表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
対オジサマ攻略法!<闇の王と黄金の魔女>  作者: 関根麻希子
陰謀の章<虚飾の玉座編>
85/107

26 死をもって償うもの

 気絶した偽王弟(アルトリート)を縛って衣装籠に詰め、未だ騒がしいレンフォード家を後にして小一時間。

 後宮の一室に顔を揃えたあたし達は、手みやげのごとき衣装籠を厳しい表情で囲んでいた。

 集まっている面々は、総勢八名。

 時計回りに名前を挙げていくと、アウグスタ、ヴェルナー閣下、見知らぬおっちゃん、どっかで見たおっちゃん、どっかで見たにーちゃん、フェリ姫、シーゼル、そしてあたし。

 それぞれがキビシー表情を崩すことなく、中央にデンと置かれた衣装籠を睨んでいる。

 衣装籠の上には、何枚かの羊皮紙。

 そこにはキタナイ文字がのたくっているが、断じてあたしが書いたものでは無い。

 なぜならあたしが書いた文字なら、必ず斜め上に歪んでいくからである!

 ……ごほん……

 それはともかく!

 そのキチャナイ羊皮紙の下には、一カ所だけ綺麗な文字の場所があった。

 そこに書かれている文字こそ『アルトリート・ジュダ・フォルスト・レンフォード』。

 『アルトリート』が暗殺集団を雇っていたという、確かたる証拠だった。

(……てゆか、ナザゼル王妃……どこにいたのかと思ったら、こんなのも探してたんだな……)

 あの大騒ぎの中で。

 ……まぁ、おかげで突入のイイ口実になったりと、いろいろお役立ちだったのだが……

(……その途中にスゴイ強い人とバッタリ出会うってことは、そーゆー、お役立ちアイテムの所には、ドラゴンみたいな番人がいるってゆーことなのかな……)

 そのナザゼル王妃は、これはナスティアの問題だろうから、と城に着く寸前に姿を消した。

 実はコッソリ部屋の隅っこにいたりしないかナ? とか思ったのだが、匂いすらしないところをみると、本当に姿を消したようだ。

 ……大人というのは、いろいろムズカシイものである。

(……一緒にいたって、いいと思うのに……)

 あたしはぼんやりしてきた視界をゴシゴシ擦って、一生懸命目をカッぴらいた。

 白さが眩しいお部屋の中で、皆はキビチー顔で緊張感を漲らせている。

 そんな中、一人コックリコックリするわけにはいかないだろう。少々オネムなのを堪えて、あたしは一生懸命にマジメな顔を作り続けていた。

 下手するとフッと意識が途切れそうになるが、そこをグッと我慢するのがオトナのオンナである!

「……いやはや……」

 ……こっくりこっくり……

「……これほど愚かな反逆者は、いったい何十年ぶりでしょうな」

 深い深い嘆息をついて、見知らぬおっちゃんが重低音を響かせる。

 どっしりと腹に響くその声は、どことなくバルバロッサ卿に似ていた。

 年の頃は六十かそこらだろう。真っ白な髪はフサフサで、その体は巌のように大きく立派だ。

 おっちゃんは立派な顎ヒゲをごりごり撫でながら、盛大なため息をついた。

「……しかも、マルグレーテ殿下のご子息であられる、と……」

「さて……これを知った叔母上はどうされるかな?」

 ニヤリと口の端に笑みを浮かべて、アウグスタは籠を冷ややかに見下ろした。

「文句だけは盛大に言ってきそうだが、まぁ、レメクが相手では舌戦で勝つことも難しかろうよ」

 そのレメクはというと、まだ王宮に帰ってきていない。

 おっかないオバチャンがギャンギャン言ってて帰れないのだろーか?

(そゆときは猫ポテトさんががにくきゅーぱんちするのがヨイのですよ……)

 あたしは前後に揺れる視界を必死に固定しながら、(アルはどうなるんだろー?)とぼんやり思った。

 城に到着した時、死にそうな顔色になっていたアル。

 アディ姫に引きずられるようにして別室に連れて行かれたが、ちゃんと休んでいるんだろうか?

 ……無理をして、ここに来ようとしていないだろうか?

「そういえば、レンフォード公爵はいかがいたしましたかな。こちらの方の、義理の父親殿は」

 どっかで見たことがある渋いおっちゃんが籠を顎でしゃくり、ヴェルナー閣下が皮肉な笑みを浮かべる。

「領地から一歩も出ておいでではありませんが……先程急使を走らせましたので、まぁ、何日かすれば到着するでしょう」

「……ふん。全てが終わってから来る腹づもりやもしれませんな」

 野太い声でそう言って、白髪のおっちゃんはフンと鼻息を吐いた。

 あたしはネムネムなままその人をジーと見上げる。

 目があって、おっちゃんはぶっとい片眉をひょいと上げた。

「……末の姫君は、就寝時間でいらっしゃるのではないかな」

 おー……なんか表情がバルバロッサ卿そっくりだ。

「……そうだな。ベル、おまえはもう休むがいい」

 横にいるアウグスタに言われて、あたしはジーとアウグスタを見上げた。

「……おまえ、立ったまま寝たりしてないか?」

 起きてますとも。

 アウグスタが三人に見えたりしていやしませんとも!

「……寝ろ。ちゃんと」

 アウグスタのしなやかな手が伸びてきて、あたしをひょいと掴み上げる。

「誰か! ベルを……」

「だめらのれす! ポイはだめなのれす!」

 そのままどこかに運ばれそうになって、あたしは必死に暴れた。

「おじしゃまがくりゅまで、まってるのですぉ」

 掴み上げるアウグスタに向かってぱたぱたと手を振り、あたしは必死に居残り希望をアピールした。

 本当はぺちぺち叩きたかったのだが、残念! 手が届きません!!

「ちゃんとまって、おかえりなさぃを、ゆーのですよ!」

 アウグスタは呆れ顔だ。

「……おまえな……んなネムネムな状態で無理してたら、レメクが怒るだろーが……?」

「まつのがちゅまのやくめなのれす!」

「……いやもう、カワイイから許すがな……」

 あたしをムッチリに閉じこめて、アウグスタはあたしの背中をポムポム叩いた。

 おお! 素晴らしい心地よさ!

 ポムポムの振動すら眠気を引き上げる!!

 しかも偽乳が生乳っぽい弾力になってるぞ!?

「……さて、話しを元に戻すが」

 頭を切り換えて皆に語りかけるアウグスタの腕の中、あまりの心地よさに危険を感じて、あたしはモゴモゴ動いてアウグスタの胸に後頭部を預けた。

 ……ああっ! こっちでも心地よいッ!!

「……この若造に関しては、証拠が揃っておる。言い逃れが出来ぬほどの、な」

 ホワンホワンしているあたしをさておき、他の人々の視線はもう一度籠へと集中した。

 渋い顔の一同を代表して、ヴェルナー閣下が深いため息をつく。

「王家の血を引いていらっしゃるとはいえ……」

「……これは、あきらかに重罪ですな」

「左様」

 ヴェルナー閣下、渋いおっちゃん、白髪のおっちゃんの順に声を発して、最後にどっかで見たにーちゃんが嘆息をつく。

「契約書は全部で二つ。リウトプランド、アーグゼレン。……いずれも、近隣では有名な暗殺集団です」

「二つも揃えるとは……いやはや、ずいぶんと手の込んでいらっしゃることですなァ?」

「……資金はどこで得ていらっしゃったのやら。なにやらきな臭いことです」

 淡々と書類らしきものを読みあげるにーちゃんに、嫌味な笑みを浮かべる白髪のおっちゃんと渋いおっちゃん。

 あたしは頭の後ろに感じるモチモチモッチーに沈みながら、そんな三人をぼんやり眺めた。

 ……てゆか、あの三人、名前なんてゆーんだろ?

「ラウロ、バルバロッサ侯爵、バルダッサーレ公爵。揃えられた物騒な集団に関して、貴殿等の意見は?」

 ラウロと呼ばれたにーちゃんは、アウグスタに一礼してから言った。

「……マルグレーテ様のご子息が、レンフォード公爵に多額の借金を作っていらっしゃる、という話は聞いたことがあります」

「……まぁ、悪所にたびたび姿を見せていた、ということも聞いておりますな」

 白いヒゲをごりごり撫でながら、バルバロッサ侯爵と呼ばれた白髪のおっちゃんもどっしりと呟いた。

 ……そーか。似てると思ったら、バルバロッサ卿の家族だったのか……

「レンフォード家も監督不届きで処罰されるべきでしょうな。現当主どのには、そのあたりをきつく申し上げなくてはなるますまい」

 四十ほどの渋いハンサムおじさんはそう言い、「……もっとも」と、同席しているシーゼルに静かな眼差しを向けて言葉を続けた。

「……伯爵は、王女殿下をお救いくださったうえ、ご家族を諫めようとしてくださった。その件を考慮し、伯爵に関しては処罰は軽くしても良いかと」

「……いいえ、バルダッサーレ公爵……」

 フェリ姫の隣で、シーゼルは白い顔色のままゆっくりと首を横に振った。

「不穏な動きを察しながらも、これほどの惨事を引き起こしたのは私の力不足によるものです」

「しかし……」

「……他家のご随従の方々には、亡くなられた方もいたと聞きます」

 言いかける渋いバルダッサーレ公爵の声を遮って、シーゼルは真っ直ぐな眼差しで相手を見据える。

「……処罰は、どうぞ、均等に。後に禍根を残さぬよう、お願いいたします」

 そう言って静かに頭を下げる少年をどこか痛ましげに見つめ、バルダッサーレ公爵は小さく嘆息をついた。

「その覚悟はお見事だが、均等にはできまいよ」

「左様」

 バルダッサーレ公爵の言葉に頷いて、バルバロッサ侯爵は野太い声で言った。

「伯爵は王女殿下のご婚約者である、ご自身のお立場を考えられた方がよろしいかと。王女殿下の夫君となるのには、傷は少ないほうがよろしいでしょうな」

 その言葉の後半はアウグスタに向けられたものだった。

 アウグスタは頷く。

「クレマンス伯爵には、レンフォード公爵家の領地において一ヶ月の謹慎を命じる。しばらく登城は認められぬと思え」

「陛下……」

「どうせしばらくゴタゴタする。公爵家の中もイロイロあるだろう。おまえが押さえよ」

 アウグスタの声に、シーゼルは一瞬大きく目を瞠り、すぐに顔を引き締めて頷いた。

「……温情あるご裁可に報いれるよう、励ませていただきます」

「うむ。……だが、ほどほどにしておくがいいぞ。おまえの父親は、あれで、おまえ以上に情報に通じる男だからな」

「…………」

 アウグスタの声にギュッと唇を引き結び、シーゼルは頷いた。

 ……その顔は、父親を思い出す表情ではない。

 厳しく、敵を見据えようとする男の顔だった。

「……レンフォード家にも処罰がいるだろうな。さて、どうするか」

「降格するには、マルグレーテ殿の存在がいささか問題となりますか」

「いっそ領地を没収してしまいたいところですがなぁ……」

「身内の不始末です。厳しい裁可を下してもよろしいかと」

「……が、それをすると今度はクレマンス伯爵や、我が新しき弟にも累が及ぶ」

 即座に声を上げた三人の男は、アウグスタの言葉に口を閉ざした。

 苦笑をこぼして、アウグスタはあたしをギュッと胸で絞める。

「この機会にコテンパンにしてやりたいのは山々なのだがなぁ。下手をするとこっちもイロイロ締め上げられるから、面倒だ」

 今はあたしが絞まってます!

「……公爵と公爵夫人には、街屋敷での蟄居を命じられてはいかがですかな」

 左右から圧迫するモッチーと戦いながら、あたしはヴェルナー閣下の声に耳をすませた。

「お二方は、ご領地でたいへん好き放題していらっしゃるとか。いっそこの機会にクレマンス伯爵にご領地をきりもりしていただき、お身内から反逆者を出した当主夫妻には王都の街屋敷にてしばらく頭を冷やしていただいたほうがよろしいでしょう。王都にいながら登城を許されぬというのは、高貴な方々には大変な屈辱であられるようですし……」

 そこで言葉を句切って、ヴェルナー閣下は人の悪い笑みを浮かべる。

「……此度の騒動で、お屋敷もたいへん涼しい環境になっていると聞きましたし」

「くっ……それはよい!」

 閣下の声に吹き出して、バルダッサーレ公爵は顔をほころばせた。

「聞けば、断罪官であるクラウドール卿が珍しく積極的に破壊されたとか! そんな屋敷に、王都随一の公爵家当主が蟄居させられたとくれば……これはしばらく夜会のネタに困りませんな!」

「あまりネタにされても困るのだがな? バルダッサーレ公爵よ」

 その声に苦笑して、アウグスタはあたしの頭を圧迫から解放した。

 ああ! お花畑が遠ざかっていく……!

「おお、これは陛下! 失礼いたしました」

 大げさに唸ってみせ、バルダッサーレ公爵は口の端に渋い笑みを浮かべた。

「……けれど、噂というのは存外早く巡るもの。すでに下々には真実に近い情報が漏れていると聞きます。早めに処罰を下し、公に事実を明らかにする必要がありましょう。なに、お家騒動などどこの国でも大なり小なりあるものです。隣国など、兄弟で未だ争っていると聞きますし」

「……早めにしなくてはいけないのは、わかっているのだがな」

 嘆息をついて、アウグスタはその瞳に一瞬厳しい光を宿した。

「とりあえず、処罰をくだすのは大祭終了後とする。それは皆、異論ないな?」

「「「「「御意」」」」」

 全員がいっせいに頷き、あたしも慌てて頷こうとした。

 ……ああっ! 頭がモッチリサンドから抜け出せません!!

「他国の連中が帰れば、その場で会議を開く。なんとも血なまぐさい御前会議となるが、厩舎で被害があったのは地方貴族の従者だ。参加させるのが筋だろう」

 またもや全員が頷き、あたしはモッチリから必死に頭を抜こうと頑張った。

「そこで全員の意見を聞き、正式に処罰を下すことになるだろう」

 ぬぉぉ。

「我々を先に集められたのは、会議の先導役を考えてのことですかな? 陛下」

 ふんぐぐ。

「その通りだ、バルバロッサ侯。人が増えれば、その分意見も割れるだろう。それほど時間はかけられん。先に道を作っておく」

 んぬぐぉ。

「ですが、人が多いということは、別の意見に押し切られる可能性もあるということです」

 ふぬーっ!

「それも一応、予想の範囲内だ。……私が一番畏れているのはな、意見が完璧に割れた挙げ句、結論を下せない状況が生まれることだ」

 ……きゅーけい。

「レンフォード家は、クラウドール家同様、王家に次ぐ大貴族だ。おそらく、アルヴァストゥアル家が滅びれば、レンフォード家が次の王家となるだろう」

「……ありえませんな」

 厳しい表情で閣下が言い、他の大人達も一斉に頷く。

 フェリ姫とシーゼルは、互いの手を握って表情を引き締めていた。

「そのレンフォードを罰するとなれば、反発は必定。連中におもねっていた輩は、恩を売り自らを守るために庇うか、それとも巻き込まれてはならじと逃げるか……」

「さもなくば、日和見をするか……ですね」

 ラウロの声に、アウグスタはニッと笑った。

「そう……そうやって意見が割れては、処罰を命じるのにも時間がかかる。いっそ王命でサクッと決めてしまうのが一番いいのだが……」

「意見を聞く場を設けなければ、それはそれで後々文句を言われますからな」

「……それがあるからな」

 バルダッサーレ公に頷いて、アウグスタは嘆息をついた。

 あたしは脱出を再開する。

「時間がかかれば、それに乗じて暗躍する輩も出てくるだろう。……隙を見せるわけにはいかないからな。大祭後の会議ですぐに処罰を命じたい。……まずは、おぬし等の意見を聞こう」

 ふぬぉ。

「……王弟クリストフの暗殺を目論んだこの男、アルトリートの刑はなんとする?」

 ののの。

 アウグスタの声に年少二人は押し黙り、四人の大人は声を揃えた。

「公開処刑を」

 あたしの体が、アウグスタの胸から飛び出した。



「ふのっ!」

 気合いと同時に吹っ飛んだ体に、アウグスタが後ろで「あ」と呟いたのを耳にした。

 しかし、飛び出したあたしの体は止まらず、勢いよく籠の上に着地する。

 ピタリと決まる着地。十点ゼロ!

 しかしその余韻に浸る余裕はなく、あたしは唖然としている一同の視線を浴びながら、アウグスタを振り返って叫んだ。

「処刑はダメなのです!」

「……ベル」

「ダメったらダメなのです!」

 あたしの前に立つアウグスタは、どこか悲しげな目であたしを見た。

「……そやつを罰さなければ、他の者は納得せぬ」

「納得のために処刑するのです!? 命は一つしか無いのですよ!?」

「その一つしか無い命を、そやつは奪おうとしたのだぞ」

 あたしの足下にある籠を見やって、アウグスタは厳しい声で言った。

「私とて、むやみに処刑などしたくはない。……だが、ベルよ。命の大切さを説くのであれば、まず考えるがよい。己の欲得のために、他者の命を狙うことの重さを。……その者が犯した過ちのために、死んでしまった者達の命を」

 ふいに頭に浮かんだ光景に、あたしはギュッと唇を噛みしめた。

 ……わかってる。

 ……忘れてない。

 あの光景を、あの惨劇を……!

 ──でも!

「……人は、死んだら、終わりなのです」

「…………」

「皆そうなのです。死んじゃったら、おしまいなのです!」

「……だから」

「でも、生きていれば、過ちを正すことも、償うこともできるのです!」

 人を助けてくれる神様のいないこの世界には、きっと天国なんてありはしない。

 人は死んだらそれまでで、きっと、それ以降には何も存在しないのだ。

 ……生きていたって、苦しいこともあるし、悲しいこともある。

 けれど、生きてさえいれば、日々の生活のその中で、少しずつ変わったり得たりすることもあるだろう。

 ……人はきっと、生きていく過程で、大なり小なり何かの罪を犯している。

 完璧な聖人なんて存在せず、悲しい嘘も、情けない過ちも、歩いてきた人生の傍らに、いつだって散らばっているのだ。

 何も思わずに歩き続ければ、きっといつまでたっても気づかない。

 自分だけの視界と、自分だけの考えと、自分だけの思いだけで生きていれば気づけない。

 けれど世界はいつだって誰かと繋がっていて、それは自分の何かを確実に変えていってくれるのだ。

 絶望の淵で小さな犯罪を犯しながら、犯した罪すら生きる糧にして、償うことすら考えることなく、荒んだ目でただ日々を生き抜いてきたあたしが、今、こうしてここにあるように!

 ──だけど、死んでしまえば、それもない!!

「いけないことをしたのは、確かなのです! 許したいとは……あたしも思わないのです!」

 あたしは小さな体全部を声にして、必死にアウグスタに訴えた。

「それでも、奪っていい命なんて、一つだってありはしないのです!」

 アウグスタはただジッとあたしを見つめていた。

 その瞳はあまりにも静かで──

(……アウグスタ……)

 ──あまりにも悲しげだった。

(……そうか……だから……)

 その瞳に直感した。

 先までの彼女の言葉。彼女の態度。──その、仕草。

 だけど、

「……ベル。お前の気持ちはよくわかる」

 アウグスタは言った。

 悲しい瞳のままで。

 その表情だけは依然として厳しく作ったまま──

「……だが、王族を殺めようとした者を死罪にせねば、後に災いを残すだろう」

「! アウグスタ!」

「……王女は疲れている。ポテト」

 呼び声に、アウグスタの後ろから一人の男性が姿を現した。

 世界を塗り替えてしまうほどの気配、圧倒的な美貌、一瞬でその場の全てを支配するそのヒトに、アウグスタは静かな声で命じる。

「……レメクが戻るまで、ゆっくり休ませてやってくれ」

「アウグスタ!!」

 あたしは叫んだ。

 止めなきゃいけないと思った。感情がそう叫んでいるからではない、それだけじゃなく、彼女自身のためにも……!

「おとーさま!」

 籠から飛び降り、駆け寄ろうとした体をひょいと抱えられて、あたしはポテトさんの腕の中で暴れた。

「アウグスタ! ダメなのです! 殺しちゃいけないのです!!」

 そのまま部屋を出て行くポテトさんの腕から身を乗り出して、あたしは大きく体をひねった。

 肩越しに見える悲しい女王に声を振り絞る。

「心を殺しちゃダメなのです!!」

 アウグスタは答えない。

 ただ、あたしの目の前で、大きな扉が音をたてて閉ざされた。


   ※ ※ ※


 王宮の廊下は静かだった。

 どこかで人が動いている気配はするが、少なくとも、あたし達がいる付近には人の姿は無い。

 ポテトさんは無言だった。

 相変わらず壮絶な美貌に静かな表情をたたえて、大人しくなったあたしを抱えて進む。

 どちらもしばらく声を発さず、その沈黙が破られたのは、廊下の角を曲がった後だった。

「……人というのは、目に見えるものでしか判断しません」

 ぽつりと呟かれた言葉に、あたしは小さく頷く。

「……自分の耳で聞いた言葉ですら、時に無かったこととして消してしまうのが人という生き物です。だからこそ、誰もの目に見え、誰もが納得するだけの決着をつけなくてはいけない。……それが、人の世の刑罰なのでしょう」

 あたしは答えない。

 ……答えられるはずが無かった。

「お嬢さん。あなたもそれは、理解しているのでしょう?」

 そう。理解していないわけじゃないのだ。

 罪と罰については、何度もレメクに教えてもらった。

 罪に対しては相応の罰を与えなければならないことも……そうしなければならない理由も。

 だけど──だけれども!

「……あのままじゃ……可哀想なのです」

「……同情ですか」

 静かなポテトさんの声に、あたしはその肩に顔を埋めて言葉を続けた。

「……アウグスタが、可哀想なのです」

 その瞬間、確かに一瞬、ポテトさんの足が止まった。

 こちらを見る気配に、あたしはギュッと目を瞑る。

 ……思い出すのは、アウグスタの悲しい瞳だ。

 目の前にある、たぶん彼女にとってはすぐに思いついてしまうほど簡単な、誰の目にも明らかな『刑罰』を前に、違う人々に意見を求めて彼女。

 その答えは── 一つだ。

「アウグスタだって、人を殺したくないのです。誰もが納得するぐらいハッキリしてて、それをするのが当たり前なぐらいの刑罰なら、最初からアウグスタはそれを口にすればよかったのです」

 けれど出来なかった。

 誰かに意見を求める時、彼女は少しだけ、期待していたのだ。

 ……それ以外の刑罰が、どこかにありはしないかと。

「……自分の心を殺さなくちゃできない刑罰なら、しないほうがいいのです。探せばあるかもしれない他の可能性を探す前に、簡単に決めていい方法じゃないのです」

 あのアルトリートに同情はしない。

 彼は自分のためだけに、今までトモダチだった『アル』を殺そうとしたのだ。

 その巻きぞいになった人々を思えば、きっと誰もが死罪をと声を張り上げるだろう。

「けど、人の命って、何かの報復や、何かの罰のために、簡単に奪っていいものじゃないのです」

 そして、

「……アウグスタも、それをわかってるのです。わかってるけど、王様として……ただ、王様としてだけのために、必死にそれを押し殺してるのです」

 アルは慟哭のような声で言った。

 王族の名を背負って立てるほど、自分達は強くはないと。

 それができるのは、アウグスタ達なのだと。

 ……だけど本当は、違うのだ。

 アウグスタ達だって、背負って立てるほど強くは無いのだ。

 立たなくてはいけないから、無理やりに立っているだけなのだ。

「……アウグスタが可哀想なのです……」

「…………」

「……みんな、可哀想なのです……」

 最初のきっかけは何だったのだろうか?

 道を踏み外してしまったアルトリート。

 罪の重さに気づけず、荷担してしまった『アル』ことクリストフ。

 裁かなくてはいけない罪の前に、苦しみを堪えているアウグスタ。

 何も関係ないのに、命を奪われてしまった見知らぬ人達。

 彼等がこんな風になってしまった、最初の原因は何だったのだろうか?

 例えアルトリートが嫉妬で『アル』を憎々しく思ったとしても、その嫉妬を覚えるきっかけは別の誰かが作らないとできないと思うのだ。

 そう……『アル』が王族の血を引いていることは、彼は最初から知っていた。

 それでも最初は何もなかったのだ。そこにどのような形であれ、友情みたいなのが育まれるほどに。

 どこかに偽りがあったとしても、平和で穏やかな日々があったはずだ。

 何もなければ、永遠に続いたかもしれず、きっと『アル』からすれば、永遠に続くはずだと思っていた日々が──

 ──それを……

「……誰が、アルトリートとアルの間を、壊したの……?」

 思わず呟いたあたしの言葉に、ふと、ポテトさんが薄く笑った。

 気配でそれを察して、あたしは顔を上げる。

 美しいそのヒトは、冷たい笑みを浮かべてあたしを見る。

「……今、レンさんが言ってた言葉を理解しました」

「ポテトさん……?」

 ポテトさんは笑う。冷たい笑みの中、その瞳に冷厳たる光をたたえて。

「あなたが時折見せる、閃きにも似た洞察力が、少し恐ろしいと……」

 ……失敬な!?

「褒めているのですよ。あなたは年のわりには頭が回る」

 褒めてるように聞こえませんよ!?

「……少し、回りすぎるぐらいに回ることもある」

 頬をぷくっとふくらせているあたしを見下ろし、ほんのちょっとだけいつもの目に戻ってポテトさんは言った。

「……だから、気をつけなさい、お嬢さん。あなたのその閃きは、時に隠された真実を浮き彫りにする。それは諸刃の剣です。現状を覆す武器にもなれば、身を危険にさらす罠にもなる」

「…………」

 ふくらませた頬をさらに大きくすると、ポテトさんは指でソレをぶしゅっと押した。

「稚い姿をしながら、やはりあなたも魔女。真実を読み解き、人心を変える力を持つ」

 ぷにぷにとそのまま頬を押されて、あたしはぺちっとその指を叩く。

「アウグスタはもっと強いのです」

「……ええ。ご主人様は、あなたよりも強く、そして完成されつつある魔女でしょう」

「なら、『アウグスタが』変えることができるはずなのです」

「おや。何を変えるというのです? 人心をですか?」

 そう!

「処刑じゃないといけないっていう、人の心をです!」

 言ったあたしに、ポテトさんは笑った。

 さきほどよりちょっぴり暖かい、可笑しそうな笑みで。

「あの方の成長をあなたが後押しするんですか」

「?」

 言われた言葉にあたしは首を傾げる。

 あれ以上、胸は大きくなる必要無いと思うのだが。

「……心の意味で、です」

 あぁっ! なんか呆れた目を向けられた!

「ご主人様はねぇ、あぁ見えて頭がカチンコチンなんですよ」

 普段通りのユルい口調になったポテトさんに、あたしは目をキラリと光らせる。

「なるほど! 柔らかいのは体だけなのですね!」

「……なぜ台詞がオヤジ臭いのでしょうね……お嬢さんは……」

 失敬な。

「まぁ、そんなご主人様ですから、今のままでは『公開処刑』になってしまうでしょうね。もしくは、王族の血に配慮しての服毒か……いずれにしても、死罪は免れないでしょう」

「そんな……!」

「くつがえす手段を探すのならば、覚悟を決めておくことです」

 ゆっくりと歩みを再開して、ポテトさんは言う。

「今のままであれば、あなたは『幸運なメリディスの少女』というだけの存在で終われるでしょう。一年もすれば人々の好奇の目も薄れ、平穏で暖かい日々を送れることでしょう」

 けれど、と呟いて、ポテトさんは笑う。

「これ以上踏み込み、その存在を人々に印象づければ、あなたは否応なく王国の舞台に上がることになる。姫君方が普段属している王宮という舞台ではなく、この国そのものの舞台に」

 あたしはポテトさんを見た。

 ポテトさんはあたしを見る。

 神々を凌ぐ美貌に、人ならざる笑みを浮かべて。

「政に関わるということは、そういうことです。平穏を望むならば、心を殺し、思考を止めて過ごしなさい」

 人気のない廊下に声と足音を響かせて、彼はとある扉の前に立った。

 両開きの豪華な扉。

 手も触れていないのに、その扉がゆっくりと開かれる。

「……それを良しとせず、心のままに動くのならば、覚悟を決めて進みなさい。全ての結末を己の肩に背負う覚悟を」

 開かれた扉の向こうにもう一枚の扉。

 自動で開かれるそこへと足を踏み入れて、ポテトさんは言葉を紡いだ。

「かつて、私のご主人様がそう決めたように」

 ──と。


  ※ ※ ※


 部屋に入ったあたし達を迎えてくれたのは、まず驚きに目を瞠ったアルだった。

「ちみっちょ!」

 相変わらず顔色の悪い彼は、ソファにぐったりと身を沈めていた。

 そこからほとんど跳ね起きるようにして立ち上がった彼に、対面するソファに座っていたアディ姫も立ち上がる。

 振り返った彼女もまた、わずかに生色を欠いた顔をしていた。

「ロードも……」

「お邪魔しますよ」

 素晴らしい笑みを浮かべて入ってきたポテトさんに、二人はそろって息をつめた。

「あんたが戻った、ってことは……兄貴も戻ってるのか?」

「てゆか、猫ちゃんじゃなくなってるんだ……」

 アディ姫はなんだか残念そうだ。

「残念ながら、この『私』は本体ですよ。『人形』でしたら、まだレンさんと一緒に外にいます」

 なんかアルが「……分裂したままかよ……」とかぼやいてる。

「分裂ではなく、分身です。わりと簡単な魔法ですよ。なんならあなたの魂の一部を別のものに入れ込んで作ってさしあげましょうか? ん?」

「うわっ! わ、悪かった! とりあえず悪かったッ!!」

 真顔で超間際まで詰め寄られ、慌てたアルが悲鳴じみた声をあげた。

 キスしちゃうんじゃなかろーかという近さから飛び退いた彼は、すぐ後ろにあったソファにあたってものの見事にひっくり返る。

 ……まぁ、ソファの上だから、たいして痛くはなかっただろーが。

 それよりもココロが痛みかけたんじゃなかろーか? あの超美貌の超ドアップ(キス寸前)は。

「実はさっきまでご主人様の護衛をしてたんですけどねぇ、お嬢さんがご主人様にかみついちゃったから、大人しくさせるためにここへ連れて来たんですよ」

「「陛下にかみついた!?」」

 二人がギョッとした声をあげ、あたしは慌てて両手を振った。

「違うのです! 噛んだわけじゃないのです! 周りの人がアルトリートは処刑したほうがいいって言うから、しちゃだめだって……あ!」

 そこまで言って、アルの顔色に(しまった!)と口を押さえる。

 けれど言ってしまった言葉は取り消せない。

 いっそう顔色を無くしたアルが、震える唇で呟いた。

「……それしか……無いのかよ……?」

 普段の彼からは想像もつかないか細い声だった。

 その前に立つポテトさんは、ただ静かな顔でそんなアルを見下ろしている。

「本当に……それっきゃ無いのかよ!?」

 悲鳴のようだと……そう思った。

 心がキリキリと悲鳴をあげていて、それが声となって外に出ている。

「……アル」

 アディ姫が気遣わしげに声を落とし、何かを言いかけ、わずかに迷って唇を噛んだ。

 ……彼女にも言えない言葉があったのだ。

 例えばこんな時にかけるべき嘘の慰めや、ありえない可能性の示唆など。

「……あなたは、自分が殺されかけたという自覚が乏しいんですかね……」

 痛ましい静けさの中で、ポテトさんが感情のない声で呟く。

「あなたには、彼を気遣う理由が無いでしょう?」

「無いわけ、ないだろ!?」

「いいえ、ありませんよ」

 反射的にくってかかったアルに、けれどポテトさんは静かな顔のままで言う。

「裏切られ、命を狙われ、その理由はただの嫉妬。殺されるためだけに王宮にまでつきあわされ、悲惨な光景を見せられ、心に大きな傷を負った。……その加害者を気遣う理由なんて、もう、どこにもないでしょう。あなたは、とうの昔に失っていたんですから」

「…………」

「あなたの思う『アルトリート』という若者は、もうどこにもいませんよ。いるのはただ、あなたに嫉妬し、あなたに成り代わるためにあなたを殺そうとした犯罪者だけです」

 淡々と事実を告げて、ポテトさんはふと顔をどこか違う場所へと向けた。

「……あぁ、結論が出たようですね」

「「「!」」」

 弾かれたように息を呑むあたし達に、ポテトさんは抑揚のない声で告げる。

「どうやら西の塔に移されるようですね。バルバロッサ公が運んでいるということは、一応、今は事実を公にしないつもりですか」

「西の塔!?」

 思わず声をあげたのはアディ姫で、その塔が何なのか知らないあたしは首を傾げる。

 同じく知らないらしいアルも眉をひそめ、必死の眼差しでアディ姫を見た。

 アディ姫はアルの眼差しを顔を歪める。

 言いよどみ、顔を背けるその仕草で、あたしは答えを読み取った。

「……アディ」

 答えないアディ姫にじれて、アルが一歩を踏み出す。

 だがその足と止めたのは、ポテトさんでもアディ姫でも、そしてあたしでもなかった。

「……西の塔は、死刑囚の塔だよ」

 カラコロと軽い音を響かせながら、その声の人物は奥の部屋から現れる。

「日の出を拝むことのできない彼等に、落日とともに己の犯した罪を感じさせる……そのために作られた塔だ」

「ケニード!」

 どこかポテトさんと似た静かな表情の彼は、ついてきた銀色のワゴンをソファ近くで止める。

 凝視するアルに視線をあわせ、彼は躊躇なく言った。

「……王族を狙った、という事実は、決して軽視することはできない。それは、どこの国でも変わらないことなんだ」

「……ケニードの兄貴……」

「例え君に自覚は無くても、君を通して人々は王の一族を見る。その一族に対して振り上げられた刃は、その者自身を切り裂く刃だ。……そうでなければ、人々は王族を軽視するようになる。自国だけじゃなく、他国の人々もね」

 そうして、ほんの少しだけぎこちない手つきで紅茶の用意をしはじめた。

 まるで、その話しはそこまでだ、と言わんばかりに。

「……軽視されたくねェから、殺すのかよ……?」

「そうだよ」

 アルの問いに、ケニードは淀みなく答える。

「軽視されちゃいけないんだ。王族とは、国の象徴。国そのものを現す人達だ。わかるかい? それを軽視するということは、国を軽視するということなんだ。王族を殺めようとする人を許すということは、国を滅ぼそうとする人を許すということなんだよ。これは君だけの問題じゃない。陛下や、この国そのものの問題でもあるんだ」

「俺はどうなる!?」

 立ち上がり、嫌な空気を打ち払うように手を振って、アルはケニードに叫んだ。

「俺だって手を貸した! 俺が承諾して、そこから全てが始まったんだ! 俺がきかっけだろ!?」

「……そうだね」

 丁寧な手つきで紅茶を淹れ、ケニードは頷く。

 ──アルに背を向けたまま。

「君もまた罰せられるだろうね。……けれどそれは、死をもって償うものではない」

「どうして!?」

「罪の種類が違うからだよ」

 全員分の紅茶を淹れ終え、ケニードはようやくアルを振り向いた。

 その表情を見てアルは息を呑む。

 彼を振り返ったケニードの顔は、決して揺れることのない厳しさを秘めていた。

「君の行動は罪だった。軽挙であり、浅はかだった。王族の名を騙る者を許し、あまつさえ協力的な態度をとった。その罪は必ず償わなければならないだろうね」

「…………」

「けれど君は、王族を殺そうとしたわけじゃない」

 差があるのは、そこ。

「……そして、一番の被害にあったのは、他ならぬ君だった」

 名を渡し、騙され、命を狙われた。

「……人々は君に同情を寄せるだろう。レンフォード家で不遇の目にあっていた隠された王弟殿下が、騙され、命を狙われたのだと思うだろう」

 そして、それは間違っていない。

「けれど、『彼』は違う。『彼』はただの犯罪者だ。全ての首謀者として陛下の御前にひきたてられ、その裁可をもって処罰されるべき重罪人だ。人々は『彼』の死を望み、『彼』の死をもってはじめて事件に終止符を打つだろう。……王に刃を向ける者は、死をもって償うべきという不文律を胸に刻んで」

「そんなの……」

 アルは苦しげな声を零す。

 間違ってると、そう言いたいのだとわかった。

 けれど、アルはその一言を言わなかった。

 ……いや、言えなかった。

 彼も心のどこかで、そうだと思っていたのだろう。

 ……彼は納得していたのだ。死をもって償うことに。

 けれどそれは、自分の死という形で。

「……君が毒をあおったって、帰ってきた君達から聞いた時……『それ』を選んだ君に、僕は敬意を覚えたよ」

「……敬意?」

 思わず呟いたあたしに、そう、と頷いてケニードは嘆息をつく。

「身分ある者は、間違えてもやり直すことはできない。なぜなら、そのことによって引き起こされる事態は、下々の僕らのそれと違って、大きな混乱と悲劇を周りにもたらすからだ」

 あたし達は言葉につまった。

 その言葉の重さは、それが引き起こされた今ならよくわかる。

「だからこそ、やり直すことはできない。起こったことに対する償いをしなくちゃいけないからだ」

「……それが、死、なのかよ……?」

「そうだよ」

 あっさりと頷いて、彼は言う。

「位が高ければ高いほど、それは死と密接する形になる。死をもってしか償えないような事態になるからだ。……だからこそ、身分の高い者は過ちを犯しちゃいけない。過ちを犯せば死に至るのだと覚えておかなくてはいけないんだ」

 そして、とアルを見つめたまま呟いて、ケニードは深い嘆息をついた。

「……動き出したものを止めるために、時に自ら命を絶たなくてはいけなくなる。君がしたのは、それだろう。その覚悟をもっているのなら、君には間違いなく『王族』としての覚悟ができている。決して死を恐れず、自らの命でもって場を収める覚悟が」

「そんなんじゃねェ!」

 あくまでも静かな口調のケニードに、反発するようにアルは声を荒げた。

「そんなんじゃねェんだ! ……俺が全部の原因だったんだ! なら、俺が消えればいいんじゃねェか!! そう思ったんだよ!」

「だから、死んでしまおう、と?」

「そ……そうだよ! 俺が消えればそれですむだろ!? あいつがバカげたことを考えることも、なくなるじゃねェか!」

 ケニードの後ろで紅茶の香気が昇っている。

 誰にも手にとってもらえず、ただ冷めていくだけの紅茶が。

「俺がいなけりゃ起こらなかったんだ! 全部の元凶が俺なら、全部の罪も俺にあるはずじゃねェか! そうだろ!? 俺が生まれてきたことが、そもそもの過ちじゃねェか!!」

 パン、と。

 唐突に乾いた音がした。

 あたし達はビックリして口をぽかんと開ける。

「……ケニ……ード?」

 思わず名前を呼んでしまった。

 ケニードがアルをひっぱたいたのだ。

 それは無茶な力ではなかったけれど、決して軽い力でもなかった。

「無理やり言い訳を作っちゃ、ダメだよ?」

 叩かれ、ポカンとしているアルに、彼は真面目な顔で言う。

「自分を卑下しても、いけないんだよ?」

 叩かれたアルの頬が、少しだけ赤くなっている。

「自分が消えれば終わりだから、と、ただそれだけで死のうとするのなら、わざわざ『彼』の前に行く必要なんて、なかったんだ。強い人達が揃っていて、もしかすると邪魔されてしまうかもしれない場所に行く必要なんてなかったんだよ。……だってそうだろう?」

 もし、ただ、ヤケになって死を選ぶだけなら……

「逃げるために死ぬのなら、誰もいない所でひっそり毒をあおればそれでよかったんだ。君の思いは、彼の元に駆けつけた時に証明されている」

 本当は、死にたかったわけじゃない。

 逃げたかったわけじゃない。

「君はただ、自分の目で事実を確認したかったんだ」

 ……他の誰かが言う事実じゃなく、己の目で信じている世界が嘘なのか本当なのかを確かめたかったのだ。

「そして、事実が悲しむべきことだったのなら……『彼』を止めたかったんだ」

 他の誰でもなく、唯一人、彼を信じていた友達として。

「もう、罪を犯さなくてもいいように。これ以上、罪を重ねなくてもいいように」

 そう……己の命すらも投げ出して……

「……『彼』を……助けたかったんだね?」

 自分の存在が歪めてしまった大切な友達。

 動き出した出来事の中で、誰からも敵視されてしまった大切な人。

 行き着く先を察したからこそ、彼は自らも死ぬ覚悟を固めたのだ。

「……それができないなら、せめて、自分も一緒に死のうと思ったんだね?」

 王弟であり、高位者に保護された自分は、同じ罪を背負わされることなく生きながらえるだろうと察したから。

「それぐらい……大事な友達だったんだね……」

 アルは答えなかった。

 答える必要すら、なかったのだ。

 くしゃくしゃになった顔が、零れた涙が、全部物語っていた。

 彼の行動も、理由も、その気持ちも。

「……アロック卿。よく、理解できるわね?」

 アディ姫が重く悲しげなため息をついて、そうケニードに声をかける。

 必死に嗚咽を噛み殺してるアルを気遣わしげに見ていたケニードは、ほろりと笑って答えた。

「……僕にも覚えがありますからね」

 それは、大切な誰かのために、命を捨てる覚悟をしたということだろうか?

 あたしはジッとケニードを見つめる。

 彼が命をかけるほどの相手だなんて、あたしには一人しか思い浮かばなかった。

 何があったのだろうか? あたしよりも遙かに長い年月を生きている彼等には。

 ケニードはあたしの視線に淡く微笑んで、その話しはまた今度ね、と目で告げる。

 あたしは嘆息をついた。

 ……人には、たくさんの思いがあり、たくさんの出来事をその身に抱えているのだ。

 それはきっと、あたしでは思いもつかない冒険譚であり、あたしでは未だ理解できない、熱く激しい感情であるのだろう。

 深いため息をつくあたしをそっと床に降ろして、ポテトさんが冷めていく紅茶のワゴンに向かう。

 そうして、優雅な手つきで一人一人に紅茶を手渡して微笑んだ。

「少し、休みなさい。……夜会が終わるまで、一部の者以外はこの事件を知らずに過ごすでしょう。全ての結論が出されるのは、おそらく明日の晩。各国の賓客が帰国し、なおかつ地方貴族が揃っているわずかな時間帯となるはずです」

 それまでは、最終的な決断も下されない。

 ……『彼』も、西の塔で、生きている。

 アルが瞳に小さな光をたたえて、受け取った紅茶を見つめた。

 嫌な予感を覚えつつもただ顔を見合わせるだけで押し黙ったあたしとアディ姫に、ケニードが小さく頷く。

 ……アルは、まだ、諦めてない。

 きっと、まだ、諦めてないのだ。

「あなたがたにはイロイロありすぎました。もう夜も遅いのですから、ゆっくり眠りなさい」

 あたし達は小さく頷き、それぞれカップに口をつける。

 かちょん。

 ぱたむ。

 くーくーくー。

「「「…………」」」

 ……なにか、連続した音がした。

 妙な予感を覚えつつそちらを見ると……

「……盛ったわね?」

 わずか一口で爆睡しちゃってるアルが、ポテトさんの足下に転がっていた。

 手から落ちただろうカップは、キレーにポテトさんの手に受け取られている。

 ……てゆか、なんでアルの体の方を受け取ってあげないのだ……

「言っておきますけど、盛ったのは私じゃありませんよ?」

 アディ姫のジト目にしれっと答え、そのまま視線をケニードに送るポテトさん。

 しかしケニードも唖然とした顔だ。

「……僕はこれほど効果の出る眠り薬は盛ってませんけど……?」

 ……盛ったのは事実なのか……

「ちょっと魔法で威力を高めてみました」

 ポテトさんはイイ笑顔だ。

「てゆか、なんでそんなことするの?」

 カップをがじがじと噛みながら言うあたしに、手にもった紅茶を一口飲んでポテトさんは肩をすくめてみせる。

「放っておけば、夜中にこっそり塔に侵入しようとするでしょう? いくらなんでも、そんな怪しい真似はさせれませんからね」

 ……てゆか、今飲んだの、アルが飲んだ眠り薬入りの紅茶じゃなかろーか?

「目が覚めたら伝えてやってください。西の塔に入りたいのなら、明日の昼前、一時間だけ時間をとってあげます、と。私が陛下の許可をとって連れて行く分なら、問題は無いでしょう」

 ……飲んでもビクともしないんだな……ポテトさん……

「同席したいのなら、皆さんも一緒に行きますか?」

 飲み干してもケロッとしているポテトさんをジッと見つめ、アディ姫はゆっくりと首を横に振った。

「……あたしは遠慮するわ」

「おや。真実の探求者さんともあろう人が、珍しい」

「邪魔にしかならないもの」

 さらりと言って、彼女はほろりと微笑む。

「……間に入っていい問題じゃないわ。だから、あたしは残る」

 それは、静かで、とても美しい表情だった。

 ポテトさんは頷く。……彼は、どこか満足そうだった。

「僕も遠慮しておきます」

 自分が飲み干した紅茶を不思議そうに見てから、ケニードも苦笑して言った。

「姫の言葉じゃないですけど、立ち会っていい話では無いでしょうからね」

「おやおや」

 苦笑に苦笑を返して、ポテトさんは最後にあたしを見た。

「お嬢さんはどうします?」

 あたしは答えた。

 決めていた答えを。

「一緒には行かない」

 それは、きっと、彼等の会話を邪魔することになるから。

「あたしは、あたしのやり方で、見つけなきゃいけないことがあるから」

 ポテトさんは微笑(わら)った。

 答えに満足したような、どこか嬉しそうな顔で。

「楽しみにしていますよ、お嬢さん」


 レメクの帰還を告げられたのは、その少し後のことだった。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ