14 輝く宝石のごとき
アルトリートが、本物のクリストフ。
そう言われてあたしがとった反応は、「ふーん」という我ながら実にそっけないものだった。
……なんかレメクがちょっと残念そーな顔をしている。
「……驚きませんね」
「驚くようなことじゃないもん」
あっさりと言って、あたしは胸を張ってみせた。
「あたしが知ってるのは今のアルで、アルはアルのまま変わらないんだから、今更名前がどーとか言われてもどーでもいいもの」
えへんぷぃ。
「……名前についてくる背景は、あんまりどーでもよくないと思うよ? ベル」
なんかケニードが半笑いで突っ込んできた。
そちらを振り返って、あたしは目をパチクリさせる。
「アルがクリストフなのよね?」
「うん」
「ええ」
「そうですわ」
三者三様に頷いて、彼等はそろってあたしを見つめる。
あたしはそんな三人を順繰りに見つめ……
…………
……
「あれ? じゃー、アルがオーテイデンカなの?」
「理解していませんでしたの!?」
あたしの声に、フェリ姫が悲鳴じみた声で叫んだ。
いや、まぁ、そーいやそんな装飾品みたいな名称もくっついてたんだなぁ、と今更ながらに思い出しましたようふふふふ?
「いやだって、ほら、王様の弟だろーと前の王様の妹の子だろーと、結局は王様の血筋だからどっちでも似たようなもんかと」
「なんですのその十把一絡げは!? 王の弟と、前王女の息子では全く立場が違いましてよ!?」
「えー……どのみち王様の一族で御貴族様には違いないもん」
「~~~~ッ!!」
なにやら頭を抱えてしまったフェリ姫に、レメクが非常に沈痛な顔になる。
「……申し訳ありません、フェリシエーヌ姫。私の教育不足です……」
「……ッ! いいえっ! これはっワタクシの教育不足でもありますわッ!! 王女として、なんとしても完璧にしごかなくてはッ!!」
う゛っ…!
なんかスゴイ殺意がこっちに!
「ねぇ、ベル。王位継承権ってわかる?」
思わずビクッとなるあたしに、ケニードが近くでかがみ込みながら問うてきた。
「えぇと……次の王様になる権利よね?」
「そう。その権利は、王家……つまり、女帝ナスティアの直系であるアルヴァストゥアル家の人間だけが有しているんだ」
うんうん。
「アル……えっと、アルフレッドの御名をもらった本物の『クリストフ』殿下は、その直系であるアルヴァストゥアル家。そして実際の『アルトリート』は、アルヴァストゥアル家でなくレンフォード家の私生児。……確かにどちらも王家の血は引いてるけど、この差はとんでもなく大きいよ」
「シーゼルと一緒で、元王女様の血筋でも王位継承権は無いから?」
フェリ姫の婚約者でもあるシーゼルの名を出すと、ケニードはほんの少しだけ苦笑して首を横に振った。
「それどころか、正嫡でも無いから『アルトリート』にはレンフォード家を継ぐ資格が無いんだ。どれほど母親の元の地位が高かろうと、公爵家を継げるのは公爵の血筋の人間だからね」
……つまり、ある意味、シーゼルよりも『下』。
「アルヴァストゥアル家の人間として認められていないから、『アルトリート』は王家の血は入っていても王族とは認められない。まぁ、両親とも血筋が血筋だから、適当な爵位をもらってどこかで暮らす、っていうパターンもあるだろうけど……少なくとも、前王の子である『クリストフ』の立場とは比べものにならないだろうね。猊下から御名をもらったってことは、王族として正式に認められたに等しいから」
「王族の承認には、王と教皇の両方の認可がいりますからね」
ケニードの言葉を受け取って、レメクが嘆息混じりに言う。
「陛下はもともと、彼の王族入りには肯定的ですから……」
アルトリート……でなく、本物のクリストフ……てゆか……
えぇいややこしい!
偽アルトリートことアルフレッドのことを気に入っていたはずなのに、なんかレメクは憂鬱そうだ。
「おじ様は、アルが王弟だとイヤなの?」
問うたあたしに、レメクは僅かに目を瞠ってから苦笑。
「違いますよ。……今、『王弟』の名を我が物顔で使っているのは、本物の彼ではありませんからね」
…………あ!
言わんとすることに気づいて、あたしはようやく慌てた。
「大変じゃない!」
「……ええ。大変なんですよ、本当に」
「大事だわ!」
「……そうですね。……本気でピンときていなかったんですね、ベル」
あんっ……おじ様の目が遠いっ。
「だ、だって、アルはアルであればそれでいいんだもん! ね!?」
同意を求めて言ったというのに、ナゼかレメクは沈黙した。
……んを?
「おじ様?」
微妙な顔で目線をずらすレメクに、あたしは大きく首を傾げる。
レメクの横でケニードがなんとも言えない笑みを浮かべていた。
「さすがに……それは妬けるよ? ベル」
「???」
意味がわからず、あたしはさらにキョトンと首を傾げる。
一体、なにをジェラるというのだろうか?
てゆか、誰が誰にジェラシーなのだ?
「……まぁ、それはともかくとして……」
ハテナ? をいっぱい飛ばしているあたしに、フェリ姫は半分ぐらい苦笑の入った笑みをこぼす。
そうして、ゆっくりとした口調で言った。
「つまり、『王族』でない者が『王族の名』を騙り、よりにもよって『王弟』として世間に認められようとしている、ということですわ。……今、まさに、この王宮で」
レメクもケニードも、その言葉に顔を引き締め、唇を引き結んだ。
あたしも一生懸命その表情を真似る。
「タイヘンなことです」
「……ナゼかしら。あなたを見ていると、なんだかそうでもないような気がしてしまいますわ」
……どーゆー意味だ?
真剣に眉根を寄せるあたしに、フェリ姫は視線を外してゴホンゴホン。
軽く腕を組んだレメクが、苦笑しながら近くのカウチにもたれかかった。
「まぁ、ベルはともかく……実際には、極めて深刻な事態と言えるでしょう」
……だから、どーゆー意味だ?
「現状を把握している人って、どれぐらいいるんでしょう?」
「ほとんどいないでしょうね。……と言うより、居てもらっては困る、というのが本当のところですが」
苦笑じみた笑みを浮かべるレメクに、確かに、とケニードも苦笑する。
嘆息をついたフェリ姫は、あたしの傍に来ると無言であたしを引っ張ってレメクのもたれかかっているカウチに座った。
「醜聞ですわよね。こんなことが他国に知れたら、どれだけ侮辱されるかわかりませんわ」
「威信も地に落ちますね。ただでさえ前の時代がヒドイ状態だったのに……」
「前王の時代、ナスティアは他国からずいぶんと侮られましたからね。陛下の御代になってかなり持ち直しましたが……ここに来て、妹君まで祟りますか……」
「問題は、誰が首謀者か、ってことですよね」
レメクの隣に並んで、ケニードが考える顔になる。
あたしは立ってる大人二人を見比べて目をパチクリさせた。
「首謀者、って?」
「簡単な話、前王の血を引く『クリストフ』という人間と、元王女の連れ子『アルトリート』を取り替えようって企んだのが、誰か、っていうこと。あとは、それに協力しているのが誰なのか、ということなんですが……」
「協力者、と思しき方々には目星をつけていますわ」
難しい顔のケニードに、フェリ姫が静かな表情で言う。
大人二人の視線が集まるのを待って、彼女はわずかに自嘲めいた苦笑を見せた。
「ただ、その方々が全てをご承知で協力しているのかどうかまでは判明していませんの。……シーゼルが調べていたようなのですけれど、朝に別れて以来、姿が見えなくて……」
ふと不機嫌そうな顔のフェリ姫の顔が思い浮かんで、あたしは「あぁ」と思わず呟いてしまった。
「? ベル、何か知っていますの?」
「みょ? いぁ、偽クリストフがシーゼルの名前を出した時、お義姉さま、そーいや不機嫌そうな顔したなぁ、って思って」
「なっ……!」
何故か真っ赤になったフェリ姫に、あたしはウンウンと大きく頷く。
「おねーさま、シーゼルに会えなくてガッカリだったからなんですな!」
「ち、違いますわよ!? あのお馬鹿さんがまたきっと他の女性のところで現を抜かしておいでだろうから、それでワタクシ機嫌が……って、ち、違いましてよ!? 大事な時期だというのに、姿が見えないから……!」
「……おねーしゃま……語るに落ちるというやつなのです」
あたしのスバラシイ名言に、フェリ姫は真っ赤な顔で口をパクパクしはじめる。
それを気の毒そうに見やって、ケニードはふと眉をひそめた。
「……というか、伯爵が今のタイミングで姿を消したというのは……少し、気になりますね」
「!」
その瞬間、嫌な言葉を聞いたとばかりに、フェリ姫がギョッとケニードを振り仰いだ。
ケニードは慌てて作り笑いを浮かべる。
「い、いえ、ことがレンフォード公爵家の内部に関わることでしたから、気になっただけです。伯爵が関与する可能性は低いですし……!」
「……関与せずとも、関係はしてくるでしょうね」
「クラウドール卿……!」
せっかくのフォローをぶち壊しにするレメクの発言に、ケニードは悲鳴じみた声を上げる。
レメクは何処吹く風といった感じに言葉を続けた。
「伯爵は、今回の企みについては何も知らなかったことでしょう。伯爵が計画に関わっていたとすれば、もっと時間をかけ、関係者一同に完璧に役割を叩き込んでから行動しているはずです。アルフレッドの言動と、本物のアルトリートの態度を見れば、計画が杜撰で稚拙であることがよく分かるでしょう?」
意外とシーゼルに対して高評価であるレメクの言に、フェリ姫も真剣な顔で頷く。
「……ワタクシもそう思いますわ。シーゼルは本当にこの件には関わっていない、と。……けれど……それならどうして、シーゼルの姿が見あたらなくなってしまったのでしょう?」
「……心当たりはないのですか?」
レメクの声に、フェリ姫は悲痛な顔で俯いてしまう。
それは、無い、というより、むしろ……
「……もしかして、お義姉さま……シーゼルは、偽クリストフとか、レンフォードの家の人と会ってたの?」
「!」
途端、キュッと唇を噛んだフェリ姫に、あたしは思わず口をパクンと閉めてしまった。
……なるほど、その後から姿が見えないのだな……シーゼルは。
「……会ったと思しき相手は……もしかして、公爵夫人ですか?」
フェリ姫は俯いたまま小さく頷く。
レメクはわずかに目を伏せ、嘆息をついた。
「ご母堂である公爵夫人がお相手でしたら、会っていたとしても何も不自然ではありませんよ。……ただ……お会いした後で姿が見えないのでしたら、巻き込まれた可能性がありますが」
「……おじ様……」
さらに俯いてしまったフェリ姫を見て、あたしはレメクをジッと見上げる。
レメクがわずかに怯んで、ゴホン、と嘘くさい咳払いを一つした。
「実の親子のうえ、伯爵は正嫡で、なおかつ次期公爵です。何かあったとしても、手荒な扱いはされません。……ただ、真っ直ぐな方ですから、もし公爵夫人が今回の首謀者だった場合、事の次第を正そうとして監禁される可能性が……」
「……おじしゃま……」
ますます俯いてしまったフェリ姫に、あたしは更にジッとレメクを見上げた。
何故かレメクがうろうろ視線を彷徨わせはじめる。
「その……可能性の問題です。限りなく起こりうるであろう事態をですね……」
じ~。
「あげておかなくては……方針が定まらないと、全てが非効率になると言うか……」
じ~~。
「ですから……なぜ私が責められるような目で見られないといけないんです!?」
うぉ。レメクが逆ギレした。
珍しい現象に、あたしは目をパチクリさせる。
そうして、エイヤッと飛びかかった。
「言わんとすることはわかるよーでわからないよーなですが、おじ様はもうちょっと乙女心をくまないとイカンのです!」
「言おうとしている事の理解は大事ですよ!? そして、ベル! ドレスが台無しになるような飛びつき方はやめなさい!」
「ドレスよりお義姉さまの気持ちのほうが大事なのです!」
がっぷりかぶりついているあたしに、レメクはドレスを気遣ってか控えめにエッチラオッチラ。
しかし以前と違って体力が底辺なレメクは、すぐにぐったりと諦めた。
「……とりあえず、伯爵についてはこちらも手を打ちましょう。女官長や宰相閣下にもお力をお借りすれば、何らかの情報は得られるはずです」
「てゆか、お義父さまの力を借りたら早いんじゃないの?」
あたしの言葉に、レメクは困ったような微苦笑を浮かべた。
「義父は、よほどのことが無い限り他者のためには動きませんよ。あの方は、厳密にはナスティア国人でなく、陛下の契約者ですから」
……?
どういう意味だろうか?
首を傾げるあたしに、レメクは苦笑を深める。
「義父の『大法官』の地位にしても、陛下の傍に在るために持っているだけのものです。というのも、昔のあの方はただの素性の知れない謎のヒトでしたから」
……それは今も変わらないよーな気がするのだが……
「さすがにそんな状態のヒトに陛下の……まぁ、当時は王女殿下でいらっしゃいましたが……その傍にいられるのは色々と体裁が悪い、という理由で押しつけられたのがあの地位です」
……いいのか、大法官の地位がそんなんで……
「そもそもあのヒトに国のために何かをしようという気持ちは皆無です。ただ、陛下のためになることなら何かと助言をくれたりしますし、知識量に関しては間違いなく王国随一でしょう。そのため、何か困った事態が起こるたびに知恵を借りようとする人はいます」
「……その場合、貨してくれないの?」
恐る恐る尋ねたあたしに、レメクはキッパリと言いきる。
「貨してもらえます。ですが、高くつきます。中には人生を狂わされた人もいます」
…………お義父さま…………
「そういうヒトですから、生半可な考えでは手を借りれません。……それに、ベル、あなたも薄々は気づいているでしょうが、あのヒトは普通の人とは根本的に存在が違います。……そういう相手を軽々しく頼ってはいけないのですよ。本来なら、こちら側に関わってはいけないヒトでしょうから」
レメクの言葉に、あたしは眉をちょっぴり下げた。
レメクの言おうとしている事はなんとなく分かる。
分かるのだが……
「……でも、それは……ちょっと寂しいのです」
「…………」
「お義父さまも、ちゃんとそこにいるのです。いるのに、いっさい頼りにされなかったら、寂しいと思うのです」
レメクは答えない。
ただ、静かな目であたしをジッと見る。
それを見返して、あたしはグッとお腹に力を込めて言った。
「頼りすぎるのと、全然頼らないのとは、意味が違うと思うのです。駄目なときは駄目って言ってもらえればいいし、手伝ってくれるのなら今度何かの時にこっちが手伝わせてもらえればいいのです」
静かな眼差しのままゆっくりと瞬きし、レメクはホロリと苦笑した。
「……なるほど」
わずかに自嘲の混じったその笑みに、あたしはギュムッと唇を引き結ぶ。
そんなあたしの頭を軽く撫でて、レメクは深い声を落とした。
「……大きな力に頼りすぎてはいけないと、そう教えられてきましたが……そこに居るのに居ない者のように扱うこともまた、相手には失礼なのかもしれませんね……」
「あい!」
あたしは大きく頷き、頭を撫でてくれるレメクの手を握って言った。
「そーゆーのはイジメって言うのです!」
「虐め……ですか」
苦笑を深めて、レメクは目を伏せた。
「今度……義父に謝らないといけませんね」
「あい! そして手伝ってもらうのです!」
力一杯主張すると、何故だか微妙な顔をされる。
「……なにか、高くつきそうな気がしますが」
「ちょっとぐらい高くてもいいのです。払えないのならあたしが手伝ってあげるのですよ?」
「いえ……なにか……もっと大変な事になりそうなので遠慮します」
……どーゆー意味だ。
さすがに胡乱な目でジーッと見上げると、レメクはあたしからサッと視線を外してフェリ姫のほうを見た。
あたし達のやり取りの間に復活したフェリ姫は、レメクの視線にちょっとだけ笑って小首を傾げる。
そうして、レメクが何かを言うよりも前に口を開いた。
「何も……おっしゃらなくても大丈夫ですわ」
「……姫君」
「あなた様が、通常考えうる中で、最も高い可能性のものを挙げてらっしゃるのだと……そう、分かっておりますもの。ただ……あの方はああみえて、お身内の方の事になると情緒不安定になるものですから……」
「……ご心配なのですね」
ため息にも似た嘆息を零して、レメクは言う。
フェリ姫は頷き、あたしを見てちょっと笑った。
「ベル。ありがとう。心を砕いてくださって。……でも、心配だからと言って可能性に目を瞑っていては、大事なものを失いかねませんもの。……ワタクシが掴んだ情報によれば、公爵夫人はお昼を少し回った頃に王都の街屋敷においでになったらしいですわ。その当時、王宮にはまだ連絡は来ておりませんでしたけれど……シーゼルは独自の情報網を持っておりますから、気づいて問いただしに行ったのでしょうね。ワタクシがそうしようとしたように……」
そして、公爵夫人に会って……
「……それ以降の足取りが分からないということは、公爵家の街屋敷に居るのだと考えるべきなのですが、屋敷の方では『若君はおいでになっていません』と言うばかり。……とはいえ、あそこは王都でもかなり警備の厳しい屋敷ですし、公爵夫人にはワタクシの部下は全て面が割れていますから、警備の者を懐柔することも難しいのです」
そう言って嘆息をつくフェリ姫に、あたしは首を傾げた。
「お義姉さま。実際にお屋敷に行ってみたのですか?」
「え? ……いいえ。ワタクシ自身は行っておりませんわ。下手に動くと、身動きがとれなくなりますから」
キョトンとした顔のフェリ姫に、あたしは目をキラリと光らせて言った。
「でも、お義姉様はシーゼルの婚約者なのです」
そう。
それは強みだ。
少なくともあたしはそう思う。
誰もが認める『確固たる関係』というのは、いつだって強力な盾になり、剣になるのだ。
「婚約者のおかーさんに挨拶に行ったって、全然怪しくないのです。いつものように気迫込めて『ごきげんよう!』と挨拶に行けばいいのです。怖いのなら、あたしがついて行ってあげるのですよ!」
ドンと胸を叩いて立候補すると、何故かレメクが慌ててあたしの体を抱きかかえた。
「ベル! 相手は公爵夫人ですよ!? あなたの論法や特殊なやり方が通じる相手ではありません!」
……マテ。レメク。
なんですか、その、あたしの特殊なやり方っつーのは……?
思いきり胡乱な目になったというのに、レメクは気づきもしないのか、一生懸命な顔のままで言う。
「だいたい、あなたは自分自身の危機管理ができていません! 公爵夫人はあなたが最も苦手とするであろう、王宮の闇を現したような女性ですよ!? 下手に近寄れば、どんな傷をつけられるか分かりません!」
なんかスゴイ失礼なことを言ってるレメクに、さすがのフェリ姫も呆気にとられた顔になっていた。
ちなみにケニードはといえば、なんかスゴイ勢いで写真を撮りまくっている。
……さっきまで半死半生だったてのに、そんなに複写紋様術を使ってダイジョーブなのだろーか?
「そもそも、ピンときていないのかもしれませんが、あの方がわざわざこの時期においでになることの不自然さを考えても、十中八九、あなたと私の婚約については反対意見を持っているはずです」
そーいや、フェリ姫達もそれっぽいこと言ってたな……
まぁ、フツーに考えて賛成されるはずもない話だから、さして気にしてはいなかったのだが。
「王族以外の者が王族になることについて、一番反対をしているのは彼女です。おそらく、あなたをひどい言葉で侮辱することでしょう。そんな人の所にあなたを向かわせるなど、とんでもない! いいですか? ベル。世の中には、決して相容れないが故に近づいてはいけない人、というのが存在するのです。互いに悪い影響だけを与えあってしまう間柄なら、会わないほうがいいんです」
真っ直ぐにあたしを見て言う相手に、あたしもジッと熱い視線を注いだ。
レメクがこんなに真剣に言うのだから、おそらく、あたしが想像する以上に公爵夫人は危険な人なのだろう。
確かに、かつて最下層にいたあたしは知っている。
決して人扱いしてくれず、命すらいとも簡単に奪っていく人達がいることを。
そう──まるでただゴミを片づけているかのように……
(……公爵夫人って人も……)
そういう人なのだろうか?
ただ、汚い、と。たったそれだけの理由で、あたし達を死ぬまで殴らせていた、昔会った大貴族のような……
あたしの頭に理解が染みこんだのを確認して、レメクはあたしをギュッと抱きしめてくれた。
「……あなたが悪いのではありません。それがどの場所であろうとも、生まれて生きることに悪いことなどあるはずがないんです。精一杯生きるあなた方を貶める人に、あなたが傷つけられる必要はありません」
……レメクは優しい。
けれど彼の言葉のいくつかが、現実では実現されにくいものであることをあたしは知っていた。
人としての理想だ、と言うつもりはない。たぶん、レメクは本当にそう思っているのだろうし、実際、そうあるべきなのだと思う。
けれどそれは……優しい心をもった、真心のある人達の世界なのだ。
現実の世界はいつだって弱者に厳しく、レメクの言葉のように労りに満ちてはいない。
人としての在り方の中で、彼の言葉ほど美しく優しいものは無いけれど、それは世界に満ちた悪意と狭量な心の中で、輝く宝石のような人達の在り方なのだ。
そう、例えば、レメクやケニードやフェリ姫達のような。
「……おじ様。あたし、ちゃんと分かってる」
優しい人の胸に頬ずりして、あたしはペチンと相手の肩を軽く叩いた。
大丈夫、と伝えるために。
「優しい人だけじゃないことも、意地悪な人だけじゃないことも……なかには、本当に危険な人もいるってことも」
かつてあたしの友を、仲間を、不条理に痛めつけ、命を奪っていった人達のように。
「……避けられることなら、避けておかないといけないこともいっぱいあるんだってことも」
「……ベル……」
真剣にあたしを案じてくれているのがわかるから、あたしはニッコリと笑って心配性のレメクに言った。
「危ない人には近づかないの! ……でもね、どうしても近づかなきゃいけなくなったときは、ごめんなさいなのよ?」
「……そういうときは、できるだけ逃げてください」
「世の中には、逃げられない事態ってゆーのもあるのです」
てゆか、だいたいそーゆーので危ない目にあったりするのだが……
こそっと上目遣いに相手を見ると、レメクはなんとも微妙な顔であたしを見つめ、目を瞑って天井を仰いでしまった。
なにかイロイロなものを無理やり納得しよーとしている気配がする。
「……できるだけ、逃げてくれますか?」
妥協点は見つかったのか、ややあってそう言ってくるレメクに、あたしは力一杯頷いた。
「もちろんなのです!」
「……信じます」
……信じられてしまった!
思わずガビンッと硬直すると、途端にレメクの目が冷たくなった。
「……なぜそこで『しまった』と言わんばかりの顔になるのですか」
「えっ、そっ、う、嘘じゃないのですよ!? でも、ほら、往々にして思うよーにいかないってゆーのが世の中の常なのですっ」
「……そういう言葉をいったいどこで習ってくるんでしょうね、あなたは……」
呆れ半分諦め混じりに呟いて、レメクはあたしの頭にこつんと顎を乗せた。
あたしを包むあったかい匂いに、無意識にぴすぴすと鼻を鳴らす。
鼓動と一緒に声の振動が伝わるような、耳に心地よい音があたしを優しく撫でてくれた。
「できるだけ自重してください。……あなたに何かあれば、私も生きてはいられませんから」
思わずうっとりしていて、レメクの台詞を聞き逃してしまった。
なにかすごくもったいないことをした気がします。
とてもとてももったいない何かがあったような気がします!
「……ベル……」
なんかフェリ姫からすごーく窘め系の波動が送られてきている気もします!!
「さて。そろそろ会場に向かうといたしましょう。閣下達に伯爵のことを頼まなくてはいけませんし」
今まであった暖かくて甘い空気など無かったかのように、レメクはあっさりとあたしをカウチの上に降ろした。
慌てて飛びつこうとするあたしをメッと窘めて、実に悠然と歩いていく。
うぁああん!
繰り返しは無し!? 繰り返しは無いの!?
「……照れてるんだねぇ……」
半泣きで追いかけるあたしの後ろで、ケニードがそう小声で呟いていた。
※ ※ ※
王宮は伏魔殿であると、そう言われたのはつい数日前のことだった。
あの当時は初めての夜会にドキドキしていて、言葉の意味をあんまり理解していなかったように思う。
今だってドキドキしているのは変わらないし、変な汗が背中に浮かんでいるのも同じなのだが、少しだけ落ち着いて周りを見ることができた。
それはたぶん、前と違って、王宮で知り合った優しくて頼もしい人達が沢山いるからだろう。
「さ。では、ワタクシはワタクシの出来ることをしてまいりますわね」
大会場前の控えの間で、その頼もしいフェリ姫はあたし達を見送ってくれた。
パートナーであるシーゼルがいないため、彼女は会場に入れないのだ。
シーゼルのことが心配だろうに、彼女は気丈に笑ってみせた。
「シーゼルのことは気にしないでくださいませ。もしかすると、いつものようにどこかのご令嬢と楽しく話をしているのかもしれませんもの。ね?」
自分自身全く信じてないだろうことを言って、あたし達を心配させまいとする彼女に、あたしはギュッと抱きついた。
控えの間にいる誰よりも輝いている姫君が、会場に入れないというのが悔しい。
けれど、たとえここで誰かからパートナーを申し出られたとしても、彼女は受けはしないだろう。
……たぶんそれが、たった一人を思うということなのだ。
「……がんばるのですよ、ベル。ワタクシは傍にいられませんけれど……あなたが素敵な姫君として振る舞ってくれることを信じていますわ」
「……あい」
すんすん鼻を鳴らして、あたしはフェリ姫に頬ずりした。
フェリ姫がくすくす笑いながらあたしの頭を撫でてくれる。
「それと、大事な髪飾りをしているのですから、あまり無茶な振る舞いをしてはいけませんよ」
「あい」
「……クラウドール卿」
フェリ姫はレメクを仰ぎ見る。
けれど言葉は発しなかった。
レメクも何も言わない。
ただ、深い眼差しで頷いた。
フェリ姫は安堵したように微笑む。
「よろしくお願いいたします」
その微笑みはまさに宝石に勝るほど美しかった。
(お義姉さま……)
けれど──そのことにかえって不安を覚えるのは、何故だろうか?
(………?)
あたしをやんわりと離し、優雅に一礼して去っていくフェリ姫を見送って、ふと、あたしは心臓が嫌な風に跳ねるのを感じた。
どく、どくん、と。
何か悪いものが染み出てくるような、すごく嫌な気配がする。
「……お義姉……さま……」
呼び止めようと──どうしてかは分からない──思わず手を伸ばしかけた瞬間、会場のほうから声があがる。
「オーフェルヴェック伯爵家令嬢、シャルローゼ様!」
名を呼ばれたらしい女性が、あたしの視界を遮って、しずしずと会場の方へと歩いて行った。
慌てて横に避け、再度見た時にはフェリ姫の姿はどこにもない。
(……お義姉さま……?)
なぜともなく沸き上がる不安と、胃を灼くような不快感に、あたしはただ立ちつくす。
──その不安が的中するのは、それからわずか数時間後のことだった。