④人の印象
次の日、新たな噂、アーノルドの見た目が変わったこと、そしてアンジェ嬢がアーノルドをフッた話が瞬く間に広がっていた。
貴族は暇なのだろうか。ひとつ話が出れば田舎の情報網のように迅速に話が伝達していく。
おまけにその場の状況を見ていたかのように正確な内容で伝わっていたため、アンジェには学園での地位も相まってか、話題に触れてはいけない人物として大勢の視線からそらされ、アーノルドに同情と、やっぱりかといわんばかりの視線を浴びせた。
――そして。
この噂には今からもうひとつ大きな要素が加わることになる。
「――え」
「だれ、あの優美な殿方は……!」
「……あれ?アーノルド・ハスターじゃないか!」
「ええ!雨上がりの雑草みたいなじめっとした見た目をしていたじゃない!」
朝。アーノルドに女子寮まで来てもらい、化粧と髪型を調節して別々に学園に登校した。
すれば、予想通り、大勢の女子生徒の視線が彼に釘付けになった。
「あ......エミリーじょ……」
「しっ......!」
登校してちょうど廊下を歩いていた私の姿を見かけるや否や、こちらに向かってこようとする。
いや、待って。こっちにこないで、ただでさえ火傷の件で大勢の注目を集めているのに、アーノルドのことも関与したらまたよからぬ噂が広がってしまうではないか。
私はジェスチャーをしてこっちにくるなと合図を送っているのに。
この世界では一般的な仕草ではないのか、アーノルドはついに私の目の前にまできてしまった。
「け、化粧のしかた、ま、まちがえ、たのか!いつもより、人の、し、視線が......」
「……ふぅ。いや、単にアーノルドさんが見違えるように清潔感あふれるかっこいい見た目になって皆さん、あなたに興味深々なだけです。マイナスな感情を向けてるわけではないでしょう」
「そ、そう、なのか?」
本当はこのまま遠くで彼のことを見守りたかったが、来てしまったものは仕方がない。
開き直って気持ちを落ち着かせるように一息吐いた。
アーノルドは周りの視線に怯えているのか震える手で自分の制服のネクタイを掴む。
落ち着かない様子であたりを見回す彼をあやすように背中を数度撫でた。
「落ち着いてください。せっかく綺麗になったのに、そんな態度じゃ台無しじゃないですか。アンジェ嬢、見返したいんでしょう」
「あ、はい!」
朝、化粧しているときに、アーノルドはだんだん私に心を開いてくれたのか。
自分の気持ちを吐露した。
アンジェ嬢とは幼馴染で家族ぐるみで懇意にしている家柄から婚約者になったこと。
アーノルドは家が決めた婚約関係だったが、それでもアンジェ嬢と添い遂げたいと見た目以外の勉強を頑張ってきたことや、彼女のために尽くしてきたこと。
そして、小さい頃に「不細工」と言われて以降、自分の容姿に自信が持てなくなったことまで。
これは彼が歩んできた人生の一部だろうが、それでも、この話は彼の人となりを少しでもしれたものだった。
そんな頑張り屋な彼が報いてほしいと思って昨日以上に張り切ってアーノルドを恰好よくしたはずだ。
「ぼ、僕、アンジェ嬢の気持ちに向き合ってこなかった。そしてふさわしい男でもなかった……。だ、だからこそ、彼女との「別れ際」くらい格好いい男でいたいじゃないか!」
――アーノルドは落ち着いたのか、私に向けてひとつ微笑を浮かべる。
やっぱイケメンの笑顔は最高と思った瞬間だった。
鼻につーんとした感覚がくるが、なんとか垂れてくるものをこらえて見送った。
彼はそのまま目の前のアンジェ嬢の教室に向かう。
木材で作られた重い押戸を勢いよく開くと大きな音が鳴る。その音で教室にいる人たちはなにごとかとこちらに視線を送った。
その中にはアンジェの姿があった。
アンジェの表情は赤い風船のようで思わず少し噴き出しそうになった。
「あ、あなた!どういうつもりよ!この私に恥をかかせるような真似をっ......!」
「あ、アンジェ……」
アンジェが詰め寄りその気迫に押されるように一歩後退するアーノルド。
頑張れ、アーノルド。あなたは自分を捨てたその女に一言言ってやりたいのでしょう。
心の中で拳を握って廊下の窓から視線を送っていると、アーノルドはこちらに気づいて小さくうなずいた。
「は、恥をかかせたつもりはないさ。そ、それに僕こそ被害者だ……。あなたに婚約破棄をされたあげくに、お、思い人までつれてこられて……」
「それは、あなたと結婚するのが嫌だからよ。あなたってさえないし、なんの取り柄もない。結婚するのにメリットがあるのは家柄だけ。そんなつまらない男、だれが好きになるものですか!」
政略結婚ほど不幸な結婚はないとはよくいったものだ。そこに互いの人間の情なんて生まれない。あるのはただの使命感だけ。
だが、互いに歩みよろうとすればそんな結婚や婚約もよいものになるだろう。
なのに、この人は自分の理想を彼に押し付け、感情のままにわめきちらすだけ。
そんなことだから政略結婚になってもいい家庭すら築けない。
よかったじゃん、アーノルド。こんな女と別れられて。あなたなら次もいい恋に出会えると思う。
「ごめん、僕は自分のことに夢中であなたの気持ちなど一切考えてこなかった。婚約のことは僕からも申し出るよ。大丈夫、きっと解消してくれるさ」
「……え」
アーノルドは感情のまま言葉を吐くのではなく、理性的に別れの言葉を告げた。
え、なに、このイケメン。
元々の彼の性格も相まって私の個人的好感度はさらにうなぎのぼりだ。
アーノルドは乾いた喉から声を絞りだして、教室をでていこうとした。
「ま、待ちなさいよ!」
「な、なに、まだなにかあるの?」
「以前までのあなたであれば私はあなたと結婚したくありませんでした。でも、今のあなたならまた婚約関係を続けてもよいでしょう」
「は……はぁ」
ん?なにこの掌返し。彼女の口ぶりからして本当に彼の外見にしか興味がなかったっていうこと?
たしかに昨日連れてきた男は顔も整っていて、女受けする顔立ちだ。
もしかして、いや、もしかしなくてもアンジェは相当の面食い。しかも顔だけでしか人を判断できないというやつなのか。
そんな女に好かれて、同情してしまうよ。アーノルド。
……さて当の本人の返事はどうなのか、その成り行きを見守ろう。
「ご、ごめんなさい。その、僕はあなたには釣り合いません」
「はぁ?何を言っているのかしら?この私が特別に婚約関係を続けるといっているのです。昨日の男とも別れてさしあげますから」
「……この姿をみてもその言葉がいえる?」
アーノルドは教室に飾ってある花瓶の花を抜き、持つ。そしてその中に入っている水をあろうことか自分の頭に向けてかけた。
「――ねぇ、アンジェ……」
「……き、きゃああああああああああ」
「ぶふっ……」
ふふっ……。せっかく朝頑張って化粧したのに、アーノルドの顔フェイスパウダーが水で溶け、目にいれた黒のラインはパンダのように瞼に溶けだした。
子供の落書きのようにしっちゃかめっちゃかになった顔は見る人が見れば、化け物のようにみえるだろう。
とくにこの世界では薄化粧の人が多いため、アンジェはとても驚いているようだ。
「こ、こないで!いや、あなた!それ化粧なの!?も、もうよろしくてよ!さっさと私の前から姿を消してぇ!」
「……わかったよ。アンジェ。……最後に言いたいことがあるんだ」
アンジェに相変わらず覇気のない背中を向けていった。
「人の印象なんてほぼ大半は見た目できまる。で、でも……。それでも僕は君に心からあゆみよってほしかったと思ってる。……それだけさ」