エピローグ
ふいに強く体を引っ張られ、ストンとどこかに落っこちるのを感じた。
(ふぐぉ!?)
途端に凄まじい頭痛が走り、思わず重い手を上げて頭を抱えた。──のは気持ちだけ。
実際には腕は動かず、体もほとんど動かなかった。
ナゼ!?
「ベル。……起きたのですか?」
すぐ傍らで、心配そうな声がそっと囁く。
重すぎて開かない瞼の向こうに、こちらを見守るレメクの気配。
きっと両手を差し伸べれば、すかさず抱きしめてくれることだろう。
けれど体は思うように動かず、手を伸ばすこともできなかった。
「ベル……?」
名を呼んでくれるレメクの声に、あたしはただ体を戦慄かせた。
頭が割れるように痛い。
体がカッカカッカしていて、喉がカラカラに乾いている。
一瞬、初めてレメクに助けられた、あの悪夢の数日間を思い出した。まるであの時に戻ったように、体が重くて頭が痛い。
違う点があるとすれば、咳が出ないのと……ぇー……喉がガラガラしないのと……ぅー……
あぁ駄目だ……頭が痛すぎて、上手く思い出すこともできやしない。
「……ベル」
レメクの声が心配そうな色を深める。
けれどそれに返事をする間もなく──あたしの意識は、ストンとさらに下へ落ちたのだった。
声に呼ばれたような気がして目を覚まし、
無人の城を徘徊しては体を引っ張られ、
ストンと落ちては頭痛に苦しんで、
更にストンと闇に落ちてから、
やがてどこかでポカッと目を覚ます。
何度かそれを繰り返し、気づくとひどく殺風景な場所に出ていた。
寒そうな石畳に、石の壁。すぐ近くに階段があり、廊下と部屋を隔てるのは鉄格子。
……西の塔。
ぼんやりとそれを確認して、あたしは顔を上げた。
なんとなく予感していたが、やはりそこにはアルトリートがいた。
ベッドに腰掛け、どこか思い詰めた顔で握りしめた拳を睨んでいる彼──
ふとその顔が何かに気づいたように上向き、真正面からあたしを見つめた。
あの時と同じく、鉄格子越しに。
「……なんだ、今度はおまえか」
力のない苦笑を浮かべて、アルトリートはそう言った。
なんだかそれは、しょうがないな、と言わんばかりの顔だった。
「……次から次に……」
苦笑を深めて、アルトリートはそんなことを呟く。
あたし以外にも、誰かが来ていたのだろうか?
見渡してもかつて見た光景と何一つ変わっておらず、誰かが来ていた気配はしない。
だが、誰かが来ていたのかもしれない。
けれど──なんのために?
「……決めろと……そう言いたいのか?」
意味が分からずぼんやりしていたあたしに、アルトリートは自問するように問いかけてくる。
あたしは目をパチクリさせた。
彼の言っている意味はやはり分からず、けれど何かを言わないといけない気がして口を開く。
(───)
声は出なかった。
あたしは自分の喉を押さえる。
(───)
かつてレメクを喪いかけた時と同じように……あたしの『声』は、音にならなかった。
アルトリートは声を出そうと必死になってるあたしを見つめ、ややあってほんのりと苦笑を零した。
「……何も言わなくても、いいさ」
その声にあたしは口を閉ざし、鉄格子を掴んだ。
──うぉ!? なんか一カ所、めきょっと歪んでますよ!?
「『ボク』は今日死ぬ。……それは、もう受け入れた」
すぐ目の前にある歪んだ鉄格子にギョッとなっていると、アルトリートが苦笑を深めながらそんなことを言う。
慌ててバシバシ鉄格子を叩くあたしに、彼はもっと苦笑を深めて言った。
「……わかっているさ。ボクも決めたよ……」
何を決めたのか。
意味がわからず、けれど一生懸命鉄格子をバシバシ叩くあたしに、彼はゆっくりと近寄って来て目の前でかがんだ。
小さなあたしの視線にあわせて、真正面に座る。
「なぁ、王女。クリスに伝えてくれないか。……あのコインの片割れは、『ボク』の墓に……たぶん、あの人がああ言うからには、どこかに作られるんだろうと思うが……そこに入れてくれと。あれは『ボク』だけのものだからな」
(???)
意味がわからないまま、真剣な目の色に気圧されてあたしは頷いた。
アルトリートはちょっと微笑う。
「それから……女王達はたぶん、かなりムチャクチャやって公爵をぶちのめしたんだろうから……だからってわけじゃないが……まぁ、そういうのをちゃんと見ておいて、ボクのことで女王達を恨むな、と……。あいつは根が単純だから、感情に引きずられてどう転ぶかわからないからな」
(…………)
あたしはしっかりと相手を見つめ、コックリと頷いた。
こんな瞬間にでも、たった一人のことしか考えれない、本当には純粋だった彼を。
「……なぁ、泣くなよ。別に全部が終わりじゃない。『ボク』が終わっても、ボクは続いていく。……用意されたシナリオに動かされるのは業腹だが……代わりのものはもらったからな」
手が伸びてきて、あたしの頭をわしゃっと撫でた。
──撫でられたような気がしたのだ。
本当には、ただ素通りしただけだったのだろうけれど。
「ボクは、本当は、おまえ達のことは嫌いだったんだけどな。何の苦労もしてないのに王女になんてなったおまえ達が」
認められなかった自分と比べて、嫌いだったのだとそう告げながら、
「けど、おまえ達はおまえ達で、いろいろあるんだな。相手を知らずにいるっていうのがどれだけ怖いことなのか、よく分かったよ」
苦笑する彼の、その目にはなんだか暖かい色があった。
「……ボクのために泣いてくれたおまえを、ボクは忘れない。クリスのため、っていうのもあるんだろうけどな……少なくとも、おまえは、ボクの命を惜しんでくれた」
惜しむとも。
惜しむとも!
「だけど、もう十分だ」
あったかい手が離れて、アルトリートが遠ざかる。
立ち上がった彼は、あたしを見下ろして軽く笑った。
家族を見送るような、そんな優しい眼差しで。
「おまえはおまえの人生を歩め」
その笑顔をあたしは一生、忘れないだろう。
そして、それが『アルトリート』の姿を見た──最後になった。
※ ※ ※
青い空を一羽の鳥が横切っていった。
華々しい大祭が終わり、人々はまたいつもの日常へと戻っていく。
他国の賓客はすでにあらかた国へと帰り、王都の隅々にまで施された飾りや紋様珠は撤去された。
沢山の仕事があったから、貧困層の人々も今頃はいつもより美味しい物を食べているかもしれない。
春になる前に再建された新しい孤児院でも、きっとちょっとは贅沢なごはんが出たことだろう。昔と違い、今はちゃんとした人が世話をしてくれているのだから。
「…………」
あたしは眼下にある王都を見つめ、そうして遠くへと視線を馳せた。
無理を言って連れてきてもらった教会の一番てっぺん──
王都で最も高い位置にある塔の最上階には、あたし以外誰もいない。
連れてきてくれたレメクにも、無理を言って席を外して貰った。
我が儘を聞いてくれたレメクの、こちらを案じる目が少しだけ悲しげだったのを覚えている。
「…………」
あたしはジッと遠くを見つめていた。
あたしの背後にあるのは、下へと続く階段と、金色に輝く大鐘。
王都中にその音色を響かせる鐘を背に、あたしは口を開いた。
あの時、出なかった声のかわりに、今、あたしは歌を贈る。
もうこの世にはいない人へと。
──届くかどうかは、わからないが。
(聞こえているだろうか……?)
あたしがベッドから起きれたのは、大祭の最終日から三日も経った後だった。
ひどい高熱を出したらしいが、熱を出した時の記憶はほとんど無い。
けれど、違うものは覚えていた。
(……アルトリート)
沢山の夢を見た。
……覚えている。
その全てを。
──分かっている。
きっと、あれらは、本当には夢ではないことも。
(……何も……できなかった……)
裁判も、刑も、もうすでに終わっていた。
何もできないままに、全ては終わったのだ。
そう……全ては、昨日のうちに。
四月九日。
王族殺害未遂の罪で、アルトリート・ジュダ・フォルスト・レンフォード、処刑。
享年、二十六歳だった。
このラストにも臆することなく、こんなすみっちょまで読んでくださるあなたを本気で愛してしまったようです。
虚飾の玉座、終幕です。
幕間にまだ物語が残っておりますが、ベル視点で見ることのできる物語はここまでとなっております。
「主人公だから何でも出来る」という物語には出来ませんでしたことをお詫び申し上げるとともに、後にアップされる「お約束」に「あぁ、やっぱりな」と半笑いしていただければと思います。
さてさて。
物語を最後までお読みくださった方々に、ぜひこちらの曲達を聴いていただければと思い、アップさせていただきました。ニコ動で削除されてなければどちらも視聴できるかと思います。
とても美しい歌です。
http://ameblo.jp/sekinemakiko/entry-10755290965.html
ただ、原曲と原作を愛していらっしゃる方、こんな小説のラストで紹介してしまい、申し訳ありません;
とても心に残る歌なので、沢山の方に聞いていただければと思い紹介させていただきます。