18 その人にとっての禁忌
「あやや~。やっぱ気づかれた~」
柱の影から暢気な声をあげて出てきたのは、眩いばかりに美しい姫君だった。
口さえきかなければ妖精のように美しいアディ姫は、あたし達を見て大きな胸を張る。
「やるじゃない、バルバロッサ卿~。探索能力アップしちゃった?」
「……つーか、ふつーにしか隠れてなかったでしょーが」
……ふつーにしか、って、ふつーじゃない隠れ方があるんだろうか?
疑問に首を傾げているあたしの前で、アディ姫は左手に掴んだモノを引っ張りながらこちらへと歩み寄る。
無理やり引っ張って来られているのは、この上なくぶすくれた表情のアルだった。
「アル! 無事だったんだ!」
「……無事じゃねェっつーか、どーゆー意味の『無事』なんだ? そりゃ」
「なんとなく!」
ピコッと飛び跳ねて答え、あたしはアルの体によじ登った。なぜかあちこちに土やら草やらがくっついているが、逃げてる最中にコケでもしたんだろーか?
「おまえな……女の子なんだからよ、男の体によじ登るなよ……」
なにやら疲れた声で言うアルに、アディ姫がニヤリと笑って掴んでいた手を離す。
「はっはぁ~? そっかー。アルルンは逆に女の体によじ登りたいのだね?」
「誰がンなコト言ったよ!? つーか、お前も姫なら姫らしい言動しとけよ! 普通に変態オヤジだろうが!」
「失敬ね~。これだけ立派なモンぶらさげてる女に対して~」
「言動が変態オヤジだっつってんだよ! おまえ以外にそんなオヤジ言動してる姫なんていねェだろーが!
アルの一言に、アディ姫は真顔であたしをビシッと指さした。
「そこに」
「どういう意味!?」
なんという失礼を言うのだろうか! アディ姫は!
しかも見たことないぐらい真剣な顔ですよ!?
言われたアルはといえば、なんとも口惜しげな顔でギリリと歯を鳴らす。
「ちみっちょか……くそ……ぐぅの音もでねェ」
「失礼なーッ!!」
あまりにも失礼なアルに、あたしはベチンとその背中をぶったたいた。
なんか「うごっ!?」とか叫んでよろめかれたけど……えぇい! なんて大げさなッ!
「くそっ。おまえな、自分が変な馬鹿力もってるって自覚あるか!? ちったぁ考えて叩けよ!」
言いながらあたしの頭を乱暴に撫で、ふと、アルはバルバロッサ卿に目をとめた。
(あ!)
あたしは焦った。
偽王弟に協力しているアルに、バルバロッサ卿はキビシー意見を持ってたはずだ!
「あっ、あのねっ、アル……」
「で……っけェ……」
そんなことを知らないアルは、バルバロッサ卿に対しやたらと暢気な感想を言う。
……いやまぁ、あのデカイ体を見て何のリアクションもなければ、かえってオカシイと思うけど……
「あのヒトはね、バルバロッサ卿ってゆーの!」
「……バルバロッサ……って、軍団長の、か?」
……レガトゥスほにゃらら、ってナンダ?
きょとんと首を傾げるあたしに、アルも「知らねーのか?」と首を傾げる。
てゆか、ショーグンとかゆーんじゃないのかな?
そんなあたし達をニコリともせずに見ていたバルバロッサ卿は、ジッとアルを見つめたまま、慎重な声で言った。
「……王弟殿下であらせられますね?」
その瞬間、アルの顔がひきつった。
バルバロッサ卿はそれ以上何も言わず、ただ、一瞬たりとも気を抜かない構えでひたとアルを見つめている。
ケニードとあたしは、そんな二人を固唾を呑んで見守った。
アディ姫も神妙な面持ちで…… …… ……おや?
「……そこのバルバロッサ卿は、軍団長じゃなく、大神官よ」
硬直した面々に構わず、アディ姫はズイとアルの前に立ち、肩越しにアルを振り返って無造作に言葉を放る。
「そして、裁判官でもあるわね」
「裁判官……!?」
アルは息を呑んだ。
ギョッとしたその顔に、あたしはキュッと唇を噛む。
そう。バルバロッサ卿は裁判官なのだ。
レメクみたいにその場でちゃっちゃと一人裁判しちゃえるよーな力はないけど、三人揃えばサクッと人を裁けちゃう人の一人なのである。
バルバロッサ卿は「得たり」と言わんばかりの顔で笑った。
「『裁判官の問いに対しては常に真実を述べなくてはならない』『語られた言葉は全て証拠として提出される』……意味はおわかりかと存じますが」
「…………ッ」
言葉をつまらせたアルに、あたしはよじのぼりを再開しながらバルバロッサ卿を「メッ」と睨む。
「アルを脅しちゃ駄目なのです!」
「……嬢ちゃん……俺ぁ事実を言ってるだけなんだがよ?」
「怯えてるってことは、脅してるってことです!」
「……まぁ、違うとも言えねェが」
ぼりぼりと頭を掻いて、バルバロッサ卿はため息をついた。次いで、アルとの間に立ちはだかっているアディ姫をチラと見る。
「……姫さんもなぁ……威嚇せんでもええだろーに」
「んふ」
なにやら満面笑顔っぽいアディ姫の気配。
「この程度で威嚇なんて、チョロいわよぅ?」
「いつでも必殺の一撃繰り出せるよう力溜め込んでおいて、この程度、とか言わんでほしいんだが……。つーか、アレか? 俺ぁ悪者か?」
困り顔で眉を寄せるバルバロッサ卿に、あたしはしっかりと頷いてみせる。
「アルを虐めようとするから、そーなるのです」
「……虐めてねェっつっても……まぁ、状況次第によるから、どーとも言えんか」
盛大にため息をついて、バルバロッサ卿は「あー」と背伸びした熊みたいに両手を広げた。
思わずアルが後退り、ケニードがちょっとだけ苦笑する。
巨熊もどきはそのままドッカと地面に座り込んで、大仰に嘆いてみせた。
「やめだやめだ。なんで俺がわざわざ憎まれ役やらにゃならんのだ。……つーか、レメクの野郎、本来ならあいつがビシッとやらにゃならんことだろーが」
「おじ様はアルが好きだからビシッとできないのですよ」
ビシッと言いきったあたしに、熊さんの目が丸くなる。
「……いやまぁ……まぁなぁ……あいつもなぁ……くそ……てことはやっぱり俺が悪者にならにゃならんのかよ!?」
……なんか熊さんが葛藤してる。
「……というかねェ、バルバロッサ卿。別に誰がどーとかじゃなくってね、アルルンの身柄を確保しとけばこっちの勝ちでしょ?」
相変わらず背中にアルを庇ってるよーな立ち位置で、アディ姫はクイッと親指でアルを指し示した。
……なんかアルルンが「アルルンじゃねェ」とかぼやいてるけど、まぁコレは無視だ。
「詰めなきゃなんないのは、『誰が首謀者か』ってことと、アルルンを『殺そうとしてるのが誰か』っていう二点。アルルンの身柄を確保した上で、この二つの証拠を揃えちゃえばクラウドール卿が裁くでしょ」
あっさりと言いきったアディ姫に、熊さんはポカンとした顔になった。
「……つーことは、間のモロモロはうやむやにしちまう気か?」
「しょーがないじゃなーい。上の人間がそろって庇うんだからさァ。……アルルン、君は果報者ダヨ? 普通、王様と断罪官が揃って一人を擁護するだなんて、ありえないんだからね?」
意味深に笑って言われて、アルが思いっきり動揺する。
「いやっ、つーか俺は……! いや……それよりもだ!」
なにかイロイロとココロの葛藤があるらしい。
彼は必死に何かを考える顔で叫んだ。
「なんだよさっきから。俺を殺そうとしてる誰か、って!」
「まーだそんなコト言ってるー」
やや呆れたような顔をして、アディ姫は胸をバインと揺すった。
「さっきチラッと話したでしょーが。アロック卿がいなきゃ死んでるよーな目にあってんだから、某氏が君を殺そうとしてるってのは確定なの」
「…………!」
ぐっ、と詰まったアルに真正面から向き直り、アディ姫はそのままズンズンとアルに歩み寄る。
「認めたくない気持ちはわかるわよ。誰だって『誰かに殺されそうになってる』って言われればいい気はしないわ。けどね、事実から目を背けるのはやめなさい。見たくない現実から目を逸らして、聞きたくない言葉から耳を塞いで、それでいったい何がどう好転するっていうの? 君の場合は、ただ、君がどこかで殺されるってだけだわ」
ズンズン。
「……俺、は……!」
「いいこと? アルルン。君が自分をどう思っていようが、君に流れている血はこの国にいる誰もにとって無視できるもんじゃないの。今まで一領主の馬番として暮らしてたっていうほうがおかしいのよ。……ある意味、奇跡に近いわね」
「……奇跡、って……」
ズンドコ。
「ヤなコトもいっぱいあっただろうけどさ、誰かに命を狙われたり、ってことは無かったでしょ?」
あたしが慌ててアルの背中に避難した直後、アディ姫のバインと張り出した胸がアルの胸をドンと突いた。
「いいこと? 『アルフレッド』殿下。王家の血を引く者はね、常に誰かに狙われているのよ。命も、心も、立場も、権力も、財産も! いつだって誰もが狙いを定め、舌なめずりしながらさぁどう食べてやろうかと歯をギチギチ鳴らしてるのよ。……君はまだ、そういう場面に遭遇してないでしょ」
「……俺……は」
大きな胸に押されるようにして、アルが三歩退く。
それにさらに一歩迫って、アディ姫は底冷えするほど冷徹な目で言った。
「覚悟を決めなさい。この場所に連れてこられたその時から、君の命は君以外の人の手に握られているのよ。誰がこの地に連れて来たの? 誰が何の目的で? それが全ての鍵であり、答えよ」
ゴクリ、とアルの喉が鳴るのをあたしは聞いた。
背中から頭の上によじ登って、あたしはアディ姫を見る。
真正面からアルを見上げるアディ姫は、おっそろしく美しかった。
が、その冷静かつ厳しい美貌は、すぐにいつものニヤリ笑顔に変わる。
「ま、話したくなければ、別に話さなくてもいいんだけどね?」
「オォイ、姫さんやー」
すかさず嘆く熊一頭。
「そこまで追いつめておいて、それかよー?」
対するアディ姫はあっけらかんとした顔だ。
「いーのよぅ。どうせどれだけ追い込んだって、相手を信じちゃってる間は何も話しはしないんだしー。……だいたいねー、最初っからねー、答えは出てるわけだし~?」
「……へ?」
思わずポカンとしたあたしだったが、それはバルバロッサ卿達も同じだったらしい。
全員が「え?」という目でアディ姫を見るのだが、アディ姫はあたし達が「はてな?」であることにも気づかないようだった。
「まぁ、それにそれに? それが結局は答えになっちゃうんだから、あえて無理やり口を割らす必要は無いのよぅ?」
「なっ……!」
あっさりと身を離してバルバロッサ卿の方に歩いていくアディ姫に、アルは慌てて声をあげた。
「どういうことだよ!?」
「だぁーって、公爵夫人や公爵家の内情知ってれば、最初っから答え出てるんだもん~。わざわざ頭悩ませるよーなことでもないのよぅ。それにさぁ、君、公爵夫人のこと嫌いでしょ?」
どこからともなく取り出した羽扇子をビシッと突きつけて、アディ姫はニヤリと笑う。
「その公爵夫人を庇うだなんて、まぁ、ちょっと考えにくいわよねェ? てことはだ、年の近い偽王弟殿下役の『本物版アルトリート』が君をここに誘った張本人ってことじゃない?」
「ち……違うぞ! そりゃ、あいつが、心細いからって言ったりもしたけどよ……! 実際に決めたのは公爵夫人だ!」
「あらー? そうかしらー?」
否定されても全然めげずにアディ姫は笑う。
「誰かが君に対して『ついて来て欲しいんだ』って言わなきゃ、君は動かなかっただろうし、公爵夫人にしても、息子から言われなきゃ、君を連れて来ようなんて考えたりもしなかったはずよぅ?」
「なんでそんなことが言えるんだよ!?」
アルの絶叫に、アディ姫はフフンと笑う。
「公爵夫人は、貴族以外を認めないものぅ」
口元にはイイ笑みがあるのに、その目は欠片も笑っていなかった。
そんな笑顔に相対して、アルがちょっと身を退く。
「……それが、なんだよ」
「ハッキリ言おうかしら? あの女には貴族以外はただのゴミなんだー、って」
本当にハッキリと断言して、アディ姫は歌うように行った。
「馬番のお嬢さんと前の王様。その間に御子ができた。前の王様の行為はゲスの極みだけど、身分どーこーってのは、まぁ、どーでもいいこと。けどけど、あの女にとってはぜーんぜん違う」
アディ姫の声に、アルは沈黙する。
何か思い当たることでもあるのか、目がちょっと逃げた。
「王族の血が半分入ってるだなんて、死んでも認めようとしないはずよ。えェ、それぐらいならいっそ殺してしまおうかと思うぐらいじゃないかしら?」
「……だったら」
「でもねー、彼女は『王族の娘』だったの」
何かを言いかけたアルを遮って、アディ姫は言った。
「王家の血がどれほど尊いか、どれほど貴重かを教え込まれているのよ。王族の、それも王の直系の血を消すだなんて、彼女にはできないわ」
それが答え、と目で言う彼女に、アルはグッと歯を噛みしめた。
「……そんなの……分かんねェだろ!?」
「いーえ、分かるわ。だって、君、今まで生かされてきたじゃなーい」
あくまでも反論するアルに、突きつけた羽扇子をくるくると回してアディ姫はニィと笑う。
「陛下にしてもそう。あの女にとって、陛下は邪魔で腹立たしい存在なのよ。けど、だからといって何かをするわけでもない。せいぜい、政の邪魔をちょろちょろしてみたり、悪巧みをちょろっとする程度よ。他の連中みたいに、暗殺者を雇ったり毒を盛ったりするわけじゃないの」
その言葉にはむしろあたしの方がギョッとした。
「アウグスタに……毒!?」
「日常茶飯事よぅ? 毒とか暗殺者とか求婚者とか」
ひょいと肩をすくめて、アディ姫は笑った。
あたしは唖然として開いちゃった口をパクンと閉じる。
……てゆか、求婚者も一括りにされちゃうのか……アウグスタの場合……
「王族が少なくて、王国の力が強い場合、少ない王族を殺してしまえば国盗りは楽でしょぅ? だから、連中はこそこそ裏で暗躍するのよ。陛下は美人で独身だから、結婚して国を盗ろうっていう連中も多いわね。まぁ、もっとも? あの陛下に簡単な毒だの安い暗殺者だのが効くわけないし、求婚だなんて、されてもウンと頷くはずがないんだけどね?」
……いや、それは……まァ……
なんとなく納得できるのだが。
「けど、そんな中でも、あの公爵夫人は動かないわけ。自身は前の王の娘で、れっきとした王族で、今の王家の直系が全滅すれば、それこそ自分の方に王位がまわってきそうだってゆーのにね」
クスクス笑って、アディ姫は薔薇色の唇を引き上げた。
「禁忌なのよ。彼女にとって。王族の直系の血っていうのは、決して殺めたりしてはいけないものなの。それは自分自身を殺すようなものなんだって魂に刻み込まれてるわけよ。……ほら、最初から答えが出てるでしょ? 彼女は王族を殺せない。じゃあ、そういう禁忌を叩き込まれてなくって、君について来てって言える人間で、今回のことを企んだのは誰でしょー?」
「…………本物の『アルトリート』?」
「ぴんぽんぴんぽんせいかーい!」
呆然と呟いたあたしに、アディ姫が明るい笑顔で言う。
そして直後に表情を消した。
「……彼が首謀者よ」
「ッ!」
人が変わったかのような冷徹な顔に、アルがビクッとなる。あまりの豹変に、ちょっとビビッてしまったのだろう。
ちなみにあたしは、アルの頭にしがみつくことで『ビビッ』から耐えました。
「……なぁ、姫さんや。そこまで推理してくれるのはありがてぇんだがよ? それで、それをレメクが裁けば終わりでいいのか?」
「裁けるだけの状況が揃えればね?」
質問するバルバロッサ卿に対して悪戯っぽい笑顔を向けて、アディ姫は腰に手をあてた。
「バルバロッサ卿だったらわかると思うけど、難しーでしょ裁判って。限りなく黒に近い灰色だとしても、絶対的に黒だという証拠がなくっちゃ裁けないでしょ? 特に、相手が王族の血を引いてたりすると」
「……泥沼だな」
げんなりする熊さんに、ケニードも渋い顔で頷く。
話しについていけてないあたしは、とりあえず、目の前にあるアルの毛繕いをしはじめた。
……おお。白髪がある。
「結局のところ、あたしが何を言ったところで、それはただの推理でしかないからねぇ。情報を整理すれば簡単に割りだせる答えだけど、それを万人に示すための証拠がなくっちゃ何もできない。まぁ、まずはその証拠を揃えることね。目撃証人も一応数に入れれるから……アロック卿~」
軽やかに呼ばれて、ケニードが「はい?」という顔になる。
「花瓶落下事件の被害者にして、目撃者。……ってゆー風にアルルンからも聞いたけど、間違いナシ?」
「ええ……そうです」
頷く彼に、アディ姫はにんまり笑顔。
「よし。確保。その件に関しては犯人の身柄を陛下が押さえてるし、夜会が終わればどーせクラウドール卿が尋問するでしょーし」
……うわ。読まれてる。
「そうすると、そこから芋づる式に証拠が出てくる可能性大。……てことは、今、危険があるのは……一、アルルン。二、アロック卿。三、犯人AとB」
「……口封じか」
低い声で唸って、バルバロッサ卿は重量級の巨体が嘘のような軽やかさで立ち上がった。
「確認したほうがいいだろうな。……ケニード。おまえさんはとにかく一人になるなよ」
「あ、はい」
言われて頷きながら、けれどケニードに同様の色は見あたらなかった。
あたしはそのことにちょっと驚く。
「ケニード……怖くないの?」
「? なにが?」
「なにが、って……」
きょとんとしている彼に、あたしは目をパチクリさせた。
「だって、危険があるのは、ってアディ姫言ってたでしょ? てことは、アルみたいにケニードも危ないってことよね?」
口封じ、という言葉があたしの考えている通りの言葉なら、それは殺される可能性があるっていうことで……
そんな風に不安に思っているあたしに、ケニードは何故か淡い苦笑を浮かべて言った。
「いや……一応、命を狙われたり危害を加えられそうになったり、っていうのは、今回が初めてじゃないし」
「「…………ええッ!?」」
あたしとアルトリートはギョッと目を剥いた。
この、顔と身のこなしは上級だけれど牧歌的でお人好しでのほほんとしているケニードに、そんな危ない過去があったって!?
「……いやほら、ベルには前に話したと思うけど。うちの父親の金貸し業関係のアレ」
「……おー!」
言われて、あたしは納得した。
そーいや、そーゆーこともあったんでしたっけね。
「……なんだ? その、金貸し業関係って」
おお。アルには全てが初耳でした。
「あぁ、うちの父親がね、金貸し業に手を出してて、借金をこしらえた人とか、ちょっとアレな人の逆恨みとかで時々命を狙われたりしたんだよ」
なんでもないことにように朗らかに笑って言われて、アルの顎が落っこちた。
「ちょ……笑いながら言える話か!? ソレ! つーか、あんた、よく無事だったな!」
「まぁ、イロイロとねー」
ケニードはニコッと笑った。
たぶん、今の『ニコッ』は、当時助けてもらったレメクのことを思い出しての『ニコッ』だろう。
たいへんスバラシイ笑顔だったので。
しかし、その笑顔はアルには別の作用をもたらした模様。
「……今度から超兄貴って呼ぼう」
超兄貴。
「エ。なんで!?」
なんかランクが上がってる呼び名に、さしものケニードもビックリ悲鳴。
命のやり取りを笑顔で語れるケニードに、アルはちょっとどころでなく感銘したよーだ。
……まぁ、それを考えれば、レメクなんて超々兄貴になっちゃうんじゃなかろーか? とかあたしは思ってしまうのだが。
足腰立たなくなったら刃物片手に来そうな人が数百人って言ってたし。
「護衛をつけたほうがいいでしょうねェ」
そんな二人を眺めて、アディ姫はポツリと言った。
「とりあえず、アロック卿は末姫ちゃんと一緒にクラウドール卿に面倒みてもらうのが一番でしょうし」
「え!?」
あ。ケニード。イイ笑顔。
「そんでもって、アルルンはあたしが守るわ」
クイッと親指で自分を示し、アディ姫も超イイ笑顔。
その素敵に無敵な男前笑顔に、あたしは「おお」と思わず唸った。
「アルすごいねー」
「……なにがスゴイんだよ」
アルはなんだか青い顔だ。
「アディおねーさまはスゴイ強いらしいのよ! そのアディおねーさまがついてるなら、アルの命は完璧守られてるってもんよ!」
「……俺の貞操が風前の灯火だと思うんだがよ……」
「アルスゴイネー」
「……おまえ、今、すげェ適当に言っただろ」
だって、普通、オトコノヒトがテイソーとか言わないし。
きょろん、と登った頭の上から覗き込むと、アルは盛大なため息をついた。
「……まぁ、いいけどよ」
「およ。アルルン。いいのかい」
「なんでおまえがそこで反応するんだよ!? つか手をワキワキさせんな! 動きが妖しい!」
「へっへっへ」
およそ姫君らしくない笑い声をあげるアディ姫に、アルは慌てて身を退いた。
なんかレメクみたいな身の退き方なのだが、どーしてオトコノヒトってゆーのはそーゆー動きをするんだろーかナ?
「……まぁ、とりあえず基本はソレでいくとしてだな」
「ちょっ……俺は別の意味で危機じゃねェか!?」
「神殿に来てくれるんなら俺等でも守るけど、たぶん、アデライーデ姫のが強いからなぁ」
「………………」
アルが愕然とした顔でアディ姫を見る。
まぁ、武術大会のタイトルホルダーっつったら、それぐらい強烈に強いもんだとあたしも思う。うん。
ソンケーするですよ、アディ姫!
「なぁ、あんた……」
「なんだいアルルン?」
力無い声をかけるアルに、ニヒルな笑みを浮かべるアディ姫。
なにかが逆転しちゃってる気がするのだが、たぶん、いやきっと、気のせいだ。
「アルルンはヨセ。……つーか、なんでそんなに鍛えてんだよ、体」
「魔術使えないから」
けろりとした顔で言って、アディ姫はパタパタと扇子で自分を扇いだ。
「自分とか誰かとか守るのにさぁ、力が無くても魔術が使えれば、それなりになんとかなるわけじゃない。けどあたしはそっち方面サッパリだからねぇ。諦めて体鍛えることにしたのよ」
「……鍛エスギダ……」
なにか魂を絞るような声でアルが言う。
「ま、いいんじゃない? そのおかげでイロイロできることもあるんだし。まぁ、それよりも、今誰の手にも守られてない刺客AとBをそろそろ見に行きましょうか」
パンパンと手を打ち鳴らして、アディ姫はそう締めくくった。
その様子を苦笑半分で見守っていた巨熊さんは、なんとも言い難い声を零す。
「つーかな。改めて言うまでもなく確定してんだがな」
「ん?」
アルの髪の毛をちまちま分けたり戻したり撫でたりしながら、あたしは苦笑しきりのバルバロッサ卿を見る。
全員の視線が集まったのを見て、バルバロッサ卿は苦笑を深めて言った。
「……結局、殿下のことは確定しちまってんだが、まぁ、それはいいわけだよな?」
「あ!」
ギョッとした顔になるアル。
……彼はなんというか、常に語るに落ちるとか、そーゆータイプのようである。
※ ※ ※
暗くてじめっとした城の地下。
分厚くて頑丈な扉をくぐると、そこはなおいっそう暗く陰鬱な場所だった。
「さぁて。楽しい楽しい地下牢探索ですよー」
そんな中でもマイペースなアディ姫は、大きな鍵の束をじゃらつかせている兵士さんの真後ろで、目を輝かせながらせっついている。
「さぁ早く。ほら早く。この滅多に入れない陰鬱とした世界を案内してくださいな!」
思いっきり地が出ているアディ姫に、案内の牢屋番は夢が壊れちゃったカワイソーな人の表情でとぼりとぼりと歩く。
地下牢、と聞くと、もっと臭くてドロッとしていた、時々白骨死体とかが転がってるのが普通だと思っていたのだが、この城の地下牢はそういう感じではなかった。
暗くてじめっとはしているが、ドロッとした雰囲気は無い。臭いもそこそこするのだが、下街の路地裏よりは臭くないし、もちろん白骨死体なんか転がっていない。
劇とかだと、閉じこめられた囚人が苦悶の声をあげてたりするのだが、そーゆーこともなかった。
「地下牢って、意外と清潔なんだ」
思わず呟いてしまったあたしに、最後尾の熊さんが苦笑する。
「……そりゃあまぁ、定期的に掃除してるからな」
定期的に掃除。
それって、ある意味、下街の通路より綺麗なんじゃなかろーか?
思わず「ウムム?」と唸ってしまう衝撃の事実に、あたしはアルの頭にしがみついたままで唇を尖らす。
もう完璧に素性がバレちゃってることにしょんぼりしているアルは、とぼりとぼりと歩いていた。
その前にいるケニードは、気遣わしげにアルを振り返る。
「……その……あんまり、思い詰めないほうがいいと思うよ。君が誰であれ、君が君であることには変わらない、って、ベルも僕らもそう思ってるから」
その言葉に少しだけ何かが救われたのか、アルの顔色がちょっと明るくなった。
まだ俯いたままだが、コクリと頷いた時の気配が、少しだけ軽くなっている。
ケニードの前をさくさく歩いていたアディ姫が、チラッとこっちを振り返り、また前を向いて案内人さんをせかした。
「最近捕まったってのに、だいーぶ奥にされてんのねぇ」
「はぁ……厳重な警護をつけるため、ということで、一般の者とは離してあるんです」
「なるほどねぇ」
頷きながら、アディ姫はその体に力を溜めていく。
アルの頭にしがみついてるあたしには、前を行くアディ姫の姿はよく見えた。
(……なんか、モリモリ力が上がってる気がする……)
目に見える形では無いのだが、強いて言えば気配が濃くなっていくような感じだろうか。迫力が増していっている感覚に、あたしはキュッとアルの髪を掴んだ。
……なんか「いてー」とか言われた気がするが、そこは無視ってなもんですよ。
「それにしても、これだけのベッピンが歩いてるってのに、だぁれも声かけないっつーのがすげェな」
のっそりと歩きながら、熊さんがそんなことを言う。
闇を照らす光のように、美しく輝くアディ姫の姿は、ここに閉じこめられた囚人には眩く映ったに違いない。男前を見てあたし達がキャーとか言うように、女前を見て囚人がキャーとか言うかと思ったのだが、地下牢はシンと静まりかえっていた。
「そうですね……普通、ちょっと聞き苦しい類の言葉をきかされたりするもんですが……」
ケニードもそんな風にぼやき、不思議そうに周囲を見渡した。
もちろん、これで地下牢がカラッポだとすれば、そんな疑問を思うことはない。
いるのだ。人は。
いるのに、誰も声をあげないのだ。
ただ何か怯えたような目で、歩くあたし達を見ている。
「んふふふふふふふふふ」
その様子に、アディ姫が不思議な笑みをこぼした。
途端、ビクッとなる牢の中の人々に、あたし達は(嗚呼)と心の中で納得する。
……怖がられてるわけだ。アディ姫。
……てゆか、何やったんだ……この姫は……
「……姫君。頼みますから、実験とかはナシですよ?」
お姫様の不気味な笑みを背中に浴びて、案内人さんが怖々と言う。
実験、の一言に牢の中から押し殺した悲鳴があがったが……まぁ、アレだ……
きっとそーゆーことだろう。
「いやですわほほほ。今はいたしませんわよ。大事な時期ですもの」
うふふふふ、という笑みは囚人達の心をキューキューと締め上げてしまったらしい。
なんかどこからともなく人がバタバタと倒れる音が聞こえて、あたし達はまた(嗚呼)と天井を見上げてしまった。
……アディ姫……
囚人さんも、人間ですヨ。
とりあえず、あたしは心の中でだけそう突っ込んでおく。
「まぁ、それもこれも、人々のためを思えばこそのこと。それに、わたくしが実験の手助けをこちらにお願いしてから、犯罪が少しだけ減ったと聞きましてよ?」
「……それはまぁ、アレやソレを経験すれば、いやでも牢屋に入りたくはないと思うわけでして……」
……アレやソレってなんだろーか……
話す門番さんの顔は見えないが、気配がどんよりしているので、きっと余程アレでソレな内容に違いない。
「まぁ、それでも犯罪の激減につながらないというのが、人の世の悲しさなのでしょうね。……今回捕まった者も、誰かに命令されて行わざるをえなかったという立場のものでしょう」
暗い声で呟いてから、案内人さんは「失礼」と声を落とした。
「こういう場所にいますとね、なんとはなしに罪人の向こう側にいる方々の気配を感じてしまうようになるのですよ。……いつものことと、言ってしまえばそれまでですが。……できましたら、少しでも温情ある裁判をしていただければと思います」
その暗く寂しげな声に対し、あたし達は何も言えなかった。
実際に殺されかけたアルや、アルを庇って大怪我を負ったケニードのことがあるかぎり、あたしもウンと頷くわけにはいかない。
……けれど、人の見方や考え方というのは、立ち位置によってこれほどに違うのだ。
あたしは少しだけ昔を思い出した。
言われた言葉を。懐かしい言葉を。
一つの物事を見るときに、一つの見方だけに囚われてはいけないのだということを。
(……おじ様は……)
行いを後悔させるだけの尋問をするようなことを言っていたけれど、それはいったいどういうものなのだろうか?
彼等には、彼等にとってどうしようもない事情があったかもしれないのだ。
……もちろん、それで彼等のことを許せるはずもないのだが。
「こちらです」
考え事をしていたあたしを声が引き戻し、ハタと顔を上げると、ちょうど案内人さんが分厚い扉の前でがちゃがちゃと鍵を回しているところだった。
どうやら牢屋がいっぱいのこの大部屋とは、また別の部屋に問題の人達は捕まっているらしい。
……なるほど、だから、一般の者とは離してある、か。
納得してふんふんと頷き、ふと、あたしは動きを止めた。
「……血の臭いがする」
ぽつりと。
呟いてしまったのは、ほとんど無意識のことだった。
ギョッとアルの体が強ばり、扉の鍵が開くのももどかしげにアディ姫が飛び出す。
「姫!」
慌てたバルバロッサ卿が、なんと! アルごとあたしを左腕に、ケニードを右腕に抱えてその後を追った。
「うぉ!?」
「もにょ!?」
「わわっ!」
それぞれがそれぞれの声をあげ、大きな扉の中へと飛び込む。
その瞬間、ハッキリと、あたしの鼻が異臭を嗅ぎ取った。
「血が濃いわ!」
「……それは血の臭いが濃いっつー意味だよな?」
なんかアルがわざわざツッコミをいれてきた。
それを無視してドンドン走っていたバルバロッサ卿が、ふいにその速度をゆるめる。
「…………姫」
見れば、先に駆けだしていたアディ姫が険しい顔で立ちつくしてた。
あたしは通路の中央に立ち、牢屋の一つを睨んでいるアディ姫の姿に立ちつくす。
その姿は鬼気迫るものがあり、深い後悔と怒りに燃えていた。
「……おねーさま」
あたしの声に、けれどアディ姫はこちらを見ない。
ただ厳しい表情のまま、止まれ、と言うようにこちらに掌を向けてから、呟いた。
「……やられたわ」