⑨女王様と令嬢化粧師
原料を伝え、アーノルドに後を託して化粧品ができるのを待つこと1週間。
その短い間にアーノルドは試作を作ってもってきた。時間がないので使う分しか作れなかったが、食事会の当日にはなんとかといった感じだった。
私はさっそくクリームを手に取って肌に塗った。
「……うん。いいんじゃないかな。これなら普通に使えそう。……あとは」
「母上の体調次第というわけだな」
私たちはフォルテに連れられて王城の女王の間に向かった。
ノックをすると妙齢の女性の声が聞こえて、メイドがその扉を開ける。
豪奢な家具と天蓋付きのベッドの上には弱弱しい女王の姿があった。
「ハーネスト令嬢。久しぶりだな、ここまでご足労感謝します」
「もったいなきお言葉ですわ。女王陛下。フォルテ様のお話で聞いていたよりお元気そうでなによりです」
女王は控えていたメイドに人数分の椅子を持ってこさせる。お許しがでたので椅子に座ると本題を切り出した。
「それで、令嬢、私の肌は化粧で隠せるのか?」
「……失礼します」
私は女王の顔を見る。炎症と湿疹だらけの肌は痛々しいと感じるほどに酷いものだった。
これに化粧を施すとなれば相当の量の化粧品が必要になる。
「……完全に隠すのは難しいです。でも、ドレスを露出の少ないものにしていただき、極力顔のみ化粧を施せば……なんとか」
「ほ、ほんとうか!」
「ですが、いくら肌が弱い人用の化粧品だからといって、まったく肌に負担がないわけではありません。それに、私たちの肌で試しても万一、女王様の肌に合わないこともありますう。それでも試されますか?」
注意点を女王に話すと、女王は乾燥して冷えた手で私の手を握った。
その瞳からは大粒の涙がこぼれた。
「頼む、ほとんどの化粧師が仕事を放りだしたこの肌をなんとか隠してくれ……!敵でもなんでも藁にもすがりたい思いなのだ」
「……申し上げれば、私はアルト様の婚約者で、実質は第一妃でありフォルテ様派の女王様の敵対者と認識されてもおかしくはありません。それでも信用するのですか?」
「アルトはどうであろうとも、そなたは信じるとも。そなたは清い心の持ち主だということはこのアンジェリカ、アルト派の成金どもよりも理解している」
握った手の力が増し、その手は小刻みに震える。私がここまできて断ると思っているのか
はたまた別の理由があるのかわからない。
「こんな時に虫の良い話ではある。だが、……謝らせてくれ。あのときアルトがそなたを傷つけた一言を諫めることができなかったこと。当事者として諫言できなかったこと。申し訳なかった」
「女王様、いえ、アンジェリカ様は関係ないではないですか。あれはアルト様が発端。謝られる必要はありません。……本当のこと、ですし」
「……私もそなたのように顔に傷を持つ身になってようやく理解したのだ。女にとって顔の傷はなによりもショックを受けるものであると。赤くはれた肌をみると心がぽっかり空いたような感覚に陥るのだ。もう治らないのではないか、自身を着飾ってもこの赤みが邪魔をして思うように綺麗になれないのではないかと」
「…………」
その感覚は理解できる。エミリーだった時も火傷の痕を見るたびに、自分は同世代の子のようにかわいい服を着ても似合わない。化粧をしても火傷の痕が邪魔して思うように綺麗になれないと思った。
けど、違う。周りがなんと言おうと着たいものを着て、したいように化粧をして、そして周りの視線を気にしないように外にでて沢山の笑顔を作る。
それが最高のおしゃれではないかと思うのだ。
それを心の中で言語化すると、すとんとなにか心に収まるような感覚がした。
――ああ、そうか。
女王様は私なのか。周りの視線に固執して綺麗であらねばならないと気を張っているのだ。
それは人間として大切な気持ちのひとつだ。見た目を変えることは人の心をも変化させる。化粧はその魔法だ。
私は女王様の手を握り返す。
「女王様。周りがどんな視線や言葉を投げかけようとも、女王様がしたいように着飾り、笑顔になることこそ最高のおしゃれかと存じます。自分の顔の傷にうしろめたさを感じてなにもかもを自制するのは時間がもったいないですよ」
「――ふ、それは持論か?」
「いえ、経験談です。父親に誕生日に化粧品をいただかなければ一生経験することがなかった大切なものです」
「……よい父を持ったな」
「はい。あと、友人も」
アーノルドに一瞬視線をやると、それに気づいたアーノルドはわかりやすく緊張で体をこわばらせる。
おかしかったのでひとつ笑いをこぼし、壁に掛けてあった時計を見た。
「そろそろ時間ですね。女王様、準備をしてもよろしいですか?」
「――ああ、頼む」
女王はベッドを出てメイドたちにドレスを着させてもらい、装飾品を付ける。
最高級の木材で作られたドレッサーの前に座り、私が準備を終えるのを待った。
なんか、手術前の患者みたいな光景だな……、と我ながら思ったのは秘密だ。
「では、準備ができたので初めて行きますね」
「頼む」
――まずは化粧水をはたき、下地のクリームを全体的に塗っていく。
さすが女王様というべきか肌の手入れはしているようで、肌が荒れていても女王の年代の人に比べればハリは損なわれていなかった。
下地のクリームを塗り、次はいくつか顔料が混ざったクリームを取り出す。数種類の肌色を女王の肌に合うように混ぜ、肌の赤みに応じて塗っていく。
隠しきれないものはブラシを使って丁寧に消していくこと30分。
何とか顔の肌荒れは隠せた。
あとは眉毛、アイラインをひき、目じり、頬に少々ピンク色のシャドウをつけ、瞼の眼球側から外にかけて色が薄くなるように3種類の青色のシャドウを使い分ける。
細めに口紅を塗れば完成だ。
「――おお、おお!これは……!」
ドレッサーの大鏡をみた女王はせっかく化粧を施したのに、今にも涙を流しそうな表情で声を漏らした。
潤む瞳からこぼれそうな涙をハンカチでぬぐい、多少崩れた化粧を直す。
「肌の赤みと荒れが完全に消えている……!すごい、すごいぞ、令嬢!」
「残念ながら完全に消えていません。明るいところに出れば多少、肌の赤みは目立つかと思いますのでお気をつけください」
「わかった!……本当にありがとう、エミリーハーネスト令嬢。なんとお礼をいっていいのやら……」
「……もったいなきお言葉です。では、私はこれで。仕事を終えたのにここに居てはご迷惑でしょう」
化粧品はもともと女王にあげる予定なので使用人であるメイドに渡しておく。
そろそろお暇をしたいので、挨拶をそこそこにアーノルドとともに退散しよう。
「母上、ご令嬢を外までお送りいたします。食事会の方は……」
「うむ、もとより私と王のみの出席の予定だ。それより、私の恩人であるご令嬢に粗相のないようにな」
「はい、わかっております」