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対オジサマ攻略法!<闇の王と黄金の魔女>  作者: 関根麻希子
陰謀の章<虚飾の玉座編>
86/107

27 存在のない世界



 ──昔、朝というものは、問答無用でやってくる絶望だった。


 目を覚ました時、そこにあるのは、いつだって薄暗い部屋と、無理やり仕事を押しつけてくる大人の姿だった。

 生きていくための食料もほとんど無く、残飯や草木を囓りながら生き、罵られ石を投げられながら過ごしていた。

 毎日、誰かがどこかで倒れ、誰かが裏口から捨てられてゆく。

 そんな日々の朝というのは、ただただ、絶望だけが待っている『時』の『始まり』だったのだ。

 だけど、レメクに助けられた日から、あたしにとっての『朝』は変化した。

 疲れと悲しみに満ちたものから、清々しくてキラキラしたものに。


 ──けれど、今、改めて思う。


 本当の意味では、朝というものは何も変わっていないのだと。

 それは常に『始まり』を告げる、希望と絶望の瞬間なのだと。


  ※ ※ ※


 王都、西区、大神殿。

 右を見ても左を見ても美術品が並ぶ通路を渡り、あたし達が通されたそこは、驚くほど贅を凝らした部屋だった。

 部屋の壁は、淡い象牙色と若草の色。

 豪華な刺繍で埋め尽くされたその壁を、白い柱が額縁のようにまとめている。

 部屋のサイズは、おそらく『青の間』の一番大きな部屋より一回り以上大きい。

 外に面した窓は驚くほど透明度の高い硝子。扉は三つあり、廊下側に二つと、部屋の奥に一つ。

 その奥の扉から悠然と出てきた人を見て、あたしとレメクはシャキッと背筋を伸ばして一礼した。

「……楽にするがいい」

 ゆっくりと豪奢な椅子に回り込みながら、その人はわずかに掠れた声で言う。

「どうせ、長い話であろう。……遠慮なく椅子に座るといい」

 ヒョコンッと顔を上げたあたしは、レメクの方を見上げる。

 あたしの隣に立っていたレメクは、眼差しだけで「座りなさい」と告げた。動く様子がないところを見ると、彼自身は座る気が無さそうだ。

(疲れないのかな……立ったままで)

 横に立たれたまま一人で座るのは、なんとなく居心地が悪い。とはいえ、座れと言われたのに二人して立ってるのもイカン気がして、あたしは「よいしょ」と椅子の上によじ登った。

 ……ええ。体がちっちゃくてまともに座りもできませんとも。

 しかし、ちっちゃい体には利点がある!

 なにせ椅子によじよじするだけで、すかさずレメクがあたしを抱っこしてくれるのだ!

 ……まぁ、直後に椅子に丁寧に設置されたりするわけだが。

『スカートがめくれないようにしなさい』

『あい!』

 心の声で会話しつつ、ヨレヨレになっていた裾を綺麗に直して、レメクは自分が立っていた場所に戻っていく。

 対面の椅子にどっかと腰掛けたまま、そんな様子をしげしげと眺めていたおじーちゃまは、ヒゲを撫でながら「……ふむ」と呟いた。

「……末の姫に、いつでも尋ねてこいと言ったのは覚えておるが……おまえまで来るとは、思わなかったな。……クラウドールの名を継ぎし子よ」

 その声に、レメクは静かな目をわずかに伏せた。

 けれど、口は開かない。

 レメクをして、許可を得るまでは口を開くことができない相手──

 その人の名こそ、……ぇーと……『アルカンシェル・オルトヴァーン・エネク・アーノルド・ベザリウス・ファウスト・シエル・アルヴァストゥアル』。

 大陸西中央、エラス教の教皇サマである。

「しかも、この時期、このような時間に、か……」

 名前を書いたメモを懐に仕舞うあたしには目もくれず、アルルじーちゃんはレメクへと向けた眼差しを細めた。

 その姿を朝陽が淡く照らしだしている。

 時刻は八時。

 世の貴族サマ達なら、まだぬくぬくベッドで眠っている時刻である。

(……。もしかして……アルルじーちゃんも、いつもなら寝てる時刻だったり……?)

 今更ながらそのことに思い至って、あたしは背中にジワッと汗を浮かせた。

 たとえ日の出から人々が出入りする教会とはいえ、相手は教皇サマ。

 これぐらいエライ人になると、起き出すのは貴族なみに遅い時刻なのかもしれない。

 ──まして、アルルじーちゃんは王族の直系である。

(……って、あたし、ムチャクチャ非常識だったんじゃ……)

 ジワジワと浮いてくる汗に負け、思わず横目でレメクを見上げる。

 レメクのほうは全く変わらない静かな表情で、悠然と腰掛けているおじーちゃまを見つめていた。

 その様子に勇気をもらって、あたしもシャンと背筋を伸ばす。

 例え訪問時刻が非常識であろうとも、このまま回れ右して帰れない理由があたしにはあるのだ。

(……アルトリートを……助けなきゃ)

「……ふむ」

 汗イッパイのあたしと、隣で平然と立っているレメクを見比べ、アルルじーちゃんはわずかな嘆息をつく。

 そうして、周りに控えていた高位神官達に向かい、皺だらけの手を軽く振った。

「……おまえ達、席を外すがよい」

「……かしこまりました」

 アルルじーちゃんの近くで控えていた、かなり位の高そうな神官が声を落とし、扉の前で警備をしていた他の神官達とともに退出する。

 その様子を目ではなく気配で感じながら、あたしは汗だくの状態でアルルじーちゃんを見つめていた。

 パタンと扉が閉まったのを確認してから、アルルじーちゃんはもう一度あたし達を眺める。

 いや──正確には、レメクを。

「……よーやく来おったか、こンのノロ助が」

 …………。

(……ノロ助?)

 唐突な言葉に、出ていた汗もヒョイと引っ込む。

 思わずレメクを見上げると、レメクは静かな表情のまま、わずかに目を細めていた。

「まったく。手間を、かけさせてくれる……」

 そんなレメクに対し、教皇サマはめんどくさそーにため息をついた。

「そもそも、おまえがもっと早く儂の所を訪ねて来ていれば、こんな馬鹿げた事態は起こらなかったはずだろうが」

 ゆっくりと息継ぎをしながら言うおじーちゃまに、あたしは目をパチパチさせた。

 そうして唇をとがせる。

 ……最近の大人は、子供にセツメーもせず、自分達だけで会話をするのです!

「違うか、レンドリア。おまえが王宮にいれば、こんな馬鹿げた真似をしてまで、王族の中に入ろうなどと思いはしなかっただろうに」

 レメクは答えない。

 ただ、少しだけ影の入った表情で俯いた。

「……もっと早くに、儂の元を訪ねて来るべきだったのだ」

 どっぷりとした重たい嘆息を吐き、教皇サマはレメクと同じく影の入った表情になる。

 その瞳にあるのは、諦めにも似た後悔だ。

「……もっとも、今更言ったところで、せんなきことだがな……」

 レメクはその言葉にも、ただ目を伏せるだけだった。

 あたしはそっくりな表情をする二人を見比べる。

 アルルじーちゃんの言葉の意味は、清々しいほど説明が無いのでサッパリわからない。

 だが、何か不吉な感じがした。

 まるで、全てが終わってしまったかのような、そんな感じが。

 ……アルトリートの裁判は、まだ始まってすらいないのに。

「……だが、よく戻ってきた、と言うべきだろうな。後手にまわったが、おまえが帰って来たなら、これ以降は愚かな真似をする者もいなくなろう」

「……?」

 アルルじーちゃんの声に、あたしだけでなくレメクも首を傾げた。

「猊下。それはどういう意味でしょうか……?」

 問うレメクに、アルルじーちゃんは眉をひそめる。

「どういう意味も何も、おまえの訪問が……」

 不審そうに言いかけ、ふと沈黙し、おじーちゃまはあたしを見た。

「……娘」

 みょ?

「こやつに、伝言は……」

 ……伝言?

 あたしは首を傾げ、ややあって「あっ」と飛び上がった。

 思いっきり忘れていたが、あたしはレメクへの伝言を託されていたのである!

 そう、それこそ、早めに訪ねてこいとかゆー伝言を!!

「……ま……まだなのです……!」

「…………」

 ああっ! おじーちゃまの目が冷たくなりました!!

 汗イッパイなあたしとしばし見つめ合い、ややあっておじーちゃまは深い嘆息をついた。

「……まぁ、あれから、時間もさほど経っておらぬ……おまけに、色々と騒がしかったからな……」

 嗚呼! おじーちゃま!

 頭イイうえに優しい!!

「ならば、娘よ……」

 でも名前は相変わらず言ってくれない!!

「こやつが、こやつの事情で儂を訪ねていないのだとすれば、此度の訪問は、おまえの事情ということだな?」

「そ、そうなのです!」

 シャコッと背を反らせたあたしに、アルルじーちゃんはヒゲを撫でながら渋い顔になる。

 そのまま憂鬱そうに椅子に深く背を預けるのを見て、あたしはギュッと拳を握った。

「おじーちゃまっ、あのですねっ」

「……まぁ、待て。そして『おじーちゃま』は、よすがよい」

 意気込んで言うあたしの声を遮って、アルルじーちゃんは何故か驚いた顔をしているレメクを見た。

 あたしとアルルじーちゃんを見比べているレメクに、威厳ある教皇サマは深い眼差しで問いかける。

「……おまえは、止めんのか」

「ベルが、猊下をそのようにお呼びしているのは、今、初めて知りましたが」

「そっちではないっ」

 大真面目なレメクにちょっと怒り目で言ってから、アルルじーちゃんは「ゴホン」と咳払いをした。

「……昨夜、おまえ達が捕らえたという、『賊』のことだ」

 昨夜、と、賊、という言葉に、レメクがわずかに身じろぐ。

「おまえが『賊』の屋敷で暴れたということも、知っている。おまえにしては珍しく、ずいぶんと派手にやったそうだな?」

 アルルじーちゃんに言われて、レメクはどこか気まずげに視線を逸らせた。

 その様子をじっくりと眺めやってから、おじーちゃまは「フン」と鼻で息を吐く。

「あの派手な騒ぎは、わざとであろう? 『王族を殺めようとした賊が、公爵家の街屋敷に潜伏していた』……か。それを捕らえるためであるのなら、あれぐらい派手にやってもかまうまい。事実であるがゆえに、あの連中も今度ばかりは血筋や爵位を盾に騒ぎ立てれぬ。それを見越しての実力行使なのだろう?」

 言われて、レメクはさらに気まずげに視線を泳がせる。

「詳しい事情を知らぬ者にも、かの一族が何らかの悪事を企んでいたのではないのかと、真相に近い疑惑を植え付けることができる。それを見越しての騒ぎであろう?」

「……いえ……」

「今更、謙虚になることもあるまい。抜け目のないおまえのことだ、ついでに奴等を失脚してやろうと思ったのだろうが」

「……その……」

 感心したようなじーちゃんの声に、レメクは何やら物言いたげな顔で沈黙した。

 微妙にいたたまれない空気が漂ってきて、あたしは首を傾げる。

(ナゼそんな気まずそーな顔をしているのだろーか?)

 むしろ当然です的な顔をしているのが、いつものレメクだと思うのだが。

(……てゆか、おじ様、ブチキレた風を装ってそこまで考えてたのですね……!)

 さすがはレメクである!

 意外と演技派なオジサマに、あたしは目を煌めかせて熱い視線を送った。

 ……何故かレメクからは、ますますイタタマレナイ空気が漂ってきたが。

「……だが、だからこそ、解せん」

 深い息を吐いて、アルルじーちゃんは憂鬱げにレメクを見る。

 声の変化に気づき、ようやく視線をあわせたレメクに片眉を上げてみせ、おじーちゃまは言った。

「そこまでして、奴等の失脚を目指していながら、何故、おまえはこの娘や王を止めんのだ?」

「……ベルと……『陛下』?」

 やや不思議そうなレメクの声に、アルルじーちゃんは不審げに眉をひそめる。

「連携しているわけでは、無いのか? この娘がここに来たのは、後手にまわって誰も救えなんだ、末の子のことか……もしくは、上手く利用されて、それと気づかずに自分で処刑台に登った、哀れな道化のことであろう?」

「……はい」

 頷くレメクに、アルルじーちゃんはいっそう憂鬱げな顔で嘆息をつく。

 あたしはその様子を見守りつつ、前者が誰で、後者が誰であるのかを考えた。

 ぇーと……末の子、ってゆーのは……王弟であるアルのことかな?

「……何故、止めぬ。おまえなら、分かっているはずだ。これがどれほどの好機であるかは」

(……好機?)

 アルルじーちゃんの声に、あたしは首を傾げ、レメクは一瞬だけ表情を揺らせた。

「……まさか」

 その表情の中、かすかに浮かんでいた「迷い」の色に、アルルじーちゃんは今度こそ驚いたように目を見開く。

 信じられないものを見た、という顔で、ぐっと椅子から身を乗り出した。

「……まさか、おまえともあろう者が、迷ったのか。王族の血なんぞを盾に、これまでさんざん横暴を働いてきたあの連中を、処罰する機会だというのに?」

 食い入るように見つめられて、レメクは息を吐いた。

 一度俯き、顔を上げた時には、その顔からは完全に表情が消えている。

「……これが、未だかつて無い、そしてこれから先あるかどうかもわからないほど、絶好の機会であることは……存じています」

「ならば、何故迷う?」

「迷ってはいません。私自身は『彼』──アルトリートを処刑することに対し、何の躊躇もありません」

「えっ!?」

 言われた言葉に、アルルじーちゃんの言葉を一生懸命考えていたあたしはギョッとなった。

「おじ様、そんな……!」

 思わず椅子から飛び降り、長い足に飛びつくと、レメクは静かな表情のままであたしを見下ろす。

 その、人としての感情を排除した瞳に、あたしは心臓が冷えるのを感じた。

 けど……だけど、どうして!?

「おじ様、偽王弟を捕らえたのは、裁判するためよね!? アウグスタから、断罪しちゃってもいいって言われてたのに、あえて捕まえたってことは、裁判できちんと裁くためよね? アルのこともあるんだもん! なんかオカシナこともあるし……!」

 あたしの声に、けれど表情一つ揺らさずレメクは首を振る。

 ……横に。

「……ベル。あなたも落ち着いて聞きなさい。私は断罪官として、彼を裁く権限を持っています。けれどそれを行使していないのは、あくまでも『王族』に仇なす者を個人の権限で裁いてはならないという、私個人の考えであって、罪人や、その周囲に対する憐情や配慮では無いのです」

 あまりにも静かなレメクの声に、あたしはギュッと足にしがみついた。

 まるで出会った最初の頃のようなレメクの無表情に、どうしようもなく胸が騒ぐ。

「でも……!」

「王弟殿下のことは、同情に値するでしょう。彼等の間にあったわずかな溝を上手く利用されました。……実際、ここで『彼』を処罰して、果たして断罪の手を『元凶』にまで伸ばせれるかどうかは疑問です。……ですが『彼』を足がかりにして、彼等のもつ力を大幅に減らすことはできます。そのためにも『彼』には最も厳しい罰を与えなければなりません。王は──ひいては王国は、この事態に対し、誰であろうと決して赦さないと、内外に知らしめるためにも」

 あたしは愕然とレメクを見上げた。

 その言葉は、今ではない時、ここではない場所で聞かされていた。

 わかっていたはずだ。レメクがそういう思いでもって『断罪官』として働いていることは。

 けれど……

 けれど、それなら、今西の塔にいるアルトリートは──

 『彼』を止めるために、命すらかけたアルは──!

「命って……そんな風に、扱っていいものなの……?」

「……ベル」

「そんな風に、道具にしていいものなの……!?」

 必死に背伸びして、あたしはレメクに向かって叫んだ。

「おじ様、言ってたじゃない! 命ってすごく大事なもんなんだって! あたしに教えてくれたじゃない!! ゴミみたいに扱われてた、あたし達のことだって助けてくれたのに!」

 なのに、どうして!

「どうして、アルトリートは助けてくれないの!?」

「……助ける理由がありません」

「あるわよ!」

 欠片ほども情を宿さない瞳に焦れて、あたしはペチンとレメクの足を叩いた。

「あるわよ! いっぱいあるわよ! だって、アルトリートは『生きて』るんだもん!」

「…………」

 静かに見下ろしてくる視線に耐えかねて、あたしはレメクの足から離れる。

 そうして、しっかりと彼と向かいあって叫んだ。

「生きてるのに、命を奪うの!? 人は死んじゃったら終わりなのに!? アルは、命を狙われたけど、まだ生きてて、アルトリートが処刑されるのが嫌で、嫌で嫌でたまらなくて命まで投げ出したのよ? どうしても止まらないなら、自分も一緒に死のうとまで思い詰めたのよ!?」

「……愚かなことです」

「愚かなんかじゃ、無いわ!」

 レメクの言葉とも思えないヒドイ言葉に、あたしは信じられない思いで叫んだ。

「誰だって、大事な人が悪い道に進んで、そのせいで処罰されそうで、その原因が自分で、おまけに自分だけは罰を軽くされそうだっていう状態なら、たまらない気持ちになっちゃうわよ! だって、そうでしょ!? 二人は、本当は友達だったんだもん! あたしが生きてきた時間よりもずっと、長く一緒にいて、大事な時間を過ごしてきたのよ!?」

「付き合いの長さが、そのまま深い絆になるわけではありません。それは、実際に裏切りの果てに事件が起こった今回で、よくわかったでしょう」

「そーゆー間違いだって、ジンセイには起こったりするのっ!」

 全身で叫んで、あたしは息継ぎをしながらレメクを睨みあげた。

 レメクの表情は、全く変わらない。

 人形とすり替わっちゃったんじゃなかろうかと思うほど、完璧な無表情だ。

「アルは、アルトリートが大好きだったんだよ!? そのアルトリートが処罰されちゃったら、アルはどうすればいいの!? 絶対辛くて辛くてたまらないのよ!? 後を追っちゃったらどうするの!?」

「追わせません」

 少しだけ強い声で言って──けれど表情は決して変えずに──レメクは言葉を続けた。

「王族として、そんな真似は許されません。どのような絶望、どのような悲哀があろうとも、生き続けなくてはならないのが『王族』です」

「そんなの……おかしいわよ!」

「おかしくても、それが王族の務めです」

 言いきり、レメクは瞳に強い色を閃かせてあたしを見た。

「王族とは、他者から決して軽んじられてはいけない存在です。……なぜなら、その身には必ず、国が背負われているからです」

 それは──前にも聞かされた。

 今のレメクと同じような強い目と、強い信念を秘めた声で。

 誰よりもお人好しそうな人から──

「国を背負う者だからこそ、王族は敬われる。王族とは、すなわち国民の盾であり、剣です。彼等を守るために立つ者であり、存在する者です。だからこそ、誰からも特別に扱われなくてはならない。そしてその身が不当に扱われたとすれば、それを国でなく個人の権限で裁可してはいけません。私が与えられた特権で処罰をしないものも、そのためです」

 それは、個人の独断で『国』を自由にする行為に他ならないから。

 例えそれが国王に許されたことであろうとも、決してしてはいけないと思っているから。

「王族が自らの手で命を絶つということは、国そのものが自ら滅びるのと同じです。国を傾け、滅ぼしかねない行為を許すことはできません。そこにどのような思いがあり、どのような願いがあろうとも、許されないのはそのためです。……王族が誰かに危害を加えられた場合、その行為を許すことができないのも、同じ理由です」

 その言葉の意味は、わかる。

 ケニードが強い口調で言っていたから、その言葉の意味を一晩中ぐるぐる考えたりもしていたから、だからこそわかる。

 それが本当に、とてもとても重要で、大切なことなんだってことは。

 けれど……それでも!!

「アルは……狙われたけど、生きてるわ!」

「結果だけが全てではありません。命を狙われたという、その事態そのものが問題なのです」

 ピシャリと言って、レメクは口調を強める。

「全てが極秘裏に進められていたのなら……そして、その被害が王弟殿下だけに留まっていたのなら、もしかすると陛下の権限をもって『彼』を生かす案も採用されたかもしれません。そういった望みも、もしかしたら可能だったのかもしれないのです。……けれど、最初から可能性は断たれていました。最初の花瓶の時から、事件は人目にさらされ続けていたのですから」

 言われて、あたしは息を呑んだ。

 そうだ。

 最初から、最後まで、全ては人の目に晒され続けていた。

「人目の集まる時期、人目の集まる場所で事は行われました。花瓶の時だけなら、ごまかしもきいたかもしれません。けれど、牢屋では下手人だけでなく牢番まで殺されました。厩舎前の従者達に関しては、もはやご遺族にどのような言葉で事情を説明していいのかすらわかりません。……猊下が仰ったように、彼は、自らの手で、足で、処刑台に登ったのです」

 あたしは何か反論しようと必死に考えた。

 小さな頭の中の、さらに小さなノーミソをギューギューと振り絞った。

 そんなあたしに、レメクは無情にも結論を告げる。

 決して揺るぎない信念をもった声で。

「王族の命を奪えるのは、他の誰でもない、己の行いだけです。そしてそれは、他の者であっても同じでしょう。自らの手で引き起こした事態は、自らの手で収めなくてはなりません。王弟殿下の存在が今回の事件を引き起こしたのであれば、彼は自らの心に深手を負うことでその罰を受けなくてはいけません。そして、実行犯であるアルトリートは、その命をもって償わなくてはならないのです。国と、民と、裏切った友に」

 凛と立つレメクと、愕然と突っ立っているあたしに、ヒゲを撫でた姿のまま静止していたアルルじーちゃんが、深い深い嘆息をつく。

「……レンドリア」

 ヴェルナー閣下やポテトさんと同じく、レメクでなくレンドリアの名前の方で呼ぶ教皇サマの声に、レメクは眼差しを向ける。

 アルルじーちゃんの顔は、ちょっぴり非難めいていた。

「……ならば、なぜ、この娘が儂の前に来るのを止めなかった」

「…………」

「結論は、出ているのだろう。ならば、諭せばいいだけのことだ。儂の前で、あえて行う必要は無かろうが」

「いいえ」

 どこか正論っぽいことを言う教皇サマに、しかしレメクは真顔できっぱりと言った。

「止まらないから、ダメです」

 …………。

「……………………なんだと?」

 さすがにビミョーな顔になったアルルじーちゃんに、レメクはやはり真顔のままきっちりと向き直る。

 思わずキョトンとしてしまったあたしが見守る前で、レメクは強い眼差しのままで言った。

「猊下には申し訳なく思っております。私のこれは、私自身の考えであり、果たすべき責務です。ですが、ベルにはベルの思いがあり、考えがあります」

「…………」

「人には、人の数だけ、強い思いや行動理念があるのだと、教わりました。私にはそれを止められません。止められないからこそ、彼女が打てるだろう全ての手を見守ることにしました。少なくとも、この王国で、陛下や宮廷の決定に異を唱えられるのは猊下だけですから」

 あっさりと言われた言葉に、偉大なる教皇サマはあんぐりと口を開けた。

 あたしもあんぐりと口を開ける。

 それは……つまり……

「それは、つまり、おまえ……儂に、丸投げしようとしておるということだな!?」

「否定はしません」

「少しは、せんか!!」

 ものすごく目を怒らせて、おじーちゃまは椅子から身を乗り出した。

「おまえが、そこの娘に言い負かされるとは思えん。よもや泣かれるのがイヤで、儂に押しつけようとしておるのでは無いだろうな?」

 その額にくっきりと青筋が浮き上がっているのを見て、あたしはこんな時だというのに思わず声をかけてしまった。

「……おじーちゃま。興奮すると体に悪いのですよ」

「娘。おぬしは、黙っておれ」

 言われて、あたしは口を両手で押さえる。

 そんなあたしには一瞥もくれず、アルルじーちゃんはひたすらレメクを睨み上げた。

「どうだ。レンドリア。違うか?」

「……猊下。憶測で決めつけるのはおやめください」

 エラス教で一番偉い教皇サマに睨みつけられても、レメクは相変わらずレメクである。

「そして私の名前は『レメク』です」

「……あの、腹立たしい悪魔の名前で、呼べと言うか?」

「かねてよりお願いしていたはずですが。……それと……私は別に、ベルに泣かれるのが嫌で、猊下を尋ねて来たわけではありません」

「嘘を、つけ」

「昨晩、すでに泣かれています」

 ……あー……

 さらにあんぐりしたアルルじーちゃんを見ながら、あたしは遠い目で数時間前を回想した。

 ……そーいや、あたし、レメクが帰ってきた時、ネムネムな状態で泣きながら必死に訴えたっけな……

 とはいえ、眠すぎて返事待たずにコテッと寝ちゃったのだが。

「~~~ッ」

 見守るあたしの前で、おじーちゃまは筆舌し難い顔で沈黙する。

 そしてチラッとあたしを見た。

「……負けたのか」

 今度はレメクが沈黙した。

 見上げれば、何故か微妙に視線が泳いでいるオジサマが一人。

「別に……負けたわけでは……」

「嘘つけ」

 一言で切り捨てて、おじーちゃまはレメクを白い目で睨んだ。

「本当は、勝てなかったから儂の所に来たわけだろうが。……は……王国最強と呼ばれた、おまえがな……」

「最強だなどと、思ったことはありません」

 フフン、とどこかアウグスタっぽい表情を浮かべたおじーちゃまに、レメクは視線を戻しながら言葉を続ける。

「それに……『彼』の処罰に関して、特定の証言と引き替えに厳罰を示唆することはできるかもしれません。違いますか?」

「……ふん……」

 さっきまでとは真逆のことを言い、真っ直ぐに見つめてくるレメクに、おじーちゃまはちょっぴりつまらなさそーな顔になった。

 そうして、ゆったりとした動きで、乗り出していた体を椅子に預け直す。

「……『王族の命を狙った者は、死罪』……これは、曲げられん」

 じっくりと噛みしめるようにして言ったおじーちゃまに、レメクは眼差しを強くする。

「……過去、王族を殺めようとし、処刑されなかった者もいたはずです」

「……おらん」

 嘆息混じりに答えて、アルルじーちゃんはレメクを睨んだ。

「……それは、おまえとは知っていよう」

「ええ。公式には存在しませんでした。……ですが、非公式には存在したはずです」

 レメクの言葉に何か思い当たることでもあったのか、アルルじーちゃんは沈黙した。

 だが、すぐに首を緩く横に振る。

「……おらん」

「猊下」

「……もし、おったのなら……それは、現国王陛下が第一位王位継承者であった時代、その命を狙ったレティシア王妃であろうよ」

 その一言に、レメクが凍りついた。

 大きく見開いた目には、ハッキリと怒りが滲んでいる。

「……あの、方は……」

「自ら命を絶った。……であればこそ、悪しき前例を作らずにすんだ」

 淡々と言って、アルルじーちゃんは疲れたように嘆息をつく。

「……実際のところ、あの女が本当に、自ら命を絶ったのかどうかは、わからんがな」

「…………」

「だが、どちらにせよ、王族の命を狙って、公開処刑されなんだのは……あの女だけだ」

 深い深いため息をついたアルルじーちゃんに、あたしはジッと眼差しをそそいだ。

 前に会った時、アルルじーちゃんはレティシア王妃サマを良く言わなかった。

 第一王妃サマ(名前忘れた)が辛い思いをしたり、アウグスタを殺そうとした人だから、家族としては好きになれない相手だったんだろう。

 その感情が、言葉の端々に滲んでいる。

「生きていれば、おそらく愚王が庇っただろうな。……後の世の災いも考えず、ただ、己の気持ちのためだけに……あの重罪人を生かそうとしただろう」

 大きく息をついで、おじーちゃまはあたしの方を見る。

 深い深い眼差しで。

「……娘よ。おまえがしようとしていることは、それと同じだ」

 あたしはギュッと唇を引き結んだ。

「前例は、作ってはならぬ」

 重い声で言いきったアルルじーちゃんに、あたしはグッと目に力を入れた。

 けれど、反論はできなかった。

 それをするには、あたしにはあまりにも知識が足りなさすぎる。

 だが、アルルじーちゃんの言葉に対する反論は、思いもよらなかったところからきた。

「前例は、すでにあります」

「……おじ様……?」

 あたしは驚いてレメクを見る。

 相変わらず強い目をしたレメクは、ただ真っ直ぐにアルルじーちゃんを見ていた。

 アルルじーちゃんは大きく目を瞠って腰を浮かせている。

「なんだと……?」

「すでに前例はあるのですよ、猊下……。あなたがご存じなかっただけで」

「まさか……。だが……!」

 何かを言いかけ、途中で何に気づいたのか、アルルじーちゃんは愕然とした顔になる。

「まさか……おまえ……!」

「……かの人は裁かれることなく、天命を全うされました。盛られた毒ならばもはや数えきれません。仕組まれた事故にしても、同じ事。……けれど、彼女が裁かれることはありませんでした。守られなければならない鉄則といえど、こうした例外が実際に存在する。それは事実です」

「なぜ言わなかった!!」

 ひどく激昂した声で、アルルじーちゃんは叫んだ。

「ベラでも、あの悪魔にでも、儂にでもいい! 一言言ってくれさえすれば、手を打ったというのに!」

「猊下ご自身の過去にも、同じような事例はあったはずです」

「……ッ! あっては、ならん事例だ!」

 一瞬怯み、けれどすぐに否定したアルルじーちゃんに、レメクは眼差しを鋭くした。

「ですが、現実にはあった。世に『完全』というものは存在しません。それは、完全でなければならない王家であっても同じことです」

「えぇい……おまえは、いったい、本当にはどうしたいのだ!」

 たまりかねたように叫んで、アルルじーちゃんはレメクを睨みつけた。

「そこの娘に正論を突きつけたかと思えば、儂に減罰を仄めかせるようなことを言う! 曲げてはならぬ鉄則ならば、なぜわざと揺さぶりをかける!? その理由はなんだ!」

「全ての可能性と、その前に立ちはだかる現実を」

 厳しい声に静かに答えて、レメクはあたしを見下ろした。

 さっきまでの強い眼差しでも、感情の無い眼差しでもない──深い深い眼差しで。

「……ベルに知ってほしいのです」

 あたしは驚きを込めてレメクを見つめた。

 会話の間も昇っていた朝陽が、窓の向こうからレメクの背を照らす。

 高い位置にある教皇サマの部屋だから、窓も高い位置になっている。おまけにあたしは背が低いものだから、普通ならとっくに眩しくなくなっているお日様も、絶妙なタイミングで逆光になっていた。

 その見えにくくなる表情の中で、深い眼差しだけがハッキリとあたしの目に焼きつく。

「ベルはまだ幼い。そして、王族としての心構えも、特殊な常識も教えられることなく、宮廷とはまた違う『厳しい現実の中』で育ってきました。王族の地位を与えられた者の中で、最も国民に近いのも彼女でしょう」

 それは……そうだ。

 だって、あたしはただの孤児だった。

 最下層の暮らしをしてきた、王族とは何の縁もないただの子供なのだ。

「そして、此度迎えられる王弟殿下もまた、王族の血をひく者の中で、最も国民に近い人物です」

 言って、レメクはほんの少しだけ微笑んだ。

 実際のところ、逆光になってしまって、表情そのものはハッキリわからない。

 けれど、雰囲気でわかった。

 ちょっと困ったような目で、微笑んでいるのが。

「子供だから、もしくは、できないからという理由だけで、何もさせず、結論だけを押しつけることはできません。駄目であれ、何であれ、実際に行動することに意味はあるのでしょう。──例えそれが、全て無駄に終わっても」

 その静かで深い声に、アルルじーちゃんは胡乱な目になってレメクを見る。

「……おまえ……それは、かえって酷くはないか? 駄目だとわかっている現実を前に、無駄に抗わせるだけであろう」

「例え結果がそうなったとしても……何もしないうちから終われるほど、ベルは達観してはいません。厳しい現実も、事情も、すでに言いました。それでもなお思いを口にするのであれば、傷つくことは承知のうえだと判断します」

 それに、と呟いて、レメクはけぶるように眼差しを細めてあたしを見た。

「……ベルは、自分が傷つくことを恐れて、己の心を曲げたりはできない人ですから」

「……おじ様……!!」

 あたしは熱い思いをこめてレメクを見上げる。

 冷たいコトを言ったり、顔から表情を消してこっちをヒヤッとさせたり、いったい何事かと思ったら……!

 思い一つで立ち向かうあたしのために、あえてニクイ役なんかをやってくれたのですね!?

「待て……というか、この場合、儂に対して酷くないか?」

 キラキラした目でレメクを見つめるあたしと、静かにそれを受けるレメクを見比べながら、アルルじーちゃんがボソッと呟く。

 レメクはしれっとした顔で言った。

「ですから、猊下には申し訳なく思っております」

「そういう台詞は、もっと申し訳なさそうな顔で言え!」

「申し訳ありません。地顔です」

「やかましい!」

 手近にあったクッションを投げつけて──クッションはレメクに丁寧に受け止められた──アルルじーちゃんは忌々しげにレメクを睨んだ。

「なるほど、しばらく見ぬうちに、別人のようになりおった……! あの悪魔が、帰国早々、満面笑顔で儂の所に来て言った言葉は、本当のようだな……!!」

「……義父がどのようなことを言ったのかは存じ上げませんが、確かに、わずかなりとも意識が変わった、という自覚はあります」

「……どこがわずかだ……変わりすぎだ……!」

 何故かあたしとレメクをジロジロ見比べて、アルルじーちゃんは不機嫌そうにぼやいた。

 変わっちゃったという新レメクしか見たことのないあたしには、彼等の会話は理解できない。ついでに、この手の話題の時、必ず他の人があたしをジロジロ見るのも、未だに意味不明である。

(てゆか、誰も旧レメクがどんなだったか、教えてくれないし……)

 無表情と熱血漢をわりと頻繁に切り替えてくれちゃうレメクだが、旧レメクならさらなる別バージョンが存在するのかもしれないのだ。

 どんなんだったんだろうか? もしかするとムッフンなレメクが存在してたんだろーかと、想像するだけであたしはムラムラでハラハラなのだが!

「……ベル。とりあえず、あなたの妄想するような『私』は存在しませんから」

 ……心読まれた!!

 ガーンッとショックで固まるあたしを横目に、ゴホン、と咳払いをして、レメクはアルルじーちゃんに向き直る。

「では、猊下。後のことはよろしくお願いいたします」

 丁寧に一礼されて、アルルじーちゃんは凄まじい渋面になった。

「ちょっと待て! おまえ、やはり儂に押しつけて逃げる気だな……?」

「後で回収に参りますが」

「そういう話では無い! だいたい、後で寄るのなら、最初からここにおればよかろう!」

「動き出している者がおりますので」

 静かに言われた一言に、アルルじーちゃんは表情を改めた。

 一瞬だけ目を光らせ、いかにも渋々といった感じで深く椅子に座り直す。

「……そっちを……別の者に任せれんのか?」

「……ナザゼル王妃だけでは、荷が重いかと」

「……ナザゼルか……」

 なるほど、と低い声で呟いて、アルルじーちゃんは深い深いため息をついた。

「……それで任せきれんということは……かなりの大物だな」

「昨夜、一瞬だけ拝見いたしましたが、一対一で王妃と互角、といった技量の持ち主です」

「……化け物か」

 ムッチリ王妃に大変失礼な台詞をぼやき、おじーちゃまは嫌そうな顔で長いお髭を撫でる。

「他の者が動いていなければ、王妃に任せたままでいられるのですが……」

「……アデライーデはどうした?」

「王弟殿下を護ってくださっています」

 もう一人の『サイキョー』っぽい人の現状に、何故かアルルじーちゃんは硬直した。

「……………………………………………………王弟の方は、大丈夫なのか?」

「そのための護衛ですから」

「……………………いや……………………まぁ………………いいが……」

 なにか言いたいことがイロイロありそーな顔だ。

 どういう理由でかあたしをチラッと見て、アルルじーちゃんはしみじみとした顔になった。

「……儂の方が、まだマシだな……」

 ……どーゆー意味だろーか……?

 首を傾げるあたしにかまわず、おじーちゃまはレメクに視線を戻す。

「……儂が任されてやれるのは、この一場面だけだ。後のことは知らんぞ」

「感謝します」

「ふん」

 面白く無さそうに鼻で息を吐いて、アルルじーちゃんは今度こそちゃんとあたしを見た。

 お? とそちらに顔を向けるあたしに、レメクが苦笑する。

「……ベル。猊下は、誰よりも長くこの国を見守り続けてきた御方です」

 言われて視線をレメクに戻すと、レメクは真摯な眼差しであたしを見つめていた。

「政も、王族としての在り方も、この方から学ぶのが一番確かです。それは時に、あなたの思いや願いとは違うものになるかもしれませんが」

 その言葉に、あたしは口をキュッと引き結ぶ。

 それでも───

「それでも、もし……王族として生きることを選ぶのでしたら、学んだことを心に刻まなくてはなりません。何をしてよくて、何をしてはいけないのか。何ができて、何ができないのか」

 そして、と言葉を続けて、レメクはあたしの頭をそっと撫でた。

 深い深い色の瞳を微笑ませながら。

「探し続けなさい。そういった(しがらみ)の中で、どんなことがあろうとも、自分の心に嘘をつくことなく歩み続けられる道を。それはひどく困難なものでしょうし、力及ばず挫折することもあるでしょうが、いつの日かきっと、望みを叶えてくれる力になるでしょう」

「……あい!」

 頷いて、あたしは背筋をピンと伸ばした。

 それに微笑ってもう一度頭を撫で、レメクが身を離す。

 アルルじーちゃんの方に一礼して去っていくレメクを見送って、あたしは意気込みも新たに偉大なる教皇サマに向き直った。

 呆気にとられた顔で、ポカンと口を開けている教皇サマを。

「……おじーちゃま?」

 あたしの呼び声に、教皇サマは三秒経ってからハッとこちらを見る。

 そうして、なぜか天井を見上げて盛大な嘆息をついた。

「いやはや……」

 ……いやはや?

「なんとな……」

 ……なんとな?

 意味不明な呟きを零すのに、あたしはただただ首を傾げた。

 なんだか妙にしみじみとした呟きなのだが、お偉い教皇サマが何に対してシミジミしているのかサッパリわからない。

 教皇サマは椅子に深く沈み込んだ状態で、はぁ~、と感慨深げなため息をついた。

「……長生き……するもんだな……」

 ……それはいったい何に対する感想だろーか?

 お髭をナデナデしてるおじーちゃまに焦れ、あたしはおじーちゃまの真正面に回り込んで、未だに天井を見上げているキンキラキンの膝の上によじ登った。

「お? おお……なんだ……あぁ、忘れるところであったな」

 何故か一瞬ビクッとなったおじーちゃまは、膝の上に乗ったあたしを見下ろし、微妙な及び腰で言う。熱い視線でジッと見上げ続けると、「まぁ、待て」と渋い顔で片手を上げられた。

「おまえの言いたいことは、分かっておる。あの、哀れな道化師のことであろう」

 十秒考えてピンときて、あたしは目を丸くした。

「……アルトリートは、道化師だったですか」

「そうだ」

 頷いて、アルルじーちゃんは少しばかり疲れたようなため息をついた。

「そもそも、アルトリートという小僧には何の力もない。それなのに、これだけのことをしでかせた……その時点で、オカシイと気づくべきであろうよ。母親が王族であろうとも、あの者の公爵家での立場は低いのだからな」

 言われて、あたしは首を傾げた。

「でも、王族の血って、それだけですごく大切じゃないのですか?」

 いくらおかーさんの連れ子とはいえ、そのおかーさんがスゴイ血筋なのだから、普通の貴族では太刀打ちできないぐらい身分は高いのだと思っていた。

 少なくとも、あたしみたいな孤児よりはずっとずっと大事にしてもらえる立場だろう。

 血にウルサイお貴族様の世界でだって、きっとチヤホヤされるに違いない。

 だが、れっきとした王族であるアルルじーちゃんは、あたしの問いに苦い顔になった。

「王族の血、か……それは確かに、大事であろうよ。『王族』と呼べれるほど血の濃い者は、老いた我が身を入れてもわずか数人……その希少性を考えれば、傍系、または正嫡以外の子といえど疎かにはできぬ。その身に秘めたる魔力や魔術特性を考えても、貴重であろうよ」

 ムズカシー言葉で語るおじーちゃまに、あたしは真面目な顔でフンフンと頷いた。

 分かりにくい言葉は、後でレメクに尋ねよう。

「だがな、娘よ。最も優先されるべき血統というのは、教会にて正式に結婚の儀を執り行った者の血だ。これは貴族のみならず、この近隣諸国ならばほとんどがそうだ。マルグレーテの第一子は教会の祝福を得ることなく産み落とされた。あれの籍はこの世の何処にもない」

「……え?」

 言われた言葉に、あたしは首を傾げた。

「籍が無い……って?」

 意味がよくわからなかった。

 アルトリートは、レンフォード家の人間のはずだ。

 家を継ぐ継がないとか云々の問題はともかく、一応、名乗りを許されてるぐらいには、ちゃんと認められている人の……はず……

「……娘よ。これは、人の世の闇だ」

 ジッと見上げるあたしを静かな目で見下ろして、アルルじーちゃんは言った。

「きちんと手続きをとっていれば、片親しかおらぬ子であろうとも、このようなことにはならぬ。……娘よ。おまえは知っているか? 新たな命が生まれれば、本来、親の血統を元に、教会の戸籍禄に記録されるのだということを」

「……あい」

 宿のおねーちゃんに聞いた話を思い出し、あたしはコックリと頷いた。

「あたしみたいに親がいなかったり、認められてない子は、孤児院が親代わりになってくれるから、それで戸籍があるんだって!」

「……そうだ」

 頷いて、アルルじーちゃんは深い嘆息をついた。

「国が民を管理するために作った『所属の最小単位』……それが今日、戸籍と呼ばれるものだ。親の血統……簡単に言えば『家族』だな……その『家族』がいるのならば、家族が。いないのならば、収容されている孤児院や救貧院が『所属場所』となる。……これを最終的に管理しているのは教会なのだが、アルトリートという子供は、どの『戸』にも籍が無かった。それどころか、出生記録もない」

「なんで……!?」

 あまりにもあんまりな内容に、あたしは思わずアルルじーちゃんの膝で伸び上がった。

「アルトリートは、エライ貴族の子供でしょ? おかーさんは王族でもあるのに!」

「……それがかえって弊害になっておるな」

 アルルじーちゃんはもう一度嘆息をついて、伸び上がっているあたしの頭の上に手を置いた。

 そのまま軽く押されて、しおしおと体を縮める。

「アレが名乗っておったのは、レンフォードの名であろう。……だが、あの者はレンフォードの血をひいておらぬ。ゆえに、レンフォードの家系図に名が載ることもない。養子の手続きをとっていないから、レンフォード家の籍にも入っておらぬ」

「じゃあ、おかーさんの方の……!」

 籍で、と言いかけて、あたしは『そのこと』に気づいた。

 愕然とした顔でかたまるあたしに、アルルじーちゃんは憂いを帯びた目で「そうだ」と告げる。

「……マルグレーテは、王族だ。降嫁した王女の産んだ子は、王族とは認められん。まして、産んだ子の父親とは結婚せず、別の者の家に降嫁しておるという状態なら、尚更であろう」

 つまり、おかーさんの籍には入れず……結婚した相手の家の子としても……認められていない。

「正式な婚姻をもって成された子でないが故に、アルトリートにはきちんとした籍が無い。せめて本当の父親が己の家系図に入れておれば、こんな事態にならずにすんだであろうが……」

 ぼやくように呟くアルルじーちゃんを見つめながら、あたしは暗然たる思いでそれを聞いていた。

 本物の王弟よりも、貴族らしい立ち振る舞いをしていたアルトリート。

 彼が受けた『教育』とかは、きっと本式のスバラシイものだったに違いない。

 モヤモヤッとしてたり、ドロッとしてたりで、あんまりイイ印象は無いけれど、彼の動作は貴族らしくとても洗練されたものだった。

 けれど、それを与えてくれた『家』も、本当の意味では彼の家では無い。

 ……どこにも無かったのだ。『彼』の居場所は。

 下手をすれば、孤児だったあたしよりもずっとひどい状態だろう。

 『きちんとした繋がりが何処にも無い存在』

 あたしは知っている。それがどういう風に表現されるのか。


 アルトリートは、『幽霊』だったのだ。


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