24 魂の宝冠
静まりかえった廊下に、あたしとアディ姫はポツンと佇んでいた。
「…………全部、持ってかれちゃったわね……」
ひゅるり、と風が吹く廊下で、アディ姫が虚ろに呟く。
レメクがコワイヒトになって数十秒。
たったそれだけしか経っていないのに、周りは散々な状態になっていた。
ただでさえレメクの水蛇に壁などを壊されていた廊下は、今や完全に破壊されている。
右手側の外壁はそのほとんどが吹っ飛び、廊下はレメク達がいたあたりから数十歩分にわたって消滅していた。
かろうじて柱や、壁にひっついてる欠片程度の廊下が残っているが、あれを足場に進むのには、かなりの勇気が必要だろう。
もちろん、敵なんて影も形も無くなっている。
……ついでにレメクも追撃していなくなっちゃってたりするのだが……
「……キレてたね……侯爵……」
「……ぅん……」
コックリと頷いて、あたしはフンフンと風の匂いを嗅いだ。
どこまで遠くに行っているのか、レメクの匂いはかなり薄い。
なんか遠くでスゴイ破壊音が聞こえてきてるから、きっとあのあたりにいるんだろう。
「……侯爵。深追いして敷地の外に行かなきゃいいけど……」
アディ姫の声は心底不安そーだ。
……いやまぁ、あの勢いでは、不安に思うのも仕方ないのだが……
「あのまま行ったら、下手すりゃ大惨事よ?」
「い、いや、おじ様のことだから、きっと周りに配慮して……」
「キレてたわよね?」
チョイチョイと半壊している廊下を指さすアディ姫に、あたしは即座にお祈りポーズになった。
『おじ様ッ! お屋敷の外に行っちゃダメなのです!』
レメクからはウンでもなければスンでもない
……そーいや、前のココロノコエも無視されちゃったんだっけな……
「ちょっ……なんでしょんぼりしてるの末姫ちゃん!? まさかもう手遅れだった!?」
むしろあたしのココロが手遅れです。
「おじ様……お返事返してくれないにょ……」
「うっ!」
先の一幕を思い出したのか、それともそれほどキレてるレメクに怯えたのか、アディ姫が顔をひきつらせる。
「ほ、ほらっ、侯爵もアレな感じになっちゃったし! あたし達は頑張ってフェリ達を探さないとネッ!」
えぐえぐ。
「末姫ちゃんが頑張ったら、侯爵もきっと褒めてくれるわよぅ!?」
ずぴずぴ。
「もしかしたら『よくやりました!』とかっておでこにチューしてくれるかもヨ!?」
燃えました。
「おねぇしゃま! 標的の匂いはあっちなのです!」
闘志を燃やして半壊してる廊下をビシィッ! と指さすあたしに、アディ姫がミョーな間をおいてポツリと呟いた。
「……末姫ちゃん……アレをあたしに渡れとゆーのね?」
なんだか途方に暮れたよーな声だった。
※ ※ ※
アディ姫の体術は素晴らしかった。
なにが一番素晴らしいって、十歩分ぐらい離れた柱の残骸を足場に、ポンポンとあたしを抱えて跳躍しちゃえるところがスバラシかった。
彼女の足には、そう! 魔法がかかっているのである!!
「あーもう! 侯爵ってばどーしてこー無茶苦茶な攻撃してるのよッ!」
その魔法の足で一際高い跳躍をしながら、彼女は「キーッ」と罵声を放った。
普通、声をあげれば体が多少ブレるはずなのに、彼女の足はわずかのズレもなく目指した『壁際にかろうじて残ってる廊下の残骸』に着地する。
次の足場はと探す目に映るのは、遙か向こうにある『崩れかけた柱』だ。
「「…………」」
沈黙。
壁を失った右隣の空間から、ぴゅぅ、と風が吹いてアディ姫のドレスをヒラヒラさせた。
「……ねぇ、末姫ちゃん。侯爵って……」
「お、おじ様はきっとわざと壊してるのですよ!」
静かなアディ姫の声に、あたしは慌ててレメクを擁護する。
「アレです、スゴイ騒ぎを起こせば、こっちに気をとられてフェリ姫達を保護しやすくなるとゆー、コートーセンジュツなのです!」
「……いや、ふつーに、ただの破壊魔になってる気がするんだけど……」
「そ、そんなことないのですよ!?」
……正直に言えば、ちょっぴりあたしも「そーかも」とか思うのだが。
「おじ様は頭がヨイのです! きっと何かの意味があるのです!」
あたしはレメクを庇わなければならないのだ。
「……ないと思うけど……」
なぜなら、
「いらんことしぃの公爵家をぷちってしてやろーという、センリャクとかあるのですよ!」
そう、ツマだからッ!!
「……末姫ちゃん……無理しないほーがいいわよ……?」
…………。
……ごめんなちゃいレメク……
あたしはここにいないダンナサマに詫びを入れる。
……あちしは……ツマ失格なのです……
「ま、まぁ、どーせこれだけ悪者の巣窟になってたんだから、ちょっとぐらい壊れたってザマーってなもんだけどネッ!」
なんかアディ姫が焦りながらフォローしてくれた。
あたしはそれにピスピス鼻をならしてから、チョイチョイと遙か向こうの廊下を指し示す。
「でも、先に行くための足場があんなトコなのです」
「……うふふふふ。あたしの限界にチャレンジって感じかしら」
「おねーしゃまは壁とか走ったりできないですか」
唯一無事に残ってる左側の壁を指さすあたしに、アディ姫は沈黙。
……いやまぁ、さすがに壁なんぞ走る人はいないと思うけど。
……いや、あたしはかつて、走ったことあるよーな気がするけど……
さすがに長いこと沈黙してしまっているアディ姫に、あたしはそろりと視線を向ける。
やっぱ引き返して別の道を探そうと提案する前、彼女は「あちゃー」と言いそうな顔でこう言った。
「そーいや、壁走れば速かったんだったわー」
……アディ姫は、頭イイけど、どこかヌケてる人だった。
「そっち右!」
「おっけい!」
「あ! 階段の上!」
「おおぅ!」
あたしの指示のもと、アディ姫は凄まじい勢いで廊下を疾走する。
あたしを抱えたレメクも早かったが、彼女の早さはちょっとケタが違う。なにせ指示をする前に目的地を通り過ぎちゃうぐらいである。
……そして風圧であたしがもっちりバインに圧迫されちゃうぐらいである。
「そろそろ近いと思うのです! そして次は左なのです!」
「……ははぁ、さすがにここまでくると、あたしでも気配でわかるわぁ」
たどり着いた三階の廊下で、アディ姫はニヤリと笑った。
通り抜けてきた一階や二階よりも、遙かに上等な彫像が飾られている三階。
おそらく、この辺りが『高貴な方々』の生活圏なのだろう。床の絨毯からして上物っぽくて、ここが破壊されたらさぞかし巨額の請求をされるんだろーなぁと思わずにいられなかった。
……いやまぁ、レメクがやって来たら滅茶苦茶にされそーな気はするが。
そのレメクはというと、未だにどっか遠くでガンガン戦っているらしかった。
匂いがほとんどしないことからして、たぶん、外にいるのだろう。
窓が開いてればそれなりに位置を把握できるのだが、三階の窓は開いてないらしく、ちょっと居場所を探し当てるのは難しかった。
……てゆか、あの状態のレメクと渡り合ってるのか、あの礼服男……
「……ねーしゃま」
「ん? なにかな~? 末姫ちゃん」
なにやら身の内に力を溜めつつあるアディ姫に、あたしは素朴な疑問をぶつけてみる。
「あの、おじ様を怒らせた礼服男、どれぐらい強そうだったのです?」
それを聞いたアディ姫は、唇をちょっと尖らせて言った。
「もー、そりゃ、このあたしが『ちょっと戦ってみたいなー』って思うぐらい強そうな奴だったわよー?」
……てゆことは、そーとー強いんだな……
「大会でも滅多に見ないレベルっぽかったのよねぇ。……まぁ、でなきゃ、侯爵のあの攻撃を避けたりできないってゆーか……」
水の剣で散々な状態にされた屋敷の一角を思い出し、あたし達はそろってブルッと身を震わせた。
おおぅ! 胸でビンタされる!
「ま、侯爵もあえて避けにくい場所は攻撃してないし、それもあって避けれてるんでしょーけどねぇ」
???
意味不明だぞ?
「避けにくい場所?」
「あぁ、胴体とかね」
細い腰に手をあてて言ったアディ姫に、あたしはさらに「?」を飛ばして首を傾げた。
アディ姫は足音を殺しながら歩きはじめる。
ナザゼル王妃同様、気配を察知しちゃえる彼女には、もうあたしの指示は必要ないだろう。
彼女の向かっている先は、知っている『匂い』のする方向だった。
「ん~……手足とか、頭とかだと、体を動かせばけっこう攻撃を避けれるもんでしょう?」
例えば、頭を低くしたり、手足を動かしたり、体をさばいたり……
「けど、軸となる胴体や腰とかは、けっこう避けにくいの。喰らえば致命傷だしね」
ふむふむ。
「だからなのかなぁ……クラウドール卿の攻撃って、そのあたり全部外してるのよ。たぶん、身動きとれなくして捕縛、ってとこじゃないかしら。殺すだけなら、最初の一、二撃で勝負ついてるでしょーし」
「……あの、超イッパイな剣を使って?」
「……ギリギリで、殺さないようにがんばってる、って感じがしたわね……ひしひしと」
……そうか。
レメクは、イッパイイッパイな気持ちでガンバッてるのか。
「じゃあ、早くお義姉様達を確保して、おじ様を呼び戻さないといけないのです!」
「うん。そうなんだけど……」
言って、アディ姫は「しーっ」と唇の人差し指をあててあたしを見た。
あたしは目をパチクリさせながら、同じく「しー?」と唇に人差し指をあててみる。
頷いて、アディ姫は足音を殺したまま速度をあげた。
「……なんか、フェリ達と一緒に、誰かもう一人いるみたい」
アディ姫の言葉に、あたしはキョトンと瞬きした。
「? それが、『偽王弟』なのです」
「……え?」
「『アルトリート』って名前の」
お? あたし、ちゃんと名前言えたぞ!?
今まで全然言えなかったのに、なぜかスルリと口からでた名前に、あたしは目をキラッと光らせた。
だが、あたしを見つめるアディ姫の目はまん丸だ。
「エ? この気配が? ええ!?」
何故かちょっと目を剥いて言う。
……って、アディ姫ってば直に『偽王弟』と会っていなかったっけ?
「そーなのです。おじ様も『揃ってる』って言ってたのです」
……今まで忘れてたけど、レメクも確かそんなことを言ってたはずだ。
それは、あたし達にとってすごくラッキーなことだとあたしは思ったのだが、
「や、やばっ! それでこの気配って、やばいわ!」
何を感じ取っているのか、アディ姫はいきなり猛ダッシュをかけた。
その反動でムッチリした谷間に顔が埋もれ、あたしは慌ててモガモガと脱出する。
「ぷぁっ! お、おねーしゃま!?」
「争ってる気配がするのよ!」
なんと!?
「ただの見張りと口論してるだけなら、大事には至らないだろうって思ったけど……! そいつが『偽王弟』なら、あの二人の身が危ないわ!」
あの二人が!
あたしはギョッとして息をつめた。
「な、なんで争って……?」
「そりゃ、普通、穏やかな対応なんて無理でしょ!? フェリも伯爵も、好きでここに留まってるわけじゃないなら、『偽王弟』とは対立するでしょうし!」
ああ! そーだった!!
そもそも、ぷち監禁されてる可能性があるからこそ、あたし達はここに来たのだった。
なら、たぶんその犯人だろう『偽王弟』とは喧嘩になるはずだ。
「アルルンと同じ体つきなら、『偽王弟』は伯爵よりずっと体格がいいはずよ。大人と子供の違いだってある。達人ってわけでもない伯爵は、『偽王弟』には勝てないでしょう!?」
そして、フェリ姫にいたっては、そもそも戦うこと自体が出来ない。
だが、それはきっと普通のことなのだ。
アディ姫やナザゼル王妃のように、突出した戦闘能力をもつ『王女』の方が、普通はありえない存在なのだから。
「あぁもぅ! ドアまで行くの面倒だから、壁ぶちやぶってやろうかしら!」
あたしを抱えたアディ姫は、凄まじい勢いで廊下を駆けつつ物騒なことを言う。
あたしは(それはいいかも!)と目を光らせ、ついでギョッと体を硬直させた。
その瞬間、行く手に唐突に現れる黒い影!
「ェァアッ!」
アディ姫はわずかの躊躇もなく、その影に跳び蹴りをかました!
景気よく吹っ飛んだのは、レメクの鬼モードと同時に現れなくなっていた黒衣の連中だ。
「さすがに本陣には粒が揃ってるわね!」
続いて眼前に現れた黒衣の男を殴り飛ばし、横合いからふいに現れた同じく黒衣の男に肘打ちをくらわせてアディ姫は叫んだ。
その顔が異様に嬉々としているよーなのだが……
もしや、アディ姫、強い敵に燃えるタイプだったのだろーか?
……そーいや、訓練所破りの話しの時なんか目ぇキラキラさせてたな……
「はぁッ!」
あたしを胸に貼り付けたまま、アディ姫は現れた敵を次々に殴り飛ばし、蹴り飛ばす。
今までの連中と違い、気配どころか匂いもあやふやで察知が難しいというのに、アディ姫には全く危ないところがなかった。
現れれば拳を撃ち、現れれば蹴りを放つ。
正確無比なその攻撃に、敵が一人また一人と減っていく。
黒衣の男は次から次と出てくるのだが、そのほとんどが一瞬で昏倒させられていた。
……てゆか、アディ姫……
「う……うぇぷ……」
……あたしがひっついてるの、絶対忘れてると思うのだが……
ものすごい速度で動く体にあって、あたしの張り付いている胸はさらによく動く。
上に下に右に左にたまにちょっと斜め上に跳ね上がるソレに、あたしはあっというまに気持ち悪くなっていた。
「す、末姫ちゃん!?」
さすがにマズイと思ったらしく、アディ姫の動きが一瞬止まる。
その瞬間、鈍い煌めきがあたし達に向かって放たれた。
「くっ!」
アディ姫が体をさばいてその刃を避ける!
が───
「末姫ちゃん!」
その反動で、あたしはポーンと飛んでしまった。
うぇっぷな気分になっていたあたしは、反動に耐えられるほど強くへばりつけなかったのだ。
床に吹っ飛び、とりあえず着地だけは無事にすませ、しかし勢いを殺せずにそのままコロコロと転がるあたしに、慌てたアディ姫が駆け寄ってくる。
あたしは目が回っちゃいそうな回転を経てからムクリと起きあがった。
どこまで勢いよく転がったのやら、そこは階段のすぐ傍だ。
そしてそのまま前を見据え──
「ねーさま!」
駆けつけてきたアディ姫の後ろに、躍りかかる黒衣の男を見た。
──間に合わない。
瞬時に頭の中に答えが出る。
──あの攻撃は、避けられない。
けれど、間に合わないとわかっていても、あたしはアディ姫に飛びつこうとした。
突き飛ばして、せめて傷が少ないようにと思ったからだ。
だが、同じくあたしを守ろうとするアディ姫のほうが遙かに早く、強い。
あたしは彼女の胸に抱き留められ、抱きしめられる形で宙に浮いた。
動く景色。
振り下ろされる刃。
一瞬にも満たない時間の中で、アディ姫越しに目のあった黒衣の男が、狂ったような笑みを浮かべているのをあたしは見た。
──ヤダ。
全てのものが止まって見える。
そのまま止まってしまえばいいと思った。
あの刃が振り下ろされる瞬間を見るぐらいなら。
目の前で大事な人達が血にまみれるぐらいなら!
だが、絶対に動いて欲しくない『時』は残酷にも動き──
「!」
──横合いから走り込んできた青年に、勢いよく吹き飛ばされた。
「ぐぁッ!?」
全く予想外の方向から攻撃を受けて、襲いかかっていた黒衣の男はまともに吹き飛ばされた。
あたしを抱きしめたまま床に転がったアディ姫は、転がった勢いのままヒョコンッと立ち上がる。
そして──
「アルルン!?」
自分の前に立つ青年に、愕然とした顔で立ちつくした。
そう──突然横合いから出現し、黒衣の男に体当たりをしてあたし達を救ったのは、王宮に居残ったはずのアルだった。
「なんでここに!?」
上半身全部で息をしちゃってるアルは、驚愕の声をあげるあたし達をチラと見て、荒い呼吸の下で口をパクパクさせた。
ぱくぱく。
ぱく……ぱく!
……息があがっちゃって、声出せないんだな……
相変わらず体力の無い相手に、あたしはとても残念な眼差しを向けてあげた。
だが、アルの息があがってるのは、階段を上りきった勢いで体当たりをかましたせいだろう。
きっとここに来るまでずっと、駆け通しに駆けてきたに違いない。
その心を思って、あたしはギュッと唇を牽き結んだ。
そしてアディ姫は、わずか数秒で驚愕から立ち直る。
「とにかく、質問は後! ちょっと末姫ちゃん預かって!」
おぉぅ!
あたしってばアルに押しつけられちゃいましたよ!
……いやまぁ、完璧足手まといになってたから、しょーがないんだけど……
ちょっとしょんぼりな現実に、スンスン鼻をならしつつ、あたしは戦場に戻るアディ姫の後ろ姿を見送る。
ゼヒゼヒいいながらあたしを抱き留めてくれたアルは、なにか狂おしげな目でアディ姫とあたしを交互に見、すぐによろよろと廊下を歩き出した。
その方向は、アディ姫が本気モードで突っ込んでいった先と同じ。
──そして、あたし達が最初に向かおうとしていた場所だった。
「アル! お義姉さまもシーゼルも嘘つきさんも、みんな一緒の場所にいるですよ!」
どうしてアルがその場所を知っているのかは疑問だったが、問う時間がもったいないと思い、あたしはアルの知らないだろう情報を言ってあげた。
……が、アルの答えは苦しげな笑みだ。
「……だろうな」
……『だろうな』?
キョトンとしたあたしに悲しげな目を向けてから、アルは前方の廊下で戦っているアディ姫を見る。
あたしという足手まといのなくなったアディ姫は、まさに鬼姫と呼ばれるに相応しい強さで数人まとめて叩きのめしていた。
「アディ!」
その背中に向かって、アルが叫ぶ。
近くの敵を殴り飛ばしていたアディ姫が、その声にバッと身を翻してこちらに駆け込んできた。
その姿がこちらに到着する前に、アルは近くの壁をグッと押す!
「おおっ!?」
その瞬間、ぐるんと壁が回転した。
寸前に走り込んできたアディ姫も含めて、あたし達三人は頑丈な壁の内側へと入る。
……なんと、回転する壁とは!
ビックリな仕掛けに目を丸くしていると、アルは素早く回転した先の壁にあるレバーを引いた。
ゴゴンッ、と鈍い音がして、直後に壁がわずかに揺れる。
どん! というどこか苛立った音が直後に響いたのは、あの黒衣の男達が壁を回転させようと体当たりか何かしたせいだろう。
……では、それを止めたあのレバーは……
「……この屋敷の仕掛けは、だいたい習った」
もはや壁には何の注意も払わず、アルは険しい顔で走り出す。
その横に寄り添うようにして駆けながら、アディ姫は視線だけで話を促した。
「……あいつが教えてくれたからな……」
それが誰であるかは、問うまでもない。
「……なんで、来たの」
小さめの部屋から大きい部屋へと飛び出し、さらに駆けながらアディ姫が問う。
「王宮で守られていれば、嫌な思いをせずにすむのに!」
その、どこか痛みを堪えるような声に、アルは隣を駆けるアディ姫を見た。
──とても静かで、けれどどこか狂おしい色を宿した目で。
「……俺は、目を逸らしちゃ、いけねェだろーが」
「!」
その強い眼差しと声に、アディ姫が息を呑む。
「俺が、全部の始まりなんだ。俺がいなけりゃ、起きなかったことなんだ」
「……アル……」
「あいつが、もし、本当に今回の首謀者だったとしても……俺っていう存在が原因だったのには違いないんだ」
……誰の目にも触れていなかった、隠された『前の王様の息子』。
王族という、誰もが夢見る位を約束された、輝かしいその血統。
……もし、罪を誘う要因がどこにあったのかと問われれば、確かに、今回の場合、アルの存在そのものに違いない。
「あいつが、もし、間違いを犯したのなら……間違いを犯す原因になった俺が、安全な場所で……のうのうとしてていいはずがないんだ!」
偽王弟を『信じたい』と言ったアル。
きっとギリギリまで悩み、思いつめていただろう彼。
レンフォード家に向かうあたし達を見送る時も、どこか必死な顔をしていた。
悩んで悩んで悩んで悩んで、そして、選んだ答えがこの行動だったのだ。
逃げず、
目を背けず、
耳を塞がず、
全てに立ち会おうとする──強い意志。
それはきっと、今回の騒動に巻き込まれた人々に対する、彼の真摯な気持ちでもあるのだろう。
「……アル……」
アディ姫が小さく名を呼んだ。
さきほどと同じように。
アルルン、じゃなく、アル、と。
「……あなた、やっぱり、ちゃんとした『王族』なのね」
なんだかちょっとおかしそうに、
「……ちゃんと立派な、王の血筋だわ」
けれどちょっとだけ、悲しそうに。
その相手に、アルはそっけなく答えた。
「……顔も知らない『父親』ってやつの血が、『そう』なだけだろ」
あたし達は二つ目の部屋を通り過ぎ、三つ目の部屋に飛び込む。
走りながらアディ姫は微笑った。
とても貴重な花の蕾が、ほろりと花開くような笑みで。
「違うわ。その心が、よ」
瞬間、アルの足がもつれた。
アディ姫の微笑みに目を奪われたのか、思いもしなかった言葉にビックリしたのか……そのどちらなのかは、あたしにはわからない。
ただ、足をもつらせながらもアルは転ばずに駆け、アディ姫もまた走り続けながら言葉を続けた。
「王族としての教育を受けてなくても、誰からも何も教わっていなくても……あなたにはもう、王族としての気構えができてる」
……それはきっと、上に立つ者としての資質。
「あなたの魂には、宝冠がのっているのよ」
アディ姫のその声に、アルは慌てて顔を背けた。
その頬はわずかに紅潮していたが、それ以上に厳しく引き締まっていた。
「……ンなもん、俺にはどーでもいいよ」
ただ、と呟いて彼はその瞳に力を込める。
「あいつが何かをしているなら……俺が止める」
……例え、自分の命を狙っているであろう相手であっても。
「もう……全部、終わらせるんだ」
そうして、彼は次の部屋の扉を力強く押し開けた。