19 偽りの対価
閉ざされた空間に漂う血の臭い。
佇むアディ姫の険しい表情。
それだけで、彼女の前にある光景に見当はついた。
けれど───
(……お昼には……生きて、たのに……)
彼等がいつ捕まったのかは、詳しく知らない。
アウグスタとの話しで「捕らえられた」ことは知ったけれど、それが「いつ」「どこで捕らえられ」たのか……そして、名前は何という人であったのか……そういうことは、全く知らないままだった。
その、名前も知らない人が、そこで息絶えている。
数時間前までは、確かに生きていただろう『人』が。
「どういう……ことだよ?」
その事実を飲み込めなかったのか、アルがふらりと足を踏み出した。
引きつった顔を見れば、理解していないわけではないのだとわかる。
けれど、認められないのだ。
まさか、という気持ちがあるのだ。
誰だってそうだろう。信じたいわけがない。
──人が、そんな風に簡単に、殺されてしまうという現実なんて。
「駄目よ、アルルン」
さらに一歩を踏み出したアルをアディ姫の静かな声が押しとどめる。
「……末姫ちゃんに、見せる気?」
その一言に、アルはギクッと足を止めた。
その頭に張り付いていたあたしは、止まったアルの顔を覗き込み、ややも狼狽している相手のおでこをぺちりと叩いた。
「……血の臭いが濃いのです」
「……ちみ……っちょ……」
ちょっぴり情けない顔のアルに、あたしは唇をキュッと引き締めてた。
「あたしでも分かるのです。……もう、手遅れなのです」
どうして分かるのか。
そう問いたげなアルの目を見て、あたしはひっそりと納得した。
彼はこういった場面に遭遇したことが無いのだ。
不条理に奪われた命を目にしたことも、その場に立ち会ったことも……
「生きてる人がいるとね、そこんところだけホワッと暖かいの」
動揺しているアルの目を見つめてから、あたしは視線をアディ姫の前にある牢屋へと向ける。
あたし達の位置からでは壁と鉄格子しか見えない───その中に。
「でも……おねーさまの前の牢屋からは、何も感じないのです」
ただ、ひんやりとした冷たさと、濃い錆びた鉄のような臭いが漂うだけ。
……あたしは知っている。そこには死体があるんだということを。
場所も場面も違うけど、路地裏で、ぼろくずのように切り捨てられた人を何度と無く見てきたから。
「……牢番さん。ここの責任者、呼んできて」
あまりのことに呆然としていた案内人の牢番さんに、アディ姫は静かな声をかけた。
ぎくしゃくとアディ姫を見、強ばった顔で口をぱくぱくさせる相手に、彼女は少しだけ微笑む。
「大騒ぎするわけにはいかないの。……わかるでしょう? 上には、今、各国の賓客が来ているのよ」
その言葉に、彼はガクガクと頷いた。
「お、おっ、しゃる、とおり、です!」
「異常を他に気づかれないように、責任者を呼んできて。それから、クラウドール卿も」
「いや。レメクはいかん」
アディ姫の言葉に、バルバロッサ卿は重々しく首を横に振った。
「あいつは今、陛下のエスコートをしてる。……ロードが会場に入るまでは、あいつを動かすわけにゃあいかんだろ」
「……あぁ、そうだったわ。卿がここに来てないっていうので、だいたい察してたんだけど……まいったわね」
そう言って、アディ姫はこめかみを指でぐいぐい揉む。
……どうやら、冷静そーに見えて、内心相当動揺しているようである。
「おねーさま。おじ様に用事なら、あたしが愛の声を送信するのですよ!」
「……末姫ちゃんて、メリディス族で、アザゼル族じゃあない……よね?」
なにやら不思議そーな顔をされてしまった。
あたしは胸を張って「むふん」と息を吐く。
「あたし達の愛に不可能は無いのです!」
「そうなの?」
「そうなのです!」
なぜかどこからともなく羊皮紙とペンを取り出すアディ姫に、あたしは自信満々頷いてみせる。
なにせあたしとレメクは愛のぶっとい縄で繋がれているのだ。ええ! 闇の紋章とかいう名前はこのさい恋心で脳内変換ですよ!
『おじ様! 一大事です!!』
あたしは全力でレメクに向かって心の声を張り上げる。
『一大事なのです!!』
レメクからはウンでもなければスンでもない。
「「「「…………」」」」
その場の全員の目があたしに集中。
あたしは気合いも新たにさらに心の声を張り上げた。
『あたしが一大事なのですっ!!』
…………。
……………………。
…………………………………………。
「……おじ様なんてちらないもん……」
「ちょ! まてお前! いきなりナニ拗ねてるんだよ!?」
ぐすぐす鼻をすするあたしに、アルがギョッとした声をあげる。
その頭に顔を埋めるあたしに、バルバロッサ卿らしき野太い呆れ声がかかる。
「……じょーちゃん……さすがのレメクでも、そうそう簡単に抜けては来れないと思うぞ?」
「愛が足りないのです!」
「というか、クラウドール卿からどんな返事がかえってきたんだい?」
「何の返事もないのです!」
「……通じてねェんじゃねーのか? それ……ってうぉおお! ちょいコラおまっ! 俺の頭になにかツメタイものがぽたぽたとっ!」
汁は二種類あるのです。
「というか、アルルンは女心をもうチョイ学びなさい?」
呆れ声をあげるのはアディ姫で、アルの頭につっぷしたままぐすぐすいってるあたしの近くまで来ると、彼女はそれはそれは優しい声で慰めてくれた。
「末姫ちゃん。ここはちょーっと会場から遠いし、魔力持ちが下手なことをしないよう呪いを施してあるから、なかなか上手くは伝わらなかったのかもしれないわよぅ?」
ああ! おねーさまっ!!
あたしは涙でぐしゃぐしゃの目を向けて、ピョイッとアディ姫の豊かな胸に飛びついた。
「おねーしゃまーっ!」
「いい子ねぇ、末姫ちゃん」
もっちりとしたスバラシイ弾力であたしを支えてくれたアディ姫は、そう言ってからチラリとツメタイ一瞥をアルルンへ。
「……子供には優しくなさいな」
「…………………ハイ」
……なんか、アルルンが教育されてる。
「とはいえ、陛下にもクラウドール卿にも連絡だけはしておいたほうがいいでしょうね。すぐには抜けておいでになれなくても、情報を得ているのといないのとでは大きく違うから」
「確かに」
頷いて、バルバロッサ卿は足踏みしている牢番さんを見下ろした。
「じゃあ、責任者を呼ぶのと、レメクへの伝言を頼むわ。大広間の前にな、ローターっつー兵士がいるから、そいつに頼んで宰相閣下に取り次いでもらえ。閣下から陛下やレメクに伝言を伝えてもらうのが一番目立たねェだろ」
「かしこまりました!」
慌てて出て行く牢番さんをどこか同情含みに見送って、バルバロッサ卿はぶっといため息を吐いた。
「……しかし、なぁ、アデライーデの姫さんや」
「なぁに?」
もちもちした胸であたしを圧迫してくれていたアディ姫は、熊さんに呼ばれて顔を上げる。
バルバロッサ卿は険しい顔をしていた。
「ここまでするのが、その、レンフォードの小僧だと思うのか?」
レンフォードの小僧。
それはすなわち、偽王弟のことである。
「さぁて」
口の端をニィと歪めて、アディ姫は嗤った。
「件の馬鹿貴族が馬鹿やってる現場をあたしは見てないからね~。そこまでは断言できないわよぅ? けどけど? 見通しの甘さ、計画のボロボロさ、どれをとってもナニかこう『足りない』って感じがして、そこのトコロはいかにもな気がするけどね~」
「…………なるほどな」
いったいその言葉の何に納得したのか、バルバロッサ卿は苦笑してデッカイ肩を竦めた。
「つーことは、だ。ここであーだこーだ議論するような内容でもないっつーこったな」
「そゆこと~」
「じゃあ、ここは引き受けた」
言って、バルバロッサ卿はひょいと熊みたいな手を上げる。
「姫さん等は牢から出てな。……事が事だ。おそらく長引くだろう。が、俺がいれば事足りるだろうからな」
「……そうね。おねがいしよっかな?」
「おうよ」
野太い笑みを浮かべるバルバロッサ卿に笑ってみせてから、アディ姫は暗い顔で佇んでいる他男二人を見る。
「じゃあ、あたし達は上に行って、うちのオネーサマの所にでもお邪魔しよーかしら」
「おねーさま?」
「そ。オネーサマ」
口に手をあて、アディ姫はいたずらっ子のような顔で笑う。
「偶然か、必然か……この時期が選んだのは、どちらにとっての不幸かわからないわねェ……。せっかく来てくれてるんだもの。使える手は全部使わなきゃね。……後手にまわるのは二度とごめんだわ」
───そう告げた時のアディ姫の目の色を、あたしはちょっと、忘れられそーになかった。
※ ※ ※
王宮というのは、ある意味すンばらしくゴーカな迷路である。
アディ姫の先導で牢屋から出て以降、かなりの早さでズンズン廊下を歩いているのだが、目的地らしい部屋についたのはアルやケニードがゼェヒューいいはじめた頃だった。
「ここよ!」
あたしを胸にひっつけたまま、意気揚々とアディ姫が告げる。
目の前にあるのはデンとした扉。デカイ。とにかくデカイ。
両開きのその扉は、あたしがもらった『青の間』ほどではないにしても、一目ですんごく上等な部屋だとわかる逸品だった。……エエ。扉なのに美術品みたいに絵が彫られてるトコとかもネ!
「ここは……獅子王の、部屋、ですね」
肩で息をしちゃってるケニードの声に、上半身全部で息をしているアルが口パクだけで「そうなのか」と呟いた。
……アル……意外と体力ないのね……
「そう! 獅子王の部屋。そしてここは国賓である方々を泊める場所!」
ゼェゼェいってる男二人を振り返り、アディ姫はバッと両手を広げて宣言。
胸にひっついてるあたしは、弾むモッチリンにあわせて視界が上下した。
……弾みすぎだ。胸。
「つーか、おまえ、牢の所では国賓にバレないように、とか言ってなかったか?」
「あはん? 甘いわよぅ? アルルン。国賓は国賓でも、ここにいる人は別。むしろ仲間。そして先輩」
「先輩……? つーかいい加減にアルルンはやめろ」
首を傾げながらも文句を言うアルに、アディ姫は意味深にニヤリ。
そしてクルリと扉に向き直った。
「いいから、黙って見てらっしゃいな」
ふん、と気合いを入れる彼女の胸の上、またしてもあたしが上下にバウンド。
彼女はドアを上品にノックすると、気合いのこもった声で言った。
「たのもーっ!」
「ちょっと待てーッ!!」
国賓を訪ねるとは思えない声かけに、すぐさま叫ぶツッコミ一名。
「国賓だろ!? 国賓なんだろ!? よくは知らねェが偉い人なんだろ!? なんだその訓練所破りみたいな訪問の挨拶は!」
……アルルン。訓練所破りは知ってるのか……
言われたアディ姫は目をキラキラさせてアルを振り返る。
「なに言ってんのよアルルン。訓練所破りの挨拶は『たのもー』じゃないわよ」
「なんだよ!?」
「『強い奴に会いに来た!』よ!!」
「子供みたいな目ェして言うな!!」
目をキラキラさせたアディ姫に、アルは扉をビシィッ! と指さしながら叫んだ。
「だいたいなァ! 今みたいな声でいったいどこの誰が扉開けてくれるっつーんだよ!? フツーに怪しいだろ!?」
正直、正論にしか聞こえないアルの叫びに、アディ姫は真顔でビシッと扉を指さす。
そう。
キレーに開いちゃってる扉を。
「…………」
アル、沈黙。
「…………」
アディ姫、無言で扉の方向をツンツン。
「「……………………」」
しばし見つめ合う若い男女。
のほほんと見守るあたしの目の前で、熱視線合戦はアディ姫の圧勝で終わった。
「……なんで……開いてんだよ……」
口惜しそうに言うアルに、アディ姫は勝利の微笑み。
それを見上げたあたしは、開いちゃった扉を見て「(なるほど)」と納得した。
否、扉のところから面白そうにこちらを見ている女性を見て。
「なにやら、楽しいことのようじゃのぅ、アディや」
ナザゼル王妃がそこにいた。
「大広間の面白い見せ物が終わったからと、部屋にひっこんでおったじゃが……帰ってきておいて正解じゃったの。そなたが来るとは」
王妃とも思えない気さくさであたし達を部屋に入れ、しどけなくソファに身を沈めたその人こそ、アウグスタ級の巨胸美人、ナザゼル王妃だった。
アルティルマ王のお妃様であるナザゼル王妃の髪は、今は結われないまま背を流れている。黒い夜の川のような髪に、あたしは相対するソファに埋もれたまま「ほぅ」と嘆息をついた。
なんてゆーか、レメクの髪なみにキレーなのです!
「珍しく綺麗な格好をしておるのぅ、アディ?」
面白そうに言われて、何故かソファの横に立っているアディ姫は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「クラウドール卿から頼まれてね~、とある人の護衛とパートナーを務めてるのよぅ」
「ほほぅ……おぬしほどの者がつかねばならぬ相手、か……」
目を細め、唇を愉悦の形に引き上げた王妃様は、所在なげに立つ男二人を順に見る。
そうして、薄笑いを浮かべて言った。
「……ふむ。毛色の変わったのがおるのぅ」
彼等はどちらも金髪だ。
「しかも、先程の『見せ物』に出てきおった若造によく似ておる……」
「…………」
あたし達は唇を引き結ぶ。
それが『誰』のことなのか、言われなくてもわかったのだ。
(……てことは、もう、会場に入ったってことね……)
ということは、すなわち、愛するレメクは解放されたということ。
……でも、また無視されたらちゃみちぃから、もう心の声は送らないのです……
「似ておるが、全くの別物であるの。……ふん。なかなか、面白いことになっておるようじゃ」
見てるとちょっと肌寒くなる笑みを浮かべて、ナザゼル王妃は色っぽい仕草で髪をかきあげた。
その様子に、アディ姫が獰猛な目で言う。
「面白すぎて、イラッとくるぐらいよぅ?」
「ほほぅ?」
チラとそれを見上げて、ナザゼル王妃は笑みをさらに深また。
「それはそれは……おぬしともあろう者が、してやられたか?」
「ええ。やられちゃったわよ」
どこか道化じみた動きで肩をすくめてから、アディ姫は表情を消す。
「……罪人が牢で殺されたわ」
……その顔はコワイからやめてくれないかな……
「見張りの兵も二名、殺されて同じ場所に放り込まれてた」
「なッ!?」
声をあげてしまったのは、ナザゼル王妃ではなく、あたしの後ろで話しを聞いてたアル。
「見張りも……!? 中に入ってた、俺を殺そうとした奴だけじゃなかったのかよ!?」
ソファの背を握りしめ、身を乗り出す彼に、アディ姫は口元に指をあてつつ言った。
「違うわよぅ? まぁおおかた、こっそり口封じするつもりが見つかっちゃって、ついでに殺したって感じじゃないかしら?」
「そんな……!」
あまりのことに愕然として、アルは青い顔のまま後ろによろめいた。その背を慌ててケニードが支え、気遣わしげな目でアルとアディ姫を交互に見る。
今までにも危険な目にあってきたというケニードは、さすがにアルほど衝撃を受けていないようだ。
あたしはというと、ビックリしたのはビックリしたのだが、アルの声が早すぎてかえってレーセーになってしまっていたりする。
「……ふむ。それで、妾に会いに来たのじゃな」
アディ姫の簡単な説明で一体ナニが分かったのか、ナザゼル王妃が納得したように頷いた。
……てゆか……バルバロッサ卿もそーだったけど、分かる人だけで分かってないで、こっちにも情報くださいってなもんですよ。
「この場所で、そんな阿呆をやらかしそうな団体には……そうさな、心当たりがないこともない。───が」
何かを考える顔で呟いて、王妃はアディ姫を見上げて笑った。
「まぁ、とりあえずは、最初から順をおって説明してもらおうかのぅ。適当なことを言うわけにもいかぬゆえ」
「ええ、もちろん」
その眼差しに力在る笑みを浮かべて、アディ姫は胸を張った。
「まずは、ここにいるアルルンの紹介からね。彼は───」
そうして始まったアディ姫による一連の説明を横で聞き流しながら、あたしは部屋の中をぐるぅりと見回していた。
ナザゼル王妃のいる部屋、獅子王の、とかゆーカッチョイイ名前の部屋は、確かに重厚で荘厳な、獅子王の名に相応しい部屋だった。
部屋の壁も天井も絨毯も、深い深いワインのような赤一色。
柱などは漆黒で、なにやら圧力すら感じるほど『重い』印象を受ける。
それを少しだけ軽くしているのが、部屋一面にほどこされた金色の模様だった。大きく大胆に描かれたその模様のおかげで、血の海に沈んでいるよーな部屋に華やかさと艶やかさが宿っている。
その中でしどけなくソファに寝転がっているナザゼル王妃は、まさに眠れる獅子といった風情だった。
のびやかで、しどけなくて、けれどどこか優雅で力強い。
部屋の大きさは、王宮やレメクの家でデカイ部屋を見慣れたあたしでも『大きい』と感じるサイズだ。
色が濃すぎて広がりを感じにくいが、ナスティアの王太子も過ごしてたっていう青の間にだって負けないだろう。
……それにしても、このやたらと重たい色遣いは、いったいどーゆー理由で決められたんだろーか?
「なるほどのぅ。ならば、妾が力を貸すのは当然であろう」
どうやら説明は終わったらしく、いつのまにかフツーにソファに座っていた王妃様が、深い嘆息をつきながら背もたれに体を預けた。
「それにしても……昨今の者は何を考えておるのか分からぬ。王弟という身分を簒奪するだけでなく、人を雇って殺めようとまでするとは……」
そう言ってチラと見上げてくる王妃に、アルがグッと唇を噛んだ。
あたしはそれを見て眉を下げる。
彼はこの数時間で、いったい何度唇を噛んだことだろうか。
……いったいどれぐらい、ツライ気持ちを味わったんだろうか。
「……今はまだ、ただの推理の段階よ」
俯いてしまったアルをチラと見て、アディ姫は口を開く。
「……証拠を揃えるまでは、誰が犯人であるか、というのは確定できないわ。もしかしたら、あたしの推理が間違っているかもしれないし、見落としている情報がどこかにあって、何か取り返しのつかない過ちをしているかもしれない」
「……ほほぅ?」
静かな声で言うアディ姫に、面白げな笑みを浮かべて王妃が目を細める。
「おぬしが推理を誤るのは、クラウドール卿が断罪を誤るほどに有り得ぬと思ぅておるがのぅ?」
「あたしも完璧じゃないもの」
軽く首をすくめて、アディ姫はあっさりと言った。
「間違いだってするし、そのせいで……間に合わない、っていう事態に……陥ることもあるわ」
「……? おねーさま?」
アディ姫の声に、あたしは首を傾げた。
なにか、声の響きに、ひどく重くて悲しいものがあったような気がしたのだ。
だが、アディ姫はそのことに対し、それ以上を語る気はないようだった。
彼女は両手を腰にあてると、嘆息をつきつつ胸を張る。
「まぁ、だからこそ、より万全を期して情報を集めてるわけだけどネ?」
「そこですかさず妾を頼るあたり、アディ、そなたは聡い子じゃ」
口の端を引き上げて、ナザゼル王妃は髪をかき上げた。
「我らが女王陛下の御代を乱す者ならば、たとえ王族とて遠慮はいらぬ。よかろう、我が力、存分に発揮してしんぜよう」
「って、ちょっと待ってねネーサマ? いきなり首謀者をサクッとヤるのはなしよ?」
なにやらゾッとするほどの覇気をまとった王妃に、アディ姫は慌てて身構える。それを見て王妃は妙につまらなさそうな顔をした。
「……いかんのかのぅ?」
「だーめだめだめ! それじゃあ、相手と同じじゃないの~。うちは裁判を目指すのよ、裁判!」
「めんどうなことよのぅ」
本気で面倒そうに言う王妃に、あたしはとりあえず、そろそろ我慢の限界を叫んだ。
「おねーさまがたっ! あたし達にも説明がほしいのです!」
「「お?」」
二人のオネーサマは初めてあたし達の存在を思い出したような顔でこちらを見る。
その二人にビシビシッと指をつきつけて、あたしは主張した。
「二人だけでわかられても、こっちにはちんぷんかんぷんなのです! あたし達だって当事者なのです。セツメーが欲しいのです!」
「あやややや。ごめんねェ……でもねぇ……」
アディ姫が、やや困り顔でナザゼル王妃を見る。
それを軽く見上げてから、王妃はニヤリと口元を笑ませた。
「妾なら、かまわぬぞ? どのみち、どちらも今はナスティアの『王族』じゃ。アロック卿がちと巻き沿いになってしまうが、まぁ、どちらにせよ、卿はクラウドール侯爵が関わっておる限り、こちら側じゃから問題なかろう?」
「ありませんとも!」
……ケニード……なにもわかんない状態でその断言はどーかと思うわよ……
輝く笑顔で言いきったケニードに、王妃はコロコロと少女のように笑う。
「あぁ、卿は相変わらずの盲信ぶりじゃな。そこまで一貫して突き抜けてくれればいっそ爽快じゃ。聞けば侯爵とは仲良くなられたとか。長年の思いが報われたこと、喜ばしきこととお祝い申しわげる」
「ありがとうございます」
ああ! ケニードが素敵な笑顔だ!
横で見てるアルはなんとも呆れ果てた顔だが。
「……あんた……ほんっっっとに兄貴のこと好きだな……」
「大好きだよ!」
嗚呼! 本当にステキなエガオ!!
しかし、あたしは説明を受けてないのを忘れてはいないのですよ!
「ふふふ。で、まぁ、おぬしらの愉快な人間模様をつっついてウヤムヤにしてやろーかとも思ぅたが。どうもそうはいかぬようじゃな」
キラリと光る目で王妃を見つめると、王妃が苦笑含みにそんなことを言う。
アディ姫が困り顔のままで嘆息をついた。
「……まぁ、一応? ここに来た段階で、バラすことも検討はしてたけどねぇ」
「そうじゃのぅ。妾も、おぬしの話を聞くにつれ、なんとなく予感はしておったのぅ」
「まぁ、バラしても問題ない人選だとは思っているのよぅ? 本当に」
「そうであろうのぅ。でなければ、おぬしとて妾の所になど来たりせんじゃろうて。……まぁ、事が事じゃ。急がねばならぬと思ぅた気持ちもよくわかるがの」
ニヤニヤ笑ってナザゼル王妃はアディ姫を見上げた。
「まぁ、とりあえず、アディよ。牢屋の惨劇については妾が犯人を割り出そう。妾がこの地に在るというのに、これだけのことをしてくれたのじゃ。少々、妾もカチンときておるのでの」
「助かるわ!」
「ついでに、そこの小僧の護衛も引き受けてかまわんが?」
ニヤニヤ笑いのままアルに視線を向けて言うナザゼル王妃に、何故かアディ姫は沈黙した。
一瞬だけチラッとアルを見た姫は、どこかふてくされたような顔で呟く。
「……そりゃ、相手が暗殺者なら、あたしよりネーサマのほうが得意でしょーけど」
「はっはぁ! 拗ねるでない、アディ!」
……なんか楽しそうだ。
やっぱり説明なくて置いてきぼりなあたし達は、顔を見合わせながら首を傾げる。
「あぁ、いかんいかん。このままだとまた末姫が拗ねるのぅ。これ、ちっちゃい子、こっちゃ来」
おいでおいでと手招きされて、あたしはソファからポーンッと飛んだ。
一気に王妃の膝まで跳躍したあたしに、王妃が目を丸くする。
「……よく弾む子じゃのぅ」
ああっ! なぜあたしのほっぺたをつつくのです!?
「……つーかよ、強ェおめぇよりも、そっちの色っぽいねーさんのがさらに強いってことなのか?」
ナザゼル王妃につっつきまわせれ、あたしがビシバシ両手で指を撃退している間に、アルがアディ姫に失礼な質問をした。
アディ姫はいっそうふてくされた顔だ。
「肉弾戦なら負けないわよぅ? 魔法戦はサッパリだけど、武術だけなら誰が相手でも勝ちをとってきてみせるわ」
自信に裏打ちされた宣言に、アルも目を丸くして「そ、そうか……」と尻込みする。
それをさらにさらにふてくされた顔で見て、姫はプイッとそっぽを向いた。
「……ただ、こと暗殺に関しちゃ、手際や組織の全容を多く知ってるほうが対処しやすいのよ。だから、そーゆー情報をもらうために、ネーサマを頼ったわけ」
「……つーか、こっちのネーサマは誰なんだよ?」
アルの心底不思議な顔に、あたし達は一瞬顔を見合わせ、
「おお! 自己紹介しておらなんだの!」
「忘れてたわ!」
「そーいや、アルは初めて会うのでした!」
「……てめぇらな……」
そーだったそーだった。
あたしは前に会ってるし、王宮勤めの長いケニードも会ってるっぽいし、アディ姫は言わずもがなだったのだが、アルは王妃と会うの初めてだったんだ。
そうと知れば、とばかりに王妃が立ち上がる。
その音のないしなやかな動きに、アルが一瞬、ビクッとなった。
……誰かさんの動きと重ねたんじゃなかろーか。アのつく変態姫の動きとかと。
「名乗りをあげなんだは妾の不手際じゃ。許されよ、珍しき運命を持つ者よ。妾はナザゼル。西のイステルマ連邦筆頭、アルティルマの王妃ナザゼルじゃ」
長ったらしい名前を抜きにしたその自己紹介に、アルはぽかんと口をあけた。
なんとなくレメクのポカン顔に似ている表情である。
「王妃?」
「そぅじゃ」
「イステルマっつったら、西のでかい連合国の?」
「まぁ、そういう認識でもよかろうの。ちなみに、香辛料と香油と工芸品でたんまり儲けておる。クラウドール卿は良き取引相手じゃ」
ほぅほぅ。レメクの貿易の相手さんでもありましたか。
目をキラリンと光らせたあたしに、ナザゼル王妃はニヤリと笑った。
「今度、姫にはとっておきの薬を進呈しよう。妾秘蔵の『眠り薬』じゃ」
「……なんで眠り薬をちみっちょにやるんだよ……」
いつでも誰に対してもツッコミしちゃうアルの言葉に、ナザゼル王妃はニヤニヤニヤリ。
「なぁに。男なんぞ眠らせて押し倒して乗っかってしまえばこっちのもんじゃ」
「ちみっちょ! おまえ、もらうなよ!? ンなもん盛ったら二度と兄貴に信用してもらなくなるからな!?」
「ははぁ、陛下のお身内にしては珍しく常識的であるのぅ、こっちの小僧は」
なにげにアウグスタに対して失礼な発言をかましながら、ナザゼル王妃はニィと口の端を引き上げた。
「それでのぅ、その妾をなぜアディが頼ったかと言うとじゃな……まぁ、かつて国を追われたのが妾じゃから、こと暗殺者集団に関して、妾は身をもってイロイロ体験しておるのじゃ」
ふむふむ。
「殺しを生業にしておる輩はな、意外と多くいるものじゃ。その者等とて人生の全てを殺しに捧げておるわけではない。日常は町中や、領地、王宮などでそれぞれの生活をしておる。……まぁ、大きな組織になればなるほど、そういった形になるのぅ」
ほぅほぅ。
「……近くにいるってぇのかよ……そーゆー連中が」
「おるぞ? だいたい、我らが陛下のヒモであるロードとて、最強最悪の暗殺者みたいなもんであろぅが」
……ヒモて……
「おとーさま……けっこういろんな地位をもってるのですね……」
「……末姫ちゃん。一応言っておくけど、ヒモ、っていうのは地位じゃないからね」
なんかアディ姫から深い声でのツッコミが来た。
「でも、おとーさまは魔法使いさんであって、暗殺者じゃないですよ?」
そこに存在するだけで人の心をバタンキューさせちゃう、ココロの暗殺者かもしれないけれど。
「……あの者が本気になれば、どの国とて一夜にして死に絶えるであろうよ。我が女王陛下が使役しておるからこそ、災いが他に広がらぬだけじゃ。古き文献の通りであれば、かの者ほど恐ろしく絶望的な者はおらぬ」
どこか薄ら寒いものを堪える顔で、王妃はそう呟いた。
あたしには「ハテナ?」だったが、アルは何かを理解したのだろう。険しい表情で頷いた。
「……ほぅ。若造でありながら、相手を見る目はもっておるようじゃの、小僧」
「……俺にもちゃんと名前があるんだがよ。おーひさんよ」
「ふん。その名前を他人に貸してやっている者なぞ、小僧で十分じゃ。まぁ、なにやら強運だけは持ち合わせておるようじゃから、その点は評価するがの」
「……なんだよ、強運て」
相手が王妃でも口調の変わらないアルに、ナザゼル王妃は面白そうに笑いながら言う。
「王宮に来て早々、アディやクラウドール侯爵と誼をもったじゃろぅ? それが強運でなくてなんだと言うのじゃ。まして、末姫と出会ぅたことで文字通り人の変わったクラウドール卿と、おぬしは出会ったのじゃ。本来ならあり得ぬ行幸であろうよ」
「…………」
なんかアルがしみじみと問いたげな目であたしを見る。
王妃の膝にだっこされ、頭の上にでかくて重い重量物をのっけてるあたしは、訴えるような目でアルを見上げた。
乳が重いです! 重いですよ乳!!
……なんかアルがびみょーに困り顔になりました。
「そして、アロック卿。情報戦に関してはクレマンスの小僧とて敵わぬ大御所よ。おぬしらの浅ましい計画なぞ、最初から筒抜けじゃったろうな」
「……すり替えが行われていたことは、わりと最近知りましたけどね」
素直に言うケニードに、ナザゼル王妃は笑う。
「そこは誰にとっても想定外であろうよ。思いつきこそすれ、実行するにはあまりにも愚かな内容じゃ。……そうであろう? 偽りの対価はその罪に応じて重くなる。国を背負う王族の名を騙り、王を、宮廷を、国民を騙そうと言うのじゃ……その罪、どれほどのものじゃろうな」
すーっと血の気が下がっていくアルに、ナザゼル王妃は薄く笑った。
「あまり考えなんだかえ? それはあまりにも愚かに過ぎるぞ? 言うておくが、普通、王族を傷つけた者や、王族の名を騙った者は皆、一族郎党で死罪じゃ」
「!」
ギョッとなったアルは、今更ながらに事の重大性を思い知らされたらしい。
……てゆか、殺されそうになったっていう時点で、そーとー重大だと思うのだが。
あれだ。彼は基本、のんきさんなのかもしれない。
(……てゆか、未だに偽王弟てこと、悪く言わないもんね……)
信じてたりするんだろーか? 相手のことを……
「普通のことであろう? 我が女王陛下の御代では、公開処刑はそう多くない。よほどのことがない限り行われぬ。それゆえに時折、罪の重さをわからぬままに罪を犯す者がおる。……軽く考えておったのじゃろう? 偽りというのは、おぬしらが思うほどに軽い罪ではないぞ」
「……ねーさま」
容赦のないナザゼル王妃に、アディ姫が声をかける。
何かを目で訴えるアディ姫に、ナザゼル王妃は苦笑してソファに身を沈めた。
「……自覚のない心こそ、犯罪の温床じゃ。それを忘れぬようにせねばならぬ。そうであろ?」
「…………」
「まぁ、珍しくアディが他人を庇っておるからの、いじめるのはこれぐらいにしておこう」
なんと! 王妃はアルをいじめていたのか!
あたしはクワッとなると、頭の上にのってるバインなもっちりをバシバシ叩いた。
「アルをいじめちゃイカンのです!」
「おぉう! 末姫も庇うか。これはまぁ、妾も肝に銘じておこうかのぅ」
「二度とやっちゃイカンのです!」
「ふふふ。ほんに強運じゃのぅ、小僧」
なにやら意味深に笑って、王妃はあたしを床の上に降ろした。
そうして、ゆらりと立ち上がる。
「さて。馬鹿どもを見つけ出して、懲らしめておこうか」
馬鹿ども、っていうのは……えーと……
「牢屋で殺されておったのであろう? そこの小僧を狙った者と、牢の見張り番は」
ああ!
「その、暗殺者さんが誰か、わかるのですか?」
「ふふん?」
あたしの問いに笑みを深め、ナザゼル王妃は頷いた。
「探せば、見つかるであろうよ。人が動けば必ず痕跡は残る。連中の動きは、妾がよぅく知っておるからの」
「でも、劇とかだと、こーゆー時に差し向けられる暗殺者は、凄腕のとか、伝説の組織とか、そんなのばっかりです!」
そう、王様とか、そーゆーエライ人を殺しに来る連中というのは、それなりの腕前とか、有名な組織じゃないといけないのだ!
……いやまぁ、名前が売れてる暗殺者の集団ってのも、どーかと思うのだが。
「凄腕の暗殺者、ねぇ……」
「伝説の組織、のぅ……」
あたしの主張に、けれど王族系二名はなんともいえない微苦笑になる。
「なんて言うのかな? そーゆー、お約束がないわけでもないんだけどネ?」
「というか、まぁ、王族御用達のそういう組織も、無いわけでは無いのだが?」
なんだろう。
その、なんともこそばゆそーな苦笑は。
きょとんとしたあたし達の前で、アディ姫に目配せをしたナザゼル王妃は、微妙な微苦笑のままでこう言った。
「このロンディヌス大陸最強の暗殺者となれば、それまぁ、人であるのならば妾であろうよ」
と。