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放課後のアポカリプス  作者: 阿再相利
2/26

一人と二人と、一人

 夢の中で。

 (つじ)立生(りゅうせい)は喰われていた。

 己の肉体から滲み出した獣に。

 そして。

 その獣から湧きだした細長い触手に。

 やがて。

 己も貪り始める。

 

 獣と、触手と、己自身を――



 布団の中。

 異様な、熱。それに、柔らかく、どこか甘ったるい香り。

 辻立生は、その日も馴れぬ鼓動で目を覚ます。

「遅刻するわよ」

 黒い瞳。

 ぬめるような、白い肌。

 しっとりと、冷たそうな線で紡がれているのに、ねっとりとした熱がしみだしている。

 美貌、であった。

 臓物の奥、そのまた奥をねぶられるような。

 同じ布団の中に、そんな少女……影代(かげしろ)鳴委(めい)が、潜り込んでいる。

「遅刻させたいのか」

 立生は十代の学生である。

 欲はある。

 だが。

 常識もある。

 それらに限界がある事も知っている。

 衝動が、ある。

 それらに照らし合わせれば、かようなシチュエーション……全く以て、たまったものではない。

「勘弁してくれ」

 呟き、

「冗談じゃすまなくなるぞ」

 起き上が、れない。

 鳴委の脚が、立生の脚に絡みつく。

 痛みは無い。

 だが。

 動けない。

 関節技では無い、数秘学的視点から肉体を抑えている。

「冗談じゃすまなくなると、どうなるのかしら」

 じっとりと、鳴委の唇が迫り、

「何をしているかッ!」

 凛然たる声と共に、立生は布団から引きずり出される。

「朝から姦淫(かんいん)にふけろうとは……ふけろうとは……ッ!」

 金色の眼に縦に割れた瞳が、立生を見据える。

 銀色に輝く髪を逆立て。

 喰らい付くような面立ちであった。

 少女、であろうか。

 だが。

 腕が太い。脚が太い。胴が太い。

 首が、太い。

 太く、分厚く、そして、引き締まっている。

 銀城(ぎんじょう)鍔裂(つばさ)の肉体は、自己主張そのものである。

 特に。

 その胸元の豊満はは、ブレザーを歪めている。

 だというのに。

 顔立ちは、あどけなさが包んでいる。

 銀城鍔裂はやはり、少女である。

「とりあえず下ろしてくれ」

 だが。

 鍔裂の身長は百八十に届く。立生の頭は天井すれすれである。

 ベッドから起き上がり、鳴委が嗤う。

「無理よ、この子、一度興奮したら止まらないもの」

 ショートヘアをかき上げながら、鳴委が立ち上がる。

 彩りが、あった。

 腕も、脚も、腰も、引き締まった縁取りから、ねっとりとした響きが(にじ)んでいる。

 人はそれを、色気と言うだろう。

「何だと……」

 立生を離し、鍔裂は鳴委に向き直り、

「へぇ……」

 鳴委の目が細まり、

「貴方たち」

 低く、響く声。

 三人が視線を向ける先には、

「いい加減にしなさい」

 辻・ステラ。

 立生の母親である。



 正座、であった。

 立生/鍔裂/鳴委……三人そろって。

「二人とも、何度目かしら」

 ステラの嘆息も、何度目であろうか。

 今学期からである。

 一人息子の立生に、突如、同級生の女子が二人、絡みはじめた。

 礼儀はある。家柄も、どうやらかしこまったものらしい。

 そして、一応は『人間』である。

「仲良くするのは結構ですけれどね、節度というものを知らないのかしら」

 だが加減を知らぬ。

「本当、困った子ですね、お母様」

 鳴委が微笑む

「全く、困った女ですな、母上殿」

 鍔裂が笑う。

 目を合わさず、笑う。

 牙を、剥き合う。

「まぁ、二人とも。その辺にしておきなさいな」

 ゆるやかに笑い、立生の父親……辻・輝彦(てるひこ)が肩をすくめる。

 朝も夕も夜も、休日は昼間も騒がしくなってはいるが。輝彦としては、嬉しさを隠しきれない。

 子供は立生一人である。

 輝彦とステラ、共に望んで一人だけを育てている訳では無い。

 だが、二人目は望むべくもないのである。

 それが突然、二人も現れたのだ。

「お父さんは甘すぎるわ。女の子に対して」

 とはいえ、ステラもまた、嬉しさを覚えていた。

「何度目になるのかしらね、節度をもって交流しなさい、というのは」

 諦念もあった。己が子供だった頃、母はこのような心境だったのか。

「ともかく二人とも、朝ご飯を食べないと遅刻してしまう」

 輝彦が二人分の茶を注ぐ。

「いただきます」

 鍔裂が鮮やかに、

「……いただきます」

 鳴委は静かに立つ。

「困った女だ……」

 立生は一人、鼻を鳴らす。

「本当に、困った子ね」

 ステラが呟く。

「立ちゃんは、困った子ね」

 呟き、笑った。



 黒板の前に、二人。

 一人はひょろりとした優男。

 上背はあるが、厚みが無い。重みが無い。吹けば飛ぶような、そんな体つきである。

 青海(おうみ)誠司(せいじ)。立生の、そして鍔裂と鳴委の、担任である。

「手短にしましょう」

 誠司が教卓の横に下がる。

 もう一人が、教卓の前に立つ

「渡谷・新茨(あらし)です」

 二つ結びの髪が、印象的な少女であった。

 皆が、そう、思おうとした。

 額から右頬にかけて……深く、引き攣れた痕が、あった。

 抉られたのであろう。

 右目を覆う眼帯の下も、おそらく。

「よろしくおねがいします」

 そういって、笑う。

 柔らかな、クレープ生地の様に軽い、笑みであった。

 クラスの空気も軽い。

 蜥蜴じみた肌の者がいる、他にも獣人もいれば鬼もいる。

 だが皆、人間である。

 新茨といえば、ただ眼帯をしているだけの生徒である。

 何を緊張するものであろうか。

「よろしく」

「はぁ~い」

「イカした眼帯……邪神とか、封じていらっしゃる?」

 踏み込んだ呼びかけにも、

「クククッ……それを知るときが貴公の終りよな……」

 軽妙に応じ、

「……いやぁ、このタイミングでこのネタを使うとは思いませんでした」

 そんな教室の様子に、誠司は微笑む。

 微笑みながら、

「さて、渡谷さんの席は」

「そこですね」

 新茨の指が、教室の真ん中、その最後尾に向けられる。

 立生の隣に、向けられる。

「空ですし」

 新茨は歩を進め、着席する。

 クラスのところどころで、含み笑いが滲む。視線が微かに交わされる。

 教室最後尾の左右。鍔裂と鳴委の位置に。

 立生の隣を主張し合った結果である。

 何かと立生に付きまとう女二人が、どのようなトラブルを起こし、楽しませてくれるのか。

 そのような下世話な期待なぞ、どこ吹く風と、新茨はしゅるりと着席する。

 溜息をつきつつ左眼だけを向け、眼帯の方に

「よろし……」

 凍りつく、左眼の、奥の……より深く……柔らかで、脆くて……鋭く……

「よろしく、お願いしますね」

 体温が、戻った。

 新茨が笑う。

 その左眼……茶色の瞳が、立生の眼に向く。

「……よろしく」

 そう呟き、立生は黒板に視線を向ける。

 その後は、真面目に授業を受けた。

 そうしていたかった。

 隣にいる少女の事を、意識から締め出したかった。

 何より。

 

 動けなかった。



 薄暗い。

 教室は未だ賑やかであった。

 補習である。

 自称進学校にはよくある事である。

 補修が終わって。

 いつもなら若干駄弁っていくところだが、立生はそそくさと教室を後にする。

 帰りたかった。

 違う。

 教室に、いたくなかった。

 何を思わずとも教室の外に足が向く。

 転校生。

 渡谷新茨。

 その場にいないはずの少女。

 ひたすらに忘れたかった。

 その残り香から、逃れたかった。

 あの左眼。

 違う。

 眼帯が、その下の何かが、立生の胸の奥の何かを掻き立てる。

 不安だろうか。

 不安にしては、じっとりと脈打ち、熱く、冷たく……その合間に、痺れるような粘り気が掠める。

 息苦しさか。

 学ランのボタンを総て外す。

 ワイシャツが濡れる。

 夕焼けを学ランの黒が吸っている。

 そう思う事にする。

 何かと付きまとってくる二人が、堪らなく恋しかった。

 鳴委は補習を受けずに済む点数を得ている……今は図書室か、それとも自宅か。

 ならば。

 鍔裂も補習だった。格別な。

 迎えに行こう。

 喜んで付いてくるはずだ。

「明日は面倒だが」

 思わず、ではない。何か呟かずにはいられない。

「明日の事は明日考えればいい……それでいい」

「だが明日はありませんよ」

 鉄色の声であった。 

「……ッ」

 立生が、跳ぶ。

 弾かれる。

 内側から奔騰(ほんとう)する、何かに。

「なっ……あっ……え……?」

 地面に這いつくばる己に、立生の意識が混線する。

 視線が独りでに閃く。

 校舎裏であった。

 帰宅の方向とは真逆の位置である。

 そして、眼前。

 夕焼けに縁取られ、立つ。

「転校生……」

 渡谷新茨が、そこに立つ。

 ただ立っている。

 だのに。

 異様な熱を帯びている。

「無い」

 笑う。

 クレープ生地の様な軽さはない。

 重く、

「深淵に、名乗る名は」

 そして、

「無い」

 冷たい。

「人違いだ」

 立生が下がる。

「違うな」

 新茨が踏み出す。

「ああ眼帯か忘れ物か邪神を封じるんだ重要だよな忘れ物ならまぁまずは職員室だ、な? な?」

 眼帯をしていない。

 右眼は、白く濁り、

「この子が哭いている」

 血を流している。

「俺はただの人間だ」

 懸命に、立生は頬を振るわせ、笑顔を作る。

 すこしずつ、下がる。

 新茨の唇が薄く引き攣れ、笑う。

 すこしずつ、にじり寄る。半身になりながら、迫る。

「そりゃいろんな奴がいるがみんな人間宣言しているはずだ」

 振り向けない。

 携帯を取り出す事も出来ない。

 一動作が、死につながる。

 直感する。

 させられる。

 時間を稼ぐ。

 この場をやり過ごし――

「二人は来ない」

 ――新茨の顔が、あった。

 距離は無かった。

 その踏込、無拍子。

 立生の顔面に、新茨の左掌が迫る。

「そうか……」

 立生が、笑う。

 そして――

「……来ないか」

 ――閃き、二つ。

 銀と、黒。

「一張羅だったんだがな」

 立生が、肩をすくめる。

 新茨を見下ろしながら。

「母さんに叱られる」

 自転車置き場の屋根に、いた。

 肩に引っ掛けた学ランを、新茨に突きつける。

 真っ二つに、背中の生地が裂けている。

「……そうか」

 新しが、見上げる。

 その右手。

 四尺ほどであろうか。

 鉄色の、杖。

 握ってはいない。

 だが。

 微塵(みじん)も、揺れていない。

 左掌打に隠しての、鉄杖の一閃。

 それに。

 学ランを打ち付け逸らし、逃れる。

 だが。

 新茨よ。

 その鉄杖(てつじょう)、どこから抜き打った。

 立生よ。

 如何にして学ランを脱いだ。

 如何にしてそこに立つ。

「そろそろ夕暮れも終わる……この辺りにしておかないか」

 その、縦に割れた瞳は、何だ。

「心配するな」

 鉄杖の先を背後に回し、踏み出す。

 脇構(わきがまえ)

 だが。

 知る者は言う。

 (しゃ)の構――進むを威と成す理の発露。

「その手の連中には馴れている」

 夕焼けに。

 微かに浮かんだ月を背負う立生は。

 思わず、笑い……呻いた。

 全身の肉を、微かに震わせ、呻く。

 呻き、耐える。

 内から奔騰する何かに。

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