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Run&Gun&  作者: 楽土 毅
第二章 心の天気
24/119

23

   *


 ぶーん、ぶーん、

 大翔のポケットの中で携帯のバイブレーションが起動する。

 少しずつぎこちなさを緩和して雫と他愛ない話をしていた大翔は、「ちょっとごめん」と断って自分のポケットを探り、携帯電話を取り出した。


 メールだった。

 それは雫の父親、天野巌人(いわと)からのものだった。


「巌人さんからだ」

「え、お父さん?」


 内容はこうだった。


『今日帰り遅くなるから、晩飯はいらん。恵にもそういっといてくれ。その分明日の弁当は奮発してください』


 確認してから、その文面を雫にも見せてやる。雫は静かに笑った。


「相変わらず勝手だねー」

「最後敬語なのがなんか面白いな」


 天野家のご飯を作るのは、その大半が大翔の仕事だった。


 でも別に強制されてやらされているわけではない。料理をすること自体それほど嫌いではないし、加えて天野家には自分以外にまともに作れる人がいないので、その役割が大翔に定着することにそれほど時間はかからなかったように思う。


 自分の作った料理をおいしそうに食べてくれるのは嬉しいし、普段からお世話になっている天野家の人たちに、少しでも役に立てている実感を持てるのは、とても心強いものだ。


 ちなみにお昼の弁当を作るのも大翔の仕事。自分の分と、雫、恵、巌人、四人分の弁当を、朝練の無い火曜と木曜には欠かすことなく作っている。


「そう言えば、ひろちゃんの作ったご飯は最近ご無沙汰だなぁ。しかも、もうしばらく」


 入院している間は当然病院食である。大翔は携帯をポケットにしまいつつ、


「病食はおいしいのか?」

「健康重視って感じだね。おいしいことはおいしいけど、普段ひろちゃんのを食べてるわたしには少し物足りないよ」


 嬉しすぎて死ぬかと思った。

 何なら毎日でも三食弁当作って持ってきてあげたいくらいだが、さすがにそこまでやるとひかれそうなので諦める。それに体の弱っている今は美味しさよりも栄養面が大切だ。その面において、自分の作るご飯が、病院の作るメニューに敵うとは思えない。


 だから代わりに、


「退院したら、ごちそう作ってやるよ」

「へへ、ありがとー。楽しみにしとくね」


 雫は顔を綻ばせる。ほんの、ほんの少しだけど、それは彼女が普段から見せている自然な笑顔に近かった気がする。


 この調子だ、と大翔は思った。何でもいい。くだらないことでもいいから、雫が嫌なことを忘れられるくらいに会話をしていよう。少なくとも話をしている間は、そういうことから意識を削ぐこともできるだろう。


 大翔は他の話題を探り出す。

 そしてほどなく見つけることができた。

 雫が聞いて、手放しに喜べるようなとっときのニュースを。


「そうだ、飼ってるメダカの卵から無事に子ども産まれたぞ。言われた通りに親と別の水槽のままで、すり潰した餌やって育ててる」


 聞いて、雫は目を丸くする。無垢な笑顔が花開いた。


「え、産まれたの⁉ みんな元気に育ってる?」

「ん、元気元気。いやー、しかし可愛いなぁ、あれ。こないだまで毛ほども興味なかったけど、自分で餌やってると愛着がわいてくるっていうか」

「フフン、ようやくひろちゃんにもそれがわかってきたんだね」


 雫は何やらベテラン顔で鼻を鳴らした。かわいい。

 嬉しくなって、大翔は自分でも気づかないうちにやや前のめりになって話し続けた。


「部屋に入って、餌やるためにゴソゴソし始めると、それを察知して水面の辺りに集まってくるんだよな。それを焦らして待ってみてもぴょこぴょこ顔出してくるし、なにあれ可愛すぎるだろ」

「あはは、いじめちゃだめだよ?」

「でもザリガニ。奴は許さん。俺の指を挟みやがった」


 それは水槽の水を換えてやっていたときのことだ。ザリガニは週に数回のペースで水を換えないとすぐに臭くなる。

 それを大翔が指摘すると、雫は何やら訳知り顔で、


「ザリーは自分の気持ちを表現するのが少し下手なの。本当は仲良くしたくても、気恥ずかしくてつい挟んじゃうの」

「うええ? 何それ、あいつツンデレなの?」

「私の見立てでは間違いないね」

「まあでもそう思うと、何となく可愛く思えて来るな」

「そうそう。向こうは喋れないしね、こっちの思ったもん勝ちだよ」

「身もフタもねぇじゃねぇかそれ。私の見立てとか調子のいいこと言っといて……」


 大翔が言うと、雫が笑う。それが嬉しくてしかたがない。

 この笑顔のためならどんなことだってしてあげたいと思う。


 白、よりもややベージュに近い直方体の空間。この病室が二人だけの世界として切り取られる。ベッドの傍の棚に置かれている飲みかけのお茶のペットボトル、大翔が暇つぶし用に貸してあげた読みかけの文庫本、加寿美が渡しておいてくれたのだろう大翔の数学のノート、雫の携帯電話、小型の音楽プレーヤー、それに取り付けられたイヤホンの片方が棚から垂れ下がっている。


 それら全てが、少しずつ意識から薄れて行く。


「あ、そう言えば、ノートありがとね。でもこれ早く返さなきゃだよね? ごめん、すぐ写すからもう少し待っててくれる?」


 その棚の上にある大翔のノートに視線を送りつつ、雫は尋ねてくる。大翔はそれに対して慌てて頭を振り、


「や、無理するなよ。他にもノートあるから返すのいつでもいいし」

「心配しなくても体は大丈夫だよ。そこの、取ってくれる?」


 言われ、大翔は雫の指差す方向に目を向ける。そこにはベットにとりつけるタイプの平たく薄い机があった。それを大翔が取り付けてやると、雫はそこにノートと筆記用具を広げる。さらさらと手際よく数字と文字が書きこまれていく。雫は字がきれいだ。こうして自分のと比較するとその差はさらに際立つ。


「そう言えば、ひろちゃんこの間の中間テストどうだった?」

「忘れた」


 嫌なことはすぐに忘れる。それに限る。

 大翔の呆れた即答に、雫は諭すように続ける。


「勉強もちゃんと頑張らないとダメだよ?」

「雫は成績良かったのか?」

「忘れた」


 雫は笑顔でそうのたまった。

 雫もあまり成績が良い方ではない。真ん中よりいくらか下の大翔より若干良いかと言う程度。授業中も居眠りすることなくぼーっとすることもなく真面目に学んでいることがかろうじて機能している程度だ。


 ちなみに加寿美は結構頭がいい。そして修は下の下の下。


「人のこと言えないじゃん」

「私はがんばってるのは、がんばってるんだよ?」

「それは俺だって頑張ってるさ」

「じゃあ期末で勝負する?」

「おおいいぞ。ぜってぇ負けねぇ」


 基本的には大翔よりも雫の方が上だが、本気を出せば埋められない差ではない。――とか何とか考えちゃうのがそもそもとしてダメなんだろうな。これからは数学の授業もちゃんと聞こう。


 ぶーん、ぶーん、ぶーん、ぶーん――

 またしてもポケットの中の携帯が震えた。しばらくしてもその震えが途切れないところを鑑みると、今回はメールではなく電話の着信のようだ。メールなら二回の振動で収まるはず。


「ちょっとごめん」と大翔。

 慌てて携帯を取り出して画面を見てみると、


「………………」


 ぶーん、ぶーん、ぶーん、ぶーん――


「…………電話、じゃないの?」


 雫にそう問いかけられ、大翔は呪縛から解き放たれる。二人だけの空間という錯覚が四散する。


「……ちょっとごめん。すぐ戻ってくるから」


 大翔はそう言い残し、雫の病室から出て行った。


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