3-1
午後六時を過ぎ、日もほとんど落ちているというのに、未だ蒸し暑さは健在だった。
体育館の窓は開けてあるが、風なんてろくに入ってこない。一日中真夏の太陽の光を浴び続けたこの建物はもはやサウナ同然である。
そんな中で、自分たち風高バスケ部は練習に取り組んでいた。
今やっているのは三対二だ。オールコートを使って攻撃側三人、守備側二人に分かれて行う。もちろんキーは攻撃側が一人人数が多くなっている――つまりアウトナンバーができている点にある。
こういったチャンスにしっかり点を奪えるチームは強い。
また逆に言えば、このようなピンチでもしっかり得点を阻止できる守備力を持っている選手がいれば、相手にとっては脅威でしかない。
そう。そしてそれこそが、自分――飛永大翔における唯一にして最大の存在意義である。
「ばっちこ――――いっ!」
大翔はそう挑発し、守備の姿勢をとる。それからふいと隣に視線を滑らせた。
「彪流、お前が当たれ」
「うす!」
「ただ出過ぎるなよ。リトリートの意識は常に持っとけ」
大翔がそう指示を出すと、守備側の二人のうちのもう一人である新谷彪流が、俊足で飛び出した。
現在、攻撃側の三人である長内修、早坂紡、白峰郁がいっせいにこちらに向かって攻めてきていた。
ボールを持つのは紡だ。無駄のないドリブルで素早くコートを駆け上がってくる。しかし、そこに彪流がプレッシャーをかけに行った。
そこで紡は修にボールをパス。このタイミングで修と白峰は紡より遥かに前に飛び出していたので、実質的には二対一の陣形が完成した。
つまり、修&白峰 VS 大翔。
こういう構図だ。
普通であればもうこちらの負けも同然である。一人で二人を同時には守れない。物理的に不可能なのだ。
むしろ修たちからすれば、この状態でシュートを決め損ねればチームメイトから非難を浴びるような状況だ。絶対に外せないシチュエーションである。
しかし、ディフェンスに関してだけは、変態レベルの実力を誇る大翔に対しては、その常識はいっさい通じない。実際、これと同じような状況下で幾度となく相手チームのシュートチャンスを潰してきているのだ。
相手が大翔だけあって、少し慎重に、それでもチャンスを不意にしないようスピードは落とさずに、修は攻めてくる。白峰は逆サイドでパスを求めていた。
その最中大翔の頭の中では、幾通りもの選択肢が飛び交っていた。
白峰はシュートが上手い。この距離でノーマークで撃たせたら、まず外さないだろう。
修にもその選択肢がまず浮かんだはずだ。しかし大翔は修と白峰との間、絶妙な立ち位置に立っている。パスを通すには少し怖い位置だ。
さて、どうくるか――。
そのときである。修は不意にシュートの構えをとった。確かに狙えない距離ではないが、確実な手とは言えない。修のシュート精度からして入る確率は六十パーセントといったところか。
――外せないこのタイミングで?
しかし迷っている暇はない。
大翔は、その六十パーセントを三十パーセントにするべく、修にプレッシャーをかけにいく。シュートモーション中にディフェンダーに前から詰め寄られると、たとえ到底届かない距離であっても、シューターはシュートを撃ちづらくなるものだ。
しかし修のとった手段はそう単純ではなかった。ジャンプショットを撃つときとまったく同じ動作でジャンプし、しかし彼はシュートを撃たなかった。手のスナップで強引にボールの軌道を変え、そしてそれが届いた先はバスケットゴールではなく、白峰の手元である。
つまり、シュートを撃つ素振りで大翔を接近させ、いざ近づいてきた瞬間にノーマークになった白峰にパスを出したわけだ。古典的で、実際よく使われる手法ではあるのだが、まさか修がこんな手をつかってくるなんて……。
――なぁーんてな。
大翔は思わず笑みを浮かべる。まさかここまで上手くいくとは。もはやどう堪えてもにやにやが止まらない。
そのパスは結局、白峰には届かなかった。その前に、またも神速でリトリートしてきた彪流が見事にそれをカットしたのだ。
そう。
ディフェンスはけして一人でやるものではない。四人が相手を追い込んで追い込んで、そして最後の一人がボールを奪取できれば、そのディフェンスは大成功だ。
「ナイスカット」
「おすっ!」
だが問題はここからである。
飛永大翔の唯一にして(?)最大の弱点はここにある。
せっかくここで奪取したボールを、果たして上手く次の攻撃に展開できるか、否か。
これができるかどうかで、選手としての力量は大きく変わる。ボールを奪うだけなら、相手の攻撃権を奪うと言う意味で実質こちら側にプラス二点というところだが、ここで上手くこちらのカウンターを決められれば、さらに二点を加えて実質プラス四点なのだ。
「彪流、出せ!」
「はいっ!」
彪流は大翔にパスを出してボールを預け、自分はコートを猛然と駆け上がって行った。
攻守交代だ。今度は大翔と彪流、そしてコートの端で待機していた硲下要一がこちらの陣営に加わり、この三人が攻撃側となる。
そして対するは。
――うへぇ……。
大翔は思わず顔をしかめてしまった。
それもそのはず。次の相手である守備陣は、木ノ葉之平と百合ヶ丘春臣の二人だった。どちらも上級生の、手ごわい相手だ。
大翔はドリブルでセンターラインを踏み越える。この三対二の練習はファストブレイク――速攻が基本だ。だらだら攻めてはいけない。一人こちら側の人数が多いというこのチャンスを無駄にしないための練習なのだ。
大翔は中央から突っ込んだ。すると前に飛び出してきたのは木ノ葉だ。その瞬間、一瞬寒気に襲われた。
一方で百合ヶ丘はゴール下に斬り込んでいた彪流のマークについていた。大翔は迷わずノーマークになっている硲下にパスを出す。
そして硲下はトリプルスレットの構えでボールを受ける。シュート、パス、ドリブル、次手として3つのいずれでもいける構えだ。
今日の硲下は当たっている。このまま放置するのはまずいと感じたのだろう。木ノ葉は大翔を置いて次は硲下の方へと走り出した。
すかさず大翔はゴール方向へと切り込む。それに呼応するように、彪流はゴールから離れる方向へ。大翔と彪流はすれ違うような形になり、結果、物理的に大翔の体が、百合ヶ丘の彪流に対する追撃を阻止した。
彪流がノーマークになる。すかさず硲下から彪流へパスが出た。木ノ葉はゴールから少し離れているし、百合ヶ丘は大翔が押さえている。大チャンスと言ってよかった。
彪流の真骨頂である神速のドリブル突破はその間隙を力強く射抜き、しかしそこに百合ヶ丘が食い下がる。ゴール付近に到達した彪流の背後からシュートを阻止すべく長い手が伸ばされていた。
――これは、弾かれるな……。
大翔が思った直後だった。それを恐らくは大翔よりも早く察していたらしい彪流は、ぽいっ、と大翔にパスを出してきた。
シュートモーションに入ってからの、簡単に見えて難しいパスだ。
しかし、この判断は正しい。
ゴールはもう目の前、百合ヶ丘は無理して彪流に追いすがっていたため、もうこちらのシュートチェックには間に合わない。彪流がお膳立てした絶好のチャンス。
大翔はゆっくりシュートの構えをとる。
幾万本も練習してきた。外すはずがない、必中の距離だ。自分にはシュートのセンスなんてない。それでも、これは決められるシュートだ。決めなきゃいけないシュートだ。外すのは許されないシュートだ。
外せない、外せない、外せない、
『外せ』
――……ああ、
ぞくりと全身が粟立つ感覚がする。
それを自覚した頃には、全てが遅かった。
――……またか。
大翔の放ったシュートは、無情にもリングの外側に当たり、明後日の方向へと弾かれてしまった。