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Run&Gun&  作者: 楽土 毅
第六章 少女の願い
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 大翔は一之瀬兄弟を見送って、天野宅の居間に戻った。つけっぱなしだったテレビの電源を落とし、変わらず畳に寝転がっている雫に目を向ける。


「おい、雫。こんなところで寝てたら風邪ひくぞ」


 軽く肩を揺すって声をかけてみるけれど、全く起きる様子がない。もう風呂には入ったあとのようなので、そのまま彼女を部屋のベットまで運ぶことにした。

 雫を二階の彼女の部屋まで運ぶまでの間、酸素受給に多大なる困難をきたす恐れがあるので、大翔は念入りに深呼吸しておくことにした。胸の中を酸素で一杯にしてから、雫の体をそっと担ぎ上げる。


 軽い。

 同じ高校二年生とは思えないくらいに軽かった。そのくせ、その体を担ぎ上げる自分の両腕はプルプルと震えている。女の子の体の未知の感触に、皮膚が、筋肉が、精神が、パニックを起こしている。

 大翔はすぐさま移動を開始した。つまずかないように落とさないように気を配りながらも、可及的速やかに階段を駆け上がった。


 幸い雫の部屋のドアは開け放たれていたので、そこで苦労することもなく目的地へと辿り付けた。できればもう三往復ぐらいしたいところだがその間に雫に目を覚まされたら言い訳が立たないので、素直に彼女をベットに寝かせた。雫はその体にしては少し大きめのベットに、猫のように小さく丸くなった。


 大翔は立ち上がる。するとそこで勉強机の上に置かれていた黄色地のリストバンドが目に入った。

こちらは今日あげた、新品の方だ。

 大翔はそれを手に取り、さらにポケットから、先ほど一之瀬兄弟が持って来てくれた使い込まれた方のリストバンドを取り出した。


 それを両手に持ち、しばし思案したあと。

 大翔は雫が横になっているベットのそばに片膝をつき、雫の右手に新品の方、左手に使い込まれた方のリストバンドをはめてやった。それでも雫は起きる様子がない。


 ――起きたらびっくりするだろうなぁ……。


 大翔は一人笑いながら、再び立ち上がった。

 もうここで長居することもない。うっかり変な気を起こしてしまわないうちに、自分の部屋に戻ろうと思った。回れ右をし、ドアの方へ歩みを進める。


 そんな折、

 またしても、あの写真で目が留まった。


 三年前に自分がここにやってきた直後に撮られた雫とのツーショット写真。コルク板にピンで留められた、そのたった一枚。この写真の中の大翔は相変わらず、この世で一番不幸なのは自分だと言わんばかりの沈んだ表情をしている。


 しかし、もう前と同じように、それを見ても嫌な気分にはならなかった。少しバカだった自分を「あの時はバカだったな」と苦笑いしてしまう、そんな感覚に過ぎない。それもこれも、たった今自分の真後ろで眠りこけている少女のおかげだ。


 雫のおかげで過去の自分を嫌悪せずにいられるようになった。母である香波とも絆を取り戻すことができた。バスケにもまた出会えて、修や加寿美や木ノ葉先輩をはじめとした良きチームメイトたち、一之瀬兄弟のような良きライバルたちにも出会えた。


 雫がいなかったら、自分は今の自分には絶対なり足り得なかった。

 大翔は雫の方を一瞥する。


 変わらず無垢な寝顔を浮かべている彼女に愛おしさを感じながら、大翔は何気なくその写真を、コルク板に縫い留めてあったピンを抜き取り、手に取ってみた。

 しばしそれを見つめ、それからまたしても何気なく、その写真の裏を見てみた。


 言葉を、失った。


 名の知れぬ感情が激情とまでいえる奔流に変貌し、体の中を突き破るように駆け抜けて、一息に頭に結集した。それが目から滑り落ちる一筋の冷たい液体となって、視界を霞ませ、心を浄化する。


 寒くもないのに手が震えた。心臓の辺りが熱い。誰かに抱きしめられているような感覚がした。復活や回復の呪文を唱えて貰ったかのようだ。どんなに心や体をすり減らしていても、この温かさがあれば自分は何度だって立ち上がれる気がする。


「…………ありがとう」


 その写真の裏には、ある言葉が書かれていた。

 見間違いのありえない、紛れもない雫の字。


 でも少しだけ今の字と雰囲気が違って見えるのは、恐らく三年ほど前に書かれた字であるからだろう。元々達筆で字の綺麗な雫であるけれど、彼女もこの三年の月日を重ねて少しだけ字体を大人っぽく変化させていた。

 その写真の裏には、こう書かれていた。


『ひろちゃんが早く笑顔になってくれますように!』


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