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Run&Gun&  作者: 楽土 毅
第二章 心の天気
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15

 雨は昔から嫌いだった。

 野球部やサッカー部などの屋外スポーツの連中は、雨の日の練習は休みになったり、走り込みや筋トレだけになったりする。


 でも基本的に体育館内で練習を行う自分たちバスケ部員は、そんなことになるはずもなく、ただただ湿気を帯びた蒸し暑さの中をいつも通り駆け回るだけ。そして練習終わりには雨の中自転車で家に帰るだけだ。雨が降って嬉しいことなんて、これっぽっちもありはしない。


 雨は昔から嫌いだった。

 でも不思議と、今はそれほど嫌いじゃない気もする。


 教室の窓際の後ろから二番目。その席から小雨をもたらす雨空を眺めながら、風見鶏高校二年生飛永大翔は、何となくそう思った。


「おい大翔。学食行こうぜ」


 そして後ろから声がかかる。

 声の主は大翔と同じ二年三組のクラスメイト、長内修だった。


 小柄ながらも筋肉質。袖をまくった先からはたくましい腕がのぞいていて、その先の手の内には、小学生が使うような可愛らしいカエルがプリントされたがま口財布が握られている。


「ごめん、俺はいいや」

「あれ、今日は弁当持ってきてんの?」

「や、そうでもないんだけど。なんか食欲ないから」


 そんな風に曖昧に濁した。本当はそこそこに腹の減りは感じているけれど、あまり教室の外を出歩きたい気分でない。

 そんなことを何となしに察してくれたのか、修はそれ以上無理強いすることはなかった。


「そっか、じゃああとでな。おい、ヨッシー!」


 修は大声を上げつつ、他の友達の方へと走って行った。

 大翔は再び、窓の外へと視線を移す。


 しとしとと降り続く雨の音が穏やかに胸を打つ。灰色の雲を広げる空は自分の心を投影したかのような、何とも言えない陰鬱な気配を放っているのだが、それがどことなく心地よく感じるのは一体どうしてだろうか。自分の右手で展開されている楽しげなガールズトークや、放送部が流しているらしい流行りのアイドルの疾走感あふれるメロディーが、どことなく煩わしく感じるのは一体どうしてだろうか。


「ねぇ、飛永」


 またまた別の声。

 振り返るとそこにいたのは、二年三組のクラスメイトで、さらには風見鶏高校女子バスケ部の一員でもある、新谷(あらたに)加寿(かず)()だった。少し長めの髪を後ろで一つに束ねている。


 その少女、新谷加寿美は大翔の座っている席の一つ前の席に腰を下ろし、


「放課後、私たち雫んトコお見舞い行くんだけど、あんたも行く?」


 そして、手に持っていた大きなパンをひと齧り。

 するといちごジャムと思しきものが加寿美のほっぺに軌跡を描いた。それを横目に大翔は口を開く。


「俺はいいよ、昨日行ってきたから」

「元気にしてた?」

「……体調はいいよ。元気は、あんまり」

「そっか」


 加寿美はさらにそのまま、豪快にひと齧り。

 どうやらほっぺについたジャムには気づいていないらしい。


「あんたも元気なさそうね」特に関心もなさそうに、加寿美はそう続けた。

「あ、あー。まあ」

「しっかりしなさいよ。まさかそんなんで雫の病室行ったんじゃないでしょうね」

「それは大丈夫だよ……多分。あいつの前ではちゃんと元気に振る舞えてたと思う」


 大翔は、自信なさげにそう返す。

 その表情を横目に、さらに加寿美はひと齧り。


「そ、ならいいわ。別にそれ以外では落ち込んでておっけーよ?」


 言われ、大翔は呆れた様子で顔を歪めた。


「お前、前々から思ってたけど、けっこういい性格してるよな」

「あんたの場合、女子の比較対象は全部雫なんでしょ。あんな天使ちゃんと比べられてもね」

「いや、雫となんか比べるまでもねぇ」

「ふふふ」

「……なんで嬉しそうなんだよ」


 さらに、ぱくり、もぐもぐ。加寿美はリスのようにいちごジャムパンを頬張る。見てるとなんだか猛烈にお腹が空いてきた。


 そんな折、鳴り響いていた流行りのメロディーが唐突に途切れ、教室前方左手にあるスピーカーから、ドスの効いたしわがれた男の声が放たれた。


『二年三組新谷加寿美、至急職員室に来い。以上』


 瞬間、加寿美は跳ね上がるように顔を上げた。


「あ、やっば……そう言えば先生に職員室に呼び出されてたんだった……うああ、どうしよ」

「いや行けよ」


 大翔は加寿美の独り言に口を挟む。

 さっきの放送の声から察するに、加寿美を呼び出しているのは数学教諭の水戸部だろう。暴力を振るようなことはないが教師陣の中では抜きん出て気が短く、怒らせると厄介だ。彼のひょっとこ口も相まって、ついたあだ名はスッポン。一度噛みつくと、中々離してはくれない。


「わかってるわよ! ああでもこれ――」加寿美はぶつぶつと口の中で言葉を転がし、「いいやもう、あんたにあげる」


 そう言いつつ差し出されたのは、食べかけのいちごジャムパン。


「え、ちょ、いらないって」大翔はほとんど無意識にそれを拒んだが、

「さっきから物欲しそうな目で見てたじゃない」

「や、それはまあ……」


 と、そんな風に口ごもる大翔など捨て置いて、加寿美は席を立った。


「やばいよー、やばいよー、四時間目終わったらすぐに来いって言われてたのにもう二十分以上経ってるよー」


 大翔の言葉などもう耳にも入っていない様子で、頭を抱えながら身悶えていた。


「落ち着けって。あとこれやるからちゃんと口拭いてけ。ジャングルの奥地の民族みたいになってんぞ」


 大翔は左手で自分の頬を差しながら、右手でティッシュを差し出す。すると加寿美は一瞬きょとんとしたあと、自らの頬に指を這わせ、その指でジャムに触れ、


「……もっと早く言いなさいよ」


 少しだけ頬を赤く染めつつ、ティッシュでそれをふき取り、加寿美は教室を飛び出して行く。

 そして自分の手元に残ったのは、食べかけのいちごジャムパン。大翔はそれをぼーっと眺める。


 ――どうすんだよ、これ。


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