2-20
無事トイレ掃除を終え、雫と大翔は夕焼け空が広がる海沿いの道をてくてくと歩いていた。
潮騒の音を行き道よりも少しだけ近くに感じる。視界の隅を駆けていく鳥の群れが赤い空をバックにシルエットになっていた。
ただ歩いているだけで流れてくる汗を、首にかけたタオルで時折拭いながら、雫は持っているバッシュ(バスケットシューズ)をぶらんこのようにぶらんぶらん振ってみる。
そして、反対側の手で持っていたチョコバーをひとなめ。ついさっき帰り道にある売店で買ったものだ。大翔も同じものを食べているが、それも雫の奢りだった。自分の寝坊のせいでトイレ掃除に付き合わせてしまったことに対するささやかなお詫びだ。
「う~ん、練習後のアイスというものは格別ですな~」
冗談めかして、大翔がそんなことを言った。
それに関しては全くもって同感だ。疲れたときの甘い物はたまらない。暑い日の冷たい物など言うまでもない。そんなものを片手に大翔とのんびり海岸線を歩くこの時間が雫にはとても好ましかった。
「ふふ、ですな~」
「もうすぐ晩飯だというのにな~」
「お主も悪よのー」
「雫様ほどでは~」
そんな、自分たちでもなんかよくわからないノリで喋っているうちに、合宿所に到着する。玄関で靴を脱いでスリッパに履き替え、食べ終えてしまったアイスの棒を捨てるために食堂へと向かう。
そこで二人が見たものは、
「おわ、なんだこれ⁉」
「ちょっと! みんな大丈夫⁉」
凄惨な現場だった。
今日夕食当番である一年生たちだろう、男女織り交ざった五人の戦士たちがものの見事に力尽いてしまっている。ある者はピーラーとにんじんを胸に抱いたまま仰向けに倒れていて、ある者はいい感じに切り分けたものの盛り付けるまでに至らなかったのか、それでもぎりぎりまで頑張ったのか、量が明らかに均等でないサラダ皿を前に頭からテーブルに突っ伏している。
視線を他へ移してみると、また別の誰かが体力ぎりぎりの中何とか最後まで自らの役割を果たしたのか、炊飯器の『炊飯』ボタンを押したままの状態で彫像のように動かなくなってしまっていた。
倒れ込む力も残っていなかったのだろう。見ただけで涙を誘う光景だ。
「ひろちゃん……」
雫は掠れた声で呟いた後、大翔の顔を見上げる。彼の目には薄ら涙が浮かんでいた。
「ああ……練習で疲れ切った体で、それでも俺たちのために力を振り絞って夕食の仕度を頑張ったんだろうな」
感極まったような声で大翔は呟く。
そんなときだった。
「「っ⁉」」
調理場の向こうで影がのそっと動く。
その光景に雫と大翔は目を疑った。
「うそ……だろ……」
十連ラッシュの末の右ストレート。誰もが終わったと思った。むしろ終われと思った。もう頑張らなくていい。これ以上立ち上がってもさらなる苦痛が襲うだけ。見ている側のこっちですらもう心居た堪れない。お願いだからもう頑張らずにそっと倒れておいてほしい。
だというのに。
「早く、カレー作んなきゃ……みんなが待ってるんだ……」
その男、新谷加寿美の弟、新谷彪流はふらふらとふら付きながらも調理を進めている。
それを見た大翔が思わずタオルを投げた。
「たけるぅぅぅぅっ!」
その雄叫びを聞き、彪流はゆっくりと振り返る。その瞬間少しだけ目がはっと見開かれ、それから安心したように息をつき、
「大翔……せんぱ……」
「たけるぅぅぅぅっ!」
そしていよいよ力尽きたのか、前のめりに倒れていく彪流を大翔は優しく受け止めた。
「す、すいません……何とか、頑張ろうと思った、んですけど」
「いいよ。お前らは十分よくやった。あとは俺たちに任せろ」
「ほんとすいません……この借りはいつか……姉ちゃんが、体で……」
「たけるぅぅぅぅっ!」
ガクッと彪流が意識を失うのを見て、大翔は茫然とした様子だった。それを見ている雫も胸が苦しくてたまらなかった。