①よみがえる記憶
――ミミズ女。
ある女性が私に投げかけた非情で、辛辣で、心に突き刺さったナイフの傷がじくじくと痛むような言葉だった。
その言葉は私、エミリー・ハーネスト侯爵令嬢の顔に、3歳のときにできた火傷の痕を揶揄したものだった。
それを聞いたとき、の年齢は6歳。物心がついて言葉の意味を理解するのにいい年齢だった。
それから、人の視線が恐怖となり、その口から発せられる言葉を聞くのが嫌になる。
だから、13歳の社交界デビューにも出ることがなかった。
でたとしても周りで着飾る女性の話のネタにされるのがオチなので嫌気がしたのだ。
こうして外の人間とかかわることなく、顔の火傷の痕にコンプレックスを持つこと幾年。
私はタナトス王国にある貴族に必要な教養、マナーなどを学ぶ場所である王立フォルクス学園に入学した。
その間、やはり、ミミズ女の噂は広がっており、だれもが私に心ない言葉や好奇の目を向けた。
それに耐えに耐え、時間が経つこと、16歳の誕生日の日。奇跡にも近い現象が起こった。
それは実家で、父が私のために二人だけの誕生日会を開いてくれたときの出来事だった。
「誕生日おめでとう、エミリー!」
「ありがとう、お父様」
「駄目だよ、エミリー。ひとつ大人になったからって気持ちまで背伸びしていてはいい人間になれない。ほら、「パパ」だよ!ほら、呼んでよ」
「あはは……。ありがとう、パパ」
私に少々、いやかなり過剰な愛情を向ける父アーツ、もといパパは40過ぎとは思えない子煩悩の笑みを浮かべた。
「エミリーのために今日はとっておきのものを用意したんだ。君ももういい年だし、さらに良いものを持っていたほうが良いだろう」
とパパはメイドにピンク色の皮でできた大きめのポーチを持ってこさせた、それを受け取り、中身を開けるとその中には……。
「これは……メイク道具?」
そこにはおしろいや口紅といった貴族の中でも有名なブランドの化粧品とメイク道具の一式が入っていた。
化粧をしない私にとってはこういった贈り物をされるのは初めてだし、なにより、パパはこの火傷の痕に触れないようにこういった贈り物は避けていたのに。
声に出すと、パパは気まずそうに目をそらした。
「気に入ってくれただろうか?その、なにを贈ればいいのかわからなくなって。着飾りたい年頃だろうから、そういうのもいいかと……その」
「……ううん、ありがとう。一生懸命考えてくれたんだよね、嬉しいよ。パパ」
「え、えみり”ぃぃぃぃ”!!!!!!」
「く、苦しい、パパ!あと顔を擦り付けないで!髭が痛いわ……」
「ごめ”んよぉ”ぉぉぉぉ......パパの女遊びが原因でぇ”......」
「その話はいいわ。……もう過ぎたことだもの」
この顔の火傷は3歳の時にできた。その原因はパパの女遊びが発端だった。
パパは昔、無類の女好きで社交界の独身貴族に手を出し続けた結果、私と上に二人の姉ができた。
その女癖は子供ができても治らず、3歳ですでに生んだ母親が亡くなってしまっていた私は、姉とその母親と4人で女遊びに呆けるパパの帰りを邸宅で待っていたある日のこと。
――悲劇は起こった。
「アーツ!許さない、私の心を弄んだ挙句、ボロ雑巾のように捨てて目の前から姿を消すなんて……ッ!殺してやる、殺してやる、殺してやる!」
パパの愛人の一人が奇声を発し、屋敷に乗り込み、油を屋敷中に撒き、火を放った。
使用人たちはその光景に逃げまどい、一緒の部屋にいた姉二人は母親に連れられ、私は逃げ遅れてしまった。
おぼつかない足で、逃げることができなかった私は、そうこうしていうちに女が私がいる部屋にまで乗り込んできた。
その女は煤で汚れたドレスを纏い、髪はぼさぼさで肌は荒れ、剥きだした眼球で私を映し狂気の色を放ってこういった。
「……ああ、あの人にとても良く似ているわ。あなた、あの人の子供でしょ、……ちょっと待ってなさい、いいものをあげるから」
ぶつぶつとつぶやきながら厚悦とした笑み女は熱した油を私の顔面にかけた。
「――」
――以降、私の右側の額から頬にかけてミミズ腫れのような火傷の痕が残った。
この出来事は公にはされていないが、顔の傷のことはすぐに多くの貴族に知れ渡ることになる。加えて、私はタナトス王国の第二王子、アルト・タナトースの婚約者でもある。
その知名度がさらに噂に拍車をかけることになった。
婚約関係は解消されずにはすんだものの、今日まで周りからの視線、噂の種とされた私は顔に包帯を巻き、家から出ることなく、社交界にデビューすることなく。
着飾ることもなく。ただ、家に引きこもり、学園に行く日々が続いた。
――そして、今日、私の人生は急転することになった。
「――あ」
メイク道具を目に移したとたん、濁流のようになにかの記憶が脳内に押し寄せた。
それは見たこともない機械を目の前に女性が化粧をする姿。
楽しそうに、この世界に流通していないであろうさまざまな化粧品を使って自分の顔をさらにきれいにコーティングしていくさまを。
第三者視点の記憶が、徐々に自分の視点に変わっていき、気づけば、だれかの記憶が「自分のもの」だと認識できた。
(これは……。私の記憶……??)
そう、これは私の記憶だ。
私は生前、メイク方法や化粧品のレビューを動画投稿サイトに投稿していた。その記憶が今になって思い出したのだ。
奇怪な記憶に気持ちがごちゃまぜになって混乱してしまうが、すぐにパズルのピースがはまったように納得した。
――ああ、ここは私の住んでいた世界とは違うのだと。私は死んで、どこか別の世界に転生してしまったのだと。
よくテレビでありがちな、前世の記憶をもって生まれた子供とか。そういうカテゴリの人間なのだと気づいた。
そう思えば、手元にあるメイクケースはなじみがあった。こういった色味のケースはもっていないが、メイク道具を手にもって、品定めをするという行為は生前と同じなのだと。
ケースにあった鏡を手にとると自分の顔が映った。
「……私、こんな顔をしてたんだ」
ずっと笑わなかったせいか、口はへの字に曲がっており、眉は元気がなさそうに垂れ下がっていた。包帯から覗く赤い痕から自分の火傷痕の痛々しさが物語れる。
「……エミリー、どうしたんだ」
「ううん、なんでもない」
「そうか、つらいなら鏡をみなくていいんだぞ」
「うん......、わかってるよパパ」
肌の手入れを怠ってきたからか肌は荒れ放題、顔色も悪く、人の前に出られるものではない。
けど、これならここにある化粧品で傷を隠すことはできるかもしれない。
思い立ったら、生前の職業柄、どうしても自分の顔を化粧したくなってしまう。
うずうずと身体が動く。はやくこれらを使ってみたいと手は勝手に化粧品に手が伸びていた。
「……パパ、ありがとう。こんな素敵な贈り物、いままでの誕生日プレセントの中で一番うれしいわ……!ねぇ、今からこれでお化粧していい?」
「え、あ......!いいのかい!」
「だって、せっかくの誕生日だもん!綺麗な姿で迎えたいじゃない!」
パパがハンドベルを動かす手のようになんども首を上下に振った。
急いで部屋の明かりをともして、私は「人生」初の化粧に挑んだ――。
王立フォルクス学園は今ある噂で持ち切りだ。
王国貴族序列5位ハーネスト家のミミズ女、エミリー・ハーネストが長期休暇明けに、なぜか美女になって帰ってきたという噂だった。
噂の真偽を確かめるべく、多くのものがエミリーの教室を訪ねると、そこには包帯を巻いた女はいない。その変わりその包帯の女の席には白魚のようにきれいな手、日焼けをしていないきれいな肌にサファイアの瞳と絹のように細くやわらかい白髪を靡かせた女生徒が凛とした姿勢で座っていた。
それはまごうことなきハーネスト家のミミズ女、エミリーの姿だった。
顔には火傷の痕は見当たらなく、さらには長期休暇前より端正な顔立ちをしていることに一同驚いていた。
「ねぇ、あれってハーネスト令嬢よね?あの人、顔に酷いやけどの痕があったんじゃないの?」
「そうよね、どうやって隠しているのかしら?気になるわ……」
女生徒は化粧のおかげであると見抜き、多くのものがエミリーに対しての視線が一気に変わった瞬間だった。
対して男子生徒は……。
「あれって化粧なのか?女って怖いな」
「ってことはさ、女って化粧が取れれば醜いってことか?……ちょっと夢壊されるわ」
「でもさ、あれが化粧だとしても、ハーネスト令嬢ってきれいな顔立ちなんだな......」
それが化粧だとしても綺麗と賞賛するもの、女の容姿に疑問を持つものと意見は分かれる。だが、明らかにエミリーに対する視線が変わった。
エミリーは彼らの反応を横目に、ひとり、授業の準備のために手を動かした。
(ああ、次の授業は運動があるわね。……せっかく化粧したのにとれちゃう。仮病つかってやすもうかな)




