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9月の恋と出会ったら  作者: 佐伯龍之介
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打合せ

 またしてもしばらく気配が途切れ、

「それでは、城田の尾行について、細かい点を打合せしておきましょう」

 戻って来た時には、さっきの胸を打つような調子とは打って変わって、すっかり事務的になっていた。

「朝は七時四十五分くらいに出勤します。耳を澄ましていれば彼女が家を出るのが分かるはず。齋藤さんも家を出て、西新宿の高層ビル街にある会社までついて行ってください」淡々と、どこか他人事のように、社名を口にする。

「始業が九時で、そのあと、少なくとも九時二十分くらいまではかいしゃにいます。すみませんが、ビルの前で時間をつぶしてください。暑さもひと段落して、その意味では比較的楽だと思います。

 これからが本番です。会社を出て取引先を回る。日によってどこへ行き先は変わるので、に失わないように気を付けてください。そして、行く先々で写真を撮る」

「何かの証拠にするということですか?」

「えぇ、まあ、そんなところです。そのためにはやはりデジタルより、齋藤さんが持っているようなフィルムカメラが好都合です。

 デジタルの場合は画像を加工できますから、今一つ信用ができない。フィルムカメラで、さらには同じネガに日付や時間の分かるものが写し込んであれば何よりの証拠になりますね」

 何のために証拠が必要なのかと尋ねても、どうせおしえてはくれない。

「あとこれは言うまでもありませんが、プロジェクトの円滑な進行のため、齋藤さんの存在を気づかれないようにしてください。

変装とまでは言いませんが、服装や髪形で雰囲気を変える、そのくらいはしたほうがいいかもしれません。写真を撮るのは遠くからお願いします。望遠レンズはお持ちですか?」

[200mmの中望遠なら・・・」

「それを使ってください。彼女に見とがめられないよう、十七、八メートル声の聴こえないくらいの距離を置く。見失う心配のない時の話ですが。

 取引先を訪ねたときは、先方の車内で打合せするのと、近くの喫茶店に行くのと半々くらいになります。社内の場合は、ビルの前で待機していただき、喫茶店の場合は同じ店内で休んでいただいて構いません。そんな調子で、十七時を目安に続けてください。夕方で暗く成れば、そうそう写真も取れませんから、誤字になったら城田がどこで何をしていても齋藤さんは帰っていただいて大丈夫です。

 ただしそれまでは、もし途中で城田を見失ったとしても再び見つけるよう最大の努力を続けていただきたい。いいですね。

 当日は歩きやすい靴を履くこと、電車の定期のチャージをしておくこと。食事をとりそびれる心配がないとも言い切れないので、お菓子か栄養食品などをカバンに入れて置くといいでしょう。大体そんなところですか」

 最後の方は、遠足の時の注意みたいだ。

「それから、尾行中以外にマンションの通路やこの近所で城田と鉢合わせすることがもしあったとしても、せいぜい会釈するくらいにしておいてください。

 足早に通り過ぎ、間違っても言葉を交わしたりしない。なじみ深くなればなるほど、先々の尾行にさしつかえますからね」

 先々までも僕が尾行を引き受けるものとすっかり決めつけているような口ぶりだ。

「そして鵜の九時にはこの穴の前にいて、その日の首尾を報告してほしい・・・・これはさっきも言いましたよね。よろしいですか?」

用はない。そういいたかった。注意事項の多さにうんざりしていたから。けれども、

「ありがとうございます。本当に」

相手はぼくの返事を待たず、急にしみじみと、それこそ心の底から安心したように言うので、今更断るすべも思いつかない。

「では、おやすみなさい。ではなく、また例の手順を繰り返しておきましょう」

「例の手順?」

「新聞の見出しです。明日から一週間分。読み上げますから、メモしてください」

「でも、その必要は・・・」


「ありがたいことに齋藤さんは、私が未来から話していると信じてくれたようですが、それでも何かのの時に『やっぱりトリックがあるんじゃ』なんて言う疑念にとらわれるかもしれない。

 そんな心配を封じるため、念には念を入れて置こうというわけです」

 ヒロタはきっぱり言うと、僕にメモ用紙をとってこさせた。

 前の週と同じような、新聞の見出しの列挙。有名政治家への献金問題、某国の核開発をめぐる疑惑。ヒロタは僕に書き取らせ、復唱させてから、

「では来、来週。くれぐれもよろしくおねがいします。夜九時にまた話ししましょう。いいですね?」

「えぇ」

「本当にありがとうございます。では、おやすみなさい」

 声の主のあいさつに、僕はわれ知らずどきりとした。

 母親が子どもに向けるようなやさしさ、どこかしめったやさしさがかんじられ、こちらが戸惑うような響きを帯びて聴こえたのだ。

「おやすみなさい」

一呼吸おいて返した僕の言葉は壁の穴に吸い込まれ、そのあとは何も聞こえなくなった。

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