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Run&Gun&  作者: 楽土 毅
第三章 誇り高き守備特化
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36

   *


 天野家にやってきた当初は、当然ながら居心地は悪かった。


 何よりもまず恥ずかしいと思った。今この目の前にいる、自分の従妹である天野雫は自分のことをどう思っているのだろう。そう考えると顔を向けることも、ましてや言葉をかわすことなどできるわけもない。この天野家にも自分の居場所はないように思えた。


 なにせ、雫は自分がいじめに遭って、ここに逃げてきたことを知っているはずなのだ。どうせ母さんが姉である恵さんに、事情を懇切丁寧に説明したに決まっているのだ。「あの子、いじめられて可哀想な子だから、大切にしてあげてね」


 それを聞いた恵さんは、娘である雫に言ったはずなのだ。「今度くる居候、従弟なんだけど覚えてる? なんかいじめに遭ってこっちに来るらしいから、優しくしてあげるのよ?」


 そして、きっと雫は、


「うん、わかった。可哀想だから、優しくしてあげないとね」


 自分の知らないところでそんな会話があったのだと考えると、情けなくて涙が出そうになる。こんなことなら、殴られる方がマシだとさえ思った。向けられる優しさ全てに同情が垣間見える。そしてそれは時に悪意よりも鋭く、暴力よりも痛い。


 でも、それが、不思議と、

 少しずつ、

「ひろちゃん」


 雫の笑顔の裏に同情などなかったことに気づく。

 その微笑みに、いつの間にか、心を惹かれるようになった。


「ひろくーん」

 恵さんのわけのわからないスキンシップに、家族のような心地よさを感じられるようになった。


「大翔」

 雫の父であり漁師である巌人さんは、大翔に仕事を継がせる、船をやるなどと遠慮会釈もないけれど、それが不思議と温かく、堪らなく心地よい。


 自分は、遠く離れた地で「居場所」を見つけた。

 そしてそのかけがえのないものは、きっと恐らく紛れもなく、自分がいじめに遭っていなければ出会えていなかったものだった。


   *


「雫たちと出会って、俺は知らない間に救われてました。それから中学で雫と修にバスケ部に誘われて、もう中二の終わりに近かったけど、バスケ部に入りました。最初は怖かったですよ。また同じようなことになるんじゃないかって。もうそのときには先輩はいなくて、自分たちが部内の最高学年だったんですけど、それでも」


 そこで大翔はぐっと視線を上げ、続ける。


「でも全然違ったんです。そのチームは弱かったけど、毎日の練習がすごく楽しかった。全力で相手に迎えるのがこんなに清々しいとは思いませんでした。

でも、オフェンスのときにはどうも昔の感覚が残ってて、どうしてもシュートを決めること、撃つことが怖くなるんです。ほとんど条件反射的なものだから、こればっかりはどうしようもなくって。だから俺はかわりに残ったディフェンスを鍛え続けました。これまでにないくらい体も鍛えて、走り込みを続けて、なんとか修たちのチームに貢献したいって、努力を続けました。

 そして、今の俺ができたわけです」


 極寒の環境下が生み出した、悲劇の守備特化型。

 それが、今の飛永大翔。


 それでも、それは一人の男が八方を囲まれた状況から、逆境を跳ね除けて努力を積み重ねて、ようやくたどり着いた一つの境地。それを否定することなど誰にだってできやしない。


 木ノ葉は、切にそう思う。どうかそのことを大翔には誇りに思っていて欲しい。


「て、すいません。なんか暗いことべらべら喋っちゃって。できたら忘れてください。忘れるまでは誰にも言わないでください」


 大翔は少し照れたように頬を掻きながら、そう言った。大翔の顔には暗さや陰鬱は特に見えない。そのことに関しては、大翔自身の中で一応の心の整理がついているのだろう。


「そのこと、誰かに話したことあるのか?」


 木ノ葉もあえて重くは受け止めず、何気ない質問だけ重ねた。大翔はノートで再びパタパタと扇ぎはじめ、


「雫と修には言いました。あと、監督――花都先生にも」

「監督にも?」

「はい」


 それは意外だった。自分のその思いが表情から読み取れたのか、大翔は説明を加えてくる。


「一年のとき、風高バスケ部に入って一週間くらいたったころに、突然呼び出されて聞かれたんです。『昔何かあったんですか』って」


 大翔は楽しかった思い出話でもするように、にこやかに続ける。


「びっくりしましたよ。俺のプレーを見て、俺の中のトラウマをあっさり見抜かれちゃったんです。で、この人には話しておくべきかなって思って、ついさっきの話をしました。そしたら、先生も打ち明けてくれたんです。花都先生も、学生時代俺と似たような目に遭ってて、それでなんとなくわかっちゃったんだーって」


「……そうだったのか」


「はい。そうやって先生に打ち明けて、先生にも打ち明けて貰って、すごく楽になったこと、今でも覚えてます。そんなこと話せる人あまりいませんから」


 それを聞いて木ノ葉は、その一歩を踏み出せなかった過去の自分を情けなく思う。


「そっか。悪いな。俺も聞いてやるべきだった」


「いや、あんまり喋りまくっても不幸自慢みたいになっちゃいますし」大翔は自分に向かって、手をパタパタと振り、「それに仮に聞かれても、そのときの俺は話せなかったと思います。木ノ葉先輩は俺の憧れみたいなもんでしたから。そんなこと、恥ずかしくてとても話せませんよ」


 言われ、木ノ葉はどこか気恥ずかしくなる。

 だから照れ隠しで言ってやった。


「じゃあ、今話せてるってことは、もう俺は憧れの対象じゃないわけだ」

「や、そうじゃないっスよ。ただ、先輩はもう引退だし。もういいかなって」


 大翔はしどろもどろに続ける。その様子が可笑しくて、木ノ葉は思わず吹き出しそうになった。

 でもその話、聞けて良かった。木ノ葉は素直にそう思った。

 そして、これだけは言っておかなければいけないと思った。


「まあ、無理に話すことはないと思うけどよ。仮に話すとして、その相手がうちのチームの奴らなら問題ないと思うぜ」

「え?」


 大翔が軽く目を見開いた。驚いているというよりは、何が言いたいのかわからないと言うような顔だ。木ノ葉はその表情を見据え、続ける。


「今のお前を知っている奴らなら、お前のその過去を聞いても誰も憐れんだりはしねぇよ」


 風見鶏高校バスケ部員の中で、飛永大翔に一目を置いていない者などいない。仮にそんな者がいたとしたら、そいつの目はきっと節穴だ。普段からともに練習を重ね、チームメイトとして試合を戦い抜き、大翔とともに戦ったその誰もが、大翔の凄さを知っている。


「お前のディフェンスは、間違いなく全国クラスだ。それは誇りに思っていい」


 それはお世辞でも何でもなく、純然たる事実だと思う。雑賀東高校絶対的エース一之瀬迅は紛れもなく全国でも堂々と戦える選手だ。それを追い詰めた大翔も並大抵の選手ではない。それが、傍でずっと見てきた木ノ葉にはわかる。


「東京の奴らも、今のお前を見たらきっと悔しがるぞ。惜しいチームメイトを手放しちまたって」

「へへ、そうスかね」

「ああ、絶対だ」


 照れた笑みを浮かべる大翔の肩を叩きながら、木ノ葉は勇気づけるように、そう言った。そして、


「で、この際だからついでに聞いておきたいんだけどさ」

「はい?」


 大翔が首を傾げる。木ノ葉は使い終わった汗ふきシートを、部室の端に置かれたゴミ箱の中に放り込んだ。


「お前は天野が好きってことでいいんだよな?」

「へっ⁉」


 尋ねるなり、大翔は顔を真っ赤にして噴き出した。「な、何言ってんですか急に! しかもやけに断定的な言い方だし!」大翔は明後日の方向を見つめ、ノートで扇ぐ量を増やす。


「おい、ここまでぶっちゃけた話しておいて、今更そんなこと隠すのか」

「そんなことって!」

「言っとくけどな。内のチームの奴らはみんな気づいてるぞ」

「そんなバカな!」


 大翔は本気で驚いた様子で声を荒げている。だがそれは嘘でもなんでもなく、恐らくは事実だ。何なら女子バスケ部の者たちも気づいている。それに気づいていないのは、恐らく天野雫本人のみ。


「素直に認めたら色々手伝ってやってもいいんだぜ?」

「ぐぐ、」


 大翔は未だあらぬ方向を向いたままだが、その背中には並々ならぬ葛藤が見て取れた。汗に濡れた髪の下にある耳はりんごのように赤い。


「……ですよ」


 大翔の零した声が、バレーボールの床を叩く音に掻き消えた。それでも言ったであろう言葉は何となしに予測できたが、ここをからかわない手はない。だからひとまず、


「聞こえないな」

「好きですよ!」

「どのくらい好きなんだ」

「アイツのためならいつでも死ねます」


 もう開き直ってしまったのか、大翔は顔をこちらに向けて大声でそうのたまった。


「死ねるって……なんか重いな」

「ええ⁉」

「お前あの子に別の彼氏ができたりしても、襲ったりすんなよ?」

「そんなことしませんよ!」


 失敬な、そう呟いた後、「まあでもアイツを不幸にさせたら、どうなるかわかりませんが」


 そうぶつぶつと呟く様は見てて正直怖かった。余計な犠牲を出させないためにも、雫には大翔とくっついて貰ったほうがいいのかもしれない。大翔の彼女を思う気持ちは純粋だと、見てるだけでわかるほどのものだし、雫自身も満更ではないのではないだろうか。雫も大翔には、よく懐いている。そこに恋愛感情が垣間見えたことは一度としてなかったが。


 それと同時に思った。自分の命よりも大切だなんて迷いなく言える女の子が、生きるか死ぬかなんて状況に陥っている状態で、試合に集中なんてできるわけがないと。


 むしろそんな状態でフルの四十分間、よくあそこまで粘ったなと、褒めてやりたいくらいである。

 恐らくそこも大翔の意地だったのだろう。雫が目を覚ましたとき、彼女の肩に掛かる罪悪感を少しでも軽くしたいという、精一杯の健気なあがき。


「で、話は変わるんですけど」大翔が表情を改めてそう問いかけてきたので、木ノ葉も少し居住まいを正す。「実はその雫のことで相談が」


「どうした」


 木ノ葉が促す。


「実は雫の奴、今すごく落ち込んでるんです」


 そう大翔は切り出し、今の雫の状態を教えてくれた。


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