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Run&Gun&  作者: 楽土 毅
第一章 笑顔の法則
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3-8 心の内側③

「あのさ」


「んー?」


 水槽の中を覗きこんだままで、雫は生返事した。意を決して大翔は続ける。


「蒸し返すようなことして悪いけど――本当にいいのか? 今回のこと、雫は本当に納得してるのか?」


 ぴく、っと雫の肩が揺れた。その言葉だけで、何のことを話しているのか、彼女にはわかったようだ。


 雫は水槽を覗き込む中腰の姿勢から身を起こし、こちらを向いた。

 その表情はやはり笑顔だ。


「もちろんだよ」


「でも、本当ならお前も……」


「私の分も、ひろちゃんやくわちゃんが楽しんでくれたら、それで十分」


 雫はわずかに目を逸らす。


 ――違う、違うんだ。俺はこんなことを聞きたかったんじゃない。


「別にな、どうこうしようってわけじゃないんだ。ただ俺は、雫の本心が聞きたいだけだ」


「っ、本心だよ。私は、別に何も……」


 雫は驚いたように一瞬目を大きくしたが、やはり逃げるように顔を背ける。でも、その仕草が物語っていた。やはり彼女は無理をしている。


 大翔は苦笑し、部屋のある方向を見た。壁にコルク板のプレートがかかっていて、そこにはたくさんの写真が留められている。


 その中の一枚、三年前の――大翔がこの家にきた直後にとられた写真を見つめる。


「雫は覚えてるか? 俺が向こうでいじめにあってたことを、お前に明かしたときのこと」


 その質問に、雫は頷いた。急に話が変わって、そのことに戸惑っている様子だ。

 でも話は何もすり替わっていない。ちょうど今と同じような状況だったのだ。


 あのときとは自分と雫、立場が真逆であるが。


「最終的には俺泣きまくってたよな。今でも思い出すと超恥ずかしいし、何とも言えない気分になるときもある。でも、」


 確かにあのとき、自分は救われたのだ。


「俺のかっこ悪いとこも情けないとこも、全部さらけ出した上で、雫は俺のことを受け止めてくれた。あのとき、俺はやっと雫と家族になれた気がしたんだ。この家で頑張ってやっていけそうだって、そう思えたんだ」


 雫は顔を上げ、自分の方を見た。


「俺は、他の誰にも言えないような、情けないことも恥ずかしいことも、雫には言えると思う。俺にとって雫は、そういう存在だから。だからお前にとっての俺も、そういう存在であれたらなと思ってる。押しつけがましいかもしんないけどさ」


 飛永大翔は天野雫に恋をしている。


 しかしこの形は、世間一般のものとは若干のズレがあるように思う。


 普通なら、好きな子にはできるだけかっこいい自分、強い自分を知って貰おうとするものだろう。


 でも大翔は違う。

 雫には、ダメな自分も、情けない自分も知ってもらいたいと思っている。


 まあ三年前のあの頃に成り行き上そうなってしまい、これ以上自分の評価も落ちようがないだろうという諦めにも似た思いも確かにあるのだが、それでも変に取り繕って良く見せようとは思わない。


 もちろんかっこいいとか思って貰えるなら、それはそれで嬉しいのだが。

 また一方で、雫のこともよく知っていたいと思うのだ。


 彼女の良い所、素敵なところは当然だが、ダメなところや、情けないところや、かっこ悪いところだって知っていたい。そしてそれを全部知った上でも、自分は雫を一途に好きでいられる自信がある。


 あのとき彼女がそうしてくれたように、自分も雫のどんな一面も受けとめてあげたいと思うのだ。


「ひろちゃん」


 沈黙を破り、雫はその名を呼んだ。

 濡れたようなつぶらな瞳でこちらの顔を覗き込んでくる。


「ん?」


「私……すごく、悔しいの」


 雫はついに、紡ぐ言葉に黒の混ざった思いをのせた。


「ほんとは試合に出たいよ……なんでって思うよ……こんなチャンス一生にもう二度とないかもしれないのに……滄溟(そうめい)大付属とか、月高とかの上手い子たちと一緒に……あの代々木体育館でバスケができるんだよ? 総体では叶わなかった、全国レベルの選手たちと戦える最高のチャンスなのに」


 雫は声を震わせる。顔を(うつむ)かせる。揺れる肩にそっと右手を置くと、雫は身を預けてきた。大翔の肩にそっと額をおしつけ、そのままの体勢で言葉を続けた。


「私、ひろちゃんやくわちゃんが羨ましいの……二人が選ばれたのは嬉しいはずなのに、その一方で嫉妬みたいな感情も湧いてて、そんな自分がすごく嫌……。悪いのは二人じゃなくて私なのに……。もっと素直に喜びたかった……応援したかった」


 雫は顔を上げる。今にも泣きそうな顔で自分の顔を見上げてくる。


「ごめんね……こんな嫌な子で……私のこと嫌いになったよね?」


 その質問に大翔は思わず苦笑した。思いつめたような顔をしている雫の額を、冗談めかして指でついてやる。


「愚問だな」


「……え?」


「それくらいで雫のことを嫌いになるなら、俺は自分自身をとっくの昔に殺してるね。嫉妬なんて日常茶飯事だし、自分が調子悪い時は、他の奴らもミスしてくんねーかなーとか思っちゃうし。勉強できる奴が成績落とすとなんかホッとするし、イチャイチャしてるカップルなんか見ると何かの誤解でケンカ別れしやがれと思うし。でも、多分そんなの普通だろ」


 雫はぽかんとしたような顔で自分の顔を見つめ続ける。そんなに見つめられると少し照れるんだけれども。


「でも、どんなにそう思ったとしても、それを相手には見せない、感じさせない。それがマナーだ。だから雫のやったことは正しい。だけど別に、心の中まできれいでなくちゃいけないなんてことないだろ。そんでたまにはこうやって、誰かにその思いを愚痴みたいにぶつければいい。


 俺だったらいつでもそういうの聞くし。むしろ聞きたいくらいだ。今だって、雫もちゃんとそういう風に嫉妬するんだって知れて、なんかほっとした」


「ひろちゃん……」


 雫は小さく笑みを浮かべる。たった今何かから解き放たれたような、ほっと息をついたような笑顔。


 たとえどうしようもないことであっても、愚痴や悪口に乗せて誰かに向けて言葉にすることで、少し楽になることもあるだろう。


 もちろん限度はあるが、雫は潔癖すぎるあまり、そういうのを過度に控える傾向にある。事実、雫の口から誰かの悪口を聞いた覚えなんてほとんどない。


 もちろん、彼女のそういうところも好きだけど。

 でも、雫はもう少し楽な生き方を覚えていいと思うのだ。


「ありがと。ほんとよくわかんないけど……試合に出れないことには変わりないのに、少しだけ楽になった。こういうのなんて言うんだろ、『腹の虫がおさまった』?」


「はは、雫からそんな言葉を聞けるとはな。でも、それでいいんだよ」


「うん、そうだね」


「じゃ、俺は戻るよ、おやすみ。また明日な」


 少しは楽になったようだし、これで十分だろう。大翔はきびすを返し、扉へと向かった。すると背後から、雫が声をかけてきた。


「待ってひろちゃん」


 その呼びかけに大翔は振り返る。しかしすぐさま硬直した。

 なぜなら、雫が自分の両手を自身の両手で包むようにしてきたからだ。


「え、な、なに、を?」


「ひろちゃんはさ、覚えてる? あの総体の準決勝のハーフタイムのときのこと」


 言いつつ、雫は大翔の手を胸の高さにまで持ち上げてくる。合掌する大翔の手を、雫の両手が挟み込むような形である。


 それを見て、思い出した。雫が何をやっているのか。


「あのとき貰ったひろちゃんのパワー、まだ返してなかったから、今から返すね。私の分も一緒に」


 むむ~と眉間にしわを寄せて〝何か〟を送り込んでくる雫。その様が大変可愛いらしく、もうそれで十分だった。


 でもそれで、本当に力が(みなぎ)ってくるような感覚があるから不思議だ。


 ……しかし、それにしても長い。もう三十秒くらい経ってしまったのだけど。あんまり長いと必死に押し殺している変な気が湧いてきてしまうではないか。柔らかな手の平の感触とか、甘い香りとかが自分を挑発してくる。それに危うく負けそうになったところで。


「うん、これでよし」


 恐らくは真っ赤になっているであろう自分の顔に、雫は視線を向け、にこっと笑う。


「ひろちゃん、私の分も頑張って、試合楽しんでね」


「おう、サンキュ」


 その笑顔は、今日見た中で一番の、まるで花が咲いたような笑顔だった。


 やっぱり雫は笑顔が一番だ。


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