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今でも何がきっかけだったのかはわからない、と大翔は言う。
彼が受けたのはクラス内でのいじめではなく、部活内、バスケットボール部内でのいじめだったらしい。それをしかけてきたのは大半が先輩。それに追随する形で、同学年にもちまちまとちょっかいを出されていたらしい。
そしてそういうものは、不思議と教室内にも伝播するものだ。クラス内でも、いつの間にか大翔は居場所を失っていたらしい。
「実は俺、シュートもそこそこ上手い方だったんです。むしろ攻撃型の選手でした。小三のときにバスケを初めたんですけど、気がついたらレギュラーでした。そんで、中学でも頑張ろうって、少しバスケの強いところに入った……んですけど」
大翔はそこで言葉を詰まらせる。木ノ葉は無理に先を促しはしなかった。授業が始まってしまっていることなど完全に忘れ去って、静かに、ただ大翔の言葉の続きを待っていた。
「監督の前でシュート決めていいところ見せたりすると、その後先輩から暴力振るわれるようになって、それが怖くなってからはわざとシュート外したりするようにしたんですけど、そしたら監督に「なんだそれは」って怒鳴られるし、なんかもう、どうしたらいいのかわかんなくなっちゃって」
大翔はそう言って、寂しげに微笑む。その柔らかな微笑みが、殺意を秘めた視線のように木ノ葉の胸を痛みつける。
「それからは、できるだけ自分が攻めるシチュエーションにならないよう、裏手裏手に回るようにしてきました。そしたら流れでディフェンス主体のポジションになってて、少しずつ守備を磨くようになりました。
でもだからって先輩からボール奪ったりすると、また暴力振るわれちゃうから、監督の前では先輩をたてるように、上手く抜かせてあげるんです。わざとだとバレないように。失敗したら殴られますからね、そりゃあ必死ですよ。先輩の癖や動きを頭に刷り込んで、次の動きを予測して、その逆に体をずらすんです。知らない間に、考えなくてもできるようになってました」
あの凄まじい「次の動きを見抜く」戦術眼が、そんな磨かれ方をしているとは夢にも思わなかった。皮肉にも、ほどがある。
「正直、もうその頃はバスケなんてどうでもよかった。でも、バスケのためにその中学に行ったのに、辞めたいなんて親にはどうしても言えなくて。変に心配かけちゃうかもしれないし、申し訳なかったし。そんなで、なんだかんだで中一の間は辞めずに続けました、でも」
――それでも。
大翔の背後にある窓の向こうで小鳥が飛んでいる。この場で展開されている会話など知りもせず、自由気ままに、軽やかに飛び回る。その挙動が部室棟の天井の方へと消えて行った。甲高い鳴き声だけを、残り香のように残して。
「ここに傷があるでしょう」
大翔はこめかみの辺りを指し示す。髪に少しだけ隠れたそこには、痛々しい傷跡が残っていた。その傷は、幼いころ転んでできたものだと聞いていた。
でも、違ったらしい。
「ついに先輩の一人がバカやって、このせいで大騒ぎになって、親にもいじめがバレました。そしたら怖いくらいに母さんが泣き出して、転校を勧められました。でもその間に色々と家族内で揉めちゃったりして、俺がその原因なんだって思うともう居た堪れなくなって、俺は両親とまともに顔をあわせることもできなくなりました」
大翔はそこまで言って、木ノ葉の方へと視線を向けた。そしてまたあの寂しげな笑みを浮かべる。
「俺は、家族の中でも居場所を失いました。途方に暮れて、もう何もかもがどうでもよくなってきて、そんなときに、親の言われるままにやってきたのが、」
言葉を切り、大翔は続ける。それが、
「それが、雫のいる天野家だったんです」