⑦婚約者?
「エ、エミリー様、ご機嫌よう」
「おはようございます、エミリー様」
「……おはようございます。皆さん」
アーノルドとは別のクラスなので、教室の前で別れる。
教室の自分の席に座ると何名かの女子が私の席の前まで来て、スカート端をつまみ、一礼と挨拶をかわす。
つい先日まで自分をミミズ女と噂している彼女たちを思えばなんとも言えない気持ちになる。
そんな気持ちなど露知らずと一人の女子生徒が口を開いた。
「あの……失礼ですが、エミリー様、お化粧品はどちらをお使いなのでしょうか」
「どうしたのですか?皆様、真剣な表情で……」
もう一人の女子生徒は食い気味に聞いてくる。
「アーノルド様といい、エミリー様の綺麗なお肌といい、どのご令嬢もエミリー様の化粧術を知りたいとお思いなのです、むろん私も!よろしければ……お教えいただけませんか?」
そんなこと言われても、返答に困ってしまう。教えること自体はたやすいが、この人たちは私の立場でいえばいじめっ子。つまり先日まで敵だった関係なのだ。
そんな彼女たちの利益になるようなことを口にするのは、器量の狭い私にとっては無茶な話だった。
適当にあしらおう。
「ごめんなさい、私とアーノルドのお化粧は当家で召し抱えている専属の化粧師に任せているのです。残念ですが、私からお教えすることはできませんわ……」
「そうだったのですか。ではその化粧師の名前だけでも......」
「その化粧師はあまり自分の名を好まないお方なのです。……お力添えできず申し訳ございません」
「そうですか。……こちらこそハーネスト令嬢に不躾なことを聞いて申し訳ありませんわ」
有体に答えれば彼女たちは納得して去っていった。
やれやれといった思いで胸をなでおろし、授業に使う教科書をかばんから取り出す。
「エミリー、エミリーはいるか!」
「今度はなんですか」
手を止め、声がした方角をみると、そこには物語に出てくる王子様のような、太陽の光に反射して光る金髪に、トルマリンを連想させるような澄んだ青い瞳がこちらを見ていた。
そして横柄で傲慢な、その王子様とは対照的な態度は、私の婚約者、タナトス王国第二王子、アルト・タナトースだった。
アルトは生まれたときからの婚約者で、美しいものを好むが故に私の火傷の痕を疎んでいる。
私の火傷の痕をみるやいなや、アンジェの件よろしく、婚約破棄を切り出した。
しかし、私の場合は家柄が王国貴族序列5位の家柄であること、さらに上位の家柄の令嬢はすでに婚約が決まっていたことから、適任者が私しかいなかった。
つまり、家柄と血筋だけで続いた婚約関係なのだ。
当の本人は、私のことを快く思っていないので、顔を合わせれば使いっ走りのようなことをさせられ、罵詈雑言を浴びせる。
とくに、エミリーとして心の傷として残っているのは6歳の時に公の場でいわれた火傷の痕についてこのことだった。
実は、このミミズ女の名称はなにを隠そうそこの馬鹿王子が名付けたものだったのだ。
このことを思いだすと恐怖心半分、彼に対しての憎悪がよみがえってこないこともない。しかし、ここでなにか変な気を起こせば、家の名が傷つくし、いままでエミリー時代の時に我慢してきたことが水の泡になってしまう。
怒りを唾と一緒に飲み込み、用件を聞く。
「ご機嫌よう、アルト様。なんの御用でしょうか」
「久しぶりだな。ミミズ女。……ふーん。顔の傷が消えているのは本当だったんだな」
品定めするように頭の先からつま先まで視線で嘗め回す。
その行為を不快で胸をかきむしりたくなる衝動にかられるが、我慢だ。
「隠していると表現したほうが正しいですが。まぁそうですね」
「ほう。やっと僕の婚約者としての自覚が芽生えたのか。ミミズ女にしては殊勝な心掛けだ。だが、もともとの粘質な性格は治っていないようだがな」
「……どういう意味ですか?」
「先日、アンジェ嬢になにやらよからぬことをしでかしたそうではないか」
「アルト様、そのなにやらとはなんのことでしょう。まさか状況も把握されていないのに他人のもめごとに首を突っ込んでおられるので?」
「――ミミズ女のくせに言うじゃないか」
「私はアーノルドさんに召し抱えの化粧師を紹介しただけです。それ以外はとくになにもしていませんわ。言い争いのときはその場に居合わせましたがそれだけですし。どなたから聞いてらしたの?」
「それは……」
アルトは言葉に詰まり、もごもごと口を動かした。
この男は昔から物事をよく考えずに発言して、場をかき乱す。
こんなのが王位継承権二位なら世襲制の王権なんてなくなったほうがいいんじゃないか、とすら思う。
そこまではさすがに言う権利はないから黙っておくけど。
「とにかく、貴様は人のもめごとに二度と首を突っ込むな。貴様の所作、評判はこの僕の評判にもつながるのだからな!よいな」
「はい、肝に銘じておきますー(棒読み」
耳触りの良い言葉を並べるとアルトは満足気に鼻を鳴らすと自分のクラスへと戻っていった。
なんだったんだこの時間は、と抗議したいが、この後は普通に授業を受け、いつの間にか放課後になっていた。