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9月の恋と出会ったら  作者: 佐伯龍之介
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報告②

 「そうしていただければ、一生恩に来ます。それはもちろんですが、実は私だけのためではないんです。ほかにも・・・・」

「ほかに?ほかの誰かのためでもあるんですか?」

「えぇ」

どこかすっきりとしない奥歯にものが挟まったような口調。

「僕の知っている人?」思いついてそう尋ねてみる。

「そうです」とヒロタ。

「誰ですか?」僕がそう尋ねるとヒロタはしばらく間をおいて、

「例えばオーナーとか?」

「オーナー?」

「そうです。元々、良家のお坊ちゃんで、画家で、息子夫婦も奥さんも亡くし、本人も持病のある・・・・」

ずるいと思った。オーナーの事をこんな風に持ち出すとは。

「じゃあ、城田さんを尾行して写真を撮ることが、オーナーとどういう関係・・・」

「それは勘弁してください」ヒロタは素早く言う。「さっき言ったように私一人の判断で話すわけにはいきません」

 あまりに都合のいい態度に、僕が言葉を探しあぐねていると、

「あっちょっと失礼します」

 いつものごとく、彼女がそこにいる気配がしばらく途切れ、僕はいらいらしながら、未来と現在がつながるのをしばらく待った。

「あぁ、すみませんでした」戻って来た相手はすらすらと、「とにかくご不審はごもっともですが、あと何回かだけ今日と同じことをやっていただけないでしょうか。オーナーの人柄に免じて。この壁の穴、齋藤さんの部屋と私の部屋とを時を超えて結ぶ、小さいながらも無限の可能性を秘めた空間に免じて。

 私が読み上げた新聞の見出しに免じて。ここ一週間の分もあっていたでしょう?ちゃんとチェックしてくれましたか?」

「えぇ・・・」

それを持ち出されると弱い。やっぱりあっていたからだ。何から何まで。

とはいえ少しだけ違和感を覚えた。新聞の見出しにではなくヒロタの口調に。

 なぜか、前回ほど自信満々ではないような気がする。「あっていたでしょう?」というのが百パーセント形式的な質問ではなく、かすかにでも、本当にそのことが気になって訪ねている・・そんな風に聞こえたのだ。

 けれど元僕は考える。ヒロタが本当に未来の人だとしたら、自分の予言が外れる可能性などは思ってもみないはず。一方、彼女が未来の人ではないなら、一週間分どころか二、三日でも、新聞の見出しを前もって当てるなどということはできないはず・・

 何かおかしい。けれど、何がどうおかしいのかわからない。

 偏というなら、今日は何かが変だ。そう考えてから、いや待てよと思いつく。今日だけという保証はどこにもない。

 何だか違う世界に足を踏み入れてしまったような気がした。それは、僕自身の行動・・壁の穴から聞こえるヒロタの声の言う事を聞き、城田さんの尾行などという突拍子もない真似をしたせいなのかもしれない。そんな気がした。あるいは、もっと前から・・・

「もう一度お願いしますが、来週以降も城田を尾行していただくわけにはいきませんか?今日と同じように、シフトの休みの日だけ?」

その声の誘いに僕は、「わかりました」

そう応じていたのだ。間違ったことかもしれないと感じながら。

怖かった。けれども、訳が分からないまま引き返すのはもっと怖い。それに引き返すなんてそもそもできないのかもしれない。

「ただし、条件があります」僕は言った。「なるべく早いうちに、事情をちゃんと説明する。そう約束してくれるなら」

「約束します。できるかぎり」ヒロタの声は途端に晴れ晴れとした調子になり、

「本当にありがとう。それでは、今日は素晴らしくちゃんとやってくれましたから、来週も同じようにお願いします。夜も同じように九時にここで話し合いましょう。 

 では最後に、齋藤さんと私の間の儀式みたいなものになりつつありますが、一週間分の見出しを・・」

「待ってください」僕は言葉を挟む。「それより」

「何でしょう?」

「聞きたいことがあります」

僕が思い浮かべていたのはコンクリートの破片の事だ。城田さんが業務用のカバンにしまった、ちょうど片手で握れる大きさのギザギザのとがった塊。

 あれは、いったい何のためだったのか。そう思いながら話を切り出しかけたのに、

「きょう撮ったネガはどうすればいいんですか?」

ためらう気持ちの方が強く、結局口にしたのはその言葉だった。

「あぁ、とりあえずそのまましまっておいてください。もちろん大切になくさないようにお願いします」

「しまっておくだけ?」

「もちろん、いずれこちらに渡していただきたいのですが、いつどんな風にというのは追って指定します。考えてみると私たちの関係はずいぶん一方的ですね。まず、私は齋藤さんから未来に生きている分、齋藤さんの知らないことを知っている。

 それだけじゃない。わたしの方だけ、齋藤さんからプレゼントをもらうことができるんですよ」

「プレゼント?」

「たとえば、そのネガです。もし齋藤さんが、めったに人の近づかないようなところへそれを隠せば、マンションの裏の地面に穴を掘って埋めるとかして、そのことを私に教えてくれれば。

 わたしの方はすぐにでもそこへ行って、地面を掘りさえすれば、問題のネガを見つけることができる。一年間土の中に埋まっていて、少し湿ったような状態ですけどね。

 けれど、私から齋藤さんには、どんなものも届けることができない。時間が齋藤さんの方からわたしの方に向かって一方的に流れているからですね」

 何だか残念そうな、できれば僕にプレゼントを贈りたいとでも思っているような口調で、ヒロタはしみじみと言ってから、

「けれども、わたしにも齋藤さんにあげられるものがある。あるかもしれない・・・いや、きっとあるはずです。形のある品物ではありませんが」

「何のことですか?」

「ですからそれも、今この場でお話しできることではありません」

 もう何度目かにはぐらかされ、ぼくはそっとため息をついた。

 時々混じるやさしさ(のようなもの)と、取り付く島もないそっけなさ。ヒロタが僕に見せる様々な性格を心の中でくらべながら、考えた。

もう少し、あと何度かだけなら、不可解なゲームにつきあってもいい。

 週に一度、こうして脚立のてっぺんに座り、壁にあいた穴に頭を寄せて、聴こえる声に耳を傾けるために。

 その声がささやく、とうていロマンチックとは言えない言葉・・・・新聞の見出しをメモに書き留めながら、僕はそんなことを思ったのだ。

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