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9月の恋と出会ったら  作者: 佐伯龍之介
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衝撃①

 翌朝、僕はまだ事態を甘く見ていたのだと思う。よく眠れない夜の後、いつもなら夢の中にいる九時前に起き出して玄関に立ち、ドアの新聞受けから届いたばかりの朝刊を引き抜いた時には。

 そうする前に目をつぶり、もし・・・と考えていた。この朝刊の見出しが、メモにある「二日」の分と一致していたとしても、それには説明がつくかもしれない。

 夜の九時過ぎにもなれば、翌朝の新聞記事はある程度決まっているはず。その後新しく飛び込んできたニュースに対応するとしても、すでに起こった大きな出来事は、どっちみち伝えないわけにはいかないのだ。

 新聞社に勤めていたり、知り合いがいる人なら(城田さんは事務機の会社に勤めているというから、後者だろう)夜の九時に翌朝の朝刊一面の見出しを知っていてもおかしくない。その段階では予定に過ぎないそれが、結果的に一文字一句そのまま載ることだって・・・

 ないとは言えない、あるはず、といっても、実際に一字一句同じ見出しを目にした時にはショックだった。

 こんなことは今朝だけに決まっていて、明日の分は全然違うはずと買う寝していても。

 だけどこんな風に僕をからかって何になるのか。それに、からかうつもりなら、どうして「翌日分の新聞の見出し」だけでやめて置かなかったのか。

 割り切れない気持ちで出勤し、一日の仕事を終え、眠りの浅い夜の明けるころ、玄関に新聞の届く音を聞いた。

 布団から抜け出し、はだしで今と廊下を抜ける。薄暗い玄関に立って深呼吸し、ドアから新聞をぬきとった。自分の運命を決めるくじでも引くみたいに。

 そして、翌週の水曜日。九はうち僕は打ちのめされたような気持ちで同じ脚立のてっぺんにすわっていた。

 あれから毎日、来る日も来る日も、世の中はメモに書かれた言葉通りに動いていたのだ。海の向こうのテロ事件も、それに比べればずいぶん暢気な、日本のプロ野球をめぐる諸問題も、エアコンの穴から予言された通りの経緯をたどり、新聞の見出しは微妙な言葉づかいの一つ一つまで一致した。もちろん僕の部屋に届く人文だけではなく、同じものは駅でも職場でも見かけ、テレビのニュースや人の噂もそれと歩調を合わせていた。 

 毎朝早起きをした上、少なからずショック受けてから出勤するので、同僚たちからは「最近ぼんやりしている」「ふらふらしている」「好きな人でもできた?」などと様々な事を言われた。

 それに対して(最後のようなありがちな問いかけにさえ)何と答えていいのかわからず、相手の顔をまじまじと見返すような始末だったので、いつの間にか同僚たちの間では「齋藤は失恋したらしい」という噂が広まったようだ。「相手は偶然再会した、小学校時代の同級生」なんていう尾ひれまでついていたらしい。

 この「尾ひれ」がどこから来たのかは見当がつく。僕が小学校六年生の時、「いつか大人になって再開できたとしたら、その町の一番いいレストランで食事をご馳走してあげる」

 子どもとは思えないそんなセリフを残して転校していった女の子がいたのだ。その子は大まじめだった。

 春に転校してきてその年のうちにまた引っ越していった、半年ちょっとだけの同級生。

別に仲が良いわけではなく、僕がちょっとしたことをしてあげた御礼に問題のセリフが出たのだが、何かの折に同僚たちに話をしたら「ロマンチック」と大うけに受けた。そのせいに違いない。

 ともかく当分の間そっとしておこうと話がまとまったらしく、仕事の合間にプライベートの話を振られなくなった。そしてもちろん、びくの方から頭を悩ませている出来事について話す事は無かった。正気を疑われることは目に見えていたから。

 そうやって一日ずつが過ぎて行き、やがて水曜日がやってきた。

 朝からほどほどの上機嫌だったけれど、僕はどこかへ行くわけでも家事に精出すわけでもなくぼんやりと過ごし、午後になって写真のプリントを受け取りに駅前に出かけた。

 すぐ帰る気もせずコーヒーショップに入り、中ほどのテーブルに座っていると、奥の席にひとりでいる若い女の子の姿が目についた。短い髪から除く両耳にイヤホンを差し込みを閉じて、小型のCDプレイヤーから音楽を聴いている。それだけでなく上半身を揺らし、両手をテーブルの上にかざし、指をかすかに動かしていた。

 一瞬ぎょっとしたけれど、たぶん音大生で、課題曲のイメージ作りでもしているのだろうと見当がつく。その直後、別の事に気がついた。ぼくの斜め前で壁を背にしているその子を、右斜め前の窓際から、もうひとりの人物が観察していたのだ。

 女の子がただ音楽を聴いているのではないのと同じように、その人もただ彼女を見ているだけではなかった。テーブルに広げた小型のスケッチブックと彼女の顔の間に油断なく視線を往復させ、、彼女の表情を鉛筆で写しとっているらしい。ほぼ白くなった蓬髪、黒ぶち眼鏡・・・「シーガイアシャイン」のオーナーその人に違いなかった。

 店を半分ほど埋めたほかの客が、二人以上の場合はおしゃべりに、一人の場合は本やパソコンなどにそれぞれ気を取られている中、ほぼ三角形に並んだその女の子、オーナー、僕のテーブルだけが見えない糸で結ばれているような気がする。

 目を閉じた女の子は残る二人から見つめられ、オーナーは僕に注目され、僕を見ている人はいない・・・そう思っていたけれど、女の子がいくぶんか上気したすがすがしい顔で店を出てゆくと、オーナーは閉じたスケッチブックとマグカップを持ちまっすぐ僕の方へやってきた。

「いつもお世話になっています」

 立ち上がろうとする僕を「まぁまぁ」というように制して、

「二階のBに入った人だね。えぇと齋藤さんか」

 オーナーは僕の向かいに悠然と腰を下ろし、持ってきた飲み物を飲む。

「写真をやっているんだったね」

「はい。あのぉ」

「前にも聞いたかもしれないが、どういう写真を撮っているんだっけ?」

 僕は迷った挙句、ちょうど持っていた写真を見せた。選んでプリントしてもらった、僕自身は気に入っている十枚ほどをオーナーは順に眺め、

「なるほど」

それだけ言って帰してよこした。そっけない一言だが「にべもない」という感じでもなく、僕は少し安心した。

 オーナーはお返しにさっきの女の子のスケッチを見せてくれる。閉じた瞼のあたりには仏像か天使像みたいな雰囲気が漂っていたけれど、保保の柔らかさや上気した息づかいは紛れもなく人間らしかった・・鉛筆一本のスケッチからそんなものまで伝わってくる気がしたのだ。そこにないピアノで彼女が演奏していた音楽が聞こえてくるようでもあった。


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