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対オジサマ攻略法!<闇の王と黄金の魔女>  作者: 関根麻希子
エピソード 【煉獄のルストシュピール <零>】
97/107

⑦ アルカンシエル・アルヴァストゥアル


 部屋に戻ると、悪魔がデロンと転がっていた。

 西区、レゼウス神殿、月光の間。

 神殿の数多ある室の中で、最重要とされる場所だった。

 その重要性故に周辺の部屋全てを『教皇の私室』とし、一般はおろか神官達の入室をも制限しているのは、クラヴィス族最大の秘術を行う場所だからである。

 もっとも、秘術を執り行うからといって、そこに仰々しい祭壇や祭具が置かれているわけではない。

 それどころか家具の類もほとんど置かれておらず、ダンスホールのように広々とした空間が広がっていた。

 部屋の形は円。

 天井は高く、最大の特徴でもある真円の天窓からは、眩いほどの光が降り注いでいる。

 床にはいくつもの輝石が填め込まれ、陽光を受けて部屋中に光を乱反射させていた。

 そんな部屋の中に、ゴロンと打ち上げられた(トゥンヌス)のように黒い物体が横たわっている。

 白一色に統一された部屋の中、そこだけくっきりと黒い相手を見やって、アルカンシエルは冷ややかに眼差しを細めた。

 クラヴィスの血に宿るとされる数多の『紋章』は、『紋章』を宿らせうる器である限り、人から人、もしくは物への移行が可能となる。

 だが、『紋章』とはそもそも人智を超えた強大な『力の結晶』である。

 その結晶を『何か』に封じた時、『結晶を封じた証』として浮き出るものが紋章であり、その形は対応する紋章の本質を表していると言われていた。

 紋章は『ほとんど無害』なものから『甚大な災厄を招く』ものまで様々であり、力の強さも個々によって異なる。

 そのため、移動させるという行為自体も、紋章を『宿せられる』器同士ならば近くにいるだけで簡単に移行できるものから、命がけになるもの、器を変える際に周囲一体を壊滅させるものなど様々だった。

 クラヴィス族の伝承によれば、器を変える際の儀式によって村一つが消し飛んだこともあったという。

 そのせいもあったのだろう。『月光の間』は、王国の始祖、ナスティアの時代に強大な紋章に対応すべく作られた。

 光や闇の紋章など、甚大な力をもつ紋章は、月の魔力を極限まで高めることのできるこの場所でだけ、周囲に被害をもたらさずに器を変えることができる。

 それは他国には決して知られてはならない秘術であり、故にこの部屋にはどれほど高位な神官といえども、教皇の許可無く足を踏み入れることはできなかった。むろん、それは王であっても同じである。

 だがそういった人の世の常識は、目の前に転がっている人外生物には通用しないようだ。

「…………」

 アルカンシエルは床に伸びたソレをただひたすら感情を排した目でジットリと睨む。

 美しい男だった。

 美しい、という言葉では表現しきれないほどの美貌だった。

 この男と相対して、正気を保っていられる者はほとんどいないだろう。かろうじて失神を免れても、その顔を三秒以上見続けられる者は極稀だ。あまりの美しさに、見続けることすらできないのだ。

 現に一緒に部屋に入った大神官が、背後で声もなく崩れ落ちていた。チラとそちらに視線を送れば、大変イイ笑顔で気絶しているのが見えた。

「…………はぁ」

 思わず盛大なため息が落ちる。

 生半可なことでは感情を揺らさない側近ですらこの有様である。

 その途轍もない美しさ故に、嫌でもそこに転がっているのが人ならざる者なのだと思い知らされる。だがアルカンシエルからしてみれば、その顔の美しさがどうとかよりも、むしろ脳みその吹っ飛び具合で『人ならざる』と思わざるをえなかった。

 なにしろ、『今まで』があまりにも今までであったものだからして。

(……最初に会った時から、『コレ』はろくなものでは無かったな)

 なにやら走馬燈のように色んな過去が浮かんでは消える。それがやたらと多く感じるのは、付き合いが深いからではなく、たんに人一人の人生分ぐらい昔に出会ってしまったせいだ。

 そう──もはや当時の知人など誰一人として生きてはいないほど昔に、何の運命の悪戯か、自分はこの男と出会ってしまったのである。

 他の追随を許さぬほど凶悪で、人智を絶するほどに絶望的なこのロクデナシと。

(嗚呼……本当にろくでもない……)

 心の底からそう思う。

 今では昔と違う意味でろくでもないモノになった気もするが。

(……とはいえ、こやつ、なにやら最初の頃よりも格段に阿呆になっている気がするのは気のせいであろうか?)

 アルカンシエルは胡乱な目を眇めて、そこに横たわったままの物体を眺めた。

 とりあえず、床の上でキラキラしながらデロンと伸びているのはやめてほしかった。

(……だいたいにして、なぜこんなモノがこの部屋に転がっているのだ?)

 アルカンシエルにはそこがまず疑問だった。

 『コレ』の出没場所と言えば、現国王の周辺か、名付け子周辺に限定される。

 自身の興味が向いた時には分裂までしてあちこち赴くが、基本的には穴蔵に籠もる穴熊のように、ごくわずかな範囲でじっとしているイキモノなのだ。

 そんな巣に籠もる習性的な生き物が、どうしてこんな所で転がっているのか。

 第一、この部屋の前の室には、腹心であるバルバロッサ大神官を残していたはずだ。

 だが、前室はおろか、この部屋の中にもその姿は見あたらなかった。

 実直なあの男が、留守を預かっていながら席を外すなど考えられない。また、あの人間の限界に挑戦しているかのような巨体が、ちょっとやそっとの家具で隠れるはずもなかった。

 おそらく、そこに転がっているただの得体の知れない化け物が、自分の都合で何かやらかしたのだろう。

 部屋に居残ってもらったばかりに、と、アルカンシエルは再度深い嘆息をついた。

 それにしても、この、顔が大変残念な感じに良すぎる大馬鹿者は、いったいなんでまた床に直接転がっているのだろうか?

 いくら清潔に保たれた部屋とはいえ、床は床。

 どれだけ丁寧に掃除をしようと、トイレに行った後の靴が横行するような場所である。

 部屋の端には長椅子もあるというのに、わざわざ床に転がっている意味がわからない。それとも、これはナニカのメッセージなのだろうか?

(…………)

 偉大なる教皇は、重い服をひきずってゆっくりとソレの近くへと歩み寄った。

「…………」

 転がっている黒いソレを足下に見下ろし、無言でしばらく眺める。

「…………」


 踏んづけた。


「「…………。」」

 沈黙と悪魔だけが横たわる部屋に、しばらくしてからぎゅむぎゅむと布と靴が擦れる音が響く。

 悲鳴も怒声も罵声すらも飛んでこないのを確かめて、アルカンシエルは目をカッと見開いた。

(──くのっ! くのっ! くのっ!)

「ちょっと! シエル!! 普通そこでグリグリしますか!?」

 さすがにそれには黙っていられなくなったのか、途端に黒い人外のナニカがガバッと上半身を起こした。

 アルカンシエルは力一杯舌打ちする。

「……ちっ……! 反応がある……! 死体では無いのか……!!」

「ナニ教皇にあるまじきコト言ってるんです!?」

 足下から恨みがましげに睨まれて、アルカンシエルは苦虫を噛みつぶしたような顔で踏みつけていた足をどけた。

 完全に足が退いてから身を起こした相手は、そんなアルカンシエルを憤然と見上げる。

「まったく……なんですこの無体は! 自分も年寄りでありながら、年長者に対する敬意を持たないとは何事です!」

「その姿形で何が年長者か! 皺の一つでも作ってから言うがいい!」

「皺は別段関係ないでしょう! 自分がしわくちゃになったからといって、ヒトにまで強要するだなんて狭量にすぎます!」

「狭量とかいう問題ではない! 年を経れば肉体の老化にあわせて皺が出来るのは当たり前のことだ!」

「私は心も体もいつまでも若いものですから!」

「……単にイロイロ成長せんだけだろう、貴様は!」

 心底本気で言ったアルカンシエルだったが、相手は全くこたえていないようだった。謎の煌めく超笑顔で、気持ちいいほどビシッとしたサムズアップまでしている。

「……とりあえず、何しに来て転がっていたのかは知らんが……帰れ!」

「理由も聞かずに追いはらいます!? なんてひどい子でしょう! なんでこんな子が教皇になっているのか、私には不思議で仕方がありません。王国七不思議の一つです!」

「ぶっちぎり一位の七不思議男は貴様だ! この悪魔っ!」

「悪魔悪魔って何です! 私にだって一応ちゃんとした呼び名はつけられてるんです!」

「ああ最初がポで最後がトのじゃがいもか?」

「私の呼び名に、何か文句が?」

 ジト目で言ってやったら、なにやらものすごい不満そうな目で睨まれた。

 むしろその呼び名に何のこだわりがあるのかとそう問いたい。

「信じられません。まったくもって信じられません。教皇ともあろう者が他者の呼び名に難癖をつけるとは!」

「いや、つけておらんぞまだ」

「教皇なんてものになったのだから少しは分別がついたかと思ったら、昔より悪い子になっているだなんて! 私はそんな子に育てた覚えはありませんよ!?」

「貴様に育てられた覚えはないぞっ! このッ! 悪魔がっ!!」

「あーあーあーたったそれだけで息きらせちゃったりして体力なくなりましたねーシエル。コーフンスルトカラダニワルインデスヨ?」

「何故棒読みだ貴様」

 誠実さの欠片もない悪魔を見下ろして、アルカンシエルは憤然と息を吐いた。

「……だいたい、なんだ、貴様は。なにやら視界の外でコソコソしてるかと思ったら、あちこちに分身をバラまきおって。そのくせ、よりにもよって『本体』がここで転がっているとはどういうことだ?」

「……あれれ。『私』が本体だってよくわかりましたねぇ」

 床の上に座ったままの姿で、ポテトは感心したようにそう言った。

 アルカンシエルは心底嫌そうに顔をしかめる。

「いったいどれだけの長さの付き合いだと思っておる。……好きで知り合ったわけではないが、年数だけならベラよりも遙かに長いわ」

 言われて、ポテトは昔を思い出すような表情(かお)で虚空を見上げ、頷いた。

「……長いですよねぇ……ざっと千年近い付き合いですもんねぇ……」

「そんなにも生きておらんわ! なぜ十倍に跳ね上がっておる!?」

「百年来の付き合いってのも、たぶん人間的には驚愕だと思うんですけどね……」

 大真面目に反発してくれる相手を呆れ顔で見守って、絶世を超える美貌の主はふいにクスクスと笑いだした。

 少しだけ懐かしむように相手を見つめる。

 まるで、過ぎ去った百年の月日を思い返すように── 

「あぁ……考えてみれば、ラザストであなたと会ってから百年以上経っているんですよねぇ……なんだか感慨深いものがあります」

「……儂は感慨深い以前に後悔が深い……」

 妙に懐かしげにしている相手から視線を逸らせて、アルカンシエルはどっぷりと深いため息をついた。

「……なぜにこのような阿呆な悪魔と知り合わねばならぬのか……」

「ちょっ……シエル!? 言うに事欠いて阿呆ってなんです!」

 相手の魂の奥底からの嘆きに、さすがのポテトも悲鳴を上げた。

 しかし、そんな反論すらもジト目で見やって、アルカンシエルはさらに深いため息をついてみせる。

「阿呆に理由などあるものか。馬鹿者の名付け親は大馬鹿者と決まっておるが、その上に阿呆とド阿呆の称号も与えねばならんほどの大阿呆だろうが、貴様は」

「そこまで言います!?」

「言う。前々から頭のおかしなヤツだとは思っていたが、十三年ぶりに遭ってみればさらに阿呆度が上がっておる。貴様の特性を考えれば、ごく最近会った幼子の影響なのであろうが……少しぐらい揺るがぬ個性はないのか? じゃがいも卿」

「あなたも、十三年ぶりに会ってみればずいぶんとお茶目度が増しているよーな気がするんですけどねぇ、わんぱく暴君」

 一瞬の空白後、二人は互いにニッコリと、見る者がいれば肝を冷やしかねない笑みを浮かべて見つめ合った。

「……ほほぅ……死んだ魚のよーな目をして現れた挙げ句、国一つぶっつぶしたヤツがよくもまぁそんなことを言うようになったもんだなぁこンのクサレ悪魔ぁ……」

「ふふふふふ……先のことも考えずにイノシシのように他国に喧嘩売ってた人が言うようになったもんですねェ~このお馬鹿さ~ん……」

 互いに目の笑ってない笑顔でニコニコとガンつけ。

 いつのまにか床から浮き上がって至近距離で睨みつけてきている美貌の主に、アルカンシエルは壮絶な笑顔で歯をむき出しにした。

「だいだいだな! 貴様はなんでまたこの国に舞い戻って来たのだ十三年も行方不明になった挙げ句に!」

「ご主人様とレンさんが気になったからに決まってるでしょうが! でなければなんでまた面倒くさいこの国になんか戻って来ますか!」

「気になっておるのなら最初から居ればよかったであろうがこンの自己中心的ドグサレ魔王! ベラが死んだのがそれほどショックか!? あれの寿命がいつか尽きることぐらいは最初から承知しておっただろうがコノ軟弱者!」

「うっ、うるさいですよ!? 私にだって人並みにショックを受けることだってあるんですよ我ながらちょっとビックリしましたけど!! だいたい、あなたはショックじゃなかったんですか!? 『王家』の中で、ベラだけがあなたと同じ血を引く王族だったのに!」

「アレの死は儂とて辛かったわ! だが、同じ血統かどうかなどどうでもよい!」

 真っ直ぐに睨みつけてくる深海の瞳を睨み返して、アルカンシエルは口を笑みの形に歪めたまま、腹に力を込めて言いきった。

「『王家』の血筋は絶えておらん。世に混乱が生じるような事態にもなっておらん。血云々で重要なことなど、所詮はその程度だ。儂がベラの死を悼んだのは、血が誰よりも濃く繋がっているからではない。貴様とてそうだろうが、半端者。血よりも濃いものがこの世にはあるからであろうが」

 ポテトは答えず、ただその唇に薄い笑みを浮かべた。

 その様子にアルカンシエルは深いため息をつく。

 未だに至近距離にいる相手を嫌そうに見やってから、豪奢な服につつまれた肩をげっそりと下げた。

「……いい加減、貴様の挑発じみた問答にも飽きておるのだがな、儂は……」

「ふふふふふ。それでもムキになって乗ってくるあなたが実は大好きですよ、シエル」

「迷惑だ」

 キッパリと言い捨てて、アルカンシエルは部屋の片隅にある椅子へと向かった。

 ゆっくりと歩く相手のにあわせて、ポテトもふよふよと浮いた状態でついてくる。

「……ところで悪魔」

「なんです教皇」

 こちらの呼び方に反発してるのかしてないのかよく分からない返しをする相手に、アルカンシエルはやや呆れた顔になって振り返る。

「……貴様が、もはや絶えたと言っても過言ではない『前王家』の血を今更気にするのは、そこになにか気にあることがあるからか?」

「…………」

「血族内で婚姻を繰り返していた前王家の血は、儂を最後に絶えるであろう。アリステラにも同じ血が流れておるが、他家と交わって血を薄めておったレーブレヒトの血統との間に生まれた子だ。儂やステファンのような欠陥も、9代目の世代にあったような異常も持たぬであろうよ」

 静かな教皇の声に、ポテトは中空に浮いたまま椅子に腰掛けるような姿勢になって腕組みをした。

 その口元には、どこか困ったような微苦笑が浮かんでいる。

「それとも、これは儂の杞憂か? 貴様は必要のない問答はせぬ男だ。ならばわざわざ儂の考えを聞き出したのは、そこに何らかの意味があるからだろう。違うか?」

 ポテトはそれに答えず、かわりに困ったような笑みを浮かべてこう言った。

「……ねぇ、シエル。私はたぶん、あなたは私が知りうる人の中で、一番最初の『私』を知っている唯一人だと思うのですよ」

「…………?」

 意味がわからず、アルカンシエルは眉をひそめる。

 ややあって、苦虫を噛みつぶしたような顔になった。

「……契約者を見つける前の、昔の貴様のことか」

「ええ。人と深く関わることの意味を知る前の、今よりも遙かに『現象』としての存在であった頃の私です」

「…………」

 アルカンシエルは口を引き結ぶ。

 当時の相手を今目の前にいる当人に重ねようとして──失敗した。

 それほどに、相手の印象は違っていたのである。

「そう……あなたと出会った、百年以上前……占都ラザストに降り立った時の私は……どんな存在でしたか?」

 アルカンシエルは表情を消す。

 かつて、滅びの予言の後に終焉を迎えた国があった。

 一夜にして滅んだ王都は、今なお人々の恐怖の対象となっている。

 その滅びが人智を超えたものであったから尚更に、人はその都の事を口にすることすら恐ろしくてできないのだ。炎に呑まれたとか、砂に埋もれたとか、病で死滅したとか、そんな人が理解できる範囲の『滅び』ではなく──まるで虚無に呑まれたがごとく、その全てが完全に消滅してしまっているのだから。

「……死んだ魚のような目をした男だったな、貴様は」

「……そうですね」

「突然現れて、意味不明なことばかり言うおかしなヤツだった。貴様の言葉の意味を思い知ったのは、命からがら逃げてきた者とともに、ラザストを離れたあの時だ」

「…………」

 困ったような顔のまま軽く首を傾げる相手に、アルカンシエルは息を吐く。

 ふいに思い出したのは、当時見た、この世のものとも思えぬほど神々しく、同時に恐ろしくてたまらなかった相手の姿だ。

「……あぁ、そうだな」

 それは確かに、今目の前にいるこの男だった。

「貴様は、未来を読み、行く末を示唆するだけで、こちらが知りたいと願うものは何一つ答えないイヤなヤツであった。他者の理解などに興味はなく、ただ己の知りうる現実を淡々と口にし、定められた運命を無造作に歩む者であった」

 そして同時に、今目の前にいる男とは──あまりにも違う『存在』だった。

「……そこのところはまるで変わらないわけか? 嘆かわしいことだぞ、それは」

「……私は本当のことしか口にできませんから」

 嫌そうに顔を歪めて吐き捨てる相手に、ポテトはただ穏やかに笑う。

 ほんのわずか、寂しそうな瞳で。

「口にしてしまえば、その全てが叶ってしまうかもしれない。……逆に、願いを口にしようとして、どうしても口にできなければ……それは叶わないものなのだと思い知ることになるんです」

 アルカンシエルは目を見開いた。

 思わず見つめた相手は、困ったような顔で微笑んでいる。

「かつての私は、それをなんとも思っていませんでした。できないものはできないのだから仕方がない。そう思っていたのですよ……あの当時の私はね」

 自嘲めいたものを口の端に浮かべるポテトに、アルカンシエルは唖然とし、言葉を失って相手を見つめ続けた。

 百を超える年月の彼方で出会った相手だった。

 出会い方は最悪で、自分ほどこの男を警戒し、嫌悪した人間はいないだろうと思っていた。

 それなのに、何故、今──自分はこの男の真実を知る立場に立っているのだろうか。

「すでに確定してしまった未来や、変えることの出来ない予定事項を口にしていただけなのです。それを知らないあなたが意味を理解できるかどうかなど、私にはどうでもよかった。……けれど、今は……確定してしまうことが恐ろしくて、口にできないことが増えました」

「……恐ろしい、と……言うのか。貴様が」

「ええ」

「……人を『知った』からか」

「ええ」

 微笑(わら)って、ポテトは何かを懐かしむように目を細めた。

「ご主人様に出会って、あの方と契約して……遙か昔、先代達に言われた言葉を理解しました。人を知れば知るほどに、私達は自らを戒めてゆく。それは『現象』としては致命的なことでしょう。……けれど、この身に流れるいくばくかの人の子の血や、人を愛した魔女の血からすれば、ごく当たり前のことなのだと思います」

 そんな言葉を少しだけ嬉しそうに、どこか面はゆそうに呟いて、ポテトは「だって」と言葉を続けた。

「魔女も、人も、『人』を愛さずにはいられない生き物なのです。真なる魔女が呪われるに至ったのも、原初の魔女のひとりが人を愛し、道を踏み外してしまったのが原因でした。愛さずにはいられず、けれど愛すれば容易に世界を破滅させてしまう。だから、力を制限するためにも、同じ過ちを繰り返さないためにも、そして……自らが辿った運命を呪って、原初の魔女は後の世に残る全ての真なる魔女の血統に呪いをかけました」

「……『魔女は魔女と共にあり、魔女のためだけに在る』……か」

「ええ。魔女の魔法は魔女のためだけにしか使えず、魔女以外の者のために使えば、その力は刃となって魔女の身を砕く。……そういう呪いです」

 だからこそ、魔女は他者の願いを叶えられない。

 それは、どの魔女の血を引く者であっても変わらない。その血が『真なる魔女』と呼ばれる正真正銘の魔女の血筋であれば、男であれ女であれ、人であれ人以外のものであれ、全てが等しく呪縛されるのだ。

 代償とは、その制限を緩和させるための応急処置だ。

 自分は自分が欲しいと思ったものを得たいがために魔法を使うのだと、この魔法は自分のためなのだと世界を誤魔化すためのものだ。

「相手が『真なる魔女の血統』でさえあれば、どんな魔法だって使えます。あなたがたが使う魔術ではなく、世界すらも上書きする魔法を使えるようになるのです」

 もちろん、魔法もまた全能ではなく、万能でもない。

 その最たるものは、死者を蘇生することは魔女にもできない、という事実だろう。

 だが、世界の理の中でちまちまと術式を行使する魔術と比べれば、『魔法』と呼ばれるものはいずれも強大な力をもつ。

 もっとも、それは先に述べたように、『魔女が魔女のために魔法を行使する時』に限定されてしまうが。

「……けれど今の世では、それはとても難しい。本当の意味で『魔女』と呼べる血を持つ者は、もう、ほとんど存在しないのですから」

 かつて大陸を統一した『宵闇の魔女』。

 次に大陸を制した『深紅の騎士』。

 そして三番目に大陸を纏めあげた『蒼月の魔女』。

 彼女達はいずれも真なる魔女の血統だった。

 けれど同じく『魔女』と呼ばれながらも、真なる魔女の血統ではない者も多くいる。

 ──そう、黄金の魔女と預言された、あの愛しい魔女のように。

「それでも、今の世にも残る血統というのはあります。……そして、血というのは一つではありません。……シエル。あなたと血統を同じくする王族は、血の薄まったご主人様以外、誰もいなくなってしまったけれど……別の系統でナスティアの血を受け継いだ人達はいますよね?」

「……王弟達か」

「そうです」

 空気を椅子にして座っている相手は、軽く首を傾げるようにして微笑む。

「あなたはそのことに対して、悪い意味でこだわることはない。……ベラもそうでした。血にこだわるということは、過去にこだわるということです。愛した人への思い故に、その血を引く者を愛おしく思うのとは違う意味で、ただ『血』のみに意味を見いだそうとしたとき、ヒトは簡単に道を踏み外します。その血を引く者が持つ『特別な力』を得ようと思えば尚更に」

「…………」

「……そしてそれは、人の世の権力に対して人が行う愚行、ではないのでしょう」

「…………?」

 アルカンシエルは眉をひそめた。

 ポテトは微笑む。やはりどこか困ったような、悲しげな顔で。

 そして言った。

「私の……同族のように」

 ──と。



「……同族……だと?」

 アルカンシエルは呆気にとられた顔で言われた言葉を繰り返した。

 正直、意味がイマイチ分からなかった。

 目の前にいるこの男には、『同族』という言葉がどうしても上手く繋がらない。

 いっそ「分裂して増えるんです」と言われたほうがまだピンとくる。

「……言っておきますけど、そのままの言葉の意味ですよ。私も木の股から生まれたわけではありませんから」

 どこかふてくされたような顔で言う相手は、もしかしたら拗ねているのかもしれなかった。

「『母』は有名な魔女でしたが、その『母の父』は人の子でした。私の『父』は、私の『先代』ですが、その『父の母』もまた人の子でした。……私の中には魔女と人の血が流れています。そして、私はあの両親の、最後の子供だったのですよ」

「最後の……」

 アルカンシエルが呟き、ポテトが自嘲めいた笑みを浮かべて頷く。

「ええ。私が生まれるよりも前に家を出てしまった人達ばかりですが、兄も姉もいました。会ったことのない人がほとんどですけどね」

「それは、つまり……」

 言われた言葉をじっくりと噛みしめて、アルカンシエルは表情を引き締めた。

「……貴様のようなロクデナシが、他にも多数存在するということか? 分裂した貴様自身でなく、別個体で」

「……気分悪くしていいですか?」

 ジト目になった相手に、アルカンシエルは思わず視線を逸らし、ゴホンと嘘くさい咳払いをした。

「ま、まぁ、なんだ。儂が気にしたのは、貴様と全く同じような『存在』が、他にもいるのかということだ。貴様の兄弟ということは、そういうことだろう?」

「そう思われるんじゃないかなーとは思ってましたけどね」

 どこか情けなく眉を下げて、ポテトは深いため息をつく。

「この『私』と同じ『存在』はありませんよ。一番わかりやすく例えれば……そうですね、あなたの一族の『龍眼』とほぼ同じです。新しい王弟くんは、ベラが死ぬまでは普通の人でした。そして、ベラの死後、同族である彼の目は『龍眼』になった」

「……それと同じということは……」

「ええ。つまり、私も最初は人間だったということです。少なくとも、母から産まれたその時は。……そして、『先代』である父の死後、私はその全てを引き継ぎました。かつて私の父が、『初代』からその全てを引き継いでしまったのと同じように」

「…………」

 アルカンシエルは、中空に座っている男を見つめる。

 かつて人であったと言われても、にわかには信じられない。やはり『産まれた時からこうでした』と言われたほうが納得できる。

 だが、長い年月で、知りたくもないが知ってしまったことがある。

 第一、彼自身が言っていたではないか。本当のことしか口にできないのだと。

 アルカンシエルはほんのわずか、眼差しを細める。そうして、どっぷりと深いため息をついた。

「……なんでそれを打ち明ける相手が儂なんだ」

「……なんでそんなに嫌そうなんですかあなた」

「いーやーだーかーらーだー」

 心の奥底から声を出して、アルカンシエルは盛大に肩を落として嘆いた。

「この年になって、なんで悪魔の身の上相談をされねばならんのだ。ベラが生きている間にしておけ、そういうのは」

「ひ、ひどっ! ヒトが勇気を出して弱点とも言えるような素性を明かしてるって言うのに! ひどくないですかそれ!?」

「むしろ貴様のほうが非道だろう。儂の年齢を考えろ。重すぎるわ馬鹿たれ。だいたい、アリステラには言ったのか? むしろあの娘に言えばよいものをっ」

「ご主人様に言ったら絶対面白がってむしろ探しに行っちゃいますよ! あの方、ああ見えて意外と牧歌的というかおおらかというかスレてないと言うかちょっと他人を信じすぎてるというか……」

 なにを心配しているのか思い詰めた顔で怖々言う相手に、アルカンシエルは胡散臭そうな顔になった。

「……貴様の身内は、近寄ってはならんくらいアレな存在なのか? そんな風に心配するところをみると」

「私の身内、と言えるかどうかは分かりませんよ。おそらく、かなり血が薄くなってるはずですから。……それ以前に、ちょっと考えてみてください。魔女の血統というのがそもそもどういうものなのかを。……言っておきますが、血を誇る気はありませんけど、これでも真なる魔女の血筋なんですから」

 言われて、アルカンシエルはキッパリと言いきった。

「自分の願いしか叶えられん、他人にとってはクソの役にもたたん自己完結型天災だろうが」

「……あなた、他の魔女にそれを言ったら命はありませんよ」

 呆れ半分感心半分の顔で告げて、ポテトは「はぁ」とため息をつく。

「まぁ、あなたがそういう人だというのは私も理解していますし、そういうあなただから言ってもいいかな、と思ったんですが」

「言われた儂は迷惑なのだがな」

「それぐらい軽く受け流してくれる相手でないと、こういうのは言えないんですよ」

 アルカンシエルにとっては非常に迷惑なことを言って、ポテトは小さく微笑んだ。

「それに、あなたは『教皇』です。血肉や国ではなく、思想で繋がった世界の『王』であるあなたの力は、軽視できません」

「……なんだ。まさか、力を貸せと言うのか」

 他者の力など全く必要でない、この世で最も強大だろうと思われる相手の台詞に、アルカンシエルは皮肉な笑みを浮かべてそう言った。

 ポテトは真顔で頷いてみせる。

「ええ。そのまさかです」

 アルカンシエルは絶句した。

「ご主人様が言っていました。人の世は、人の理の中で治めなくてはならないのだと。……私もそう思います。そして、魔女の力も、私の『現象』としての力も、人の理から外れたものです」

「…………」

「そんなもので世の中をかき混ぜたり、破壊しようとするのは……あの方の思いを踏みにじることになるのでしょう。だから、私も出来うる限りはその方針に従おうと思うんです。人の世を変えるのも、動かすのも、確かに人の子そのものなのでしょうから」

 しみじみと言う相手を見守って、アルカンシエルは「なるほど」と呟いた。

「それで、儂の力、か」

「ええ。……そして、あなた方の力ではどうにもならない、人の理から外れた力が行使される時、私も同様に私の私たる力を行使します。『郷に入りては郷に従え』と『目には目を』ですね」

「……一つ言っておくがな、悪魔よ。『目には目を』の言葉は、本来、『汝がふるう暴力と同じものを汝にも与えるから、相手を害するようなことはするな』という戒めなのだぞ」

「知っていますとも」

 ニコニコと笑う相手を懐疑的な目で見つめて、アルカンシエルはもう何度目かわからないため息をまた一つ落とした。

「……つまり、貴様の話をまとめれば……貴様の同族が、この国でなにやらコソコソしているということなのだな?」

「少し違います。コソコソしていた、のです」

 過去形で言われて、アルカンシエルは訝しげに眉をひそめた。

「……していた、ということは……今はいないということか?」

「おそらくは。……というのも、どういうわけか上手く感知できなくなったんですよ。気づいた時には逃げられてしまった、といった感じですかね。もっと早く気づいて対処していれば……」

 ふと、言いかけた言葉を不自然に句切って、ポテトは何かを振りはらうように首を横に振った。

 その様子にアルカンシエルは眉をひそめる。

「……? 気づいて対処していれば、どうした?」

 いえ、とそれに答えて、凄絶な美貌の主は少しだけ暗い笑みを浮かべた。

「……もう終わってしまったことですし、どうしようもないことですから、気にしないでください。……落とし前はいつか必ず、相手につけさせますから」

 そう言って、ポテトは音もなく床に降り立つ。

 浮くのをやめたその足下に、一拍置いてからじわりと影ができた。

「いずれにしても、これから先のことについて、あなたとはじっくり話さなくてはいけません。『頑強なる裁判官』殿には先にちょっと説明させてもらったんですけど、教皇であるあなたの力が借りれれば安泰ですから」

「……ルドゥインの姿が見えなかったのは、やはり貴様の仕業か」

 光の降り注ぐ中央部へと歩きだす悪魔の背に言葉放つと、クスリと小さく笑われた。

「本当はね、最初にあなたに話をもっていこうと思っていたんです。きっと、新しい王弟くんはあなたに会いに来るでしょうから。でも、あなたは忙しいから、それを補佐する人が必要だなと思っていました。そうしたら、ちょうど裁判官殿がいたわけです」

「……なにを企んでおるのかは知らんが、あまり人の世をかき混ぜるなよ」

「かき混ぜようとしているのは、私ではなかったんですけどね」

 どこか苦笑めいた声でそう嘯いて、美しい悪魔は光射す場所で振り返った。

「けれど、私は見つけてしまいました。気づいてしまいました。手に入れてしまいました。……昔からずっと探していた、大切なひとのための未来への鍵を」

 その言葉の本当の意味は、アルカンシエルには分からなかった。

 もしここに小さな王女が居たなら、人ならざる者の言葉の意味に気づけただろう。

 だが、アルカンシエルはポテトの望みを知らない。だからこそ、気づけなかった。

「私は、先にも言ったとおり、人の理から外れた力でもってこの国をかき混ぜたりはしません。誰かがそれを成そうとすれば、それを排除するために力も尽くしましょう。いずこかへと逃れた、私の同族がまたこの国に手を伸ばしてきたら、その国を滅ぼしもしましょう」

 だから、とポテトは言葉を続けた。

 差し込む光の中で、深まった影が亀裂のように笑う。


「だから、あなたの力をあなたの愛する家族のために貨してください。来るべき時、来るべき未来で、あの方とあの子の両方を生かすために」




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