16 同じでは無い者
「……さて。そろそろ会場に姿を現さねばならん時間だな」
ふとそんな声が聞こえて、あたしはハッと身を起こした。
薄暗い部屋の中、離れた場所にある燭台が、ちらりちらりと光を撒く。
ぅぉー……よく寝たのですよ。
しょぼしょぼする目を擦りつつ、あたしはほんのりと暗い周囲を見渡す。
小さな部屋だった。
深い色のカーテンに四方をぐるりと囲まれ、その向こう側の景色はほとんど見えない。
部屋の光源は燭台にささった数本の蝋燭のみで、その薄暗い部屋の中に男女が二名。
……おや? レメクとアウグスタではありませんか。
てゆか……えーと……ここどこだっけ?
「……よく寝ていましたね。ベル」
あたしを膝の上に寝かせていたレメクは、呆れたような目であたしを見下ろしている。
なんだかいつもより数段素敵度の高い服を着ているが……
……って……あー……
「……夜会で爆睡してる幼女、というのは珍しい光景だったな」
レメクの隣にいるアウグスタは、クツクツ笑いながらそんなことを言った。
そう───ここは王宮、夜会の会場たる『決戦の間』。
いくら周囲を布で囲われているとはいえ、いつ誰が覗きに来てもおかしくないような場所で、あたしはぐっすりと眠り込んでしまっていたのである。
……い、いや、理由はあるのよ!? イロイロと!
アルがどっか行っちゃって心配だなー、とか!
フェリ姫今どこにいるんだろ心配だなー、とか!
シーゼルはどこにしけこんでるんだろ、フェリ姫の制裁が心配だなー、とか!
お腹空いちゃったけど近くにご飯がないから寝てよーかなー、とか!
レメクとアウグスタが難しい話しをしはじめて眠いなー、とか!
ほらっ! こんなにイッパイ!!
「…………ベル」
焦りもイッパイなあたしを、レメクはそれこそイロイロなものを含んだ声で呼ぶ。
「…………」
……あー……
「…………」
……うー……
「…………」
「……ごめんなちゃい」
上目遣いで、しょんぼり反省。
レメクの手がグワッと迫った!
「……疲れているのでしょうね。ベルもまだ本調子ではありませんから」
頭を撫でてもらいました!!
わずかな笑みに含まれた「仕方がありませんね」を読み取って、あたしはパァッと顔を輝かせる。
さすがレメク! あいちてるっ!
「……中身のほうはいつでも本調子な気がしますが」
えっ!? なぜ目が遠くを見るのです!?
ガーンッとショックのあまり固まるあたしを見て、アウグスタは笑いを噛み殺しながら言った。
「どちらかといえば、レメク、おまえが居眠りしてたほうがよかったんじゃないか? 疲れてるのはおまえも一緒だろう」
「……そういうわけには」
困ったように苦笑を零して、レメクは嘆息。
「開拓の問題にしても、諸侯が王宮に集っている間に交渉しないといけませんから。……改めて場を設けるのは時間がかかりますし、かといって書状ではさらに時間がかかってしまいますから」
「あー……おまえの領の、あの開墾なぁ……」
何か思い当たることでもあるのか、アウグスタは渋い顔だ。
しかし、何も知らないあたしには、何がなんだかサッパリだった。
てゆか、開墾ってゆーのは、アレですか?
畑をいっぱい作ったりするヤツ!
「……ベル。あなたが生まれるより前の話しですよ」
ジッと見つめるあたしに気づいて、レメクが語る。
「万年水不足の領地に、水路を作ろうとしたことがあるんです。その時、紋章術師長の命令で、かなりの数の術師がその工事に参加しました。……私の要望ではありませんでしたが、その結果として予定より格段に早く工事が仕上がりました」
「おまえが寄越せと言ったわけじゃないんだがなぁ……」
ぼやくアウグスタを見て、あたしは首を傾げた。
てゆか、なんでそんな状況になったのだ?
「新しい複合紋章術を編み出すのに、紋章術師長がどうしてもレメクの補助が欲しいと言ってきかなかったんだ。で、こいつは自分の領地の水路工事があるから、しばらく王都に帰って来れん、と言う。……まぁ、普通、領地の水路工事ってのは数年がかりで取りかかるもんだからな。言われた長も慌てたんだろうよ。……とはいえ、まさか部下をおまえの所に送りつけて工事を早めるとは思わなかったが……」
「結果的には助かりましたが」
苦笑を深めるレメクに、あたしは首を傾げながらペチッと合図した。
説明もっとプリーズ。
「土木関係の工事は、普通、人の手で掘ったり材料を運んだりするのですが、私の場合、紋章を使って行うんです」
ほぅほぅ。
「私の領は、土地こそ広いのですが、その半分は不可侵の森で、残りは荒れ地がほとんどです。それほど痩せた土地というわけでもありませんから、ちゃんと手を入れれば収穫は見込めるのですが……森の近くに行かない限り、水源が無いのですよ。川も近くにありませんし、井戸はかなり下まで掘らないと水が出ないような有様ですから」
ふむふむ。
お野菜は土地と水とお日様がないと駄目だって言うから、水が足りないレメクの土地はあんまりイイ土地じゃないってことだ。
……そーいや、前の領地とは比べ物にならないぐらいショボイ土地、って他の人もさんざん言ってたな。
「ちゃんと手を入れれば、土地はいくらでも活用できます。何もしないままに利益をあげようとするから、実入りが少ないと感じてしまうのです。……私の場合は、前任者がかなり無茶な租税をしていたらしく、領民も減っていましたからね……そもそも工事のための人足が足りませんでした」
……ん? 『領民が減って』た?
「おじ様の領地って、人が少ないの?」
思わず問い返すと、苦笑と頷きが二カ所から。
「あそこは少なかったなぁ」
「今は少しずつ増えてきてますが、最初は本当に少なかったですね」
「……へぇ……」
思わず意外な気持ちで大人二人を見上げた。
生まれも育ちも王都なもんだから、領地に人が少ない、と言われてもいまいちピンとこない。
が、宿のおねーちゃんは言っていたのだ。領民の数は領主持つ力に比例するのだと。
……ということは、レメクは最初、すごーく力のない領主だったってことになる。
「……おじ様、なんでそんな土地を受け持ったの?」
あたしの素朴な疑問に、レメクはほんの少しだけ自嘲めいた笑みを浮かべた。
「反発の少ない土地、というのも理由の一つなのですが……」
言って、少しだけ言いよどむレメクに、アウグスタが痛みを覚えたような目になる。
そちらにチラと目配せをしてから、レメクはあたしにこう告げた。
「……その領地は、昔、一度でいいから行ってみたいと思った土地なのですよ」
……なんと。
「そんなにショボイ土地なのに?」
「まぁ……当時は荒れ地と森が大半でしたから、そう思われても仕方がありませんが。……森の中にね、美しい湖がいくつもあるのだそうです。大半が湧き水で出来た湖で、月の夜には、人々はそこに集って歌を歌うのだと聞いています」
「ふぅん……」
レメクの言葉に、あたしは北区のクラウドール邸を思い出した。
敷地内に森のごとき林と、美しい湖を持つクラウドール邸。
もしかすると、レメクの領地にある森というのも、あんな感じなのかもしれない。
「話にだけはよく聞いていましたからね。子供心に一度は訪れてみたいと思ったものです。……とはいえ、まさか自分の領にする日が来るとは……思いもしませんでしたが」
……なるほど。
「思い入れのある土地ってやつね!」
「……まぁ、そうですね」
苦笑して頷くレメクに、あたしはウンウン頷いた。
そしてしっかりと脳内メモに書き込みをする。
なにせレメクが領地について語ってくれるのはこれが初めてである。しっかり勉強して、いつかお手伝いをしなくては!
そう、ツマとして!
「……で、どーしてその土地が、今、むつかしそーな話しになってるの?」
一生懸命情報を仕入れようとするあたしに、レメクはなにやら考える顔。
その横で苦笑して、アウグスタがあたしの頭をくしゃっと撫でた。
「まぁ、簡単な話、その水路工事に、本来関係ないはずの紋章術師や紋様術師が大勢参加したのが問題なんだ。……そうだろ?」
「えぇ……普通、手伝っても数人程度ですからね」
考えがまとまったのか、レメクがアウグスタの言葉を受け継ぐ。
「個人の領地に関する問題ですから、国がそこまで関与するのはおかしい、という訴えです。私自身の役職のこともありますから、何か裏で取引があったんじゃないか、と言われてますね」
「……おじ様が手伝えって言ったわけじゃないのに……?」
「そういうものです」
あっさり言うレメクに、あたしは頬を膨らませた。
「でも、そんなの、おかしいじゃない! おじ様のせいじゃないのに!」
「ようは『妬み』だ」
横から伸びてきた白い指が、膨らませたあたしのほっぺを「ぶしゅっ」と潰す。
そちらを向いて再度頬を膨らませると、アウグスタは面白そうな顔であたしを見た。
「紋章術師に何らかの作業を頼めば、けっこうな金額の人件費がかかる。特にこいつがやろうとしていたのは、北の山脈から水を引っ張ってくるという、ちょっと普通じゃ考えられないぐらい巨大な水路の工事だ。そんなものを個人で造ろうとすれば、それこそ破産するぞ。王都をもう一つ造れるぐらいの金が必要だからな」
む。むむむ。
「……むちゃくちゃお金がいるってことね!」
「……まぁ、普通の人間が想像もつかないだろう大金だな」
なにやら指折り数えていたアウグスタが、指を折り曲げる途中でげんなりした顔になった。
「……同じ工事を正規でやれと言われても、ちょっと予算が足らないな……」
……国王にそう言われるよーな事業って、どーなんだろうか……
「普通に人を雇えば、どうしても賃金と日数がかかりますからね」
同じように指折り数えていたレメクは、難しい顔でそう答える。
「私の場合、紋章がありましたから、そこまでかからないと踏んでいたわけです」
「……紋章の使いすぎだ。馬鹿助が」
そんなレメクを横目で睨んで、アウグスタは小言。
「おまえ、デカイ水路を掘るついでに、周囲の荒れ地を耕してただろ。紋章で」
「硬い土地を柔らかく混ぜて、中の砂利を撤去しただけです」
「よりにもよって大地の紋章でな」
「土系の紋章は使いやすいんですよ。無理やり何かを生み出すと違って、そこにあるものを混ぜたり仕分けしたり動かしたりするだけですから」
「……結合力を高めて岩の板を造ってたのは誰だ?」
「最初は私ですが、紋章術師達が来てからは彼等に任せましたよ」
「……その紋章術師達の存在が、今こーして問題になってるんだがな」
「まぁ、そうなんですが」
……なんか怒られてる。
前々から思ってたのだが、アウグスタはレメクが紋章を使うことにあまり賛成では無いらしい。
レメクの場合、使った結果体を壊す、ということがいっぱいあるから、きっとそのせいなんだろう。
「だいたいな、水路だけでも大工事なのに、木の紋章で苗木を大きくして、脇に木陰とか作ってなかったか?」
「水路脇の木々でしたら、雨水の確保と用水の蒸発防止をこめて……」
「理由とかを聞いているんじゃない。やりすぎだと言っているんだ」
怒ってる怒ってる。
「紋章を使うな、とは言わん。私も徹底的に利用しているからな。……だが、おまえの場合は限度が無いだろう。やらなければ、とか一人で思って体調考えずにガンガン使うだろーが。それをやめろと言っているんだ」
「…………」
「木は植えて、手入れを怠らなければそれなりに育つ。年月で育てればいいんだ。確かに紋章を使えば早いし効果も高い。理屈は分かるんだ。……だがな、おまえは一人でやりすぎる。だから周りは心配するんだ」
「……はい」
頷くレメクは、なんだかちょっとしょんぼりしているような感じだった。
あたしは慰めをこめてレメクの胸に頬をスリスリする。
アウグスタがそんなアタシのあたまをワシッと掴んだ。
「いいか? レメク」
ぬぉぉ。
「おまえがやろうとしていることをベルがやろうとしているのだと考えてから、行動しろ。ベルがやってもかまわないと思えるような内容なら、やれ」
むぉぉ。
「でなければ、おまえの無茶はベルにもうつるぞ」
ふぬぉ。
「……わかりました」
頷いて、レメクは頭を鷲づかみにされてのけぞっているあたしを見た。
「……とりあえず、アイアンクローはやめてあげてもらえませんか」
「おお。いかん。力を込めすぎたか」
こめすぎだ……!!
解放されたあたしは、素早くレメクの膝上から脇へと避難する。
あたしは悟りました。レメクを説教している時のアウグスタは危険だと!
「……まぁ、そんな感じで紋章を使う工事を進めていたら、王都から援軍がやってきて、彼等が手伝ったことが今問題になっている、ということです」
そう纏めたレメクが、「わかりましたか?」という目であたしを見る。
あたしはきゅっと唇を引き締めて頷いた。
「……でもね、それって、偉い人とか、他の領地の人とかが文句言ってるの?」
「ええ」
「動員された術師さん達からは文句でてないの?」
「あぁ……」
あたしの質問に、レメクは笑った。
「私の所には直接来ていませんが、紋章術師長の所にはいったんじゃないですかね?」
「まぁ、そもそもあやつが元凶だからな。術師連中は命令されて従っただけだし、レメクの方に文句を言うヤツは……貴族連中の取り巻き以外にはおらなんだな」
……てことは、ちょっとはいたってことか。
「まぁ、どこにでもそういうヤツはいるからな」
軽く肩をすくめて、アウグスタは苦笑った。
「しかし、あの時の長の命令はふるってたな。言うに事欠いて、実技テストときたもんだ」
「実技テスト?」
……ってナンダ?
「まぁ、手の空いてる術師連中を集めてだな、日頃の鍛錬をテストすることにした、と言ったわけだ。で、テスト内容が、レメクの所の水路工事の手伝い」
「……そんな無茶な……」
「いや、これがフツーに受け入れられてな。というのも、あやつの言い方がな……『紋章術の実用性を世に知らしめるため、クラウドール卿は紋章術を使っての一大事業に乗り出された! ちょうどいい機会だ、貴様等が日々鍛錬しているかどうかのテストをさせてもらう! 卿の元に赴き、貴様等の実力を見て貰うがいい! そこで日々の成果を発揮できなかった者は、一から修行のやり直しだと思え!』とかなんとかだったらしい」
……ありゃ……
「紋章術師っていうのは意外と地味な職でな。警備についたり新しい紋様術や紋章術の開発をしたりする以外は、街灯用の紋章珠を作ったり、土木工事用の紋章符を作ったりしかしてない連中だ。中には気持ちが弛んでこっそり遊んでるようなヤツもいる。長ともなるとそういう連中に頭を悩まされたりするからな……渡りに舟だと思ったんだろうよ」
「……で、おじ様の所で、紋章術師、もしくは紋様術師として相応しい力を持ってるのを照明して来い、と……」
「そういうことだ」
あたしの声に満足そうな笑みを浮かべて、アウグスタは大きく頷いた。
あたしはただただため息をつく。
……長って人のことはよく知らないが、まぁ、サボり癖のついたヤツをビビらせるのと、レメクの手伝いの一石二鳥を狙ったんだとゆーことはわかる。
大きな鍛冶屋の親方が、弟子達を鍛えるのに似たようなことをやってたから、そーゆー感じなのだろう。
……地位が上に上がっても、やってることは下街と同じなんだな……
「最初に彼等が来た時には、いきなり何事かと思いましたが」
「手紙は行ってなかったのか?」
「入れ違いになったらしく、彼等の到着後に届きましたよ。私も一カ所には留まっていませんでしたから」
苦笑して答えるレメクに、なんとなくその当時が想像できて、あたしはウンウンと首を縦に振った。
「おじ様は、じっとしていられないヒトなのです」
「……なぜ落ち着きのない人間のように言われなくてはいけないのですか」
なんか不服そうな声がキタ。
あたしはジッとレメクを見上げる。
どーせいつものように忙しく動き回ってたんだろーに。違うと?
「……コホン……」
わざとらしい咳を一つして、レメクは視線を横に逃がした。
「それはともかく」
あ。話題変えた!
「彼等の事情はよくわかりませんでしたが、テストを兼ねているということでしたので、簡単な術を延々行ってもらいました」
……延々……て……
「とりあえず、力尽きるまで」
……………………………鬼ダ。
さすがに顔をひきつらせたあたしに、レメクはしれっとした顔で話しを続ける。
「限界を試してくれと本人達から言われましたからね。どれだけの術を行使できるのか、回数を見ておきたかったですし。紋章術師の方には紋様板を力尽きるまで作ってもらい、その枚数を記録しました。紋様術師の方は、その紋様板を使って水路を強化する……まぁ、言うなれば大きな石の板を作る作業を延々としてもらい、その強度と個数を記録しました」
「……実際に、ちゃんとテストになってたわけだよな。アレ……」
「そうでなければ、引き受けはしませんでしたよ」
アルグスタのぼやきに苦笑を返し、レメクはあたしの頭に手を置いた。
「まぁ、理由や背景はともかく、それが問題になっているのは事実です。不公平感というのは、なかなか消えないもののようですし」
「……おまえと同じ仕事をこなしてから、文句を言ってほしいものだがな」
アウグスタは疲れたため息をつくと、勢いよくソファから立ち上がった。
「まぁ、そんなわけで……ベル。ちょっとレメクを借りるぞ」
「ほぇ?」
いきなり言われて、あたしはキョトンとアウグスタを見上げた。
アウグスタは腰に手をあててふんぞりかえる。
「高官や貴族どもと面倒な交渉をしなくてはいかんならな。おまえ、そんな所についていってみろ、根掘り葉掘り素性を聞かれたり、わけのわからんいちゃもんをつけられたりするぞ」
……うっ……!
「……そ……それは嫌だけど……」
「そうだろう。それに、おまえがいるとどうしても連中の興味はそっちに行くからな。本題に入るまでに時間がかかる可能性がある。……おまえには悪いと思うが、しばらくここで休んでいてくれ。面倒な客もそろそろ来るしな」
面倒な客、の言葉を皮肉な笑みを浮かべて言うのに、レメクの目がスッと冷えた。
「……来たのですか。『あの女性』が」
「……おまえ、その目は怖いからやめろ」
一言忠告して、アウグスタは肩をすくめた。
「……来たようだぞ。今、門の所でポテトが対応している。……あの大馬鹿助、嬉しそうに頭の中に声を送ってきやがったぞ。あの女性にとって王宮は未だに『我が家』らしくてな、出向くのに何の咎があるのかと言わんばかりの態度だそうだ。ちょっと虚無の空間に放り込んでもいいかとか問うてきた」
……おとーさま……
「安心しろ。とりあえず、人目がなくなるまでは何もするな、と言っておいたから」
…………おかーさま…………
「あいつが時間を稼いでいるからな。例の連中はしばらく足止めをくらっている。その間に、面倒な交渉を片づけるぞ。それが終わった頃ぐらいにでもポテトに連中を案内させよう。……その頃には、ベルは部屋に戻っていたほうがいいだろうな」
「……そうですね」
レメクがあたしを心配そうに見下ろす。
その綺麗な瞳に、あたしは大きく頷いた。
「大人しく帰るのですよ。大丈夫なのです。デキる女は男の邪魔をしないのです!」
「……せっかくの夜会なのに、堪能することもできませんね」
ほろりと苦笑を零して、レメクはあたしの頭を撫でる。
その掌に頭を擦りつけて、あたしはレメクに笑いかけた。
「夜会に未練は無いのですよ。でもご飯には未練があるのです!」
「……そーいや、まだメシ喰ってなかったか」
そうですとも!
そうですとも!!
ようやく大事なことに気が付いてくれたアウグスタに、あたしは力一杯頷いた!
「ぺこぺこなのです!」
ぐぉお! と腹からも声援があがり、アウグスタは笑いを噛み殺しながら頷いた。
「わかった、わかった。どうせそこらにいつもの連中が来てるから、メシを持ってくるように伝えておく」
……いつもの連中?
「ケニードとルドゥインだ」
なるほど!
納得して、あたしは大きく頷いた。
「二人ともどこにいるの?」
途中まで一緒にいたケニードは、パートナーを迎えに行かなくてはいけないからと、会場に行く前に別れている。
バルバロッサ卿に関しては、それこそ昨日から会ってない状態だ。
「会場内にはいるんだがな。どうやらパートナーが友達との話に夢中になっているらしい。抜けてこっちに来るらしいから、おまえの相手を任せることにした」
任せることにした、って……
「……アウグスタ。いつ会話したの?」
「さっき。紋章でな」
コツコツと自分の頭を指で叩いて、アウグスタはニヤリと笑った。
……なるほど。
精神を司るとかゆー『光の紋章』か。
納得しつつ、あたしはちょっと遠い目になった。
いきなり頭の中に喋りかけられてたら、普通、ビックリするんじゃなかろーか……?
フェリ姫にいきなり心話をされた時には、あたしもビクッとなったもんだ。
(人前で悲鳴とか上げなきゃいいけど……)
宿のおねーちゃんが言っていたのだ。オトコノヒトはプライドが高いから、恥をかかせちゃいかんのだと。
「ベル」
「みょ?」
名を呼ばれて顔を上げると、レメクは相変わらずあたしの頭を撫でながら言う。
「クレマンス伯爵のことは、宰相にお尋ねしておきます。フェリシエーヌ姫も、ご自分の配下を使っている間は、無茶をなさらないから大丈夫でしょう」
「……うん……」
暖かい手と声に頷いて、あたしはキュッとレメクの服の裾を握った。
レメクの大きな手が、そんなあたしの拳を包んでくれる。
「せめて場に慣れる程度には、周りの様子を見せたかったですが……私もあなたも本調子ではありませんから、なかなか思うようにはいきませんね」
「……ん」
「私は陛下と行きますから、あなたは大人しくしていてください。あなたはまだ王宮に来て日が浅い。人々の間で上手く立ち回るには、もう少し成長してからのほうがいいでしょう」
「……うん」
頷き、同じ日の浅い仲間であるアルを思い出して、あたしはレメクを見上げた。
「おじ様。……アルは?」
薄暗がりの中、少しだけ翳りを帯びて見えるレメクは、口元を笑ませて頷く。
「彼なら大丈夫ですよ。アデライーデ姫がついています」
「……アディおねーさまなら、アルを守れる?」
「おそらくは」
妙に自信をこめて、レメクは頷いた。
その口元にはなんとも言えない微苦笑が浮かんでいる。
「この王宮で、彼女に勝てる人はそういませんよ。魔術が使えないことが何のマイナスにもならないほど、自分を磨き続けてきたのが彼女です。……西の隣国、ボドムスでは毎年武術大会が開かれるのですが……」
そこで区切って、レメクはアウグスタを見た。
アウグスタが苦笑しながら頷く。
それを受けて、レメクは言った。
「彼女はそこの連続優勝者ですからね」
───と。
タイトルホルダー。
それは、大会などで三年以上連続して優勝し続ける人の呼び名である。
あたしがそれを知ったのは、今から約二年前。
漁のおこぼれをくれていた船乗りのおにーちゃんが、ある日、お酒片手に語りに語ってくれたのである。
聞くところによると、西の方には大きな武闘大会があって、そこに強烈に強い連続優勝者がいるのだそーだ。
その大会、どーやら賭博の対象になっているらしく、そのやたらと強い連続優勝者のおかげで、おにーちゃんはそこで小銭をしこたま稼ぐことができたのだとか。
大金を稼いだわけじゃないあたり、なかなか真実味のある話しである。
……いや、まぁ、酔っぱらいの話って、たいてい実際より大きな話しになるのがフツーだからね。
んでもって、その連続優勝者という名称だが、これは三年以上連続して優勝しないと、そういう風には呼ばれない。
理由は簡単で、トーナメント戦とかゆーやつの場合、一回や二回なら、偶然も重なって最強な人以外が優勝することもあるのだそーだ。
けど、三回目ともなるとそうはいかない。
だから三回以上連続して優勝した人は、その大会の第一位、というタイトルを所持するに至り、周りから『連続優勝者』と呼ばれるのである。
聞いた話では、その称号を持ってさえいれば、連続四回目の出場時は決勝戦だけを戦えばいいらしい。
ただ、連続四回目の大会に出場しなければその称号は消えてしまうので、次からは毎年参加しなくてはいけないというプレッシャーがあるのだそーだ。
まぁ、そんなタイトルなんてあたしには何の関わりもないし、そういう人と会うこともまず無いだろうとその時は思っていたのだが……
いたのですね。何気に。
……てゆかアディ姫。そこまで強かったのか……
あたしは口と手を必死に動かしながら、初めて知った大変な事実を整理していた。
ええ。なんたって、あたしはズノー派の女ですから、考え事だってするのですよ。もぐもぐもぐ。
「おら、嬢ちゃん。眠りながら喰ってたら口の周りが大惨事になるだろ?」
ちっけいな!
空になった大皿を別のと取り替えてくれながら、バルバロッサ卿が大変失礼なことを言う。あたしはそちらに口を尖らせてみせてから、次の大皿を猛然と攻略していった。
じつに丸一日ぶりに再会したバルバロッサ卿は、やはりいつも通りに熊だった。
相変わらずの巨体に、特注でしかありえない礼服。これが意外と似合っているのが王宮の七不思議である。
とはいえ、なんだかいつもよりこざっぱりした顔になっていて、そこらへんはやっぱりいつもと違っていた。
まぁ、実家の人間がよってたかって仕度を手伝ってくれるからなのだそーだが。
髪の毛とかも綺麗に整えられちゃって、初日の夜会仕様よりもずっと人間らし……いや、げふんげふん……男前があがっていた。
ちなみに、バルバロッサ卿のパートナーや実家の家族は、会場には来ているものの、すでにダンスホールから出て行ってしまっているので、チラとも見ることはできなかった。
入るときはパートナー同伴でないと駄目だが、出る時は別にそーでもないらしい。
(……なるほど。それで、控えの間にパートナーのいない人も集まるんだな)
即席でもパートナーになってしまえば入れるのなら、それを目当てに集まる人がいても不思議では無いだろう。
……それにしても、こんなに一生懸命もぐもぐ考え事をしているあたしをごっくんこ居眠りしているとは何事ですかバルバロッサきぅ……
「……疲れてんなら、素直に寝たほうがよくねぇか?」
ちっけいな!!
ちょっぴり意識が遠のきかけたのを無理やり戻して、あたしはバルバロッサ卿にキラリと光る目を向ける。
次の深皿を用意しながら、ケニードがそんなあたし達に笑って言った。
「ベルの場合、寝るよりも前に食べないと回復しなさそうな気がしますね」
もちろんですとも!
ペロリと平らげた大皿を片づけて、あたしは両手をテーンッと差し出した。
「ご飯は大事なのですよ!」
「……それは『そのとおり』という返事のかわりか?」
肉の脂でテリテリになってるあたしの両手を拭いて、バルバロッサ卿は遠い眼差し。
拭き終わったあたしの両手にケニードがすかさず深皿を乗せてくれた。
ずぴずぴずぴ。
「……こんなに豪快にスープを飲む姫ってのは、嬢ちゃんが初めてだろーなぁ……」
ずぴぽぽぽ。
バルバロッサ卿のぼやきを無視して、あたしはひたすらスープを飲む。
ほとんど一息に飲み干すと、キューキューいってたお腹もようやく収まってきた。
「ぷはぁ!」
「いい飲みっぷりだ」
おっと口を拭かれました。むぎゅむん。
「ベル。だいぶ食べたけど、まだ食べ物いるかい?」
床に積み上げられた皿を数えながら、ケニードが尋ねてきた。
バルバロッサ卿に口を拭いてもらったあたしは、すぽんと腹を叩いてみせる。
「腹八分目なのです!」
「……これで腹八分目か」
ケニードと同じく皿を数えていたバルバロッサ卿が、なにやら思うところがありげな声で呟く。
「おじ様は、腹八分目ぐらいでやめておかないと、体に悪いと言っていたのです」
「……いや、それは腹八分目ギリギリまで食えってことじゃねェと思うぞ? たぶん」
三十三まで数えて、バルバロッサ卿はやめたやめたと言わんばかりの顔でぼやいた。
「……俺より喰ってんだなぁ……嬢ちゃんは」
バルバロッサ卿は意外と小食のようだ。
「まぁ、それはともかく。……とりあえず、これ以上はもういらないってことだね?」
「あい!」
笑いながら問うてくるケニードに、あたしはしっかりと頷きをかえす。
そうして、座っていたソファから床にピョンッと降りた。
アウグスタの言葉通り、ケニードとバルバロッサ卿が大量のご飯と一緒にこの休憩所に入ってきたのが約十分前。
それから延々ご飯を食べていたのだが、その間に、レメクと一緒に一旦門の紋章で姿を消したアウグスタは、会場の入り口から悠々と登場あそばされたらしい。
初日と違って『国王陛下のおな~り~』とかゆー知らせは無いのだが、ざわめきと人の動きでなんとなくそれがわかった。
ちなみに、今現在、王宮の門のところにいるであろうポテトさんのかわりに、レメクがアウグスタをエスコートしているようである。
クラウドール卿だ、とか言う囁きが聞こえていたから、まず間違いないだろう。
エエ。レメクの名前に関しては、あたしは地獄耳なのですよ!
「しかし、休憩所でメシ喰ったら部屋に戻れって……嬢ちゃん、夜会に何しに来たかわからねーなぁ」
食後の一服として美味しい紅茶を淹れてくれながら、バルバロッサ卿が嘆息をついた。
熊の手にあると、あたしには大きいはずのポットがちっちゃく見えるから不思議だ。
「おじ様は、場の雰囲気に慣れさせたかったみたい。初めてだと、どうしてもカチコチになっちゃうから、空気にだけでも慣れておきましょう、って」
「……まぁ、今はまだダンスがどうとか言う状態じゃないしな。場数を踏ますっていう意味じゃ、正解か」
「でも、何もなければずっと一緒にいたかったんだと思いますよ。公爵のことがなかったら、延々抱っこしたまま会場をぐるぐる回ってたんじゃないですかね」
「違いねぇ……」
なにか面白い想像でもしたのか、バルバロッサ卿がクッと笑いを噛み殺す。
「まぁ、けどよ、お披露目自体は初日にやってるから、そこまで嬢ちゃんを連れ回す必要は無いわけだよな」
「そうなんですよね。他国に花嫁に出すつもりなら、祭りの間中顔を出しっぱなしにしておいたほうがいいでしょうけど、ベルは嫁ぎ先がもう決まってる状態ですし」
「だよなぁ……」
頷いて、バルバロッサ卿は床の上でちびちびお茶を飲んでいるあたしに苦笑した。
「てことは、最終日もここに籠もって夜会の様子だけ見て終わる可能性があるわけか?」
「それはどうでしょう?」
立ったまま優雅にお茶を飲みながら、ケニードは首を傾げる。
指に後遺症があるためか、若干、指が強ばっているような印象を受けたが、あたしはあえてそのことについて何も言わなかった。
そういうのをいちいち指摘されれば、きっとケニードもしんどいだろう。
「毎年、最終日は何らかの余興があるでしょう?」
「あー。あったな、そういえば。去年は紋章珠のつかみ取りだっけか?」
……ナンダ。ソレハ。
思わず疑問イッパイな目になったあたしに、ケニードは笑って言う。
「風の紋章で作った球体の中にね、紋章珠を入れて会場中に放ったんだ。ちょうど大人の目の上あたりでふわふわ浮く感じだったかな。それが、そこら中に漂っていたんだよ」
「で、参加者はそれを好きなだけ持って帰っていい、ていう形だったんだよな、確か」
ほぅほぅ。
背のちっこいあたしには、なかなか難しそうなゲームである。
「水の紋章珠が一番人気でな。けっこう血眼になって集めてるヤツがいたよなぁ……」
「水不足の領地では、かなり助かる品ですもんねぇ」
「魔力と知識さえあれば、他国人でも使えるからな。それに、持って帰ればそれを研究できるしで、他国からの賓客もけっこう必死で集めてたな」
「……そんなのを大盤振る舞いしちゃって、大丈夫なの?」
なんとなく心配になって、あたしは思わず声をあげた。
すると、二人はなんとも人の悪い笑みを浮かべて頷きを返す。
「罠がね、あるんだ」
「アタリとハズレがある、って形でな。紋章珠が入ってる球体は、翌日にならなきゃ割れない仕組みになってるんだ。で、皆が喜び勇んで球体を持って帰り、翌日それが割れた時、アタリだったら紋章珠。ハズレだったら、中に入ってたはずの紋章珠の効果と同じものが炸裂するっていう罠だ」
「僕、ちょうど水の紋章珠を手にしたんだけど、ハズレだったらしくて、翌日、割れた瞬間にびしょぬれにされたんだよね」
「あー……水はそうなるんだよな……。つーか、水瓶の中にほうりこんどきゃ、ちょっとは水の足しになったんじゃねェのか?」
「そうなんですけどねー。水の紋章珠って、クラウドール卿が作ったやつなんですよねー」
……飾ってたんだな。絶対、飾ってたんだな。
「……いっそ罪の紋章珠のほうがよかったんじゃねェか? あれ、確か相手の罪を暴くっていうシロモノだろ?」
「尋問不要で罪を割り出すんですよね。そういう意味では、真実の紋章珠も人気でしたよね~」
「ハズレだと、内緒にしてた色んなことを勝手にベラベラ一日中喋ってしまうという、恐ろしい罠が炸裂したらしいけどな」
……なんか、お宝を手に入れた後も大変そーなゲームだったんだな……
罠をくらった人々のその後がとても気になったが、後ろめたいことのない人間なら罠でも何でもなかっただろうから、それはもう人次第というやつなんだろう、きっと。
……ええ。あたしだって全然怖くないですよ!? 本当です!
ちょっと効果切れるまで丸一日おトイレに籠もらせていただきますが!
「ま、いくつかは本物の紋章珠だから、上手く手に入れれた連中はホクホクだっただろうなぁ」
「今年は何の余興があるんでしょうねぇ。実は密かに楽しみだったりするんですが」
「俺ぁ三年前の全領地特産葡萄酒飲み比べ大会がいいなぁ」
「あ! それなら僕は、五年前の魅惑のドルチェ大展覧会のほうがいいですね!」
「……それ、レメクが特別に手伝ってたやつだろ」
「ええ! もちろん!」
なんか夢イッパイな目で頷くケニードに、バルバロッサ卿は苦笑を零した。
「つーかおまえさん、今なら頼みゃあ作ってくれると思うぞ?」
「忙しい卿の手を煩わせるなんて、とんでもない! 時々ご相伴させていただけるだけで幸せですしね!」
「……欲がねぇよなぁ、おまえさんは」
じんわりと笑って、バルバロッサ卿は一人こっそりと準備体操をしていたあたしを見下ろした。
「……で、嬢ちゃんはさっきから、何を変な踊りを踊ってるんだ?」
失敬な!
「準備体操なのですよ!」
「……なんの準備体操なんだそりゃ」
おいっちにーさんしー、と前のめり・反り返りを繰り返していたあたしは、大きく胸を張って言った。
「面倒な人が来る前に会場を出ないといけないなら、いなくなっちゃったアルを探しに行きたいのですよ! そのための準備運動です!」
「……いなくなった……?」
「てゆか、アルって誰だ?」
眉をひそめるケニードとバルバロッサ卿。
おっと。バルバロッサ卿はアルと会ったことなかったんだった!
「バルバロッサ卿は、おじ様の仲間なのよね?」
「まぁ、レメクにゃでっかい借りがあるからな」
頷くバルバロッサ卿を見て、あたしはケニードを見上げる。
「じゃあ、言っちゃってもいいのよね?」
「うん。バルバロッサ卿なら、大丈夫だよ」
「……なんだ。なんか込み入った話か」
「コミコミなのです!」
頷いて、あたしはソファにどっかり沈んでいる(文字通り、沈んでいる)バルバロッサ卿のぶっとい足をよじのぼった。
「アルはねぇ、アルトリートっていう嘘の名前を使ってる、クリンクリンさんなのです!」
「……王宮で、今噂されている、クリストフ王弟殿下です」
一生懸命顔をひきしめ、ひそひそと打ち明けたあたしの後ろで、ケニードが丁寧に丁寧にツッコミをいれてくる。
「そのクリンクリンさんなのです」
しっかりとそれに頷いて、あたしはバルバロッサ卿に視線を戻した。
巨熊もどきは見たこともないほど引き締まった顔で、浅く首を引く。
「……『本物』か」
太い声だった。
どっしりと腹にくる音には、なにか言葉以上の重みが込められている。
ビックリして口をつぐむあたしの後ろ、ケニードもまた引き締まった顔で重々しく頷く。
「『本物』です。……卿も、猊下も、認めていらっしゃいますから」
「……あの二人が認めたってことは、確定だな」
静かにそう言って、バルバロッサ卿は盛大な息をはいた。
おおっぷ! 髪が吹っ飛ぶかと思いましたよ!
「つーか、この時期に来るってぇのはどーゆー悪巧みなんだか。……おまけに、嘘の名前がどーとかってことは……入れ替えか」
最後の部分は超小声で、ほとんど口の動きだけで内容を読み取るような感じだった。
それもちゃんと読み取って、ケニードは頷きを返す。
「今、背後関係や協力者の洗い出しを行っています。それがすめば、陛下の号令を待って捕縛しますよ」
捕縛。
その言葉に、アウグスタの覇気ある笑みを思い出した。
レメクに、滅ぼすぞ、と告げていた彼女を。
「ところで、ベル」
「の!?」
思わずブルッと身を震わせていたあたしは、突然ケニードに声をかけられて飛び上がる。
「な、なんです!?」
「いや、そのアル……えぇと、本物版クリストフ殿下が、いなくなっちゃった、ってどういうことなんだい?」
……本物版クリストフ殿下。
……名前交換されてるからって、めんどーな呼び名だなぁ……
「なんかね、アウグスタと会ってる最中にどっか行っちゃったの」
「……公式で対面したのか? 二人が」
「んにゃ。この休憩所の中で」
ここ、と休憩所内を指さすと、二人とも珍妙な顔になった。
「……まぁ、目立たなくていいっちゃあ、いいよな……」
「感動の姉弟対面……ですからねぇ」
「でもその途中でどっか行ったってぇのは、どーゆーこった?」
二人の目がこちらに来たので、あたしは胸を張って答える。
「アルのおかーさんに会ってみたかった、ってアウグスタが言ったら、俺は違うとか言ってどっか言っちゃったの!」
「…………。あぁ、なるほどな」
「え。今のでわかったの!?」
あたしは思わず驚愕の声をあげてしまった。
我ながら意味不明だったというのに、バルバロッサ卿はあっさり理解したらしい。
「……いや、つーか、名前とりかえて、殿下は別人になってるはずなんだろ? それなのに、陛下が母親に会いたかった、なんて言えば、正体がバレてるってわかるだろーが」
「……あ!」
言われて、あたしはようやくアルの「俺は違う」の意味を理解した。
そーか……アル……正体バレてないつもりだったのか。
……い、いや、そりゃーあたしはサッパリ気づいてませんでしたけど!
「つーことは、だ。途中でどっか行った、でなく、正体がバレてるのを公爵の関係者に知らせに走った、ってのが妥当なとこだろうな」
「……で、でも! アルは『よい子』なのよ!?」
ちょっと怖い目になったバルバロッサ卿に、あたしは慌ててアルを弁護した。
しかし、バルバロッサ卿は怖い目のままでゆっくりと首を横に振る。
「いいヤツだろうが、なんだろうが、王族の名を他者が騙るのに荷担すれば、大罪だ。まして相手に協力的であれば、致命的だな」
「でも……!」
慌てて声をあげるあたしに、バルバロッサ卿はちょっとだけ目元を和らげる。
「嬢ちゃんがそんなに必死になるってぇんなら、そりゃ、イイヤツなんだろーとは思うけどな」
「そう! アルは『よい子』なのです!」
「レメクはそいつのこと、どう言ってたんだ?」
「『よい子』なのです!」
「……………………あいつ、嬢ちゃんと一緒にいる間に、なんか変わったんじゃねーか?」
……どーゆー意味だ?
妙に遠い目になったバルバロッサ卿に、あたしも含みを込めた遠い眼差しを向ける。
後ろでケニードがちょっと笑って言った。
「でも、確かにとても『よい子』ではあるんですよ。ぶっきらぼうですけど、優しい子でしたよ。……罪は罪ですけど、クラウドール卿も気にしてますし、あの子の罪は軽くなるといいなぁと思います」
「……レメク至上主義のおまえさんまでそう言うってことは、ちっと重大だな……。よし。そいつが悪い道に転がらないよう、俺もちょっと手ぇ打っておこうか」
「どんな手を打つの!?」
のそっ、と立ち上がったバルバロッサ卿の足にしがみついたまま、あたしはキッと眦を鋭くした。
バルバロッサ卿は男らしい笑みを口に浮かべる。
「ようは、新しい殿下が公爵達と接触しなきゃいい。それを阻止してりゃあ、今より悪い状況にはならねぇだろ」
なるほど!
「それなら、早く行くのですよ! あたしも行くのです」
よいしょ、とドレスの裾を持ち上げて、あたしは駆け出す準備に入った。
大きな熊の手がそれをムンズと押しとどめる。
「まてまてまてい! 嬢ちゃんが動いたら目立ちすぎるだろーが!」
……巨熊に目立つとか言われると、何気にショックだ……
「だいたい、どこに向かうつもりだ? 普通に考えりゃ、やっこさんは公爵の所に行くだろうが、王宮に慣れた人間じゃないかぎり、このデカイ城で一人を捜すのは無理だ。やっこさんにしてもそれは同じで、案外そこらへんで道に迷ってウロウロしてるかもしれねぇだろ?」
「アディおねーさまが後を追ったから、公爵の所には行けてないと思うのですよ! そしてアディおねーさまの匂いなら、バッチリ覚えているのです!」
「……アデライーデ姫、か」
なんか空気の塊を飲み込んだみたいな顔で、ボソッとバルバロッサ卿が呟いた。
……おや?
「バルバロッサ卿。アディおねーさまのこと知ってるの?」
「知ってるつーか……うちの武闘派神官の武術指南してるからな、あの姫さん」
……アディ姫……お姫さまなのに、何をやってるんだろーか……
「つーか、匂いを覚えてるっつっても…………………………たどれるのか? 犬みたく」
失敬なッ!!
心持ち不審そーなバルバロッサ卿に、あたしは目をクワッとつり上げた。
「あたしは一度覚えた匂いは絶対に忘れないのです!」
「……いや、覚えててもな……」
「当日の匂いであれば、他の匂いでゴチャゴチャになってない限り、後を追えるのですよ!」
「………………………………そ、そうか……」
そりゃすげー、まじすげー、となんかココロの遠い声で褒められて、あたしはむふんと勝利の鼻息をはいた。
「だから、今から行くのですよ! ……会場には、怖いオバサンが来るから、出なきゃいけないし!」
怖いオバサン、でケニードが慌てて口を塞ぎ、ぶふっ、と噛み殺しきれなかった笑いをこぼしていた。
「……ベル。それを誰かの前で言っちゃ、駄目だよ?」
もちろんですとも。
「だけど……確かに、問題の夫人達が来るよりも先に動いたほうがいいだろうね。……バルバロッサ卿。行きましょう。僕も、彼には道を違えてほしくありませんし」
「……よっしゃ」
ばすんっ! とあたしが張り付いていない方の膝頭を叩いて、バルバロッサ卿は野太く笑った。
「じゃー、件の新しい王弟殿下とやらを探しに行くか」
「姿は偽物さんも本物のアルもよく似てるから、間違わないでね? あたしが匂いを嗅いで正しい方を教えてあげるのです!」
「嗅ぎ分けなきゃなんねぇぐらい似てるのか?」
「うん。似てる」
「似てましたね」
あたしとケニードは頷き、バルバロッサ卿は渋い顔になった。
「……つーか、たぶん、そもそもの発端はそこかもしれねぇな」
……どーゆーことだろ?
「すり替えなんてぇのは、よっぽど互いが似てるか、さもなきゃどっちもが人前に出てない状態でなきゃできはしないんだよ。子供の頃は似てるが、大きくなったら個性が出て全く違う外見になるっていう兄弟とか親戚とかいるだろ?」
「おー……」
なるほど。
「なのに、成人した二人がよく似た外見。……なるほどな。最初から偽物を紹介してりゃあ、なんとかなるとでも馬鹿な考えをおこしたヤツがいたのかもしれねぇなぁ」
「どっちも王様の血筋で、そこらへんは同じなんだけど、やっぱり絶対駄目なんだよね?」
あたしの問いに、二人は厳しい表情で頷いた。
「絶対に駄目だな」
「問題外だよ」
……問題外とまで言われますか……
なんとなくしょぼんと見上げると、真剣な表情で頷かれた。
……本当に、絶対に駄目なんだな……
「それにね、ベル。誰かと『同じ』である者なんて、この世に一人もいるはずがないんだよ」
ケニードは真っ直ぐな眼差しであたしを見つめ、一言一言を噛みしめるように言った。
「人は誰もが世界でたった一人だけの人なんだ。だから、誰かとすり替わったりなんてできはしない」
そうして、彼はふと視線を別の所に向けた。
薄布を重ねた休憩所の出入り口。
わずかに見える光の向こう側にいる、『誰か』へと。
「……してはいけないんだ。絶対に」