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大翔の歩く場所は木々が左右に分け隔てられていて、人道のようなものができているところだった。
踏み出す足に連動して落ち葉がくしゃくしゃと鳴る。上を見上げると覆いかぶさっている若葉の隙間から、きらきらとした陽光が降り注いでいた。どこかから水の流れる音が聞こえてくる。その山道を進んでいくにつれ、町の喧騒が遠ざかり、自然の息吹が満たして行く。
――こういう場所、好きだなぁ。
雫は自然が好きだった。自宅が田畑に囲まれた場所にあるためか、雫は幼少時代山や川で遊ぶことも多かった。そして父の巌人は漁師であり、雫が釣りにのめり込むのにもそう時間はかからなかった。今でも時々やっている。
でも女友達につりをする子があまりいないので、大翔に付き合って貰うことが多い。大翔は釣りはあまり上手じゃないけれど、それでも誘えば喜んでついて来てくれる。彼は都会生まれ都会育ちだけど、先来は自然が好きなタイプ、自分側の人間なのかもしれない。と言うより、そうであって欲しい、かな。
「そろそろか」
大翔が言った。彼はなんてことのない山の中腹で立ち止まったかと思うと、こちらに振り返り、
「ちょっと目を閉じてくれるか?」
「え?」突然の注文だったので、雫は不思議そうに小首を傾いだ。すると大翔は一体何を勘違いしたのか顔を真っ赤にして、
「あ、や、べべべべべ別にキスしようとかそんなんじゃないから、安心してけれ!」
――けれ?
「う、うん。それはわかってるけど」
「あ、あー。そ、そう」そう続ける大翔の顔が、何となくしょんぼりして見えたのは気のせいだろうか。
理由はよくわからないけれど、従うことにした。雫はそっと目を閉じて、「これでいい?」
「よし、じゃあ手を出して」
それに従うと、大翔の手だろうものに両手を握られた。そしてゆっくりと引っ張られ、再び山道を進んでいく。「窪みあるから気をつけて」「枝が出てるから頭下げてくれ」そんな大翔の指示に従いながら、雫は目を瞑ったまま、恐る恐る歩みを進めていく。
別に行き先が怖いわけではないが、単純に目を瞑って歩くことに対する漠然とした恐れがあった。時折根に足を取られ、「ひゃう!」と転びそうにもなった。それでもそのときには大翔がしっかりと受け止めてくれ、進んでいくうちに、馴れも出てきて怖さは徐々に薄れていった。
ある所で、平たんな場所に出た気がした。傾斜角の程度に大小の違いはあれど、それでも延々と斜面を登り続けていた感じだったが、あるところで平地を歩いている感覚になった。
地面の感覚も何となく違う。さっきまでは落ち葉や、湿っぽい土壌を踏んでいる感じだったがここはどことなく芝生っぽい。半ズボンから出た自分の足を、下草が絶えずくすぐってくる。頭上からも先ほどまでよりより強く、日の光が降り注いできている気がした。
「よし、ストップだ。まだ目は開けるなよ」
「うん」
大翔は握っていた自分の手を離した。
雫は指示された通り、目を瞑ったまま直立している。でもこれが案外難しく、時折ふらついてしまう。
「まだだぞ。まだ開けちゃダメだからな!」そんな大翔の声が、どこか遠くから飛んでくる。何かの準備でもしているのだろうか。
――もしかして、何かのサプライズ?
ふとそんなことを思った。大翔は常日頃からそんなことをするタイプではないけれど、それでも時々自分の意表をつくことをしてくれる。自分の誕生日には何かプレゼントを用意してくれたりするマメさもある。数日前には自分の病室で、手を握って共に一夜を明かしてくれた。
端的に言ってしまうならば、大翔は優しい。
いっそ、それを一方的に享受してばかりの自分が心苦しくなるほどに。
――私にも、何かできないかな。
雫は考えてみる。自分が大翔のためにできること。でも、悲しいくらいに何一つ出てこない。料理だってできないし、勉強だって大翔とそう成績は変わらないし、何か他に特技があるわけでもない。かろうじて言うならばバスケがそうかもしれないけれど、自分はそれを捨てようとしているんだ。
雫の目頭が、不意に熱を持ち始める。
――ひろちゃんは今の私をどう思っているんだろう。バスケから逃げようとしている私は、一体彼の目にどう映っているのだろう。軽蔑しているのかな。呆れているのかな。それとも優しい彼のことだから、自分が何とかしてあげようと思っているのかな。そんなことを考えていると、なんだか泣きそうになっちゃうよ。
そしてふと思う。三年前の大翔は、もしかしたら今の自分のような気持ちだったんじゃないだろうかと。
――ひろちゃんは凄いね。こんな状態から、バスケに復帰できたんだね。
でも、ごめん。ひろちゃんがどんなに頑張ってくれても。
もう、私は……
「せぇ――――っのっ!」
パアン!
という炸裂音が雫を取り巻く八方から浴びせかけられ思わず腰を抜かしてしまった。それからたまらず目を開けようとした瞬間、
「「退院おめでとおおおお――――――――――――っ!」」
入り乱れの混声大唱和。
それでもその声の一つ一つに、聞き覚えがあった。
雫はそっと目を開ける。
「……………………うそ」
風見鶏高校バスケットボール部のみんなだった。
それも男女お揃い。引退した三年生も含めた、部員総勢37人にプラス花都先生が、炸裂させたクラッカー片手に自分を取り囲んでいた。