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試合開始七分ほどで、飛永大翔は息があがった。
自分の体が思うように動かない。さらに度重なるミスの焦りが相まって、普段ならコンマゼロ秒単位で叩き出されるはずの条件反射的な動きの数々が、嘘のように鈍く、泣きたくなるほどに不正確だ。
「飛永くん、落ち着いてください!」
ベンチで声を張り上げているのは、顧問兼監督の花都先生だ。
しかしその声が、大翔の耳に届くことはない。
自分の目の前にいる強敵、一之瀬迅の弟――一之瀬颯にその意識のほとんどを持って行かれてしまっている。
兄の迅に比べればその体つきはスマートで、当たりは特別強いわけではない。幾多の攻撃のスペシャリストを相手にしてきた大翔にとって、そのフィジカルは十分自分の守備範囲だ。
――なのに、どうして、
大翔は心中で毒づく。
大翔は軽く腰を落とし、颯と一定の距離を保った状態で向かい合っている。その颯の視線の先を追うと、雑賀東高校のガードの選手が、ドリブルをつきながらチャンスを窺っていた。そしてその視線の振りがあくまで相手をかく乱させるためだけのポーズに過ぎないことを大翔が本能に近い部分で感じ取ったところで、
「ひろっち、後ろ!」百合ヶ丘の声が耳を突く。
颯が動く。それに反応した大翔が追いかけようとしたところで、ようやく百合ヶ丘が叫んだ理由を知った。自分のすぐ後ろには、スクリーナーが立っていた。スクリーナーとは、ディフェンスをかく乱させるための一手目を打つ者だ。リバウンド時などの特別な場合を除いて体の接触は違反とされるバスケのルールを突く、それでいて当たり前に行われる常套手段。大翔の進路に仁王立ちして、進行を阻むのだ。
もちろんディフェンスのスペシャリストである大翔はそういった攻撃方法には風高の誰よりも敏感で、普段ならこんなものにしてやられることはないのだが、
「くそっ!」
大翔の中でさきほどから、あらゆる反応がワンテンポもツーテンポも遅れていた。
「無理すんな、スイッチだ!」スイッチとは、緊急時に一時的にマークマンを交代することだ。しかし、
「いや、大丈夫です!」
大翔は木ノ葉の言葉を遮る。こう言っては悪いが、木ノ葉では一之瀬颯を止めることはできない。多少無理をしてでも、自分自身が追いかけた方がいいと思った。決死のファイトオーバーでスクリーナーをすり抜け、颯に追いすがる。
そしてパスを受け取った颯と大翔は対峙する。胸を締め付けるような張りつめた空気。颯の視線が自分の足の動きに注視されていることに気づく。次に大翔の後方、左、右、視線が絶え間なく動いている。惑わすつもりか、なめんな、俺がそんなもんで――
――苦しいよ……助けて……。
「っ⁉」
雫の声が聞こえた。ほんの一瞬、頭の中が真っ白になる。さっきから苦しげな、今にも息絶えてしまいそうな弱々しい雫の声が、頭の中で木霊している。
何度も、何度も。
――集中しろ!
そう自分に向かって叱責するがもう遅く、気づいた頃には棒立ちの大翔の横を、颯が素早いドリブルで抜き去っていた。
まもなく会場内で喝采が沸き起こる。
それとは対照的に、大翔自身は、
――だめだ……。
熱が、少しずつ、冷めていく。