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対オジサマ攻略法!<闇の王と黄金の魔女>  作者: 関根麻希子
陰謀の章<虚飾の玉座編>
82/107

23 暴走


 白い壁、大理石の床、赤い絨毯、金縁の絵画。

 レンフォード公爵家の街屋敷は、王宮に勝るとも劣らない豪華さだった。

 いやむしろ「負けてなるものか!」的な何かを感じさせる勢いで、派手派手しい花瓶やら彫像やら絵画やらが飾られている。

 ……正直、執念みたいなモノを感じて怖かった。

「前方! 右斜めより射撃!」

「了解!」

 そんなゴーカケンランな屋敷の中を鋭い声が飛び交う。

 レメクの指示に身を翻したアディ姫が、スバラシイおみ足を披露しつつ、跳んできた矢を一蹴した。

 ……飛び道具って、蹴りで吹っ飛ばせるもんなんだな……

「二秒後に投擲! 次に本体! 右、左!」

「はぁッ!!」

 飛来してきたナイフを拳であらぬ方向へと吹っ飛ばしたアディ姫は、続いて右側の扉から飛び出してきた男を右足で一蹴、左側の男を、なんと、右の男を踏み台にして左足で一蹴した。

 そして、

「後ろへ!」

 指示と同時にアディ姫が飛び退るようにあたし達の背後へと舞い戻り、


【射抜け】


 人差し指と中指。

 その二つを前へと突きだしたレメクの前方で、凄まじい風が吹き荒れた。

 それの中心は小さな珠のような『何か』。

 撃ち出されたそれが廊下を一直線上に駆け抜け、その速度で引き起こされた壁のような空気の塊が、集団で現れた黒服の男達と、放たれたナイフや短い矢を吹き飛ばす!


 ドォオンッ!!


 凄まじい轟音をたてて、遙か向こうにあった壁が吹き飛んだ。

 男達は不思議な空気の塊になぎ倒され、数歩分を吹っ飛んでるだけだから、そこらへんに転がっているが……

 果てにある壁と飾られていた絵は、ものの見事に木っ端微塵になっていた。

(……あれ……弁償とか……どーなるんだろ……)

 こういう戦いに慣れてないあたしは、思わずそんなことを思ってしまう。

 が──

「全員捕縛しなさい! 後で陛下の兵が来ます!」

 駆けるレメクやアディ姫は、全く頓着しない様子だった。

 レメクに抱えられてるあたしだけが、辺りの惨状にボーゼンとしていたりする。

 あたし達がいるのは、レンフォード公爵家、その二階。

 あの厩舎前の騒動でも無事だったアロック家の馬車を駆り、公爵家の街屋敷に駆けつけたのがつい十数分前。

 隠密行動が大得意というナザゼル王妃に先行してもらい、三人で訪問の挨拶も何もないままに屋敷に乗り込んだのが、ついさっきのことだった。

 夜会仕様のレメクとアディ姫、そしてあたしという一行に、出迎えたレンフォード家の執事さんがビックリしたのは言うまでもない。

 が、そのあたし達が問答無用でズカズカ屋敷内に入り込んだ瞬間から、辺りはパニックになった。

 とはいえ、最初からこんな大騒動だったわけではない。

 何事ですか、と叫ぶ使用人さんを無視して二階の廊下に走り込むまでは、ちょっとした騒ぎ程度だったのだ。

 それが、階段にたどり着いた瞬間から一変した。

 なんと上からいきなり人間が何人も降ってきたのである!

 降ってきたのは揃いも揃って黒衣のアヤシイ男。

 それがキレーに気絶した状態で、二階の廊下からポイポイと放られていた。

 ……姿は見えないが、犯人が誰かなど考えるまでもないだろう。

 ナザゼル王妃だ。

 そして、昏倒した状態でポイ捨てされたのは───

「……『暗殺請負』『リウトプランド』」

 同じく上からヒラヒラと舞い降りてきた一枚の羊皮紙を空中で受け取って、鮮やかな跳躍を見せたアディ姫が静かな声で読みあげる。

「『契約書』……ふぅん? レンフォード家ってば、暗殺者なんて雇ってたんだァ」

 意地悪な口調で言う彼女の言葉通りなら、そこに転がる黒衣は『暗殺者』。

 契約書とやらをヒラヒラさせる彼女に、あたし達を止めようとしていた使用人さん達は真っ青になって立ちつくした。

「そんな……!」

「なにかの間違いです!!」

 ……その悲鳴じみた声に、嘘は感じなかった。

 同じ事を感じ取ったのか、レメクは眼差しだけでアディ姫に指示を送る。

 受けたアディ姫は『契約書』をスバラシイ肉厚の胸元に仕舞い込むと、ドレスの裾を翻して階段を駆け上がった。

「お、お待ちください!」

 反射的に叫んだ執事に、

「断罪の許可が出ています」

 静かな声でレメクが告げる。

 時が止まったかのように硬直する彼等に、慌てたように集まっていた使用人の一人一人に、静かな一瞥を向けてレメクは口を開く。

「『レンフォード家』に二心ありと判断されたくなくば、邪魔をしないでいただきましょう」

 その身に冷ややかな怒りをまとって。

「私達は『王族暗殺未遂犯』を追っている最中。……邪魔だてする者は皆、同じく国家の反逆者として処罰いたします」


 そして、乱闘が始まった。


   ※ ※ ※


「……ずいぶんと手勢がいるわねェ……」

 魔術で吹っ飛ばされた連中を数え、駆けながらアディ姫は舌打ちした。

 ナザゼル王妃も暗躍しているはずなのに、後から後から黒服のアヤシイ人がわいて出てくる。いったい何人いるのか、数えるのも馬鹿馬鹿しいほどだ。

 ……ええ。十を超えたあたりで数えるのやめちゃいましたよ。あたしは。

 ナザゼル王妃という、彼等では手に負えない『同業者』の登場と、問答無用で表舞台に引きずり出されたという現実は、彼等を捨て鉢な気持ちにさせたのかもしれない。

 せっかくの黒服が全然保護色になってないこの屋敷で、もはやなりふり構わない攻撃をしかけていた。

 闇から闇に静かに消えるという、そういう『暗殺者』を劇で見慣れていたあたしには、ビックリするような現実だ。

「レンフォード家ほどの名家になれば、幾度か仕事を請け負った集団がいても不思議ではありませんが……」

 走りながらレメクも眉をひそめる。

 アディ姫も同じく眉をひそめていた。

「でも、この数と、質の悪さは、どーも異常よねェ……とゆーか……」

「……不手際に過ぎますね」

 互いの言葉をそれぞれ継いで、二人は眉を険しくさせた。

 二人が渋い顔をする意味がわからず、あたしはレメクの腕の中で縮こまったままキュッと服を握る。

 気づいて、レメクが気遣わしげにあたしを見た。

「……ベル。怖いですか?」

 あたしはフルフルと首を横に振った。

 だがレメクは気遣わしげな顔のままだ。

「……やはり、あの二人のように王城に残っていたほうがよかったのでは?」

「……ッ」

 あたしは先程よりも強く首を横に振った。

 レンフォード家に突撃する前──いや、王城を発つその前あたし達はアルとケニードとは別れていた。

 本来、最も危険なはずのアルと、その次に危険なはずのケニードをあの城に残すなんてありえない。

 だが、それができたのは、レメクの指示でけが人が運び出された直後、その場に現れた黄金の魔女のおかげだった。

 アウグスタは何も問わず、何も言わず、ただ、行け、と───目で合図してくれた。

 その傍らには、常に黒い魔王様がついている。

「……この二人のことでしたら、私が一緒にいますよ」

 あまりこちら側に関与する気のないそのヒトが、軽く肩をすくめるようにしてそう言った時、彼等の安全は確約された。

 ……レメクはその時、あたしのことも預けたかったのだと思う。

 ──けれど、あたしはレメクから離れられなかった。

 離れたくなかったから、だけではない。

 怖かったのだ。

 どこを向いても、目を瞑っても、目の前にチラチラと無惨に倒れた人々の姿がよぎる。

 それは何かの拍子にふいにあたしの目の前によぎるもので、その恐怖をレメクなしには耐えられそうになかった。

 ……邪魔になるとわかっている。

 わかっていても、それでもこの温もりから離れられなかったのだ。

「…………」

 レメクは口をつぐみ、それ以上は何も言わずに、あの時と同じようにあたしをキュッと抱きしめてくれた。

 暖かい温もりとこの匂いに包まれている時だけ、あたしはあの光景から逃れられた。

 ……わかってるのだ。これが甘えだということは。

 ……本当に、わかっているのだ。そんな風に、自分から目をそらしちゃいけない光景だったということも。

 ギュッと小さく体を縮こまらせていると、レメクがポンポンと肩のあたりを叩いてくれた。

 ……こんな場にあたしなんて邪魔でしかたがないだろうに……彼はどこまでも、優しいのだ。

「姫君」

 あたしをポンポンしながら、レメクがアディ姫に声をかける。

「左に曲がってすぐの所に三人、右側からは五名ほど駆けつけています」

「んふふふ。少ない少ない!」

「それから左手を曲がった方の天井裏に八名、三十歩ほど向こう側の部屋に十八名」

「少ない少ない!!」

「さらに下の階から向こうの階段をつかって駆けつけているのが二十四名、三階から降りてきているのが十六名です」

「…………ちょっと多くない?」

 やや呆れた声でアディ姫がぼやく。

 レメクはあたしをポンポンしたまま嘆息をついた。

「巣になっているのです。よほど手綱を『握れていない』のでしょう。……家を半ば乗っ取られかけているというのに、よく放置できていたものだと、いっそ感心するほどですよ」

 その声は一欠片の温もりもないものだったが、あたしをポンポンする手はとても温かかった。

 あたしは涙目のまま顔を上げ、ちょうど気遣わしげな目でこっちを見たアディ姫とバッチリ目をあわせる。

 アディ姫は一瞬びっくりした顔になってから、困り顔になって言った。

「……末姫ちゃん。あたし、ちょっと暴れてくるから、怖かったら目を瞑ってなさいね?」

「……ねーしゃまは、こわく、ないのです」

 あたしの声に、アディ姫は少しだけ微笑む。

 そうして素早く傍によると、あたしのこめかみにチュッとやって身を翻した。

 先にも増して素晴らしい早さでアディ姫が駆ける。

 レメクがあたしを抱え直し、懐から一枚の札を取り出した。

 描かれている模様は『翼の螺旋』。

 ──『風』の紋章。その紋章符。

 アディ姫は廊下の端まで駆けると、躊躇無く左の廊下に飛び込み、

「ぇゃああああッ!」

 気合いと同時に何かを繰り出した。

 どぉん! と大気が鳴動し、近くの窓ガラスが内側から外へとはじけ飛ぶ。

 怪しい人がいっぱいいる方へ飛び出した姫をチラとだけ見て、レメクは右側へと身を躍らせる。

 右手を前に。

 その指には一枚の符。

【舞え】

 言葉と同時、嵐のような突風が廊下のモノ全てを吹き飛ばした。

 重い彫像も甲冑も壁の絵画も、廊下を音もなく駆けていた黒衣の男ごと問答無用で端まで吹き飛ばす。

 轟音とともに壁に叩きつけられ、悲鳴と破壊音が辺りに木霊した。

 あたしはただそれを見つめる。

 レメクの手があたしの視界を塞ごうと目の前を覆っていたが、あたしはその隙間からその様子をジッと見つめていた。

 ……目を背けてはいけないのだと、思ったのだ。

 どれだけ怖いと思い、どれだけ見なかったことにしようと思っても、ココロが「それではいけない」と訴えていた。

 目の前で起きていることは、全て現実なのだ。

 優しい人が武器を持ち、あったかい人が拳を握り、敵と見定めた相手にその力をふるっている。

 見ずにいようと思えば、見ないままに全てを終えることができるだろう。

 耳を塞いでいようと思えば、何も聞かないままに終われるだろう。

 そうして暖かくて心地よいものだけを周囲に敷いて、箱庭のような暖かい場所で過ごしていれば心はとても楽だろう。

 けれど──

 それをすれば──

 ──『彼等』は、どうなってしまうだろうか?

 巻き込まれ、何もわからないままに、殺されてしまった『彼等』。

 どれだけその死に様がショックでも、

 思い出すだけで震えるほど恐ろしくても、

 目を瞑り、耳を塞いで、なかったことにしてはいけない現実があそこにあったのだ。

 決して忘れてはいけない光景があそこにあったのだ!

 怖いからレメクと離れることができない。

 けれど──同じく『怖いから』と、今、ここにある光景から目を背けることはできなかった。

「……今回は、無関係な人が……死にすぎました」

 端以外はすっからかんになった廊下を一瞥して、レメクが静かな声を零す。

「……それを、血で血を洗うように、復讐していいわけではありません」

 そう、

 復讐のために、刃を握っていいわけではない。

 けれど──

「けれど……残された人々に、死んでしまった人々に、我々は、全てを明らかにさせなくてはいけません」

 何が起こったのか、

 誰が起こしたのか、

 なぜこんなことになったのか。

 うやむやにしてはならず、

 闇に葬ってもならず、

 その全てを彼等の墓前と、彼等を愛する人々に明かさなくてはいけないのだ。

 そして、知らしめなくてはいけない───

「『こんなことは許されない』── と」

 全ての人に。

 今回の首謀者に。

 決して許されざる罪がここにあるのだと!

「そう──『彼等』にも」

 レメクはすぅと息を吸う。

 札は出さず、ただ、親指と人差し指で円をつくり、それを下に向けて手を伸ばした

 満ちる力。

 魔力と呼ばれるもの。

 身の内からあふれ出す熱のような、

 身の内に染みこむ『響き』のような、

 それは世界のどこにでもあって、目に見えることのない、確かたる『力』!


【集え 我らが命の源よ】


 レメクの【声】に答えて、あたし達の近くにありえざる揺らめきが出現した。

 ゆったりと歪む景色。

 乱反射する光。

 まるで水の中にいるような光景───そう───


【古の血の系譜に(こいねが)う】


 現れたのは水。

 手の甲に浮かぶ紋章は、舞い降り、波紋を広げる命の雫。

 『水の紋章』。


召還(いでよ)! 『荒れ狂う蛇』よ!】


 その瞬間、尋常ではない轟音が響いた。

 あたし達を囲み、どんどんどんどん量を増やしていた水が、周りの壁全てを(えぐ)って回転したのだ。

 それは螺旋を描くようにぐるりとあたし達を中心に周り、天井を突き破り、壁や廊下を破壊してその姿を現す。

 ──蛇だった。

 透明な水で出来た、巨大な蛇だった。

 その鱗は水とは思えない精密さでキラキラと輝き、その一枚一枚が、まるで綺麗な硝子で出来た盾のようだった。

「ちょ、ちょっとぉ!」

 なんか遠くでアディ姫が怒鳴っている。

 とぐろを巻いた水の蛇に閉じこめられているせいか、音がややくぐもってきこえるのがなんとも不思議な感じだった。

「危ないでしょ! てゆか侯爵! なにデカブツ作ってるの!!」

 ……おねーさま。すごく怒ってる。

 レメクがそちらを振り向くと、巨大水蛇も、ゴゴゴ、と周りをえぐりながらそちらを見た。

 アディ姫の向こう側で、戦ってた相手だろう黒衣軍団が愕然とした顔で蛇を見上げている。

 アディ姫は戦意を喪失しちゃってる相手を無視して、レメクに向かって怒鳴った。

「だいたい、大技使ってよかったっけ!? ちょい前まで倒れてたんじゃなかったっけ!?」

 その言葉に、ハタと気づいてあたしはレメクを見た。

 アディ姫は、ケニードのケガの一件を知らない。だから、彼女が言っているのは、大祭の最中に倒れて、寝込んでたという情報のことだろう。

 それだけでも「魔術使っちゃダメ」な状態だというのに、ケニードのケガを治して、レメクはポテトさんとアウグスタからキツくお叱りを受けていた。

 それなのに、魔術の連続使用。

 今まで気づかなかったあたしもどーかと思うのだが、自覚あるはずのレメクがガンガン魔術使ってるのはどーゆーことだろーか?

(おじ様……もしかして、怒りで我を忘れちゃってたり?)

 あたしはジーッとレメクを見上げる。

 アディ姫に怒られてもしれっとした顔をしていたレメクは、あたしの視線にちょっと慌てて言葉を探した。

「いえ……その……ベルの歌のおかげで、その……」

 じー。

「体調はすこぶるいいわけで……」

 ……すこぶる、ときましたか。

 あたしはレメクの胸にペタンを張り付き、そのままの体勢でジーッとレメクを見上げ続けた。

 そんなあたしの視線を真正面から受けたまま、彼はちょっと困り顔で言う。

「その……『紋章』の『力の具現化』は、成功さえさせれば、以降の魔力消費や術式行使が非常に楽なんです。本当に、一回一回紋章術を使うよりも体にも楽ですし、力もありますから」

 その『逃げない眼差し』に、あたしは「よし」と心の中で安堵した。

 嘘じゃない。

 だったら、ちょっとは安心だ!

「アディねーさま! おじ様は嘘言ってないのです!」

「……末姫ちゃんが言うなら、そーなんでしょーけど……」

「……私の言葉は、基本、信じられていないわけですか……」

 なんか微妙にショックをうけたよーな顔でレメクが言う。

 レメクの『私は元気です』ぐらい嘘くさいものは無いのだから、これは仕方がないってなもんだろう。

「けどねぇ、そのデカブツ! 動かす時は気をつけてね!? 屋敷、全壊するから!」

 言ってすぐに戦闘に戻るアディ姫に、レメクは自分が作り上げた水の蛇を見てちょっぴり眉を寄せた。

「……強すぎましたかね……」

 ……レメク……

 チョイと……どーなのソレ?

「私自身、ここまで自分が回復してたとは思いませんでした……」

 ……それって、状態把握ができてなかったってことじゃなかろーか……?

 なにげに大ざっぱな一面を見て、あたしはベタッとくっついたまま、ギューッ、とイッパイイッパイ手を伸ばして抱きついてやった。

 レメクの目がちょろりと逃げる。

 だが──

「侯爵! そっち!」

 鋭いアディ姫の声と、レメクの表情が一変したのは同時だった。

 ぎゅるり! と周囲をさらに抉って水蛇が動き、レメクがひきしまった顔で睨む方向へと突撃する。

 綺麗に廊下に添って走る水蛇は、さきほどまで走ってきていた廊下を逆走し、放たれたナイフと、それを放った黒衣の一軍をはね飛ばした。

 バァン!

 とても水がぶつかったとは思えない音が遠くで響く。

 あたしは離れちゃったデカイ水蛇のしっぽを見て、「これどうやって反転してくるんだろーか」と、ちょっとヤな予感を覚えながら思った。

 なにせ、こんなのが向こうで一回転してこっちにむかったら、それこそまた天井やら壁やら床やらを壊すに決まっている。

 かといって、そのままズルズルとバックしてこられてもなんかヤだし……

 思わず疑問でイッパイになったあたしの目の前で、水蛇はブルブルとその身を震わせ──

 あ。しっぽが頭になった。

 ……てゆか、どーやって!?

「……ベル、これは『水』ですから」

 生き物じゃあ、ないんですよ? という眼差しのレメクに、あたしはパカッと口を開ける。

 ああ! そーでした!

 ただの水なんだから、形を変えることなんてへっちゃらだったのだ!

 なんか生きてるっぽい動きしてたから、思わずイキモノだと思っちゃったよ……

 その水蛇のしっぽ(さっきまで頭だった所)あたりでは、わらわらと現れたレンフォード家の使用人達が、昏倒している黒衣達をよってたかってふんじばっていた。

 レンフォード家の彼等が捕縛に協力的なのは、相手が『得体の知れないアヤシイ奴等』だからだろう。

 自分達の屋敷にそんな連中がいっぱいいたことはショックだろうし、どうやらその連中のせいで屋敷をあたし達に襲われているんだと思ったらしい。

 こっちが指示する前に手に手にロープや布をもって、気絶した彼等をしばりあげ、死にものぐるいで「私達は無関係です!」を表現していた。

 レメクが「捕縛」の指示を出した瞬間なんか、ご飯にたかる飢えた鴉のような勢いで、見ていてちょっと怖いものがあったほどである。

 ……てゆか、こっちは思いっきり戦闘中なのに、戦場近くでウロウロしてたら危ないと思うのだが……

「ねぇ、おじ様……」

 ふと不安を覚えて、あたしはあちら側をチョイチョイと指し示した。

「あの人達、危険じゃないの……?」

 あたしの声にレメクは少しだけ目を伏せ、けれどすぐに身を翻して、いまだ戦闘を続けているアディ姫の方へと向かった。

 ──強く厳しい眼差しで。

「保身のために自ら死地に飛び込むというのなら、私はそれを止めません」

「でも……おじ様……」

「ここで私が『やめろ』と言って、得をするのは敵側だけです」

 傍らに巨大な水の蛇。

「最も被害を少なくするのは、彼等に『これ以上の抵抗は意味がない』と思わせることが大切です。彼等は金で雇われた者。……ならば」

「……お金払う人を、押さえるのね?」

「そうです」

 喧嘩の時、相手側のボスを真っ先に倒さないといけないように、こういう時も、彼等の雇い主を押さえないといけない。

 だけど、あたし達が向かう先はその『雇い主』───『偽王子』ではない。

 あたし達の第一の目的はフェリ姫とシーゼルの保護。

 『偽王子』は、その後なのだ。

「少し後手にまわるかもしれませんでしたが……どうやら、揃ってくれているようですからね」

 ふいに冷ややかな目になったレメクは、足音一つたてずに疾走を開始する。

 アディ姫もそうなのだが、レメクも足音を殺すのがものすごく上手かった。あたしは気配とか匂いとか溢れる愛とかでレメクを察知できるけど、他の人には難しいんじゃなかろーかというレベルである。

「姫!」

 レメクが前方の戦場に声を放つ。

 見事な後ろ回し蹴りを放っていたアディ姫は、すぐに気づいて壁際に避難した。

「ひッ!?」

 こちらに気づいた黒衣に一人が、唸りをあげて襲い来る水蛇に硬直する。

 何人かが機敏に水蛇の突撃を避け、何人かが勇敢にも間際を通過した水蛇の胴体に剣を叩きつけた。

 ガィンッ!

 すごい音がして、その剣が弾かれる。

 その手応えは想像してなかったのだろう、反動で腕を痺れさせたらしい彼等に、音もなく忍び寄ったアディ姫の拳が決まる!

「ごふッ!?」

 吹き飛ばされ、近くの同じく水蛇を避けていた仲間にぶつかった相手に、さらにアディ姫が追撃する。

「ッァアッ!」

 気合いとともに放たれた蹴りが、男二人をかなり遠くへと吹き飛ばした。アディ姫はそのままの勢いで床にしゃがみこみ、

 バッと足を広げて蛇の胴体の下を一瞬でくぐりぬけた。

 次の瞬間には反対側の男達の前に立っていたアディ姫に、黒衣の男も剣を振るう。

 だが、アディ姫の動きのほうが遙かに早かった。

「フッ!」

 顎、胴、下腹に連撃をたたき込み、軽く蹴り上げ、中空に浮いた男の体に右の肩側を使った体当たりを喰らわす!

 バンッ!!

 かなり痛そうな音がして、その瞬間に気絶した男が吹き飛ばされ、昏倒する。

 どうやら吹っ飛ばすのが好きらしいアディ姫は、そのまま蛇により添うようにしてさらなる獲物を求めて前進し、

 ピタリ、と、動きを止めた。

「……どうやら、少しは位が高いのが出てきたようですね」

 水蛇を挟んでアディ姫の反対側に到着したレメクが、静かな口調でそう呟く。

 アディ姫は嗤った。

 それはそれは爛々とした目で。

「……ええ。やっと、弱い者虐めから解放されそうよ」

 その瞳は、まるで獲物を見つけた猛獣のようだった。



「……とんでもない御貴族様もいたもんだ」

 廊下の向こうから聞こえてきた声に、あたしはゾッとしてレメクにしがみついた。

 声の内側にどす黒いものをためこんだような、おぞましく恐ろしい声だった。

 どす黒いものは声だけじゃなく、辺りにも臭いの形で放出されている。

 それはあたしだけが感じている臭いなのかもしれなかったが、なんだか、嗅いでいるだけで胸が悪くなるような悪臭だった。

「無茶苦茶だ……てめぇら、ここが、エライ公爵様の屋敷だって、わかってんのか……?」

 そうして現れたのは、アヤシイ全身黒衣ではなく    上等の式服を着た男。

 年の頃は四十後半だろうか。赤黒い茶髪をした、どこかは虫類のような目の男だった。

「……着慣れない服を着て、ずいぶんと大変そうねェ」

 その男をジロリと()めつけて、アディ姫が口の端を歪める。

 男は自分の真向かいに立つ美少女に無感動な目を向けた。

「……てめェも、そんな印象を受けるぜぇ? どっかのお姫様よぉ」

「どこかのお姫様じゃあ、ないわ」

 ニィとさらに口の端を歪めて、アディ姫はゆっくりと身を沈め始める。

 それは猫が獲物に飛びかかる前の動作によく似ていて、相手の男もじわり、と身を沈めて構えをとった。

「そうかよ、猛獣みてぇな別嬪さんよ。……言っておくが、こんな暴挙をして、てめーら無事でいられると思ってんのかよ?」

「無事ですまないのは、お互い様でしょう」

 身構え、一触即発の二人を淡々と見つめて、レメクは冷ややかに言う。

「……いっそ何も存ぜぬという顔でここから逃げれば、その姿です、一人だけは助かったかもしれないのに、わざわざ出てきたその度胸は褒めてさしあげましょう」

「……てめぇがボスか。色っぽい男前さんよ」

 ……む!? レメクを色っぽいとか言う!?

 あたしは危険信号を察知し、こちらを見た男にギラリと目を光らせた。

「子連れで乱闘とは恐れいるぜ。おまけにそいつぁ、メリディス族じゃねェか。捕まえて売れば高く売れる、ってこったなァ?」

 ……子連れ!?

 違う意味で危険ゾーンを踏んでくれた相手に、あたしの怒りは『ほどほど』から『ぶっちぎり』にまでカッ飛んだ。

 だが!

「……ベルを……商品扱い……ですか」

 なんか、さらなる危険なゾーンがドコカに存在していたらしく、あたしを抱っこしてくれているヤサシイヒトが、ちょっと振り向けないぐらいコワイヒトに変身した。

 あたしはギラリと礼服男 (そーいや名前も未だ知らない)を睨んだまま、カチンコチンに硬直する。

 振り向けない。

 否。

 振り向いてはイケナイ。

 なんか、今、振り向いてはイケナイという気分がイッパイだ!!

 その予感を裏付けるように、あたし達とアディ姫達の間に横たわる水蛇が、ブルブルブルブルと物凄い勢いで振動しはじめた。

 鱗状だったその表面も、ザワザワザワザワと波打ちはじめる。

 さすがにヤバイと思ったのか、礼服男が顔をひきつらせて蛇──というよりレメク側から遠ざかりはじめた。

 そんな隙を逃すアディ姫ではない!

 ──のだが、ふと見ると、アディ姫はいつのまにやらえらい勢いでトンズラしていた。

 身を乗り出して背後を見ると、遙か後方で「無理。無理無理無理!」という顔のまま必死に首を横に振ってる。

 あたしは愕然とした。

 あんまりだ!!

 あたしは今、そのムリムリムリな人とピッタリくっついてる状態ですよ!?

 あたしは必死に瞳で訴えた。

 お願い! ちょっと戻ってあたしも連れてって!!

 アディ姫は真剣な顔で、首を横に振った。

 「ごめん。無理!!」と瞳が返事する。───無理!?

 ──最強の称号、返せ!!

 クワッと目をカッぴらいたあたしの前、まるでそれに合わせたように、超振動しまくっていた水蛇が爆発した。

「「「「「うぉ!?」」」」」

 黒衣と礼服男達がギョッと後退し、あたしはギュッとコワイケドスキナヒトにしがみつく。

 周囲に四散した水は、けれどその勢いで何かを破壊するのではなく、ほぼ一瞬で寄り集まり、数十を超える大小様々な水の剣へと変化した。

 ……そう、剣に!

 ……剣に……

 ……って……?

「お……お……おい、マテ……」

 さすがにその形状の意味と恐ろしさを察したのか、先程にも増して礼服男と黒衣達が青ざめ後退する。

 レメクが一歩を踏み出した。

 中空に浮いた数十の剣が、凄まじい勢いでレメクの傍にズララララッと勢揃いする。

 うぉぉ、と思わず身震いしたあたしの頭をレメクがことさらゆっくりと撫でた。

 そうして、声だけはいつも通りに優しく言う。

「……ベル」

「……ぁぃ」

「アディ姫の所へ」

 言われて、あたしはパッとしがみついていた手を離した。

 ストンと床に落下したあたしは、ドレスを裾をガバリとひっつかみ、脇目もふらずにアディ姫の元に駆けだす!

「末姫ちゃん!」

 ゴメンネゴメンネデモムリダッタノという眼差しのアディ姫に、あたしは涙目で突撃した。

 超全速力のあたしを肉厚バインで受け止めて、アディ姫はあたしをガッシと抱きしめる。

 そして二人してブルブル震えながらレメクを見た。

 あたしという重荷の無くなったレメクは、反対側の壁に半ばへばりついちゃってる男に向き直る。

 そして笑った。

 それは美しく、

 それは恐ろしく、

 いろんな意味で夢に見ちゃいそうなぐらいの壮絶さで───


「滅べ」


 ── 一言と同時に、全ての剣が神速のダンスを踊った。



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