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9月の恋と出会ったら  作者: 佐伯龍之介
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転機

 次の朝一番に「引っ越す」意思を管理人に伝えた。冷静に考えれば、もう少し待つべきだったのかもしれない。・・・少なくとも、物件のめどがつくまでは。

 次の休みになるのを待って、「鴻上不動産」を訪れた。僕の住む町にいくつかある不動産屋の中で、昔ながらの個人名のところをえらんだのだ。大手の不動産屋では、僕の予算を超える物件しか扱っていないようなきがして。

 店に入っていった時、店主の鴻上さんは電話中だった。「どうも、鴻上です。」と話す声は少し渋い。なかなか良い声だ。ごま塩頭を短く刈り込んだポロシャツ姿のおじさん。

店の中を大きなキジ柄の猫がうろうろしている。

手ぶりで示されたパイプ椅子に座り、所在なく猫を眺めながら、鴻上さんという名前はあまり不動産屋向きではないのでは・・・などと余計なことを考えたりしているうちに、鴻上残は受話器を置き、

「部屋をお探し?」

淡い声を僕のほうに向けてそう聞いてくる。

「ええ」

「どういったところを」

僕は今いるアパートの間取りや家賃を告げ、

「それと似たところで、あの、できれば排気関係が、しっかり配慮してあるような・・・」

鴻上さんはこれを聞いて少し眉を顰め、

「今、住んでいるところからはどうして引っ越すの?」

「それは、その・・・」

「そこをちゃんと聞いておかないと、わたしの方もね。今、何が問題なのか、だとしたら次はどういうところがいいのか、っていう話に当然なってくるわけだから」

 足元によって来る猫を「仕事中だ」とでも言うようにサンダルを履いたつま先で押しやる。邪慳すぎなくていい感じだけれもど、僕に対する追及は結構厳しい。内心ひやひやしながら、ぼくはありのままに事情を話す。

「だけどねぇ」聞き終わった鴻上さんはあごの下をゴシゴシと撫でて、「木造アパートの場合、換気扇の空気が廊下に流れるようになってる所は多いんだよね。今、あなたが居るところと同じ」

「はぁ・・・」

「だとしたら引っ越しても、また同じことになっちゃうかもしれない。今の隣の人が特別神経質なんだと思うかもしれないけど、その手のトラブルは多いんですよ」

「そうなんですか・・・」

「あなたは写真の現像はやめたくないわけだよね?」

「どんな写真を撮ってるの?」

「あの、街の景色の写真です。建物とか看板や標識、あと影とか」

おかしな説明になってしまう。そんな説明になるとは思わなくて、こころの準備がげきていなかった。けれど鴻上さんは思ったほど怪訝な顔もせず、

「あぁ、なんか、絵はがきになっているようなのだね。小じゃれた文房具とかで売っていて、うちの娘が買うような」

「そう、そうです」

鴻上さんの娘に会ったこともないのに、朴は喜んで頷いた。たぶんそれで気持ちが緩み、

「なのに隣の人は、『いかがわしい写真でも撮ってるんじゃないか』なんて管理人さんに行ったそうなんですよ。『わざわざ自分で現像するなんて』って」冗談のつもりで付け加えたのだった。けれども相手は一瞬まを置いたあと、「ああ、なるほど」

 もしかしたら本気にされたのかも・・・僕は口にしたことを後悔した。

 決してそういうのじゃないし、また仮の話、いかがわしい写真のフィルムを自分で現像しても、プリントを店に頼んでも断られるので意味がない。だいいち、今はデジカメという便利なものがあり、本当にいかがわしい写真を撮りたいならそちらを使えばいい・・・などと言い訳をしてもこの場合は逆効果に違いないという気がする。

「ともかくさっきの排気関係で言うと」鴻上さんは、さりげなく話題を戻す。「やっぱりマンションの場合はたいていかんがえてあるんです。

全部の部屋のをまとめて屋上に逃がすとかね。そういう物件を探したほうがいいんじゃないかな」

「でも、予算が」

そう、問題はそこだった。木造ではなく、マンションとなると、当然ながら家賃が上がる。

鴻上さんとじっくり話し合い、場所の便利さや部屋の広さに目をつぶった上で、ほかの出費を切り詰めれば、払えなくもないような気も・・・・する。

部物件をいくつか選ぶ。合計三か所に来るまで案内してもらうと、どこも、一長一短という印象。

けれども、贅沢は言えないし、今のアパートの管理人には引っ越す旨をつたえてしまっている。

思い切って、その中の一軒を借りることに決め、鴻上さんにそう言った。けれども、アパートに帰り着いてから電話がかかってきた。

「オーナーから断られた」とのこと。

「どうしてですか?」

「うん、あなたのこと、どういう人か聞かれて」

「ええ」

「写真の現像の事で隣の人とトラブルになったって言ったのよ。そうしたら、そういう人はうちでも困る。」って

「そんな」

「かわいそうだけど、後で、どうこう言われても困るから、最初にはっきりさせておいたほうがいいしね」

 ぼくはくじけながらも、仕方なく別の物件の名前を挙げた。鴻上さんが「聞いてみる」と言った。

その三十分後、電話が鳴り、「やっぱりダメだって。さっきと同じ」

残るもう一軒は、オーナーが明日まで留守なのでわからないという。次の休日にまた訪ねてみることにして電話を切った。

 夜、ベッドに入りあかりをけしてから、「いくらなんでも」という思いにとらわれた。

 たったそれくらいの事で二か所も断られるなんておかしくないだろうか。親切そうに見えて、鴻上さん自身が僕に対して、何か含むところがあるのではないか。

 かすかにそんな疑いを抱きながら、四日後鴻上不動産を訪ねると、

「あれからもう一軒のところに聞いてみたけど、やっぱりダメだって」

「それっておかしくないですか・」僕もさすがに食い下がる。

「フィルム現像くらいの事で」

「やっぱりあれだね。『いかがわしい写真』っていうのがよくないみたいだね」

 僕はあっけにとられた。これから借りようとしているマンションのオーナーたちにそんな話をするなんて(そもそもその話を鴻上さんにしたのは、僕なのだけれども・・・)

「いや、もちろん、そんな写真を撮っているなんて思いやしませんよ、私自身は」

あいてはしゃあしゃあとそんな事を言う。今日もうろうろしていた店の猫が何を思ったか僕のそばで足を止め、そのままそこで丸くなった。

 「ただね、そういう話があったという事は言っておいたほうがいいかと思って」

 「だけどそんな根も歯のない・・・」

「まぁまぁ、大きな声を出さずに。捨てる神あれば拾う神ありとも言うし」

鴻上さんは床で丸くなっている猫と僕の顔を見比べながら、

「まぁ拾ってくれるかどうかわかないけど、可能性がないこともない」

「何の話ですか?」

「ちょっと変わった物件があるんですよ。いや、物件自体はごくごく普通だし、悪くない。というより、おとといご紹介したところよりむしろよくて、その割に家賃は安い。ただ、そこへ紹介するのには条件があって、よそで三か所以上断られた人だけ、という事になっているんです」


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