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Run&Gun&  作者: 楽土 毅
第二章 心の天気
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26

   **


 大翔の異変にはすぐに気付いた。

 電話がかかってきて、その相手を確かめた瞬間、雫は大翔の顔が瞬く間にこわばって、色を失っていく様子を見逃しはしなかった。


「…………電話、じゃないの?」


 大翔が画面を見た後、一向に動こうとしないので、雫はそう問いかけた。すると大翔は青ざめた顔をゆっくりとこちらに向け、


「……ちょっとごめん。すぐ戻ってくるから」


 大翔はそう言い残し、雫の病室から出て行った。



 すぐ戻る、と言ったわりには中々帰って来なかった。もしかしたら自分がそう思っているだけで、実際にはそれほど時間は経っていなかったのかもしれないけれど。


 雫は今大翔のことが気になって仕方がなかった。それが原因かもしれない。

 今日は少しマシだったけれど、昨日は元気なかったし、加寿美に聞いた話では学校では元気にしているらしいけど、正直それも嘘だったのだと思う。自分のことを気遣って、そう言ってくれたに違いなかった。


 加寿美は嘘をつくとき、前髪に触れる癖がある。それを過去に指摘されたことも忘れて触れてしまうくらいに、あの質問をしたときの加寿美は明らかに動揺していた。


 大翔に元気がない理由は雫にも想像がついている。

 今ベットの下に隠してある、一枚のビデオテープ。

 二日前に行われた、高校総体徳島県大会準決勝、風高と雑賀東高校の男子チームの試合。そのビデオテープだ。


 長内修の父親が撮ってくれていたもの。そして昨日、雫の母親――恵づてに貸して貰ったもの。

 昨日の夜、雫はそれを見た。

 それを見て雫は泣いた。


 その試合で風高が雑高に敗れた理由を雫は明確に悟った。そして大翔に元気がない理由も。それどころか、どこか追い詰められたような顔をしている理由を。


 その顔には見覚えがあった。

 確か三年前にも、大翔はあんな顔をしていたように思う。


 ふと視線を窓の方に移す。その先で降り過ぎる雨は、本日で最大級の土砂降りになっていた。

 確か三年前のあのときも、こんな空だった気がする。

 雫は立ち上がった。



 スリッパをひっかけて、雫は病室から出る。廊下ですれ違った、向かいの病室にやってきていた男の人と会釈が重なる。彼の背後で、小学生くらいの女の子が力一杯手を振っていて、その隣でお母さんと思しき人が少女の手を引いていた。――行くわよ、ハナ。――お父さん、バイバーイ。


 それから廊下を突きあたりまで進み、憩いの場をすり抜けたとき、壁際に並べられていた自動販売機が唐突に口を利いた。――いらっしゃいませ。――冷たいお飲みものはいかがですか。――俺は、あの瞬間、頭が真っ白になったんです。


 心臓が跳ねる。

 危うく声を漏らしそうになった。

 雫は自らの口を両手で覆い隠し、息を潜めた。そのまま自動販売機の先にある、白地の壁に肩を預ける。その壁はひんやりと冷たく、くっついた耳が少しくすぐったかった。


「はい」


 今度こそ、その壁の向こうから聞こえる声の主を確信した。

聞き違えるはずもない。


 大翔の声だ。

 まさか独り言を言っているわけではないだろうし、話相手の会話が聞こえないことを考えると、電話に向かって語りかけているのだろう。よく聞けば、電話口の向こうの声も微かに聞き取れる。


 しかしさすがにその内容を聞き取ることまではできず、それどころか誰の声かもわからない。

 でも、それでよかった。

 雫は壁から身を離す。


 よく考えもせずにここまで来てしまったが、こんなもの盗み聞き以外の何物でもない。すぐにでもやめるべきだ。雫は身を翻す。


「雫が倒れて、救急車に運ばれているのを見た瞬間、それまで高まっていた熱が、一気に失せちゃって」


 雫の体が固まった。

 大翔の言葉が人を石にしてしまう呪文ででもあったかのように、その音の波を雫の鼓膜が受け止めた瞬間、彼女の体は全くと言っていいほど動かなくなってしまった。


「試合に集中できなくて、雫のことばっか気になって。ディフェンスもろくにできなくなっちゃって」


 ――ああ、


 その言葉を耳にしてショックを受けてしまうということは、自分はまだくだらない希望を胸の片隅で抱いていたのかもしれない。


 自分が発作で倒れたせいで、大翔は試合に集中できず、結果として風高男子バスケ部は準決勝で敗退した。

 そんな考えが自分のただの思い過ごしであることを、自分は少しでも期待していたのかもしれない。


 そんなわけないのに。

 あの試合のビデオを見れば。

 あの試合中の大翔が普段の大翔でなかったことなど、誰の目にも明白だったというのに。

 

 ――やっぱり、私のせいなんだ。


 ぽろ、

 気が付けば目から涙が零れていた。そのことに自分で驚く。昨夜あれほどに、枯れるほどに泣いたのに。みんなの前では何としても泣きたくなかったから、ひとりでいる夜のうちに目一杯泣いておいたというのに。


 そんな自分に腹が立つ。泣きたいのはきっと大翔の方だ。いや、もしかしたら大翔も、自分の知らないところで泣いたのかもしれない。仮にそうだったとして、それはどんな涙だっただろうか。


 涙には大まかに分けて二種類あると思う。泣いた後はすっきりする涙と、泣いてしまったことに余計に惨めになってしまう涙。今の自分の涙は間違いなく後者だ。


 本当にどうしてこんなことになってしまったのだろう。発作が起こるにしても、病気が発症するにしても、どうして運命はこのタイミングを見計らったのだろう。


 もう少し早ければ。

 もう少し遅ければ。

 そのどちらでも手の打ちようはあったのだ。


 『WPW症候群』の治療手術自体はそれほど長い期間を要するものではないし、術後もある程度休養をとれば、またバスケットだってできるようになる。つまりその病気の発覚、さらに突き詰めて言うならば自覚症状の表れが、大事な徳島県大会予選第一回戦の一週間前などでさえなければ、どうにかすることができていたはずなのである。


 ――もう少し早ければ。


 大会が始まるまでに手術を終わらせてしまい、万全の態勢で試合に臨めば良かった。


 ――もう少し遅ければ。


 結果がどうだったにしろ、大会を終えてから、ゆっくり手術を行えばよかった。


 神様はいじわるだ。

 神様はそのどちらも選ばせてはくれなかった。

 大会開始直前に体に異変を感じた雫は病院に行き、検査として心電図を取ることになった。それから『WPW症候群』の疑いがあることを、その病院の主治医に告げられた、『自覚症状があるようなので、できればすぐにでも手術を行った方が良いでしょう。下手をすれば死ぬ恐れもある病気です』


 雫はそのとき首を横に振った。本当は自覚症状もあるにはあった。だからこそ病院に行ったのだから。けれど、大切な試合を目前にしていた雫は、それを気のせいだと思うことにした。


『いえ、苦しかったのは単なる練習のし過ぎだと思います。心臓は何ともなかったですし』

『そうですか。ならもう少し様子を見てみましょう。WPW症候群の人でも、大半の人は発作も何も起こらないで済むものです。ただし、意味もなく突然鼓動が速まったり、意識が遠のくようなことがあればすぐにいらしてください』

『はい』


 そう答えて置きながら、それからの一週間、雫は自らの体が唱える危険信号に知らんぷりを決め込んだ。ある静かな夜にベッドの上で横になっているとき、突然狂ったかのように心臓が爆走し出しても、涙が零れそうなほどの苦しみに苛まれても、大会が終わるまでのほんの二週間だけお願いだから時間をくださいと、自分の体に謝った。それを自分で壊すような真似も、当然ながらしなかった。


 そしてその結果が、このザマだ。

 病気の無理押しは嘘をつかない。


 自覚症状は無視できない規模になり、果てには大事な試合の最中に昏倒してしまう始末だ。

 その結果盛り上がっていた試合会場を震撼させ、明らかに場の空気を変えてしまった。中でも風高のチームメイトには多大な動揺を与えてしまっただろうし、大翔だってそのうちの一人だ。


 自分の思い上がった行いが、何十人もの運命を狂わせた。

 可能ならばやり直したい。

 これほど強くタイムマシンの存在を切望したことはない。

 遡ったところで、自分に取り戻せるものは微々たるものかもしれないけれど。


 それでも大会前に花都先生に病気のことを告げ、試合出場を断念し、早々に手術を行っていれば、少なくとも大翔には突発的な心のダメージを与えずに済んだことだろう。それで結果として優勝できなかったとしても、今よりは比べようもなく幸せな結末であると思う。


 こんな風に、まともに大翔の顔を見ることもできなくなるような、そんなひどいことにはならなかったように思う。


 ガシャ。


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