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9月の恋と出会ったら  作者: 佐伯龍之介
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好奇心

僕の好奇心は、それから数日のうちに、まんぞくさせられることになった。

 ひさしぶりに土曜が休みで、僕は外出から戻って来た所だった。カメラを胸に、スーパーの買い物袋を手に、それぞれ揺らしながら階段を上って踊り場にさしかかるあたりで、二階から降りてきた若い女性に出くわした。

 窓からの光に浮かび上がった姿はたしかにA号室の城田さんにまちがいなかった。背は、どちらかと言えば低いほう、色白の面立ちは整い、多くの人が「美人」と形容するはず。くっきりした眉やアーモンド形の目などは凛々しいと言ってもいいのに、身体つきの印象、姿勢の悪さなど、嶋さんが言っていた通り。

 ファッションセンスについて嶋さんの酷評はやや大袈裟ともおもったけれど、言いたいことはわかった。紫のTシャツと緑のカーペンターパンツというのは、少なくともお洒落な人のする格好ではない。どちらもさんざん着古して、色が柔らかくなっているせいで、言葉から想像するほどとんでもない印象ではなかったけれど。

 そんな城田さんと踊り場のところで一緒になり、

「あの、こんにちは」

僕が言って頭を下げる。B号室の齋藤です、そう続けようと思ったのだが、

「あっ」

相手は口の中でつぶやき・・というより、喉の奥で音を発し・・へどもと会釈を返す。もともと姿勢が悪いので、首が前に突き出すような形になる。これまで会った中でいちばbb、「へどもと」という言葉が似合う人だと思った。

 一刻も早くすれ違ってしまいたい。そんな気配が相手の全身からたちのぼっていたので、もう一度会釈しただけで階段を上ってゆくことにした。

 自分の部屋の前で振り返ると、ほっとしたように見えるうしろ姿が階段の残りを降りてゆくところだった。「リズム感が徹底的に欠けている」と評されたのもうなずける、優雅とは言えない足取りで。

 その時カメラに入っていたフィルムが、数日そのままになっていた。たいてい撮った日に現像するのだけれども、その晩は久しぶりに学生時代の友達とでかけたし、翌日以降は仕事があったのだ。

 そういう訳で次の休みの日の夜、十時ごろ、現像したネガを干すために、寝室の窓のそばに置いてある脚立のてっぺんに座った。

 不動産屋の鴻上さんと部屋を見に来た時にもここにあった脚立は、和えの住人の忘れ物だった。昼は公務員、夜は前衛画家だったというその人が置いて行ったというそれをハウスクリーニングの業者が便利に使い、僕も使わせてもらっているというわけ。

 天井近くに渡した針金に、ネガを順番にかけていきながら

「結局、あの城田さんってどういうわけでここにいるんだろう?」などと考えながら、土曜日の風景を切り取り、明暗を反転させたものを乾かしながら、同じ日の夕方に会った人の事を思い出したのだ。

「嶋さんがあんなに『音楽にも美術にも縁がない』って断言してるのに」

ネガには一本ずつ上下にクリップを付けてある。下のはネガをまっすぐするための重しだ。数本のネガがガラス球を連ねたような暖簾のようにゆっくり揺れるまえで、脚立の上に座ったまま、僕は思った事を言葉にする。

「音楽に関しては嶋さんはプロなんだから、自信満々でもおかしくはない。美意識がどうとか、だから絵をやっているはずがないとかいうのは」

 腰を落ち着けてかべにもたれかかると、顔の横に空いた穴が目に入った。エアコンのホースを通すためのもの、僕はエアコンが苦手でつけていないのでそのままにしてある。壁の天井に近いあたりを丸い穴がつらぬき、向こう側の端にプラスチックの蓋がしてある。ちょうどマグカップか何かをよこにし、口をこちらに向けて壁に埋め込んだようなぐあい。

「まぁたしかに、服装にかまわない人だろうなとは思ったけど、マニアっぽい人なんだろうか、部屋にはアニメだか何だかのフィギュアがあるというし。いやだなぁ。それに向かって話なんかしていたら」

 そこまで口にしてからふと気づき、

「独り言とはいえこんなことを口にしている僕もどうかと思うんだけど。ともかく、城田さんよ。あれで営業職をやっているなんてしんじられない。なんていうかこうへどもどしてるっていうか」

そう口にしたとき、僕の耳に、聴こえるはずのない音が聞こえた。

 笑い声だった。いや、声ではなく押し殺した息づかい。たまりかねて噴き出し、気が付いてすぐやめたような。 

 短い、けれども確かな音が、僕の頭のすぐ横・・壁に空いた穴の中から聞こえてきたのだ。

 




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