20
大翔は再び自転車に乗って雨の中を走った。合羽の下、背中に背負ったナップザックに雫の着替えを入れてある。途中でコンビニに寄って、雫の好きなプリンとチョコと酢昆布を買って、彼女の入院している病院をひたすらに目指した。
――新谷の奴、まだいるかな。
ふとそんなことを思う。
加寿美は今日お見舞いにいくと言っていた。病院は学校からほど近い位置にあるので、下校するなりそのまま寄ったのなら、時間的にもう帰ってしまっているかもしれない。まあどちらでもいいのだけれど。自分のノートはちゃんと渡しておいてくれただろうか。
病棟のそばにある駐輪場に自転車を止め、合羽を脱いで、それをサドルにひっかけて病棟の入口へと向かう。その総合病院は二年ほど前に新装されたばかりで、壁面の至る所がガラス張りになっているような、近代的な雰囲気漂う病院となっていた。
そして受付で名前を書きこむ。首にかけるタイプのタグを受け取り、そのまま階段の方へと歩いて行く。雫の病室は三階にある。その階までゆっくりと段差を踏み越えていく。その最中に大翔は自分の鼓動が高鳴るのを感じていた。そんな折、
「あれ、飛永?」
階段の上方から降ってきた声に、顔をあげる。
加寿美だった。他にも女子バスケ部の二年生二人。
「何よ、あんた結局来たの」
加寿美を先頭に、女子三人は階段を降りてくる。大翔はそれを見上げつつ、
「ああ、まあ。恵さんに頼まれて」
「ふーん」
そっちから聞いてきておいて、ずいぶん興味なさげだった。
「飛永くん、雫、ずいぶん落ち込んでるみたいだね」
そして加寿美の横からひょっこりと顔をだした別の女子が、尋ねてくる。
その言葉を聞いて大翔は、少し胸に痛みを覚えつつ、
「まだ……そうなのか?」
「うん。ホントはもっといてあげたかったんだけど、しばらくはそっとしておいてあげた方がいいかなって」
「うん……そう、かもな。正直、俺もどうしてあげればいいのかわからなくて」
その大翔の言葉を最後に、沈黙が舞い降りる。その瞬間。
ぐい、
「い、だだだだだ!」
「だーからそういう顔をするなっての!」
加寿美に思い切り頬を引っ張り上げられた。それから解放されたあとも、しばらくひりひりと焼けるような痛みがした。
「いきなり何すんだよっ」
「これから雫に会うんでしょ⁉ そんな顔で会うなんて私が許さないからね! しゃきっとしなさいしゃきっと!」
大翔の目の前に指を突き立て、加寿美は一息に捲し立てる。さらには息がかかるほどの超近距離で睨みつけてくる。
「……はい」
大翔がかろうじて小さくそう返すと、加寿美は姿勢を元に戻し、
「さっき私たちが病室に行ったとき、雫が真っ先に聞いて来たことって、なんだったと思う?」
改まった顔でそう聞かれた。トーンの少し落ちた、静かな声色だった。
「え?」
大翔のそんな間の抜けた返しに、加寿美は少し間を置いて、
「『ひろちゃんは?』ってさ。『昨日ずいぶん元気なかったけど、今日は学校ではどうだった?』って」そこまで言って、加寿美は大翔から視線を逸らす。「聞かれた瞬間思わず言葉詰まっちゃったわよ。こんな状況でも雫はあんたのことを心配してるの」
言われ、大翔は言葉を失う。頬に広がっていた痛みの波が、あっさりと引いて行く。背中に背負っているナップザックがにわかに重みを増した気がした。
そんな中、茫然としている大翔を見つめていた加寿美の眼が、心なしか少しだけ優しげに細められ、
「悔しいけど、雫の一番近くにいるのはあんたなんだよ? ……わたしには無理だった。あの子のことを元気にしてあげられるのは、いるとすればあんただけ」
そして加寿美は身を翻す。その背中はどこか悲しげで。
「雫のこと、お願いね」
その言葉に、大翔は何も返すことができなかった。