⑧女王様と第一王子と
某時刻、王宮女王の私室にて――。
「フォ、フォルテ……こちらへ」
「はい、母上」
豪奢な家具、上質な天蓋付きベッドの布の向こう。
一組の親子がいた。ひとりはこのタナトス王国の第一妃にして女王、そして王位継承権一位、実質次期国王のフォルテ・タナトースの姿。
二人は似たような漆黒の髪を揺らし、女王の方は痛々しいほどの湿疹と炎症が肌に広がっていた。
「私は今回の隣国との食事会は何としてでも出席しなければいけません......。それはこの先女王として国を守るためにも、あなたの母としてあり続けるためにも……」
「わかっております、母上。ですから、今はご自愛ください」
「時間が、ないの。早く、早く、この痒さが収まらぬ、荒れた皮膚を何とかしなければッ」
「かしこまりました、このフォルテ、母上のためにもなんとかしてみせます。神の思し召しか。日ごろの善行がよかったのか、よい噂を耳にしましたので……」
――フォルテは弟アルトとは対照的の獣のような鋭く紅い瞳を細めた。
★
「は……くちゅっ」
「か、風邪?大丈夫??はい、僕のハンカチ」
「ううん、フェイスパウダーが鼻に入っただけ。ありがとう」
今日は学校の休日。特にすることもないので、メイクの練習をしようかと思って道具を机の上で広げていたところ。
寮長が私宛の来客を連れてきた。その客はここにいるアーノルドで、アーノルドは大きな手提げ袋を持ち、中には彼の家で製造販売している化粧品があった。
なので、今日はその化粧品を使って自分やアーノルドの肌に合うようにクリームを調合したり、顔にその下地クリームとフェイスパウダーを塗って使用感を確かめている最中だった。
「どう?クリームの使い心地は。僕的にはこれでも十分満足がいく商品だと思うんだけど」
「んー。着色料独特の匂いがきになるかも。あと質感ね。もう少し湿り気が欲しい。下地なら湿り気ないとパウダーも重ねられないし」
「あー、……そうだな。そこ気にしてなかったかも。参考にするよ」
さらに何度か言葉を重ねていくうちに、アーノルドとは打ち解けあい、今ではスムーズに会話ができるようになった。
彼自身なにか変わったおかげかもしれないが、今の方が前よりも何倍も話しやすい。
アーノルドは真剣な表情でもってきた化粧品の使用感を聞いていた。
「保湿はメイクの時には大切な要素だし、そこに肌に優しい美容成分も含ませられるといいよね。あと専用の化粧落としとか。あと化粧水も少ないからそういったもののレパートリーも欲しい」
「なるほど」
「あ、ごめん……。せっかく持ってきたのに」
「いいよ、そのためにもってきたから」
不敵な笑みを浮かべるアーノルドは手の甲に持ってきたクリームをつけて、質感を確かめている。
そうして化粧品を試していると、扉からコンコンとノックする音が聞こえた。
「はい、今手が離せないので勝手に開けてください」
手にはクリームがつき、べたついているのでそう返事した。すると男性の声が聞こえ、「失礼します」とことわりの声とともに扉が開いた。
「――なッ」
漆黒の髪に炎を連想させる野性的な瞳、けれどどこか幼さを残したその顔立ちと、冷然とした佇まい。その姿を一目みて、ある人物の名前が浮かんだ。
「――フォルテ、タナトース」
「へ、殿下……?」
突然の第二の来訪者に内心焦りを感じた。今はヘアバンドで前髪を上げているし、かろうじて人前で出れる顔だけど、人に見せれる姿ではない。
それはアーノルドも同じだ。アーノルドに限っては女子と化粧品をいじくり回しているところをあろうことかこの国で王の次に偉いフォルテに見られたのだ。
顔面蒼白で白い大理石の床に額をこすりつけた。
「も、申し訳ございません!で殿下、に、こ、こんな格好で出迎える、など」
途切れて言葉を紡ぐアーノルド。しかし、フォルテはおかしそうに腹から笑いを
零す。
「ふはははっ、面白いな。いいよ別に。勝手に愚弟の婚約者の部屋に来訪した僕が悪いんだから」
「は、はいいいいい……」
顔を上げてと促され、アーノルドが顔を上げるとそこには小さな塵がいくつかついていた。クリームが乾ききれてない状態で床に触れたのだ。
当然の結果だ。私は顔を洗ってくるようにいって洗面台の方を指した。
「申し訳ございません、寮長かと思いましてこのような不躾な格好で対面するなど。淑女としてはずかしい限りですわ……」
ヘアバンドを取って一礼すると、フォルテはそれを制した。
「いいよ、堅苦しい挨拶は。非公式の場なので楽にしてほしい」
「かしこまりました。殿下」
そういうことならとソファに腰を下ろした。殿下も対面の椅子に座る。
「婚約者の兄君であるフォルテ様がどうしてこのような場所に?私、なにかしでかしまして?」
実はフォルテとこういったプライベートで話のはこれで初めてだ。エミリー時代では公の場で一度会っただけ。
それ以降はあちらからも、こちらからも接点を持つことはなかったのに。
「いや、君の火傷の痕の件が気になってね。こちらに寄ったまでだ。……へぇ。見事に隠れてるね」
フォルテは机を挟み、行儀悪く片足を乗り上げ、私の額に手を置いた。瞳を覗き込まんばかりに顔を近づく。こうしてみると馬鹿王子ことアルトとは顔が全然似てないんだなぁ……。
男は母親に似るとはよくいったものだ。フォルテの母親である第一妃アンジェリカは社交界の華と呼ばれるほどの絶世の美女だと名高い。
その母親に似たのならこの顔立ちは納得だ。
「おや、照れないのか?」
「……照れてほしいんですの?」
「残念」
強がりを口にする。こんな顔が間近にあって心を動かされない女性などいようか。顔こそ私の好みの顔ではないが多少は心臓がどきどきした。
それを顔に出さないように、頬に力を籠める。
「まぁ、いいよ。今日は君にお願いがあってきたんだ」
「第二王子とは王位を争う関係にある、つまり私にとっては敵対関係のあなたがお願いですか……?」
第一王子であるフォルテと第二王子であるアルトは現在、どちらが王位を継承するかで争っている。
出来の良いフォルテは王位継承権一位とあって実質時期王だとささやかれているが20歳の成人式を迎えるまではその結果はわからない。
つまり、功績と支持をあつめればあのアルトでも王の座につける可能性があるのだ。
私は第二王子の婚約者という立ち位置からハーネスト家は第二王子側についている。
なので、第一王子とは王位継承についての立ち位置から敵対しているのだ。
そんな人物がなぜわざわざ敵の懐に潜りこんできたのか不明だ。
「そうだ。君の腕を見込んでお願いがある。……それに君は俺の敵ではないからね」
「どういう意味です?」
「確かに立場的には俺たちは敵同士だ。けれど、人為的な立ち位置ならどうだろうか。感情が伴うやり取りの場ならどうだ?俺は敵か。いや、違う。だって、君……」
「……たしかに、ここであなたがなにを言おうとアルト様には告げ口しません。だって嫌いな相手って極力話しかけたくないものでしょう」
本音を言えば、フォルテは満足げに口角をあげる。わたしから離れて、椅子に座りなおすとそのまま話をつづけた。
「そういうことだ。で、本題なんだけど、酷いやけどの傷をカバーするほどの君の化粧術の腕を見込んである人の化粧をして欲しいんだ」
「……なんのことでしょう。私は腕のいい化粧師に……」
「その姿を見て誤魔化すのは少々苦しいと思うよ?」
「…………百歩譲って私が化粧をできるとして、なぜあなたの頼みを聞く必要があるのでしょうか」
こういう展開って絶対よからぬ展開じゃん。それに、王族である彼が「ある人」って名前を伏せるぐらいだから大層位の高い人案件だと想像がたやすい。
断るほうがいいと直感が告げているのでお断りする。
「いいのかい?ここで王族に恩を売っておけば内政でも社交界でも優位に立てるよ」
「優位に立とうだなんて思ってませんわ。侯爵風情が王族の足元をみるなどおこがましい限りです。私にはこれから「フォルテ王子」がおっしゃられる頼み事は聞けません。お引き取りください」
「お願いだ。真剣なんだ。話だけでも聞いてくれ」
フォルテのお願いを聞きたくなくて視線をそらしていると、王子はあろうことか自分より下位の人間に頭を下げた。
それがなにを意味するのか、分からない私ではなく、本気で聞かないと駄目なやつだと肌で感じた。
「……話を聞くだけです。引き受けるか受けないかは私次第ということなら」
「……ありがとう」
フォルテは私にお願いをしたいことについて順を追って説明した。
まずは一部にしか知りえていないが、フォルテの母親であるアンジェリカが今流行りの重い皮膚病を患ってしまったこと。
今は回復傾向であり、肌に負担の少ない程度であれば化粧ができるが、炎症がひどく、なかなか腫れが引かないということ。
そして、近いうちに懇意にしている隣国との大切な食事会があり、なんとしてでもその食事会に出席したい。
それには炎症、湿疹で荒れた肌をなんとかしなければいけない。
これらの話を聞いた私は、丁重に……。
「私はお力添えができません。残念ではございますがお引き取り下さい」
「何故だ!あの火傷の痕を隠せるだけの術を持っている君なら何とかできるだろう」
「肌の炎症の痕や傷は化粧でどうにかできます。しかし、それには肌の負担がかかりすぎるのです。フォルテ様、先ほど、女王陛下は重い皮膚病を患っているといってらっしゃいましたよね?」
「ああ……医者によれば容体もよくなってきているそうだ。多少の化粧ならばよいのではないのか?」
「ならなおさら肌への負担は避けるべきです。私は医者ではないのでその辺の判断は致しかねますが、無理に化粧をしてしまうと症状悪化する恐れもあるのですよ」
「だが、それでも母は今回の食事会に出席しなければいけないんだ。それがどんな結末を迎えようとも、この食事会の出席の有無で、近年失落している母の名誉を取り戻せるかがかかっている。……なによりあの気の強い母上が弱って元気がないところをこれ以上みたくはないのだ」
「殿下……」
断ろうとするが、親を思う気持ちが事情に含まれていることに関心を覚えた。
アルトをずっと見てきたため、王族は傍若無人で傲慢なやつばかりだという固定概念があったからだ。
しかし、だからといって肌、病気の事情となれば素人がおいそれと考えなしに手を出せるものではない。
それに、治りかけなのに下手に化粧をしてしまい、女王様の調子が悪化してしまえば意味がない。
「せめてオーガニックの化粧品があれば話は別なのですが……」
「協力は無論惜しまない。そのおーがにっく?とやらも教えてくれればこちらで用意しよう」
「成分はわかっても作ることは難しいかと……」
「なら最高級の化粧品を用意させる、それならどうなのか?」
「……現在流通しているフェイスパウダーなどの化粧品の成分は多くのものが鉛が使われています。これは肌に大きく負担がかかるだけでなく、毒性も持ち合わせているため、病気にかかってしまう恐れがあります。私が使っている製品は鉛が入っていない顔料と油分でできているものですが、それでも肌に負担がかかってしまうのですよ」
この世界の化粧品は原始的で鉛が使われているものが多いことは、つい最近知った。
江戸時代ではおしろいの鉛の毒性のせいで多くの人がなくなったのは有名な話なので、仮に化粧品を使うとしても絶対に使わないほうがいい製品だ。
とにかく、現状、オーガニック化粧品がない以上は女王様に化粧を施すことは不可能だ。
「私の知識でお答えできるのはこの辺が精々です。現品があれば私はぜひお力添えをさせていただきたく存じます。……ですが、これ以上は時間の無駄でしょう」
「なら、その化粧品を俺が作る!だから力を貸してくれないだろうか」
フォルテは諦めきれないといいたげに唇を噛む。
だが、私はうなずかなかった。
知識不足でこれ以上手を貸せないこともひとつだが、もうひとつ彼に手を貸したくない「個人的」な理由があった。
逆恨みもいいところなのだが、あの馬鹿王子が流した不名誉な名が原因だった。
使いっ走りをさせられて、精神的にも罵られて、それでも家のためだと我慢をしてきた。記憶がよみがえってからはさらにそれらの行いに憤りを感じており、できれば王族に関わりたくないと思っている。
だが、世の中うまくはいかないし、王族と婚約を結んでる以上は完全に関わりを絶つことは不可能だ。
それに恩を売っておけば、いつかなにかの役に立つかもしれないからこそ、彼に助言をするのはここまでにしておく。
感情と理性を加味した結果だ。
「無理です。私にはその製造方法は知りませんし、近いうちに食事会があるのなら製造は間に合わないでしょう」
ここまで言えば、彼も諦めるだろう。
だから、帰ってくれ。
「……わ」
「あの、エミリー……」
「ひゃっ!あ、アーノルド」
洗面台からひょっこりと顔を出すアーノルド。メイク直しをしたのか、顔は整えられていた。
アーノルドは続けていった。
「化粧品の製造、僕の家でできるけど……そのオーガニック化粧品の開発しない?」
「……え」
……そうだった。アーノルドの家は化粧品を製造している、製造方法こそ知らなくても材料さえあれば施策を重ねられる環境じゃないか。
自分の詰めの甘さを反省して、そっとフォルテに視線を移した。
するとなんていうことだろう。さっきほどの切羽詰まった表情はうそだったのかといいたげに悪魔的な、私を苛立たせる笑みを浮かべていた。
「そーかそーか。アーノルドくんといったね。ぜひ君の家で厄介になろうではないか」
「あ、アーノルド。開発はいいけど時間がないのよ?無責任な発言は……」
「時間内にできるとは限らないけど、将来的なことを見越して今から開発するのはいいんじゃない?エミリーも肌に優しい化粧品が欲しいって言ってたじゃないか」
「……はぁ」
アーノルドはど天然に提案する。これ以上断れば王族からみる私の家の評価もさがるので断ることもできず。
化粧品の開発が成功した暁には女王様に化粧を施すことになった。
「ありがとう、エミリー、アーノルド。持つべきは学友だな。ははは」