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対オジサマ攻略法!<闇の王と黄金の魔女>  作者: 関根麻希子
陰謀の章<虚飾の玉座編>
87/107

28 抗う者 



 そこに存在しているのに、決して人からは認められない『存在』。

 それを指して、あたし達は『幽霊』と呼ぶ。

 人というのは、命を終えた後は魂だけの存在になり、その姿を生きている人は見ることができないのだという。

 その状態を『幽霊』と呼ぶため、同じように「そこにいるのに認められない人」をそう呼ぶのだ。

 この状態になるのは、大抵かつてのあたしのような孤児や、他国からこっそりやってきた後、この国に居着いちゃった人々だった。

 アルルじーちゃんが言ったように、人は子供が生まれると、すぐに出生届を教会に出す。

 この出生届けには、生まれた子が『誰の血をひいているか』が書かれている。

 教会の神官は、提出された書類の『血筋』をもつ人の()に、その子供の籍を新たに記載するのだという。

 両親を亡くして孤児になった場合でも、血筋の誰かが生きていればそこの()に入れてもらえる。

 だが、その()の主 (家長とかそーゆー人だ)が拒否すれば、どこかの施設に登録されることになる。

 子供の場合は孤児院。大人の場合は救貧院だ。

 だからこそ、孤児院の院長は院内の孤児に絶大な力をもつのである。

 けど、それも登録の申請・受理があってこそのこと。

 他国から来た入国者の場合、普通は戸籍を得ることはない。

 このへんは船乗りのにーちゃんの受け売りだが、身元を証明するものがない場合、どれだけ希望しても受け入れてはくれないのだそーだ。

 とはいえ、誰かエライ人が後見についてたりすると、サクッと許可が出たりするらしい。上流貴族の伝手でナスティア国民になった人もいれば、お金にモノをいわせて戸籍を買い取る人もいるのだそうだ。

 なんと言うか……結局、世の中お金なのである!

 まぁ、それはともかく。

 あたし自身、孤児院事件の最中には、一度死亡扱いされて『幽霊』になっていた。

 アウグスタがイロイロいじってなんとかしてくれたようだが(そーいや、未だにどーやったのか教えてもらってないな……)、あのまま放っておかれていたら、たぶん、今も『幽霊』のままだっただろう。

 この『幽霊』の状態だと、ちゃんとした仕事がもらえない。そのうえ、結婚とかも難しくなるので、戸籍のあるなしは大変な問題だった。

 なによりも、ちゃんと生きてるここにいるのに存在を認めてもらえていない、というのは、ものすごく寂しくて心細い。

 誰とも繋がっていないような気がして、ひどく不安になる。

 ……その『幽霊』だというのだ。あのアルトリートは。

「……名乗るぐらいは、許してやっていたのだろうな。家名を名乗るだけならば、公的な内容でない限り実害はさほど無いからな。……レンフォード家は昔から体裁にこだわる。……連れ子とはいえ、王族の血をひくあの子供に、家名を名乗らせぬほど狭量だとみなされたくなかったのであろうよ」

 沈黙しているあたしを膝にのせたまま、アルルじーちゃんはしみじみと語った。

「もっとも、正式には一族として認められておらぬのだから、どのみち狭量であろうよ。レンフォードの血統をひいておらねばならぬ、といったところであろうな」

「……そんな……」

 呆然と呟いたあたしに、アルルじーちゃんは椅子に深く身を沈ませた。

「貴族とは、そういうものだ」

「……でも、そーゆー貴族の中でも、すごい爵位をもってたクラウドール家は、おじ様を養子にもらってくれた……ですよ?」

 一時デスマスを失念していたことに気づいて、あたしは言葉遣いを改めてみた。

 アルルじーちゃんは、どこか微妙な表情で長い顎髭(あごひげ)を撫でる。

「…………アレはまた、別の事情があるからな」

 そうして、膝の上でちんまりしているあたしの頭に手を置き、ぎこちない手つきでナデナデしてくれた。

「そのあたりのことは、いずれ、レンドリア自身の口から語られるであろうよ。……どうやら、秘密にしたままでいられるほど、おまえとの絆も浅いものでは無いらしい」

 その言葉は大変ステキだったが、今のあたしの心には響かなかった。

 アルトリートが『幽霊』。

 今はただ、そのことで頭がイッパイだ。

「……おじーちゃま」

「……その呼び方は、よすがよい」

「じゃあ、アルルじーちゃん」

 アルルじーちゃんの顎が落っこちた。

「アルルじーちゃんは、アルトリートがそういう境遇だって、いつから知ってたの? ……です?」

 あたしの問いに、アルルじーちゃんは愕然とした顔のまま押し黙る。

 次に言葉が出てきたのは、軽く十秒は経った後だった。

「……詳しく……知ったのは、まぁ……最近のことだ」

 ゴホンゴホン。

「……だが、そうだな……」

 変な咳払いをしつつ、アルルじーちゃんは何かを思い出す顔で言った。

「マルグレーテが私生児を産んだ時から……そうなるだろうことは、見当がついておったな」

 ──生まれた時から……

 なら、どうして── 

「……どうしてその時に、アルトリートを助けてあげなかったのです?」

 あたしの問いに、アルルじーちゃんは何かを考える顔で目を閉じた。

 そうして、どこか疲れたような苦笑を浮かべて言う。

「……『助ける』……か」

 自嘲含みの苦笑は、すぐにため息に溶けた。

「……正直に言おう。儂は、あの当時、王女が産んだ私生児に対して、さして興味をもたなかった。……産んだと聞いて、ただ、『そうか』と思った程度だ」

 ただ、『そうか』と。

 ──現実を受け入れただけ。

「あの当時、あやつらのすることに、いちいち口を挟んだところで意味は無かった。さすがに風聞が悪いことは、ベラやヴェルナーがフォローしておったがな。……他を押さえるので手一杯だったこともある。……だが……今となっては、ただの言い訳だな」

 認めよう、と、アルルじーちゃんは呟いた。

「あの愚かな子が、哀れな道化師となった背景には、儂等の代の過ちもあることを。……だが、娘よ。生まれ育った環境に、同情を寄せるべき何かがあったとして……果たしてそれは、他者の命を奪おうとすることの、免罪になるだろうか?」

 あたしは沈黙する。

 小さなあたしでも分かる。

 それに対する答えは──否、なのだ。

「己の命に差し迫った脅威があり、抵抗してやむなく……というのならば、深く協議せねばならんだろう。……だが、あれの事情はそうではあるまい」

「…………」

「この国に、頼るべき身内のおらぬ者や、繋がりを断たれ道に迷う者は他にもおる。……だが、その全てが、己のために誰かを殺めようとしておるわけではない。──それは、何故か。……考えるまでもなかろう」

 俯いたあたしの頭を軽く撫でて、アルルじーちゃんは言葉を結んだ。

「皆、己を律して生きておるのだ。生きるということは、『自由』であるということではない。生きている者同士が集まって、この世界は構成されておる。ならば、生きている者同士が触れあう場所では、必ず己の生き様と他者のそれがぶつかりあう。ぶつかりあったままであるのなら、いずれ戦は必定であろう。だからこそ、それを回避するために人は己を律する。一族で定められる掟や、国で定められる法律などは、そのためのものがほとんどだ。それを歪めて己の意志を貫こうとしてはならぬ」

 ……アルトリートがしたのは、まさに、それ。

 だからこそ、罰しなくてはならない、と言うのだ。

 ──その命を。

「命は……罰したら、生きていられないのですよ?」

 あたしの声に、アルルじーちゃんはただ黙って頭を撫でてくれる。

 ぎこちない手が十往復ほどしたところで、深い声が降りてきた。

「……あの愚かな子供は、レンフォードの家に育てられた」

「…………?」

「マルグレーテも……一応は、母親だ。王家の血をひく者としての心得などを教えておったであろう」

 あたしは大きく瞬きした。

 王族の血にこだわっていたアルトリート。

 ……その血に、本当にこだわっていたのは誰だろうか?

「娘よ。……おまえに、傷ついてでも何かを見届ける気持ちがあるのならば、あの愚かな子の思いを聞いてやるがよい」

 思わず顔を上げたあたしに、アルルじーちゃんは深い眼差しで、一つ、頷く。

 そして、胸に下げていた飾りを外すと、大切なものを扱う手つきで、慎重にあたしの首にかけた。

 体格が違いすぎて足下あたりで揺れるそれを、あたしは両手で持ってみる。

 金色の鷲を象った飾りは、見た目以上にどっしりと重かった。

「これを貨してやろう。……ルドゥインがおまえを案内してくれる。あの者とともに塔に赴き、全てをその目と耳で確かめてくるとよい。……それが良いものであれ、悪いものであれ……確かに、レンドリアの傍らにあるであろうおまえは、全てを見て、聞いておくべきなのだろうからな」

「……アルルじーちゃん」

 レメクと似た色の瞳に、奥深い色をたたえてアルルじーちゃんはあたしを見る。

 どこか苦笑が勝ったような笑みをほろりと零すと、偉大なる教皇サマは最後にこう言った。

「……そして、儂のことは、せめて『おじーちゃま』にしておいてくれ」


 ※ ※ ※


 バルバロッサ卿がやって来たのは、おじーちゃまことアルルじーちゃんと別れてしばらく経った頃だった。

 場所はアルバストロ神殿、太陽の間。

 あの、疑問でイッパイな彫像のあるデカイ通路である。

「お待たせいたしました。殿下」

 ジーと彫像を見上げるあたしの後ろから、ヌッとデカイ影がさしかかった。

 野太い声で恭しく挨拶してきたバルバロッサ卿は、相変わらず人間としての限界にチャレンジしてるよーに大きい。いつもより格段に豪華な神官服に、特注だろうデカイ錫杖。頭の上には特徴的な形の帽子が乗っていて、いつもより神官っぽい出で立ちだった。

 ……いや、別に、いつもは服を着た熊サンだとか思ってませんよ? エエ本当に。

 目をキランとさせるあたしに、バルバロッサ卿はなんとも言えない微苦笑を浮かべて言った。

「猊下よりお言葉を賜っておりますが、先にお伝えしてもかまいませんでしょうか?」

 バルバロッサ卿がこんな丁寧な物言いをするのは、あたしの傍に位の高そうな神官がいるせいだろう。

 アルルじーちゃんと別れて以降、案内と世話を兼ねたその人が付き添ってくれているのだが、何故かその神官サンは、あたしと像を見比べてビクビクしていた。

 ……石像は囓っても美味しくないから、別に飛びかかったりはしないのだが……

 あたしはバルバロッサ卿に向かって両手を差し出しながら、うん、と先の問いに対する答えを返した。

 バルバロッサ卿は軽く笑って、あたしをぶっとい腕に抱え上げる。

「『泣くのはレメクの前でやってくれ』とのことでございます」

 ……何故、泣くのが前提なのか。

 その丸太のような腕に横座りして、あたしは唇を尖らせた。

「何言われたって泣かないもん」

「……だとよいのですがなぁ」

 苦笑を深める熊男を見下ろして、さらにムッと唇を尖らせる。

 そんなあたしの頭を大きな手でワシワシと撫でて、バルバロッサ卿は付き添いの神官さんに向かい合った。

「では、キリク殿。後のことはお願いいたします」

 キリクと呼ばれた神官は、どこかホッとしたように笑みを浮かべて頷いた。

「式典のことは任されよ。……殿下のこと、よろしくお願い申し上げる」

「承知」

 軽く頭を下げる相手を見下ろして、あたしは(おや?)と目をパチクリさせる。

 ──もしかして、この人、フェリ姫と一緒に来たとき、置いてきぼりくらった案内人さんだろーか……?

 なんとなく見覚えのあるその人を見送って、あたしはバルバロッサ卿に視線を戻した。

 相変わらずデカイ熊男は、ひょいと男らしい片眉を上げてみせる。

「式典、って?」

 あたしの問いに、あぁ、と呟いてバルバロッサ卿は苦笑(わら)った。そうして、くだけたいつもの口調で教えてくれる。

「祭りも今日で終わりだからな。昼から式典があるんだよ」

「『終わり』!?」

 あたしはギョッと目を見開いた。

 なんかついこの前始まったばかりな気がしていたのだが……もう終わり!?

「……いや……嬢ちゃんは、初日の後、三日も眠りっぱなしだったし、正直、祭りどころじゃなかったからな……」

 ……そーいやそーでした……

「おまけに、まだやっかい事に首つっこんでんだろ? つーか、本気で付き添う気か? 俺ぁあんまりオススメできねぇんだがな……」

 呆れ半分心配半分なその声に、あたしは大きく胸を張ってみせた。

「付き添うも何も、アルルじーちゃ……でなく、おじーちゃまに『行っておいで』って言われてるもん!」

「……ダレをどー呼んでるのかは、あえてツッこまずにおくけどな……」

 妙に遠い目になりつつ、バルバロッサ卿は盛大なため息。

「……まぁ、嬢ちゃんのことだからな……どう言ったところで、やると決めたらどんな手を使ってでもやろうとするんだろーしな……」

 よくお分かりで。

「どーせレメクもそれで諦めたんだろ? でなきゃおまえさんにだけは過保護なあいつが、こんなコト許可するわけねェからな」

 ……おや?

「おじ様はわりと最初から好きにさせてくれてるわよ?」

 過去を振り返りつつ言ったあたしに、バルバロッサ卿は「ナイナイ」と真顔で首を横に振った。

「いンや。駄目っつっておまえさんが引くよーなら、最初から駄目出ししてたはずだ。絶対引かないと分かってるから、あえて許可することにしたんだろ。押さえつけて無理やり気持ち殺させるって手もあるんだが、おまえさんにソレができるほど、あいつも鬼にゃなれねェみてぇだからな」

 他の奴相手なら違うがな、とぼやいて、バルバロッサ卿はあたしが座っている左腕を揺すった。

 おっと! 体が宙を浮くのですよ。

「俺も告解を聞く役目があるからな。塔には赴くんだけどよ……まぁ、猊下が嬢ちゃんに聞かせたいのもソレなんだろーが……」

 複雑な表情をしたバルバロッサ卿は、あたしを心配そうな目で見る。

「……嫌な思いをするぞ」

 その言葉は、ひどく深い色を帯びていた。

「……俺もな、後から知らされたことが色々あってよ、正直、今、えらく気が重いんだわ。ぶっちゃけ、他の誰かに変わってほしいぐれぇなんだがよ……」

 重苦しいため息をついて、彼は大きな背を丸める。

「だけどな、俺ぁこれが仕事だ。おまけに、少なからず関わっちまってる。どれだけきつかろうと、最後まで見届けるのが筋ってもんだろう。だがな……嬢ちゃん。嬢ちゃんはまだちっこい。あえて、立ち会うことはねェと思うんだ。……こんなキツイ話は、大人でも消化しにくいもんなんだからな」

 心底心配そうなバルバロッサ卿の声に、あたしはお腹に力を込めた。

 立派な大人である彼がそう言うほど、これから目にしようとすることはキツくてツライものなのかもしれない。

 けれど──目を背けないと自分に誓ったのだ。

 どれだけ現実が厳しくても、何もせず、見ることも聞くことも放棄して、ぬくぬくとした場所で微睡んだりしないと決めたのだ。

「……おじ様にも、色々きびしーこと言われたわ」

 現実という名の、厳しい壁を教わった。

 けれど──!

「それでも、自分の気持ちが『駄目だ』って思うのなら、傷ついてでも、もっともっと現実を見て、いっぱいいっぱい自分ができることとか、できないこととか、知らなきゃいけないんだもの」

 そして、その中で探し続けないといけないのだ。

 あたしがあたしであるために、進むべき道を。

「……それはな、嬢ちゃん。もうちょっとおっきくなってからでも、かまわねぇと思うんだがよ?」

 うー、と唸る熊男に、あたしはキッパリと言いきった。

「今、そこに問題があるのに、そこから目を逸らしてでも、時間を待たなきゃいけない理由って無いと思うの」

「…………」

「自分が傷つくのが怖くて、目を背けたり耳を塞いだりしてたら、きっと、これから先あうだろう大事なことにも、ちゃんと対応できなくなると思うの。あたしに何ができるのかは分からないし、出来ないことのほうが多いんだろうけど……それでも、後で無駄だったって言われてもいいから、全部を全部、ちゃんと知っておきたいの。知らないうちから、諦めたくないの」

 レメクは言ってくれたのだ。

 あたしは、何もしないうちから諦められるような子では無いから、と。

 全然大きくならない体で、届かない木の枝の実をとろうと必死になっていた孤児時代の時のように、無駄だからと諦めることなく、いつだってどんな風にでもチャレンジするのがあたしだ。

 そんな過去(むかし)のことなんか知らないだろうに、レメクは、あたしという人間をちゃんと分かってくれていた。

 傷ついてでもチャレンジする姿勢を認め、見守ってくれているのだ。

 それが『あたしらしいあたし』だと思ってくれているから。

「……そうか……」

 ふと、バルバロッサ卿が声を零した。

 どこか深い眼差しであたしを見つめる。

「……レメクは……おまえさんが成長するのを……」

 小さな声でそこまで呟き、バルバロッサ卿はしばし瞑目した。

 やがて、「やれやれ」と言いたげな顔で首を横に振る。

「……俺ぁ、それでも……まだ、ちぃーっと早いと思うんだがなぁ……」

 ……むむ。

「けどまぁ……おまえさんらが二人して、そういう考えなら……な」

 どこか暗い目でそうぼやいて、バルバロッサ卿は大きな嘆息をついた。

「賛成はできんが……確かに、あいつと一緒にいるって言うなら、キツイ現実は真正面から見ておく必要があるからな」

「……バルバロッサ卿」

 バルバロッサ卿はあたしの声にホロリと苦笑する。あたしの頭を丸ごと包んじゃえる大きな手が、ワッシ、とあたしの頭を撫でた。

「だがな……いや、だからこそ、国を治めるにゃあ、気持ちだけじゃどうにもならんことがあるのを……決して忘れるんじゃねェぞ?」

 その重い言葉に、けれどあたしは頷くことができなかった。

 押し黙ったあたしに、バルバロッサ卿は困り顔になって言う。

「おまえさんが来る前に……陛下もな……猊下に『処刑以外の道は無いか』と尋ねていらっしゃったらしい。つっても『光の紋章を使って』だから、姿を見せたわけじゃねェんだけどな」

「アウグスタが……?」

 ふとアルルじーちゃんとレメクの会話を思い出し、あたしはこのことかと納得する。

 光の紋章を使って、ということは、頭の中で声がする、アノ会話だろう。

「陛下もなぁ……国を治めるにゃあ、ちっと優しすぎるお方だからな。私心を殺して政にあたっておいでだが、時折、どうしようもなく抗いたくなるんだろうよ」

 そう言うバルバロッサ卿は、今回のことに対しては、最初から抗う気は無さそうだった。

 彼も他の大人達と同じく、アルトリートの処刑に賛成なのだ。

「……王様がやりたくないのに、処刑ってしなきゃいけないの……?」

 あたしの問いに、バルバロッサ卿は肩を竦めた。

「他に何の影響も無いのなら、陛下がどんなことをしてても俺達ぁ文句言わねェよ」

 あっさりとした言い方だった。

 けれど、その裏には深くて重いものがある。

「けどな、王の血筋に手を出すっていうのは、たぶん、おまえさんが考えているよりもずっと大変な事なんだ。実際に殺されかけ、惨事が起きてるっていうのに緩い処罰を下せば、周り中になめられる。なめられる、っつーのは、第二第三の『刺客』を生むってことだからな。ただでさえ王族が少ないのに、周りの連中にせっせと刺客を送られたら、万が一があるかもしれねェ」

 言われて、あたしはグッと詰まった。

(……刺客……)

 思い出すのは、レンフォード家で見た黒ずくめ達だ。実際に、刃を手に襲いかかってきた彼等。

 ──そうだ。

 下街育ちのあたしが受け取る『なめられる』と、王様クラスの『なめられる』には、明らかな違いがある。

 矜持(プライド)とかじゃない。

 権力とかじゃない。

 そういうのでなく、王様のソレは命がけなのだ。

 ──なめられれば、殺される。

 殺されないために、相手を殺す。

 それはあまりにも簡単な図式だ。

(……アウグスタは、毒をもられたりしてるって……アディ姫も言ってた……)

 もしアルトリートを処刑しなければ、そういう悪いことをする人がもっと増えるということだろう。

 そういう人がいっぱいになったら、いくら強いアウグスタだって、危険だってことなんだろう。

(だから……レメク達は……)

 ソレを防ぎたくて、アウグスタを護りたくて── 

 だから……!

(……でも……!!)

 あたしは唇を噛む。

 ツキンと、唇ではなく頭に痛みが走った。

(でも……! だからって)

 ──今、生きている人が死ぬのを黙って見ていられるだろうか?

(……だけど……)

 ──だからといって、アウグスタが危ない目にあうのも……あたしは嫌なのだ。

 あたしは痛みだした頭を抱え、必死に考えた。

 何度も同じ事を言われ、何度も同じ事を考え、けれどこうして、何度も何度もグルグルと迷い迷って答えを出せない。

(……どうすればいいんだろう……?)

 本当にどうしたらいいのだろうか?

 どちらも死んでほしくない。

 どちらも生きていてほしい。

 そう思うのは欲張りだろうか?

 でも生きていてほしいのだ。

 大事にしたいのだ。命というものを。

(……どうしたら……)


 ──レメク。


 思わず答えを求めて姿を探し、(駄目だ)と慌てて目を瞑る。

 レメクは答えを出している。

 国を、アウグスタの方を──レメクは選んでいた。

 国を支える人にとって、たぶん、それは自然なことなのだ。

 では、アルトリートは……

 そして── 

(……アルは……)

 あたしは昨夜のアルを思い出した。

 アルトリートの友であったアルは、きっとアルトリートを救おうとするだろう。

 けれど──それは、もしかしたら──ナスティアの国民として、国と国王に対する裏切りになるのかもしれない。

 国を護るために立つ人々と対立する意見を選ぶのなら、それはそういうことなのだ。

 今、アルトリートの処刑を反対している、このあたしも含めて。

「……バルバロッサ卿……」

「ん?」

 無言でのっしのっしと歩き出していたバルバロッサ卿は、あたしの呼び声に顔を向けた。

 その瞳をジッと見つめ、締めつけるような頭の痛みを堪えて、あたしは一生懸命言葉を紡ぐ。

「……難しいの」

 頭が痛かった。

「……生きてる人には、生きていてほしいの」

 本当に……痛かった。

「でも、アウグスタが危険な目にあるのも……嫌なの……」

 バルバロッサ卿は答えない。

 わずかに痛ましげな目になるその人に、あたしは何故ともなく沸き上がってきた涙を堪えて言う。

「どっちも選べないの。好きな人だけ選ぶなら、アウグスタの方なの。……けど、命って、そんな風にして決めていいものじゃないと思うの」

 だから、難しい。

 大切なものだからこそ難しい。

「……難しいの……」

「……そうだな……」

 答えが出せないのがくやしくて、情けなくて、俯くあたしに、バルバロッサ卿は労うような声を落とした。

「……俺のオヤジがな、昔、俺に向かって言ったことがある。『人生っていうのは、答えのでない問いを抱えて歩く、先の見えない夜道のようなものだ』と」

 脳裏にバルバロッサ卿によく似た白髪のおっちゃんが浮かんだ。

 どっしりとした巌のような偉丈夫だった。

 揺るぎなくそこに立つ大木のような、決して動かぬ大岩のような──

「俺達はいつだって、疑問がいっぱいなまま、それに対する答えをもたずに、ただ必死に生きていくしかない。時間とともに分かる答えもあるだろうが、きっと全部は無理だろう。……けどな、嬢ちゃん。答えの出ない問いを前に、悩み苦しんだとしても、そのことに……無駄なモンは一つも無ぇんだ」

 夜の王宮を駆けた時、語ってくれた言葉と同じ響きをもって、その声はあたしの中に入ってくる。

「無様でもいい。情けなくてもいい。……例え答えが出ないままになったとしても、その悩んだことがそのまま自分の中で確固たる何かを作りだしていくだろうよ。……例えば、思いとか、信念とか、そういうのをな……」

 あたしは頷いた。

 ギュッと閉じた瞼の奥に、レメクの深い眼差しが浮かぶ。

 ……バルバロッサ卿も、レメクと同じことを言ってくれている。

 あたしよりもずっとずっと大人だから、幼いあたしの我が儘に、その身勝手な意見に、真正面から向き合って、そうして、自分達が持つ何かしらの『答え』のようなものを……惜しげもなくあたしに与えてくれるのだ。

 動けずにいるあたしに手を差し伸べるように。

 ──夜の道を照らす灯りとなるように。

(……あたしは、恵まれてる……)

 あたしの大好きな人達は、あたしに対してこんなにも優しい。

 こんなにも暖かい。

 ……だから、せつない。

 ……少しだけ、申し訳ない。

 アルトリートには、もしかしたら、そういう人すらいなかったかもしれないのだ。

「……俺に答えられるようなことなら、いくらでも俺に聞きな。大人っていうのは、そのためにいるよーなモンだからな」

 大きな手に頭を撫でられて、あたしはズピと鼻を鳴らした。

 きっと、問えばいろんな答えをくれるだろう。

 あたし一人では出せない色々な答えを。

 けれど、アルトリートのことは、あたしが自分で答えを出すしかない。それはきっと、他の誰かに問うてはいけない問いなのだ。

 大人達はすでに答えを出していて、あたしはその答えとは違う『答え』を探そうとしているのだから。

 あたしは目元をグイと拭って、真っ直ぐに背を伸ばした。

 のっしりと進むバルバロッサ卿の視界は、高く、広い。

 いつか大きくなった時、これと同じような視界をあたしは手に入れているだろうか?

 アルルじーちゃんや、アウグスタや── 

 レメクのような視界を。


 ※ ※ ※


 王都、王宮、西の塔。

 名の通り王城の西の端にあるその塔は、死刑囚の塔という忌まわしい名前が似つかわしくないほど、真新しく綺麗な塔だった。

 凹凸のない外壁は白。

 屋根は地上から遙か遠く、ちっこいあたしの目には、今にも尖塔に白い雲が引っかかりそうに見える。

 塔の前にいるのは、番人らしい三人の兵士。二人が青いマントで、一人だけ藍色のマントを羽織っていた。

 このマントの色は階級等によって決められており、小隊(ケントゥリア)の隊長は青、中隊(マニプルス)の隊長は藍、大隊(コホルス)の隊長は濃紺となっていた。

 小隊は百人、中隊は千人、大隊は万人の兵士を束ねるため、青マントは百人隊長、藍色のマントは千人隊長ということになる。

 バルバロッサ卿が何やら説明しているのは、藍色マントの千人隊長だった。おそらく、その人が塔の責任者なのだろう。

 その間することのないあたしは、とりあえず初めて見る『西の塔』を観察していた。

 足下にわずかに苔が生え、這い登ろうとする蔦がわずかにからまっているものの、塔の壁はツルツルとした白さに輝いていた。これだけ綺麗に磨かれていれば、壁を登って塔に侵入するとかいうのは無理だろう。

 そもそも登ったとしても、入れそうな入り口がどこにも……

(……ん?)

 ジッと見上げ続け、あることに気づいてあたしは首を傾げた。

(窓が無い……?)

 角度のせいかもしれないが、あたしのいる場所から見上げると、塔の表面はどこまでも真っ白い壁に見えるのだ。

 兵士達が護っている入り口以外には、塔の中に入れそうな場所がまるで無い。

 そう、窓すらも見えないのである。

(……夕日は見えるんじゃなかったっけ……?)

 夕日が見えるのなら、西側に窓があるはずなのだが……

(んんん?)

 あたしは大きな塔を見上げたまま、ぐるりと一周を回ってみた。途中で気づいたバルバロッサ卿が「あ」とか言ってたけど、とりあえず無視して回ってくる。

(てゆか……けっこう……大きいわよ!?)

 一周するだけで軽く息がきれた。

 ヒハヒハいいながら元の位置に戻ったあたしに、呆れ顔の巨熊がワシッと手を伸ばしてくる。

「殿下。突然遊びに行かないでいただけませんかな」

 失敬な!!

「バルバロッサ卿! 窓が無いのです!」

「……あぁ……」

 摘み上げたあたしを腕に座らせながら、バルバロッサ卿は「なんだそのことか」と言いたげな顔になった。

 千人隊長がチラチラとあたしを見上げ、何やら手元の書類に書き込んでいる。

 それを無視して、バルバロッサ卿はあたしに言った。

「殿下は初めてなので驚かれたでしょうが、西の塔には、窓と言えるような窓は無いのですよ。……まぁ、百聞は一見にしかず、と言いますからな。実際に入ってご覧になるのが早いでしょう」

 周りに他人がいるせいで、彼の言葉遣いは丁寧だった。

 ……そのわりに、やってるコトはけっこういつも通りだったりするのだが。

 あたしを腕に、そのままノッシと塔の中に乗り込もうとするのを見て、隊長が慌てて立ちふさがった。

「お、お待ちください! バルバロッサ殿っ」

 あわや激突という寸前で立ち止まり、バルバロッサ卿は胸より低い位置にある相手の頭を覗き込む。

「なんだ? 許可証は見せたはずだが?」

 千人の部下をもつ隊長さんは、その迫力に半歩後退った。

「い、いえ、大神官殿の方はかまわないのですが、そちらの……」

 ほとんどのけぞるようにしてバルバロッサ卿を見上げ、次いであたしに視線を向けた隊長さんは、困り顔で言った。

「……そちらの、メリディス族の方の登録がまだなのですが」

 登録?

 首を傾げるあたしをチラと見てから、バルバロッサ卿はあたしの足あたりで揺れてる黄金鷲の飾りを摘む。

 そうして、どこか厳かにこう告げる。

「……このお方は、ベル・ステラ・アルヴァストゥアル殿下であらせられる。先だって女王陛下の第十二王女となられた方で、猊下から特別に『真実の翼』を託されておられる」

 その言葉を聞いた瞬間、三人の兵士がビシッと敬礼した。

「失礼いたしました!」

 それはほとんど反射的な動きだったのだろう。

 食い入るように目の前で揺れる黄金鷲を見ながら、彼等は錆びた絡繰り人形のような動きで飛び退く。

「通らせていただく」

「ははッ!!」

 そのまま平服しそうな勢いの三人をそのままに、「?」を飛ばしているあたしを腕に乗せたまま、バルバロッサ卿は塔の中に乗り込んだ。

 重い音をたてて閉じる扉を振り返りつつ、あたしはノシノシ歩く巨熊に問うてみる。

「バルバロッサ卿……登録って?」

 バルバロッサ卿は、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「……この塔に入るには、本当なら特別な許可が必要なんだよ。で、それを書類で提出して、塔の記録簿に登録しなきゃならねェ決まりがあるんだ」

 ……って……

 思いっきり無視してなかっただろーか? あたし。

「嬢ちゃんの場合は別格でな。……それより、見てみろや、前」

 説明の途中で話を変えられ、あたしは眉をひそめた。

 きちんと説明をしないとは、どーゆーことだろーか。だいたい、前を見ろと言われても、どーせ階段しか無いのに……

 ……いー……

 ぃい?

「……うぇぁ……」

 そちらを見た瞬間、あたしはポカンと口を開けてしまった。

 真正面に、巨大な彫刻が佇んでいた。

 白い塔の中の、白い彫刻。

 大きなバルバロッサ卿よりも更に大きなそれは、天秤と錫杖を持つ、真っ白な女神だった。

 不思議なことに、その女神は神殿で見た数多くの女神よりも、より人間っぽい顔をしている。

 それはおそらく、その目が憂いを秘めているからだろう。

 顔そのものは神殿の神像と同じく無表情なのに、その瞳だけがわずかな翳りをおびていた。

 まるで、そこに悲しむべきものがあるかのように── 

(……綺麗な……女神さま……)

 流れるような白く長い髪に、たおやかでありながら豊かな肢体。下から見下ろすあたし達をわずかに伏せた目で見下ろして、左手の天秤で何かを量っている。

 その右手が持つ錫杖は、握る者の手すら傷つけるように、鋭い棘をもつ蔦がからまっていた。

「──魂の審判者。全ての裁判を司る女神だ」

 ポカンと見上げるあたしに、バルバロッサ卿が説明してくれる。

 口を半開きにしたままそちらを見ると、厳かな表情で彫像を見上げたまま、バルバロッサ卿は言葉を紡いだ。

「別名を『真実の女神』と言ってな、黄金の鷲に化身すると伝えられている。おまえさんが猊下に借りてる胸飾りがソレだ。……名を『真実の翼』という」

 指で示されたそれを見下ろし、あたしは金色の鎖を手繰り寄せた。両手で持ち上げると、バルバロッサ卿は恭しい表情で眼差しを細める。

「数あるナスティアの秘宝の一つでな、『国宝』とされている品だ」

 国宝!?

「……コレ!?」

「そうだ。そして、『月の錫杖』『暁の盾』と共に、エラス教の至宝とも言われている。……陛下がお持ちの『太陽の錫杖』『光の宝冠』『宵闇の剣』が王位継承権の証であるのと同じように、『月の錫杖』『真実の翼』『暁の盾』は教皇の象徴だからな」

 あたしはアワアワと手の中の重いブツを左右に宙に浮かせた。

 ぶら下がる位置が位置なもんだから、あたし、何度か蹴っちゃいましたよ!?

「それを持つ者の前にあっては、必ず真実を述べねばならず、その言葉に偽りがある時は、その罪に応じた罰が下される。……そう言われている宝だ。また、そいつを下賜された者は、猊下の名代として扱われる」

 ──それは、つまり……

「今のおまえさんは、教皇アルカンシエル猊下のご威光を背負っているわけだ」

 ……ぅぉー……そんなのを蹴っちゃったー……

「さっきの兵の態度をみただろ? 本当なら、西の塔に入るには細けぇ登録が必要なんだが、今のおまえさんは猊下の代理だからな。そこらへんは免除される。今のおまえさんの言葉は、猊下の言葉だ。……我が儘し放題だぞ」

 ニヤリと意味深に笑われて、あたしはブルブルと体を震わせた。蹴っちゃった事実も怖いが、宝の持つ意味はさらに怖い。

 周辺諸国にまで影響力を持つ教皇の力。

 そんなものを与えられても、正直ヒジョーに困るのである。

 強い力を持つということは、それに対する責任も持つということだ。

 自分がした行いの結果は、自分で対処しなくてはいけない。借り物の力で何かをしたとして、果たして、結果を自分だけで受け止められるものだろうか?

(無理!!)

 考える前にそう直感した。

 自分がやったことの後始末すらロクにできないあたしが、もっと強い人の力を借りて何かをして、その後始末なんてできっこない。

 それはしてはいけないことなのだ。

(……でも……じゃあ……)

 ──ふと、あたしは顔を俯かせる。

(……じゃあ、アルトリートを助ける、っていうことは……?)

 それは、自分が願って、もし叶えられたとして……後々のことを自分で対処できるものだろうか?

 アウグスタや、国や、他の人達に影響の出ることなのに……?

(…………)

 あたしは唇を噛んだ。

 ……頭がまた痛くなった。

「……猊下も、嬢ちゃんなら預けても大丈夫だと思ったから、貨してくれたんだろうな」

 俯いてしまったあたしの頭をポンと撫でて、バルバロッサ卿はゆっくりと歩き出す。

 その振動にも痛みを感じて、あたしはギュッと目を瞑った。

 ──あたしには、何の力もない。

 アウグスタやアルのために、アルトリートを助けようと動いていても、それは結局、誰かの力を借りてのことだ。自分の力で出来ることじゃない。

 そして、その後の結果をきちんと受け止められる力すら──あたしには無いのだった。


 ※ ※ ※


 西の塔の中は、簡単に言えば西側に作られた部屋と、その中を抉りながら上の階に向かう螺旋階段で出来ていた。

 階段は意外と広く、大きなバルバロッサ卿でも悠然と通ることができる。とはいえ隣に誰か並んで一緒に登るのは無理だろう。

 なにせバルバロッサ卿は、普通の人の三倍ぐらい大きいのだから。

「囚人達には、一人一部屋与えられる。これはどの階級の人間であろうと同じだ」

 階段を踏みしめながら、バルバロッサ卿は塔のことについて説明してくれた。

「食事は日に二回。朝と晩。パンとスープだけの質素なもんだ。これも身分にかかわらず同じ献立でな。……豪勢なのが出てきたら、処刑の前日か、当日っつーことだ」

 ズキズキする頭を押さえて、あたしは首を傾げた。

「豪華なのが出たら……なの?」

「あぁ」

 頷き、バルバロッサ卿は暗い目で言った。

「……だいたいが夜に出される。……最後の晩餐ってやつだな。料理長が特別に腕をふるうこともある。── 聞いた話、べらぼうに美味いモンらしい」

 喰いたいとは思わないがな、と言われて、あたしは自分のお腹を見下ろした。

 そういえば、あたしは朝ご飯を食べずに来ていた。

 そのことでレメクが心配そうにしていたのを覚えている。

 けれど、お腹は空いていない。──どうしてかは、分からないけれど。

「美味いモンを喰って、未練なく去れってことなんだろうな。間違っても残った人間を恨むな、と。……罪を犯した人間に対する最後の施しでもあるが……まぁ、賛否両論でな。罪人にそこまで情けをかけるな、という意見もあれば、最後ぐらいは施してやれという意見もある。……難しいもんだ。こういう問題はな」

 バルバロッサ卿は一歩一歩踏みしめながら歩いていく。

 ぐるぐると。ぐるぐると。

 永遠に続くかのような螺旋階段を。

「人の命は何物にも代え難い。神様の教えでもそうなっている。……だがな、それを無下にする連中が罪を犯した時、その命までをも庇うことはできねぇ」

 一歩。

「……人は弱いもんだ。弱いからこそ、害ある者を傍に置いておくことはできねぇ。自分達の世界から退場してもらわなきゃならねぇ、と思う。……それが、たぶん、処刑の根元にあるものだろうよ」

 一歩。

「罪には罰を。命を奪おうとする者には、相応の対価を。自ら刃を振るう者は、その刃で自分が倒れることを覚悟してなきゃならねぇ。……って、これは俺の言葉じゃねぇけどな」

 死を待つ人のいる場所へ── 

「……おじ様の言葉?」

「……まぁな」

 最後の階段を登りきって、バルバロッサ卿は止まった。

 高い塔の果て。最上階。

 アルトリートの牢だった。



「……なぁーんか……ヤ~な予感すんなぁ……」

 階段を登りきった場所に立ったまま、バルバロッサ卿は胡乱な表情でそうぼやいた。

 嫌な予感。

 それはあたしにも感じられた。

 ──なにせ、牢の前に数人の兵士が転がっているのだから。ビンビンってなもんだろう。

 ……ただでさえ、頭が痛いってゆーのに……

「あ~あぁ……全員、百人隊長クラスだってぇのに、ぐっすり寝ちまってまぁ……」

 青色のマントを羽織った兵士達を見下ろしながら、バルバロッサ卿はさして緊張してない足取りで牢へと踏み出した。

 牢は巨大な石の壁と、頑丈な鉄格子で出来ている。

 仕切りが鉄格子なのは、中の様子がよく見えるように、という理由からだ。

 塔の西側に部屋をあてがっているため、東側は通路と階段が主。そしてその西側の壁にも、窓と呼べるような窓はない。

 そう── 本当の意味では、西の塔に窓は無いのだ。

 かろうじて煉瓦一つ分ぐらいの穴がいくつか空いているだけで。

「……まぁ、『魔法使い』殿が相手なら、それもしょうがないってなモンだろーなぁ」

 その牢の前に立って、バルバロッサ卿は嘆息混じりにそう言った。

 牢屋の中には三人の男。

 どこか緊張した顔の一人と、達観したよーな顔の一人と、何を考えているのかサッパリ分からない顔のヒト。

「……おとーさま」

 あたしの声に、例えようもなく麗しいそのヒトは、にっこりと微笑んだ。

「ふふふ。バルバロッサ卿が来るのは予想の範囲内でしたが、お嬢さんは予想外でしたねぇ」

 ……むむ。

「あたしだって来るのです!」

 ビシッとバルバロッサ卿の腕の上で伸び上がり、即座に走った頭痛にあたしは小さくなった。

 ポテトさんは軽く目を瞠ってから、なぜだかしみじみとした目であたしを見る。

 そうして、あたしの持つ『黄金鷲』に気づくや否や、なんとも言えない顔で苦笑した。

「……あのシエルを動かしましたか。一国の国王ですら、難しいことですよ」

 ……アルルじーちゃん……カワイイ呼び方されてるのだな……

 そーいやそんな名前がどっかにあったな、と思いつつ、あたしは頭痛を堪えて牢の中を観察した。

 最上階のせいだろう。その部屋は、他の牢よりも少しだけ広く作られている。

 簡素なベッドに、質素な椅子とテーブル。

 端っこの方には、大きな木箱がドンと置かれている。そこはかとなく漂ってくる臭いから察するに、たぶんおトイレだ。

 窓と呼べるような窓が無いわりに、牢の中はかなり明るかった。

 その光源は、牢の両端にある『光の紋様珠』だ。

 火を使う類の灯りは無く、そのせいで空気もほとんど濁ってはいない。蝋燭や松明といった消耗品を使わないのは、火災注意というよりも経費削減だろう。

 ……アウグスタ。とことんお金ケチってるんだな……

 そんな牢の中、ポテトさん達と対峙するアルトリートは、捕まえた時と同じ服を着ていた。

 ただし上着(ジェストコール)は無く、靴も無い。

 捕まえた時にはどちらもあったのだから、これは牢に入れられる前に取られたということだろう。

 ──アルトリートは、静かな表情で立っていた。

 昨日見た時の切羽詰まった色も、いつも感じていたドロッとした印象も、その表情からは感じられない。

 ただ、風のない湖にも似た静けさでそこに立っている。

 ──むしろ、彼と対峙しているアルの方が、よほどヒドイ表情をしていた。

「……ちみっちょ……」

 あたしを見て、ポテトさんの横にいたアルは呟いた。

 その苦しげな表情に、あたしも同じ顔になる。

 上着を脱いだ彼は、ヤな予感を覚えるほど、前に立つアルトリートとよく似ていた。

 そう……こうして見比べてみても、姿形だけなら見間違いそうになるほどに。

(……アル?)

 嫌な予感がした。

 その予感を裏付けるように、バルバロッサ卿も眼差しを鋭くする。

 そうして、声を低めて問いかけた。

「……入れ替わるおつもりですかな、殿下」

「また!?」

 ギョッとなったあたしに、「また、って言うな!」とツッコむアル。そのくせギクッとした顔なのだから、彼のツッコミは条件反射みたいなもんなんだろう。

 アルトリートの方は、相変わらず一ピクリもない静かな表情だが。

「そんなことをして、いったいなんの解決になるというのですかな? 殿下」

 あたしを腕から降ろしながら、バルバロッサ卿は牢へとさらに詰め寄った。

 動揺し、気まずげに顔を俯かせるアルの表情に、あたしは眉を下げる。

 ──解決がどうとか、そんなこと……彼は考えていないのだ。

 考える余裕なんて、そもそもないのだろう。

 無理やり眠らされた後、いつ起きて、どのようにしてここに来たのかは分からない。

 けれど、この場の様子から察せられるものはあった。──直前まで眠らされたままだったんだろうな、ということとか。

 ──なぜなら、アルの表情は、昨日と全く変わっていなかったから。

「……なるほど、お二方は、こうして見ても判別がつきにくいほどよく似ていらっしゃる」

 深い嘆息を吐きながら、バルバロッサ卿は軽く俯くようにして両腰に手をあてた。

「王宮に人外魔境が揃っていなければ、すり替わりも最初から上手くいっていたでしょうな」

 そして、どっしりと牢を挟んで対峙する。

 その威圧感に、アルが気圧されたように身じろいだ。

「ですが、もはや不可能であることはご存じのはず。無駄なことはおやめいただきたい。……陛下や、レメクの気持ちも考えていただければ幸いですが」

「……ッ!」

 あえてその二人を挙げたバルバロッサ卿に、アルは目に見えて狼狽した。

 アルトリートの方は相変わらず静かな表情で、その対比が妙に印象的だ。

「……アル」

 あたしは鉄格子に手をかけ、背伸びしながらアルに声をかける。

 先程からつきまとう頭痛が、さらに痛みを増した気がした。

「アルはやっぱり……アルトリートがいなくなるぐらいなら、自分が死んじゃいたいの?」

 アルは唇を噛み、逃げるように足下へと視線を逸らした。

「自分が原因だから、自分を消しちゃいたいの?」

 あたしは、その表情をジッと見上げ続ける。

 アルは答えない。

 だが──その表情だけで、彼の答えは明らかだった。

「……短慮ですな」

 遠慮無く断じて、バルバロッサ卿は深い嘆息をつく。厳しい表情には、幾分呆れが含まれていた。

「……ロード。あなたも、こういう面倒なコトに首をつっこまないでいただきたい」

「おや。おやおやおや」

 バルバロッサ卿に苦言を向けられて、ポテトさんは面白そうに笑った。

「私はただの付き添いですよ? 陛下の許可をとって、彼をここに連れて来ただけです」

「……見張りが眠ってるのは、どーゆー理由ですかねぇ」

「そこはほら。いつものごとく」

 言ってニコリとスバラシイ美貌を微笑ませる相手に、はぁ~、とバルバロッサ卿は深いため息をついた。

「……分かっていて武器にされる理由は何ですか、と、問うているんですがねぇ?」

「ふふふふふ」

 バルバロッサ卿のチクチクした揶揄も、ポテトさんには何処吹く風だ。

 むしろウレシソーに笑うところを見ると、バルバロッサ卿の追求がすこぶる嬉しいらしい。

 前々から思ってたが、やはりポテトさんはイロイロと変態さんだった。

「……なにかお嬢さんが失礼なコト考えてますね」

 そして勝手に心を読みやがるシツレーさんだった。

 目をキラリと光らせるあたしに、ポテトさんは軽く肩を竦める。

 そうして、アル達とあたし達をそれぞれ見比べ、彼は口元に笑みを浮かべ直した。

「……まぁ、私としてはねぇ……。所詮、人の世の政よりも、自分の興味のほうが重要でして」

 ……今、本気で言ったな……ポテトさん……

「……大法官として、いかがなもんですかな。それは」

 さすがのバルバロッサ卿も、これには苦虫を噛みつぶしたような顔。

 こめかみを揉みながらの台詞に、ポテトさんは薄い亀裂のような笑みを浮かべた。

「人の子の地位に興味はありませんよ。ご主人様がそうしろと仰っているから、あえて黙って受け取っているだけです。そんなものを失っても、私は全く困りません」

 ……目がタノシソーに輝いてる。

「困るとすれば、それこそ周囲の方々でしょう? 無職であった当時、頼むからこれを持って大人しく『王宮に』閉じこもっていてくれと、さんざん拝み倒されましたし」

 ……たぶん、拝み倒したのはヴェルナー閣下とかだろう。

 なんとなくそう予想して、あたしはしみじみと閣下に同情した。

 王宮の面倒そうな物事は、だいたいあの人に集まってる気がする。前の王様や妹姫サマのことといい、当時の閣下達はそれはそれは大変だったに違いない。

 今のあたしも頭痛もちだが、きっとかつてのヴェルナー閣下もそーだったんだろーな……

「……確かに、あなた様はどの地にあっても波乱の芽となりそうですからな」

「ふふふふふ」

 バルバロッサ卿の厳しい眼差しに、ポテトさんは嬉しそうな超笑顔だ。

「そんなに褒められても、何もしてあげられませんよ?」

 ……別に誰も褒めてはいないと思うのだが。

「それで、『魔法使い』殿はこの二人に大変興味があるということですかな?」

 あえてポテトさんの発言を無視したバルバロッサ卿に、ポテトさんはあっさり頷いた。

「そうですね。人がどこまで自分の『我』を押しつけあえるのか、興味があります。その結果、どのような事態が起こるのか……そこまで考えて成しているわけではない場合、特に」

 意味深なその声と眼差しに、アルが拳を握りしめた。

 誰のことを言っているのか……彼自身にも分かっているのだ。

 ── ただ、それでも己の願いを曲げられないだけで。

「……アル」

 あたしはアルに声をかける。

 けれど、それ以上、かけられる言葉などあるはずもなかった。

 バルバロッサ卿もアルへと視線を戻し──けれど何も言わずに、ただ見守る。

 彼が次に何を言うのか。……それを見定めるかのように。

 アルは顔を上げた。

 何かを必死に祈っているようなその表情は、ひどく嫌な予感のするものだった。

 けれど彼が何かを言うよりも早く、アルがただひたすら真っ直ぐに見つめる相手は口を開いた。

 相変わらず微動だにしない、静かな表情で。

 一言。


「帰れ」


 ──と。






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