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期末テストも無事終わり、他の全国の高校と同じく、大翔たち風見鶏高校も約一か月半に渡る夏休みに突入していた。
夏休みになってからは練習時間も普段の一・五倍もしくは二倍近くになり、さらなる熾烈を極めた。他の部――バレー部やバトミントン部など屋内スポーツの部――との兼ね合いで普段は女子バスケ部とコートを二分して使っていた男子バスケ部も、夏休みになってからはコート丸々一つを使えることもあったし、日によってはコート二つ分――体育館のフロア丸々を練習に使えることもあった。
贅沢なものだ、とも思うが、全国にはバスケ部専用の体育館を持つ学校なんかもあるそうだ。
「うああ……体痛てぇ……全身筋肉痛だぁ……くおお……」
といううめき声がさっきから聞こえよがしに聞こえている。
めんどくさいので聞こえないふりを続けていた大翔だが、音量的にもそろそろ無視できないレベルになってきたので、
「明日は練習休みなんだし、家でゆっくりしとけよ」
部室にあるパイプ椅子に座り、壊れかけの扇風機の前で体を冷やしながら、そう言った。
言った相手は部室の隅にどかんと置かれているソファの上でごろ寝している長内修だ。
ソファと言ってもそんな大層なものじゃなく、至る所に破けやほつれ、シミが見える中古品だ。職員室で使わなくなったものを譲り受けたものらしい。
らしい、と言うのは、これを譲り受けたのは大翔がこの高校にやってくるより前であり、先輩づてに話で聞いただけだからだ。もしかしたらそんな事情は真っ赤な嘘で、ゴミ捨て場から拾ってきただけなのかもしれない。でも誰もそんなことを気にする様子もなく、なんだかんだで重宝している。練習終了後は部員全員が我先にとこのソファの上に群がる。
そして今日その特等席を射止めたのは、風高男子バスケ部副キャプテンの長内修だった。
修はうつ伏せでソファに寝転がった状態から、顔だけをもそもそとこちらに向け、
「んなこと言っても、明後日には合宿始まるだろ。一日でこの疲れはとれねぇよ」地獄の底でも見てきたような顔で、そう言った。
確かに、修の言う通りではあった。
明日は練習休みであるものの、その翌日――明後日からは一週間かけての合宿が始まる。
それを考えると明日一日ばかりの休みを引き合いに出しても、だからどうした、となるのも当然である。気持ちはわからないでもない。
でもそんなこと自分に言われても正直困ってしまう。そして修もそれはわかっているのだろう。これは単なる愚痴みたいなものだ。適当に聞き流しとけばそれでいい。
「いいじゃんか。合宿の四日目の中休みには、女子のみんなと海で遊べるぞ」
「去年もその言葉につられて頑張ったけど、結局なんだかんだで、男子は男子、女子は女子だけで遊ぶんだよねぇ」
「……まあ確かにな。それでも十分楽しかったけど」
大翔が扇風機の風力を「強」から「中」に下げながらそう答えると、修が、今度はやけに真剣味のある表情で、
「でも今年はもう遊ばねぇって決めてる。あの中休みで遊んだら、後半の三日間で地獄をみるからな」
合宿は先ほども言った通り一週間――七日間かけて行われる。前半三日間死ぬほど練習して、四日目は中休みで丸一日休みだが結局丸一日死ぬほど遊んで、後半残り三日間は前半と同じく死ぬほど練習するというデスマーチ染みた強行スケジュールである。
中休みではくれぐれもしっかり休むように言われているのだが、楽しいんだから仕方ない。合宿所のすぐそばに海水浴場があり、それでいて泳がずにいられるか。うら若き女子たちがともにいて、遊ばずにいられるか。いやまあ結局は汗臭い男どもだけで遊び倒すことになるのだけれども。
ようは気持ちの問題だ。水着姿の女子たちがいるというだけで、疲れが吹き飛び心が浮き立ちペース配分を狂わせる。ああもう男って奴はなんてバカな生き物なんだろう。
「まあぐだぐだ言っても仕方ねぇよ。なんだかんだでみんな毎年乗り越えてるんだし、何とかなるだろ」
大翔は去年の経験も踏まえて、そう言った。
確かに死ぬほどきついが、有意義な一週間になることは間違いない。その地獄のような七日間を乗り越えたことは必ず自信になるし、チーム内での結束力アップにもつながる。本気でインターハイを狙うなら、これは乗り越えるべき最低限のハードルだ。
しかし修は未だ納得できない様子で、
「お前は体力無尽蔵バカだからそんなこと言えんの。はぁ……誰か明日辺りに合宿所爆破してくんねぇかなぁ……」
「無茶言うな」
そのとき、部室の扉が開いて、バスケ部の後輩である一年生トリオが入ってきた。
その先頭にいた練習着姿の新谷彪流が、大翔たちの方を見て、
「お疲れッス。あれ、郁先輩とヨーイチ先輩はもう帰ったんスか?」
郁先輩、ヨーイチ先輩というのは、彪流たちの先輩、つまり大翔たちの同輩である二年生のバスケ部員のことだ。
白峰郁と硲下要一。
その二人は数分前に、身支度を終えて先に部室からいなくなっていた。
「ああ、白峰は塾、硲下は見たいテレビがあるから先に帰るって」
大翔がそう答えると、今度は一年生トリオのうち、細身で色白の一人が大翔に向かって一歩踏み出し、
「あの、僕たちが明後日持って行くのは、ボールとボール籠でいいんですよね?」
まるで女の子のような可愛い顔をした、早坂紡が遠慮がちに尋ねた。
彼はいつも、なぜか顔をほんのり赤くしながら話しかけてくるので、大翔はいつも一瞬言葉に詰まってしまう。
「お、おう。他の分は俺たちが用意しとくから」
「わ、わかりました!」
そのまま紡はそそくさと、自分のロッカーへと小走りに駆けていく。そんな些細な動作もいちいち小動物のように可愛いから困る。
そしてその可愛い後輩、紡の後ろから現れた一年生トリオのうちの最後の一人が、これまた巨漢だ。
いや上背はそれほど規格外ではないのだけれど、横幅はスバラシイ。
その巨漢、大文字風雅は汗ダラダラというかもはやびしゃびしゃの様相で大翔の目の前にぬっと顔を忍ばせ、
「うちの畑でとれた野菜があるンすがっ! 良かったら明後日持って行きましょうかぁっ⁉」
ちょっと頭おかしいんじゃないかと言うくらいの騒音レベルの大きな声で尋ねられる。
「あ、ああ、食材はいっぱいいるし持って来てくれたら助かるけど――その前にお前はなんでいつもそんないちいち声がデカいんだ⁉」
「自分は日々全力ッスっ! これくらいどうってことないッスっ!」
「お前はよくてもこっちが疲れんの! ていうか声張るなら別に顔近づけなくてもよくね⁉」
「すんませんっ! 気をつけますっ!」
「だからうるせぇよ!」
「すんませんっ!」
彪流もうるさいが、大文字はまた種類が違う。練習中や試合中には大きな声は助かるが、日常とのオンオフは身につけて欲しいものだ。