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「ひろちゃん、さっきのよかったよ。ほんとに」
雫が目と鼻を赤くして、そんなことを言ってきた。
大翔は涙をぐいっと拭って、
「俺たちも頑張って、いいチームにしような」
「うん!」
そしてともに笑い合う。
そんな折、
「ちょっと飛永」
「うわ!」
横やりからぬいっと木ノ葉が姿を現した。大翔が渡した花束を大事そうに抱えながら、頬をぽりぽりと掻きつつ、「えっと、悪い。こんな感じになると思ってなかったから」
「え、なんすか?」
大翔は改まってそう尋ねた。そして、木ノ葉のすぐ後ろで百合ヶ丘も控えていることに気づく。二人は申し訳なさそうな表情で口を開いた。
「実は俺と百合ヶ丘は、まだ引退しないつもりなんだ」
「…………へ?」
最初、言われた意味が分からなかった。自分がそれを解するよりも先に「マジですかっ⁉」と修が尋ねる。そしてそれを聞きつけた周囲の者たちも「なんだなんだ」と言い寄ってくる。
木ノ葉は続ける。
「ほら、あの試合の二日後くらいに飛永と電話で話したろ。あの後、百合ヶ丘に相談されてな。『ウィンターカップ』まで一緒にバスケ続けないかって」
言われ、大翔は木ノ葉の後方に控える百合ヶ丘に目をやった。すると彼もおずおずと大翔の前まで歩いて来て、自ら口を開く。
「僕らが抜けたら男子は七人だけになっちゃうし、ひろっちたちだけじゃ大変かなと思ったんだけど……メーワク、かな?」
その辺りでようやく彼らの事情と意図を悟った大翔は、目を輝かせた。気が付けば百合ヶ丘の手を握っていた。
「んなことないっす! めちゃくちゃうれしいですよ! ……ですけど、二人とも受験生なのに、大丈夫なんですか?」
大翔は伏し目がちに尋ねる。
気がかりはそこだった。
風見鶏高校は進学校。そして二人も大学へと進学する予定だったはずだ。そこに部活動というものは往々にして「邪魔物」にしかなりえない。推薦なんかには役立つかもしれないが、それでもこの総体を終えてなお、引退せずに冬まで部活をやり続ける意味はそれほど無い。
そんな思いが表情に出てたのか、木ノ葉は大翔の方を見て、
「心配しなくても、親にも先生にもちゃんと相談して決めたことだ。でもさすがに毎日練習に参加するってのは無理そうだからよ。助っ人くらいに考えてくれたらいい。そしてもちろん、俺らがいるからってみんな遠慮しなくていい。むしろ早々に俺らをスタメンからひきずり降ろして欲しいもんだな。俺と百合ヶ丘がのんびりベンチで見守っていられるよな、そんなチームになってほしい」
気がつけば、木ノ葉は大翔や修だけでなく、周りの一、二年生全員に向けて言っていた。
「それだけでも十分心強いですよ、なぁ?」
修が大翔に向かってそう問いかけた。大翔はぶんぶんと首を縦に振る。
しかしそこで、一つの疑問が大翔の頭に浮かび上がった。
「でも引退しないんなら、それこそ木ノ葉先輩がキャプテン続けてくださいよ」
「だから今言ったろ。ろくに練習に参加できない時期もあるだろうしさ。俺たちは助っ人くらいに思ってくれ」
「ええー」
「ええー、じゃねぇよ」
「ひろっちなら大丈夫だよ。ゆっきーでもできたんだから。山瀬っちでもできたんだから」
「「おい、それはどういう意味だ」」
百合ヶ丘の発言に、木ノ葉と山瀬が凄まじいシンクロ率で待ったをかけた。。
まあ、何にせよありがたいものだった。戦力と言う意味でも、単純に人数としても、二人が引退せずに残ってくれるというのはかなり大きい。
「悪いな大翔。俺もできれば残ってやりたいけど、俺ホントぎりぎりだからさ」
不意に、元副キャプテンの三宅が声をかけてきた。どこか申し訳なさそうな顔だった。
「いやそんなこと、全然大丈夫ですよ」
大翔が恐縮した様子でそんなことを言っていると、
「ていうかお前、進学うんぬんの前に、卒業できるのか?」
「そこまで落ちぶれちゃいねぇよ!」
木ノ葉の辛辣なツッコミに、三宅は怒鳴り返す。するとその瞬間大きな影がのそっと三宅に覆いかぶさった。
百合ヶ丘だった。そして何やら甘ったるい猫なで声を出す。
「だいじょうぶだよー、みやっち~。僕らがみやっちたちの分もがんばるからね~」
「だぁ―――――っ、気持ち悪ぃな抱き着いてくるんじゃねぇよホモヶ丘!」
なんかよくわからないけれど、大盛り上がりだった。
自分が作ってしまったどこか辛気臭い雰囲気を、先輩たち自ら盛り返してしまった。
敵わないな、と大翔は思う。
「ひろちゃん」
唐突に、隣で微笑んでいた雫が言った。
「なに」
「ありがとね」
「え、何が?」
「いろいろ」
「いろいろって……リストバンドのことか?」
「それも含めてだけど」
雫はいったん視線を外し、部員たちの方を見た。その瞬間にふわりと一陣の風が吹き抜けて、雫のショートカットを艶やかに揺らした。空は夕沈みに赤く染められ、地上には間延びした木々の影が幾重にも重なっている。
「なんとなく、そう言いたいと思ったから、言ってみた」
「……そっか」
大翔も雫にならって部員たちの方を見た。百合ヶ丘は三宅を抱きついたまま離さないし、木ノ葉はそれを笑顔で見守っている。修は残り少なくなってきた料理を他の部員と争うようにして平らげていた。加寿美は同学年の女子部員たちとともに花都先生を取り巻き、お菓子作りの何たるかを質問攻めにしている。それに対して花都は満更でもなさそうに、嬉々として生徒たちに熱く語っていた。
大翔は静かに口を開く。
「雫も、ありがとな」
「え?」
静かなはずの森の中で、笑い声は絶えなかった。
そして、そんな場所にいることを許されている自分は、すごく幸せなんだと思う。
この隣に並び立つ少女と笑い合えることを、本当に幸せなことだと思う。
そして。
「ずっと、お前にそう言いたいと思ってたから、言ってみた」
叶うなら、この少女にも同じように思って貰えるような、そんなかけがえのない一人になれたらいいなと思っている。