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風高三年男子バスケ部キャプテンの木ノ葉之平と、同じく風高三年男子バスケ部員の百合ヶ丘春臣は、同じ学習塾に通っている。
元高校教員の人が個人で経営しているこじんまりとした塾だが、その実績は、全国展開されているような名だたる大規模学習塾に引けを取らない。特にその塾長である元高校教員が、どこぞのつてで引っ張り込んできたアメリカ人が行う英語の授業は、それを受けるためだけに入塾してくるものが続出するほどに人気だ。
ただ個人経営の塾であるためか、いかんせん建物は小さい。駅前からいくらか離れた場所にある三階建ての建物がそれだが、老朽化が進んでいるのか壁の至る所に穴があり、窓からの隙間風も無視できないほどに凄まじい。誰かがそのことを指摘する度に塾長は「近いうちに直しておくから」と零すが、もう誰もそのことを信じてはいない。そう言いつつ何年も放置されたままなのだ。
その中でも特に荒廃凄まじい一階の角の教室は「休憩室」としてあてがわれている。そこでは簡単な食事を取っても構わないし、よほど大きな声を出さない限りはおしゃべりすることも許されている。
そしてたった今その教室に無造作に置かれてある、机と椅子を二つずつ占領しているのが、木ノ葉と百合ヶ丘だった。
木ノ葉はコンビニで買ってきた焼きそばパンを時折口に運びつつ、
「本当にすみませんでした――か。アイツらしいな」
エアコンを使うほどの暑さではなかったので、窓を全開にすることでやり過ごすことにした。しかし開け放たれた窓からは涼風の一つも入って来ない。時折血気盛んな蚊が耳障りな音を立てながら、単騎突入してくるだけだ。木ノ葉は今度、塾長に網戸の修繕を要求することを心に決める。どうせ「近いうちに」と返されるだけだろうが。
木ノ葉の向かい側では百合ヶ丘がしょんぼりとした感じで、紙パックの野菜ジュースをストローで吸い上げていた。
「うん。でも、このままじゃよくないよね、あんなに元気のないひろっち久しぶりに見たよ」
「ああ。でもさ、一年の初めの頃はずっとあんな感じだったよな。責任感ばっか強くて、失敗したときのことばっか考えててよ」
豪快にかぶりつくと、パンの先っぽの方から焼きそばが零れそうになった。百合ヶ丘は飲み終えた野菜ジュースの紙パックを両手で包んだまま顔を上げ、
「それでも、最近は自信持って頑張ってたよ」
「それもわかってる。あんなこと言える奴になるなんて、一年前は想像もできなかった」
――はい。絶対抑えます。少なくとも得点は一桁に。
二日前の徳島県大会準決勝の試合開始直前の自分の言葉に、飛永大翔は迷いなくそう答えて見せた。その言葉は決して強がりでも何でもなく、その決意を裏打ちするだけの実力と努力を、大翔は兼ね備えていた。
しかし結果として、風見鶏高校は雑賀東高校に二十点差でボロ負けした。
そして大翔はどうやら、その敗因が大翔一人にあると考えているようなのだ。
聞いた話では、今日の放課後百合ヶ丘は自習するためにと訪れた図書室で、大翔に突然謝られてしまったらしい。そのときにその謝罪の意味を話すことはなかったが、思い当ることと言えばその試合のことしかない。
「別に負けたのは、アイツのせいじゃねぇだろうにな」
独り言のように木ノ葉がそう呟くと、百合ヶ丘も頷く。
「僕がリバウンド全然取れなかったから」
「別にお前のせいでもねぇだろ。俺も前半は全然点取れなかったし。ていうか、そもそも誰のせいだとか考えるのが無駄だよ」
敗因につながったと思われるプレーを洗い出すこと自体には、重要な意味がある。そのプレーの瞬間、本当はどうすべきだったのかを考えることは、同じミスを繰り返さないようにするためには、とても大切なことだ。
しかしそれは、決して誰かの責任を追及するためのものではない。確かにその洗い出しを行うことによって、もしかしたら「決定的な敗因を生み出していた誰か」を明確にしてしまうことに繋がるかもしれない。
でもそこで負けた責任も「その誰か」に全てが加担されるかと言えば、それは大きな間違いだ。その「敗因」をカバーできなかったチームメイトにも、実力が足りずその選手に試合を託さざるを得なかった控えの選手にも、さらにはその選手を選出した監督もしくは顧問にも、突き詰めるならばその「責任」は波及することになるだろう。だから「誰のせいで負けた」なんてことは考えるだけ無駄なのだ。
でもそれがわかっていても、詮無きことだと頭では理解していても、考えずにいられないときはある。その負けた試合がより大切で、負けられない試合であったとき、どうにかならなかったのかと考えてしまうのは至極当然のことだろう。
でもそれでも木ノ葉は、負けた原因が大翔にあるとは少しも思わなかった。厳密に言うならば、もちろん全くないわけではないのだが、それを言うならば木ノ葉自身だって同じだ。今自分たちが考えるべきことはそういうことではない。
大翔はよく頑張ったと思う。
確かにアイツ本来の力は十分に発揮できなかったかもしれないが、それでもスタメンとしての役割は十分に果たしてくれた。少なくとも、自分たちに対して引け目を感じなければならないような、そんなプレー内容ではなかったように思う。
大翔がいなければ、二十点差どころで済まなかっただろう。そもそもとしてベスト4に残ることもできなかった。感謝の念はあまりあるほどにあるけれど、大翔を責めたいなどという気持ちは一ミリもなかった。
「授業が始まるまで、まだ時間あるよな」
「え、あ、うん。あと十分くらいあるね」
百合ヶ丘はぱちくりと目を瞬かせる。
その様子を横目に、木ノ葉は携帯電話を取り出す。
――口で言わなきゃわかんねぇだろうが……言っても伝わんないかもな。
でもよらないよりはマシに違いない。木ノ葉は静かに深呼吸を一つ、電話帳から大翔の携帯番号を呼び出す。