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9月の恋と出会ったら  作者: 佐伯龍之介
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神室さん①

僕が生まれて初めての尾行をし、未来からの声と三度目に話したその日以降、日本プロ野球選手会が初のストライキを決行した。

 有名政治家の献金問題をめぐる捜査が一応終了し、海の向こうの共産主義の国では軍事委員会の主席が交替、後任の人物が国家・党・軍の三権を掌握した。

 すべてヒロタが僕に話し、彼女の言うのと一字一句たがわぬ文句で新聞の一面を飾った出来事だった。

もちろん、そんな風にニュースを確認したり、ヒロタの声や次の尾行の事ばかり考えていたわけではない。

 忙しく、残業もしたけれど、振り分けられた休日と各自の希望休は確保するよう、お互いカバーし合って仕事をこなしていた。

 そんなわけで、、僕の休日だった火曜日・・・・ヒロタと約束したミッション二日前には、家の掃除やなんやかんやをして過ごし、夕方になると散歩に出た。

 駅とは反対方向に少し歩いたところに、景色のいい土手道があると聞いていた。

腰を下ろして川風に吹かれれば、ごたごたして家う頭がすっきりするかも・・・などと考えたのだが、行ってみるとそんな雰囲気ではなかった。たどりついた土手は、犬を連れた人たちに占拠されていたのだ。

 犬の飼い主たちは小さい子供の母親みたいに独自のネットワークを持っているらしく、お互いのことをよく知っていて濃密な立ち話を交わす。それが悪いわけではないけれど、つれなし、犬なしの身には何となく居場所がないのもたしか。

 帰ろうか、どうしようか。川べりに立って迷っている僕の足元に、一頭の大きな犬が鼻先を突き出した。薄青い瞳のレオンベルガー。

 見覚えがあって振り返ると、リードを握って立っていたのは神室さんだった。黒のパンツにサンダル、オレンジ色のtシャツがきつい顔立ちによく似合っている。

「あら」

 そう言った声や表情からすると、向こうも僕のことが分かったらしい。

「二階のB号室に越してきた人でしょう」

 散歩に来た帰りなどに、ベランダに出ている僕のの姿を見たことがあるそうだ。

いつか話をしてみたいと思っていた。嘘か本当かわからないが神室さんはそんな事を言い、僕たちはしばらくそこで立ち話をした。それぞれの仕事や趣味(マンション独自の入居条件をどうやってクリアしたか)など。

「それにしても、二階はすごく風通しがいいでしょう?」

 神室さんはうらやましそうに言う。二階のA号室にイラストレーターの女性が住んでいた時、遊びに行ったことがあるそうだ。その人が引っ越した時、空き部屋となったそこに移りたいと思ったのだが、

「オーナーにそう言ってみたの。そうしたら・・・・」

「ダメだったんですか?」

「こうよ。神室さん、それはね、誰しも部屋には好みがあるでしょう。風が通るから二階がいい、大地のパワーを感じていたいから一階のほうがいい、富士山の見える西側がいい・・・・」

 ちなみに、僕が住んでいるのは二階の西側だ。

「そういう好みはとりあえず我慢して、みなさんたまたま空いていた部屋に入っているのです。よろしいですか、途中から移るなんてことを認めたら、神室さんの出た部屋に篠原さんが、篠原さんの部屋に嶋さんが・・などと、パズルのような話になりかねません」

 神室さんはオーナーの口まねをする。

「篠原さんというのはあなたの前に二階B号室にいた人 、公務員兼前衛芸術家だった人よ」

「はぁ」

「あとで聞くとその人が、富士山の見える隣へ移りたいって言ってたみたい。だけどめちゃくちゃな人で、部屋も随分汚してたらしいから、そんな人を移らせるわけにはいかないでしょう?二部屋もめちゃくちゃにされるわけには。

 その後、マンション内での引っ越しは認めない、どうしてもという時は二年分の家賃を前払いする事という文章をオーナーが作って、当時住んでいた三人に配ったのよ。あそこは割安だけれども、それでも二年分いえば大きなお金よね」

「もちろん貯金を崩せば払えるけど、二年の間に何があるかわからないし、そこまで言われて無理にというのもね。

 そういういきさつがあって、二階のA号室には新しい人・・城田さんが入ったわけ。

 聞いた話では、城田さんの時から契約書に『マンション内の引っ越しは原則認めない。特に希望がある場合はオーナーの定める条件に従う事』って書くようになったそうよ。あなたのにも書いてあったんじゃない?」

 そういえば、たしかに書いてあったような気もする。

「だから二階って聞くと、ちょっと良いなと思うわけ」

「すみません」

「別にあなたが謝ることじゃないでしょう」

 それはたしかにその通りだった。

「まぁ、ああいう文章を回すなんて、オーナーも極端な人よね」

「それくらい、神室さんの頼みを断りづらかったんじゃないんですか?」

「どういう意味?私がオーナーのお気に入りだってこと?」神室さんは肩をすくめ、

「誰からそんなことを?といってもまぁ、嶋さんでしょうけど」

「えぇ・・・」

「あの人も悪い人じゃないんだけど、おしゃべりよね」

「嶋さん自身がかむろさんをすきだからでしょう?」

 僕は言うつもりもなかったことを口にしてしまう。けれども、それは別に秘密でもなかったらしく、

「まぁ、たしかに、あの人自身はそう思い込んでるみたいね」

「思い込んで?」

「たぶん、私の事を何か勘違いしているんでしょう」神室さんは淡々と「なんでだか知らないけれど私って、男の人を振り回したり、下手をすると無知まで振り回したりそういうタイプだと勝手に誤解されちゃうみたいで」

「はぁ・・・」

 ある意味、それはしかたがないのではないだろうか。

「メスを振り回しているっていうイメージがあるからでしょうか?」

「まぁね。いろんなことによるんでしょうね。だからあのひとも、何か私に勝手な幻想を抱いて、さらには、そういう私を好きになる自分っていうイメージによってるんじゃないかと思う」

 大型犬や小型犬、それぞれの飼い主たちが歩き回る夕暮れ前のどてで、神室さんは平然と言ってのけた。

 そこまで言うからには、嶋さんと、恋人として付き合う一歩手前くらいまで入ったことがあるのだろうか。年齢的にはちょうどいいし、音楽家の男性と外科医の女性という組み合わせも、意外に悪くないような気がする。

 一階の住人たちの人間関係も気になるところだったけれど、それに劣らず、興味深かったのは、オーナーの性格をめぐるエピソードだ。

 芸術家らしく磊落なようでいて、しゃくし定規なところも相当なものだ。だとすれば、そんなオーナーが、城田さんのために節を曲げると言うのはやはりおかしい。

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