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9月の恋と出会ったら  作者: 佐伯龍之介
9/60

壁の向こうには

僕はしばらく身を固くして脚立のてっぺんに座っていた。

 そんなところから声が聞こえてくるわけがない・・とはいえ、たしかに聞こえた。

それだけではなく、電話で話し込んでいた相手が不意に黙り込んでしまった時のように、声の主がそこにいるのが伝わってくる。僕自身と同じようにじっとして声をひそめ、聞き耳を立てて。

 散々迷ってから、僕は思い切って声を出す。

「誰かそこにいるんですか?」

義忽那声の余韻が消えかけたころ、鼓膜がかすかな音を拾った。またしても声ではなく息づかい・・『やれやれ』とため息をついたような。

 脚立の一番上にお尻を、何段か下につま先を載せているというのに、宙に浮いてしまっているような気持ち。怖かった。けれど逃げ出そうとすればきっと転げ落ちてしまうだろう。

「誰?」

その問いかけに、今度は声が応じた。

「・・・です」

早口すぎて聞き取りにくいというかききとれなかった。

「ヒロタさん?」と僕。

相手がそう名乗ったような気がしたので、口に出してみた。けれども、口にしてから思いつく。

声の主は「城田です」といったのではなかったか。

「もしかして・・・・城田さん?」 

A号室からの声が聞こえてくるのだろうか?とっさにそう思ったけれども、おかしな話だった。僕が居るのは、A号室とは反対側、B号室の部屋の左端。

 もともとA号室の室内に野茂の音が聞こえた事は一度も無かった。テレビの音にしろ、電話で話す声にしろ、間に通路をはさんでいて距離もあるからそれが当然なのに、押さえた笑い声やため息そんな些細な物音が聞こえてくるはずもなかった。壁をくりぬいた外側にプラスチックの蓋がはめ込まれた、どこにも通じていない穴から。

 いくらそう思っていても、壁にマグカップを埋め込んだようなその穴の中から、声はさらに聞こえてくる。

「おっしゃる通り、城田です。この前は失礼しました」

「だけど、どうして・・・」

「あっちょっと失礼します」

その言葉とともに、さっきからの「相手がそこにいる感じ」がしばらくとぎれた。けれども少したってから、

「ああ、すみません。おっしゃりたいのはこういう事でしょうね。どうしてこんなところから声が聞こえるのか」

 再び聞こえてきた声が、僕が思っていた疑問に答える。

「何か仕掛けがあるのではないか、そうお思いになっても無理はありません。あなのなかをしらべてみてはどうですか?おおげさなきかいはむりとしても、ICチップみたいなものもないかどうか?」

 僕は壁にくっつけていた頭をいったん離し、穴の内側をしげしげと眺める。

さらに手を差し込む・・・指をすぼめた掌がすっぽり入るくらいの大きさだ。

 固くすべすべした内側に指を這わせ、つきあたりのプラスチックの蓋をたしかめてみた。けれども、変わったことは何もない。

「念のため、ベランダに出て外から見てみるといいでしょう」

声はそうつづけ、僕はそろそろと脚立から降りる。言われるままに動くのは不本意だと思ったが、ぼくも外をたしかめておく必要があると思ったのだ。

 ベランダに足を踏み出すと、夜の風が僕を迎える。やわらかい風、植物や土の香りに、今日から九月だからというわけでもないだろう、少しだけ涼しさの混じった天池杯。それやこれやに背を向けて、無機質なコンクリートの壁を見上げた。窓の右斜め上に、問題のエアコンの穴がある。

 何の変哲もない丸い穴に、ごく普通のプラスチックの蓋がはまっている。周囲に怪しげな装置が取り付けられていないし、誰かが屋上からぶら下がってそこに顔を寄せている・・・なんてこともない。

 部屋に戻る前にA号室のベランダの方を伺う。暗かったけど、そこにだれのすがたもないこと、エアコンの穴が僕のところと同じようにきっちり蓋をされていること(エアコンがついていないということ)は外の明かりで見て取れた。

「なのも変わったところはなかったでしょう?」

僕が室内に戻り、少しためらってからまた脚立にのぼるころを見透かしていたように声が言う。

「でも・・・・」と僕。

「何ですか?」

「だったらどうしてこんな風に話ができるんですか?」

さっき見た通りの穴なら、そんなことがあるはずがない。A号室の城田さんばかりか、誰とも話せるはずがないのだ。

「もっともな疑問ですね、それにお答えするにはいくつかの事を説明しなくてはいけません」

 城田さんが言う。今までよりも余裕の感じられる調子になっていた。

「いったいどんな」

「まず、私たちの立場のズレについて。私は齋藤さんと同様、エアコン用の穴に向かってはなしをしています、A号室の壁に向かって話しているのですが、齋藤さんが今いる部屋の隣からというわけではない。その部屋にいるわけではないのです」

 そう、たしかに、さっきベランダから見たA号室の窓は暗かった。

 部屋の主が留守という方がありそうな話だけれども、いっぽう城田さんは「A号室からはなしている」と言っている。いったいどういうこと?

「簡単に言いますと、私は齋藤さんとは別の時間に属している、そういう事なのです。そちらは、二〇〇五年ですよね?九月の・・・・」

「一日ですけど」

 つられて口にしてから後悔した。今日は二〇〇五年九月一日に決まっている。日本で夜の九時ということは、世界中の大部分で同じ日付(たいていは、もっと早い時刻)だ。

「やっぱりそうですか」けれども相手はそんな事を言う。「だとすれば「ちょうど一年ずれていることになる。こちらは二〇〇六年の九月一日ですから」

「???」

僕が頭の中にたくさんの『?』を抱えていることを察知したのか

「ちょっと失礼します」

さっきと同じセリフを残してどこかへ行ってしまう。そして一分かそこらでまた戻ってきて、

「そう、今会話しているこの私は、齋藤さんから見れば未来の人間なんです」

 尿に度胸のすわった調子で、しゃあしゃあとそんな事を言ってのける。

「齋藤さんもじゅうぶん気が付いておられることと思いますが、私のいるA号室と齋藤さんのB号室とは通路や階段を挟んでそれなりの距離があり、声など聴こえるはずがない。 

 お互いベランダに出ているならともかく、それぞれ室内にいる状態で。よほど大きな都ならともかく、こういう普通の話し声が。

 さらにあるはずののないのは、相手の部屋から遠い側にあるエアコンに穴、しかも蓋をされている穴からこえが聞こえてくるという事実です。その通りですよね?」

「えぇ・・・」

「あるわけのないそんなことが起こるのは、私のいるここと齋藤さんが居るそちらの間で、空間のずれが起きているからにほかなりません。。そしてずれているのは区間だけではなく、時間もなのです。

 信じられなくても無理はない。けれども私はたしかに二〇〇六年から話しかけているのであって、それについては証拠を見せるもりです。

 

 




 


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