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9月の恋と出会ったら  作者: 佐伯龍之介
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報告①

 「もしもし、そこにいますか?」

ヒロタは今日も時間に正確だ。壁の方へ寄せた耳に、いつもの声が響いてくる。

「あのぉ・・・」と僕は切り出した。

「よかった。今日も私を待っていてくれて」

恋人同士のような言い方。そう思うと同時に、そのことが嫌ではない。どちらかと言えば悪い気もしない自分に気づいた。

 僕の身に起きているおかしなことがある。何週間か前には「得体が知れなくて不気味」と思っていたその声によく思われたいと思っているのだ。ヒロタに。壁の穴から話しかけてくる隣人に。

 「こうして待っていてくれたことは?」相手は続け「例の件を実行してくれたということですよね?」

「えぇ」と僕は短く答え、

「それはよかった。本当に感謝しています。ありがとう」

ヒロタはくぐもった声で言った。涙ぐんでいる?けれども、壁の穴から聞こえてくる声だし、僕の期のせいかもしれない。

「で、どうでしたか?」

 僕は尋ねられるままに一日の出来事を話した。と言っても、城田さんがどこへ行って何をしたかは説明の必要はないはず (相手は一年後の本人のはず)だから僕の尾行の首尾、どんな写真を撮ったかなどを主に話した。ヒロタが満足するかどうか、少し心もとなかったのだけれども、

「大変結構です」

聞き終えた彼女は満足げにそう言ったのだった。

「それこそ望んでいたことです。私の選択は間違っていなかった、齋藤さんに頼んでよかったという気持ちでいっぱいです」

 選択だなんて、まるでほかにも頼める人が居たみたいに。

「それで、城田がご迷惑をかけるような事は無かったですよね?」

 こう言われてすぐに思い出したのは、例のコンクリートの塊の件だった。けれど、ただ驚いたというだけで『迷惑を掛けられた』わけで歯などと思っていると、

「その他なんでも、困ったことや難しかったことはありましたか?」ヒロタはどんどん話を進める。

「おそらく、尾行なんて言うのは初めての経験でしょうから、遠慮なくいってもらった方がいいと思います。今後のためにも」

「今後って」僕はその言葉に反応する。「言っておきますけど、僕は何も・・・」

「まぁその点については、追って話し合う事にしましょう」ヒロタはほとんど意に介さず。

「九月というのは前にも言いましたが、そう悪くはない季節で、気候面で負担をおかけするということはあまりないと思うんです。それから会社のあるビルも、正面がテラスになっていて、腰を下ろしたりお茶を飲んだりできる。好都合だと思うんですよ。今度のような場合には」

「たしかにそうですね。でも・・・」

「でも何ですか?」

「大きなビルだから出入り口はあそこだけじゃないですよね?」

 僕は今朝思った不安を口にした。

「そのことなら大丈夫でしょう」ヒロタが明るい不調で、「新宿には担当の取引先がありませんから、会社から出ていく時というのはすなわち電車に乗るときで、都庁前から大江戸線に乗るか、新宿駅からJRに乗るかのどちらかになります。利便性が高いですからね。ビル正面から右に行くか、左に行くかの違いだけで、裏口を使う理由はありません」

「そうですか」じゃあこれからは安心ですね。そう言いかけて慌てて自制した。

「城田の場合、後をつけること自体は、それほど難しくはないはずです」ヒロタはまたも話をどんどん進める。

「基本的にぼんやりした女ですし、その時期は普段以上にそうだったはず。歩くのが早いわけでもないですし」

「えぇ、たしかに・・・」

「だとすれば、問題はやっぱり待機でしょうか?取引先の車内での打ち合わせの時、外で待っているのが答えるんじゃありませんか?いつ出てくるのかと目を凝らしているわけですから」

全くその通りでわかってもらったのが少しうれしい。

「そういう時は、全神経が視覚に集中するので疲れてしまいがちです。そんな時は、ほかの感覚を刺激するといいですよ。飴を口の中に入れるとか、ポケットの中で木の実をもてあそぶとか」

「木の実?」

「あるいは、ヘッドフォンで音楽を聴くのもいいかもしれませんね」

 なるほどと、納得しかけてまたしても自制した。僕はこの先の事までひきうけたつもりは・・・・・

「ともかくお疲れさまでした。最後までやり遂げたのは立派です」

「そうでしょうか・・・」

「齋藤さんにはそういう才能があるんでしょう。きっと」

そこまで持ち上げられると逆に警戒心すら起きてくる。探偵に転職するつもりもないし、ヒロタが僕をおだててこの先も引き受けさせようとしているのがまるわかりだ。

 「いえ、さいのうなんて。それより・・・」

「どうしました?」

「そろそろ説明してくれてもいいんじゃないですか?このまえ、来週にはもう少し事情を説明すると言ってませんでしたか?」

「そんな風に言ったかどうかについては心もとないですが」あいてはのらりくらりと、

「仮に言っていないにせよ。齋藤さんが気にするのも無理はないでしょう。ですが、もう少しだけ待っていただくわけにはいきませんか?」

「そんな・・・」

「なにしろ、それをお話しするには、私一人の判断では済まない。ある人の気持ちを考えないといけないもので。私としては、今日説明をする約束をした覚えはないのですが、そう聞こえてしまったのなら空約束をしてしまったことになり、本当に申し訳ありません。お詫びします。手をついて謝ります。何しろこちらは一年先の未来なので、お見せできませんが。

 重ねて出申し訳ないのですが、来週以降も続けていただくわけにはいきませんか?」

 いっそすがすがしいほどの図々しさに、あきれるとか腹を立てるとかいう気持ちがどこかへ飛んでしまった。


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