2-1
いい加減そろそろ寝ろと脳細胞が悲鳴をあげている。まともな思考能力はもう残っていない。栄養ドリンクとコーヒーの飲み過ぎで胃がむかむかする。シャーペンを持つ手が震え、今にも叫び出しそう。飛永大翔は自分の限界を告げるため、ゆっくりと虚ろな視線を上げてみる。
その先で、一人の少女が自分を睨んでいた。
「手が止まってる」
「……すいません」
今にも噛みついてきそうな少女の形相に怯み、大翔は結局何も言えず手元に視線を戻した。
その視線の先にあるのは、明日に控える期末テストの第一科目である物理Ⅰの教科書とノートだ。そしてそのさらに奥には、英語と古文の勉強道具一式が列を作って並んでいた。
――お、終わる気がしねぇ……
大翔は絶望に頭を抱えながら、ふと隣に視線をやってみた。その隣には先ほど自分を睨んできた少女とは別の、いや百八十度真逆と言っていい少女がいた。
可愛いらしい小動物系の顔をした彼女だが、目の下にはクマがあり、顔から生気が感じられない。自分と同じく物理の教科書を、死刑宣告文を見るような目で眺めていた。
その少女、天野雫に大翔は声をかける。
「雫はどうだ、順調?」
すると雫はゆらりと顔を上げ、
「明日どうやってテスト休んで追試に回して貰おうかばかり考えてる……」
「おお、さすが雫。安定の現実逃避っぷりだぜ」
同志の存在を再認識し、大翔は少しほっとする。自分が困っているときに同じことで頭を抱えてくれるとは。まったく本当に理想の嫁過ぎて困ってしまう。雫は目じりに薄く涙を浮かべつつ、文字通りに両手で頭を抱えると、
「うう、ひろちゃん……頭痛いよぉ……これ、風邪かなぁ……」
「ああ、言われてみれば俺も頭じんじんするし……お互い風邪かもな。明日は休むことにしよう」
「うん、そうだね。そうしよう!」
ドン! と言う猛々しい音が大翔と雫の淡い幻想を断ち切った。二人はひっくり返らんばかりの勢いで椅子を引き、追いつめられた小動物のようにぶるぶると震えだした。
二人の視線の先には、先ほどの「手が止まってる」の発言者、新谷加寿美の姿があった。
頭には桃色のバンダナが巻かれてあり、そこから指通りのよさそうな黒髪が垂れ下がっている。
服装は制服にエプロン。そんな家庭的な姿をしているのに、浮かべているのは鬼の形相だ。大翔と雫が勉強道具を広げているテーブルに両手を叩きつけたまま、自分たちのことを見下ろ――いや、睥睨していた。
「明日の分が終わるまではぜったい逃がさないわよ。もし逃げたら、今後一切勉強は見てあげないから」
「「え~」」
「え~、じゃない! ぐだぐだ言ってる暇があったら問題の一つでも解きなさい! ……っとにあんたたちは危機感ってもんがないんだから」
加寿美大先生がそうおっしゃるので、大翔は渋々問題に向き直った。
その問題は授業中に先生が黒板で解いてみせてくれた小問集合だが、それをそのまま写したはずのノートを見ても悲しくなるほどにわからない。
仕方ないので応急的処置として、解法の流れを暗記することにする。うちの物理担当の先生は性格がひんまがっていないというか、むしろ優しいので、問題中の数字を変えるくらいでそんな違いのある問題は出さないはずだ。
ね、そうですよね先生。信じてますからね!