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9月の恋と出会ったら  作者: 佐伯龍之介
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転機ー内見ー

 広い、というのが最初の印象だった。前に見た三つの物件のどれより広い。築年数は少し経っていつけど、天井の高さやさっぱりした内装のおかげで気にならない。

「ベランダが南向き、横手の窓が東向き。四世帯すべてが全部角部屋だから、プライバシーは万全です。」

バスケットを床に置き、もぞもぞしていた猫を出してやりながら、鴻上さんが言う。

「床から何から防音に配慮してあるし、あなたの場合で言うと排気関係も大丈夫。現像でもなんでもやれます。」

 わたしは、うれしくなってドアを次々に開け、トイレや風呂場を覗いてみた。

キジ柄の猫が尻尾を立てて、まじめな顔で後からついてくる。

 間取りは1LDK、けれども広いので荷物の多い人でもゆとりがありそうだ。今は、がらんとした中、奥の部屋の隅に丈の高い木製の脚立が置いてある。ハウスクリーニングの業者が置いて行ったのだろうか。

 突き当りは確かに南向きらしく陽当たりがいい。というよりも暑い。僕はエアコンが得意ではないので、持っていない。夏の昼間は大変かもしれない。

 僕の表情を呼んだように鴻上さんが家中の窓を開け放つ。滞っていた空気が流れだすと、外はあんなに暑いのに、びっくりするくらい涼しい。

「すごく風通しがいいでしょう?」と鴻上さん。

「このあたりの物件でも、ここまでいい風が入るところは他にはありません。思うに、建物の角度が絶妙なんじゃないかな。道路と並行ではなく、少し角度がついてるでしょう?」

「誰が計算したんでしょう?この立て方すれば風通しがよくなるなんて」僕は不思議に思った。

「さぁね。建築士でしょう。オーナーという事もないでしょうし」

 鴻上さんがうろうろしている猫を捕まえて抱き上げると、網戸を開けてベランダに出た。僕も後に続く。

 マンションのベランダは隣の部屋とつながっていることが多いけど、ここの場合は部屋ごとに独立したベランダだった。オーナーが重んじるプライバシーの観点から、というより隣の部屋との間に通路があるから総なってしまうのだろう。

「専用のベランダですね」と僕

「そう」と「オーナーはベランダを付けたくなかったそうですけどね。『パリのアパルトマンには、そんなものはない』とか言って」

「はぁ・・・」

「でも、ここは東京の田舎で、パリじゃないからね。たとえ芸術家でも洗濯はするし布団も干すんだから、やっぱりベランダは必要だ。そう建築士に説得されたそうです」

 オーナーは若いころパリに留学していたのだろうか。

「そういうわけで、小さいベランダだし何かあったときに隣に逃げるという事はできませんが、もしもの時は下に飛び降りたらいい。少し、勢いをつけて、前の畑にね。土が柔らかいから」

 たしかに目の前は畑だった。その向こうでこちらに裏口を向けている、少し大きな、けれども古い平屋の家をさして「あれがオーナーの家」と鴻上さんは言った。

「この畑も?」

「もともとはそうだったはずですが、今はもう売ったんでしょうね。オーーナーの家はこのへんでは、大地主だったけど、オーナーの一人息子のあのオーナーが絵描きなんかになってしまって。へぼ絵描きっていう訳ではなく、ちゃんとした展覧会なんかにも出しているようですが、だからって「儲かって、儲かって』というわけではないみたいですね。そっちの世界は」

「あぁ・・・」

「もちろん生活していかなきゃならない、こうしてマンションを建ててひとにかしたりしてる。ここだけの話、自宅以外唯一の財産でしょう。けれどもそこにあの人のこだわりがあって、自分は本来芸術家、家主はあくまで副業だから大きなお金を取るつもりはないと。 

 いろいろなじじょうで部屋を借りづらい芸術関係の人に、普通より安く貸して援助したい。そんな名目で、こうして割安の家賃で貸しているわけですよ」

「それはほんとうにわかりますけど・・さっきも言ったように、僕なんてとてもとても芸術関係というような・・・」

 「だから、そこはあのオーナーなりの基準があってね。そこに照らし合わせて、あなたは合格ってことなんだから、いいじゃないですか。で、どうします?」

「どうって?」

「この部屋借りますか?」

 もちろん、返事は決まっている。

 鴻上さんの抱いた猫が身じろぎをはじめ、僕たちはベランダから室内に戻ると窓を閉め、猫をバスケットに入れて帰り支度を始めた。 

 もと来た道を車で戻る間に、鴻上さんはオーナーの「基準」について説明してくれた。

「あそこの入居者の条件っていうのはね、とにかく芸術をやっていて、よそで部屋が借りにくいという事のほかに、比較的若くて、独身で、けれども学生はだめ。美大生とか音大生は基本的に親がかりだし、その親に経済力があるからだめとか。

 自分で働いて生活している人というんですが、芸術関係が本業で、なおかつ毎月の家賃を払える人なんてそうそういません。何しろ芸術って言うのはお金にならないからね。 

 できれば、もっと家賃を安くしたかったようだが、それではオーナー自身の暮らしが立ち行かない。いわば妥協の産物として、普通の勤務をしながら言い訳が立つ程度に芸術っぽいことをやっている、そんな入居者が多くなるのはしかたのない話です。 

 我々も苦労するわけですよ。我々というのは、私と後二人ほど、あの人と付き合いの長い不動産屋。あのマンションに空きが出ると、これはと思う人を見つけて、たいていの場合は無理やりにでも理由をつけて紹介する。 

 紹介しないとオーナーが困るから、こっちも一生懸命やってるのに、ああいう面接なんてものがあって、虫の好かない相手だと『断る』ってこうですからね」

 ルームミラーから僕を見ながら、鴻上さんはそうぼやく。

「私らも勘が働くようになって、最初からオーナーの好きそうなタイプの人を紹介してるわけですよ。あ、こういういい方は誤解を招くかな。好みのタイプの女性を集めてるわけじゃなくて、実際の話、今いる三人のうち二人が男性だし」

 誤解など最初からしなかった。オーナーはそういう人には見えなかったし。

「ちなみに今いる三人のうち、芸能関係が本業なのはたった一人、オーケストラでバイオリンの大きいみたいなのを弾いていいる人だけですよ。あとはお医者さんと、多しか仏のサラリーマンのはず。どっちも何かしらやっているんだろうけども、まぁあなたとにたようなものですよ」

 鴻上不動産にたどりつくと、猫の入ったバスケットを僕が車から店まで運んだ。

 そのあと必要な手続きを済ませ、丁寧に頭を下げて店を後にした。鴻上さんが僕を「シーガイアシャイン」へたどり着かせるため、ほかで断られるようにしむけてくれたことがよくわかっていたからだ。

 





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