞳に宿した。
「また今日みたいに、お喋りできたらいいなって、思ったから」
いや、喋るだけなら職場でもできるじゃないか。
そこはお出かけしたいとか言えばいいじゃないか。
というか今の流れで告白すればいいじゃないか。
などと自分の意気地のなさを責めていると...
「.....やっとそっちから聞いてくれた」
「え?」
やっとそっちから、とはどういうことだろうか。
恵麻は連絡先を聞いてくれるのを待っていたということだろうか。
しかし、恵麻は隆二の疑問には答えず、自分のスマホを取り出す。
「いいよ、私も黒川君ともっと話してみたくなったから」
「そ、そっか…じゃあ」
お互いスマホのメッセージアプリを起動しIDを交換する。
「うん、登録したよ」
「こっちもできた。これからよろしくね」
「こちらこそ。それじゃあ私はそろそろ帰るから、おやすみ黒川君」
「うん、おやすみなさい」
そう言って、恵麻はどこかご機嫌な様子で車を降りて去っていった。
「……家まで送った方が良かったかな?」
いや、さすがにそれはやりすぎだろうか?
もっとも、もう恵麻は帰ってしまったため今さらどうしようもないのだが。
家に帰ってこれから寝ようと思ってたところ、スマホが震えた。
メッセージが届いたことを知らせてくれたようだ。
『今日はありがとう。休み明けてからもよろしくね』
恵麻からのメッセージが届いていた。
こちらも『俺の方こそありがとう。楽しかった』と送るとスタンプが返ってきた。
「.....本当に、どうしてこうなったんだろうな」
浮ついた気持ちになりながら隆二はひとり呟いた。
自堕落な「新しい生活」を送っていたところに、恵麻と偶然出会うという思わぬ形でやってきた今までとは全く別の「新しい生活」。
どうやらこの「新しい生活」は、この年末年始の休みが終わっても続いてくれそうだ。
そう隆二は思うのであった。
その後、しばらく時が経ち、2人の間にまたこれまでとは違う「新しい生活」が始まったのはまた別のお話。