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対オジサマ攻略法!<闇の王と黄金の魔女>  作者: 関根麻希子
陰謀の章<虚飾の玉座編>
72/107

13 クリストフ

邂逅の章から、改稿版を出来上がり次第順次差し替えUP予定です。

 王宮、青の間、談話室。

 大きなお部屋の隅っこで、あたしとレメクは対峙していた。

「違いますよベル」

 互いの膝がくっつきそうな至近距離で、レメクは真顔で駄目出ししてくる。

「『かそけきひかり のべにみちて』です」

「か、かそけけ」

「かそけき」

「か、かしょ!」

「か、そ」

 むぅ!

 むっすりと唇を尖らすあたしを見て、長椅子に寝転がっていたケニードが朗らかに笑う。

「あはは。言葉で覚えようとすると、かえって難しいですよクラウドール卿」

 それを見上げて、絨毯に直座りのレメクは深いため息をついた。

「メリディスの『呪歌』は、ある意味特殊な能力です。心さえこもっていれば旋律だけでも発動しますが……歌詞に『力』を乗せたほうが威力は高いですからね」

「まぁ、確かに文献でもそうなってますけど……」

 レメクの声に苦笑して、ケニードはチラとあたしを見る。

「ベルにとって馴染みのない歌詞というのは、覚えるのが難しいんじゃないかなぁ、と」

「……まぁ、普通、日常会話で『(かそけ)き』なんて言葉、使いませんからね……」

 まったくである。

 ウンウンと深く頷くあたしを見下ろして、レメクはまたしても大きなため息。その息を顔面に浴びに行くのは、乙女としては至極当然のことである。えへん!

「……なにをやってるんですか、ベル」

 おっと。レメクに変な顔されてしまいました。

 慌てて姿勢を正し、あたしはピンと背を伸ばした。

 ちなみに現在、あたしとレメクは床に敷かれた絨毯の上に座っている。

 やたらと縦に長い体なのに、床に座るとそれほど高く感じないのは、きっと足が長いせいだろう。

 ……いやまぁ、あたしは体はどのみちちっこいから、どーやっても見上げる形になっちゃうわけだが。

 さてはて。

 そんな状態であたし達が何をやっているのかというと、お歌の特訓、もとい習得である。

 大きな怪我をしちゃったケニードのために、メリディスの『呪歌』とかゆーのを覚えないといけないのだが、これがなかなか難しかった!

 今習っているこの歌、『生命の賛歌』という名前なのだそうだが、なんかコムズカシー言葉がチラホラあって、あたしのちっこい脳みそにちっとも入ってきてくれないのだ。

 ちーちーぱっぱーとかだったら、今すぐにだって歌えるんだけどな。

「ベルの場合、好きな歌を心を込めて歌ってもらって、それで効果があるかどうかを試した方が早いかもしれませんね」

 なんか速攻で諦めたらしいレメクが、あたしを可哀想な子を見る目で見ながら呟く。

 あたしは唇をさらに尖らし、目の前にあるレメクの膝をペチッと叩いた。

「それはシツレーなのです! あたしはやるときはやるオンナなのですよ!?」

「では、最初から」

 はい、と掌で指し示されて、あたしは顔を唇を尖らせたまま目をチョロッと右に逃がした。

「ベ、ル?」

「うう……っ!」

 静かな口調で促してくるレメク。

 くっ……! おにょれレメク!

 イタイケなあたしをいじめるとは!

 あたしは意を決し、すっくと立ち上がると、レメクに向かって大きく口を開いて歌い出した。


 ちーちーぱっぱー ちーぱっぱー♪

 すずめのがっこのせんせーはー♪


「歌違ェ! そして無駄に上手ェ!!」

 なんか部屋の中央あたりから声が飛んできた。

 ぴょいっと飛び上がってそっちを見ると、メイド部隊さんに着せ替え人形 (特大)扱いされているアルトリートが、こっちを見ながら呆れ顔で突っ立っている。

「アルは黙って人形になってるのです!」

「無茶言うな! つーか真面目にやってくれよ! そっちの兄貴の運命がかかってんだからよ!」

 髪の毛をいじくられながら必死に言うアルトリート。

 怪我の元凶その一である彼にとって、ケニードの治療に貢献できる(かもしれない)あたしの『歌』というのは、いわば希望の星なのだろう。すんごい期待を寄せられている。

「おまえが物覚えがすこぶる悪いってのぁ知ってるけどよ!」

「しっけいな!」

「頼むよちみっちょ! ケニードの兄貴の腕はおまえにかかってんだからよ!」

 服が半脱げの状態で隅っこにいるあたし達の所に走り込んできたアルトリートは、あたしのちっこい肩をがしっと掴んでガクガク揺すった。

「わ、わかっりぇるのです! がんばってんのよあたしだって!」

「どこがだよ! 一行も進んでねぇだろーが!」

「ちっけいな! 一行は進んだわよ!? 三行は進んでない気がするけど!」

「……進んでませんね……」

 歌詞を書いた羊皮紙を見つめて、遠い眼差しでレメクがポツリ。

 そうして、なにやら大変複雑そうな顔でボソッと呟いた。

「……というか、アロック卿が兄ですか」

 そうなのである。

 あの一件で株が急上昇したのか、ケニードはいつの間にかアルトリートの兄貴分になってしまったのである。

 なんでそれに対してレメクが複雑そうな顔をするのか不思議なのだが……

 って……もしかして!?

「おじ様! ケニードにヤキモチね!」

「……。なんでそうなるんです!?」

 なんか今、変な間があったな……

 ギョッとした顔でこちらを見るレメクに、あたしは胸を張ってビシッと指をつきつけた。

「だって、アルにとっておじ様が兄貴分って感じだったのに、いつのまにかケニードの方が兄貴って呼ばれてるんだもん。だからおじ様、ヤキモチなの!」

 なんかレメクの手の中で羊皮紙がすごい音をたてて破れちゃっている。

 ……どんだけ動揺してるんだろーか……

 まぁ、そーゆートコがカワイイのだが!

 むふん! と鼻息荒く胸を張ると、レメクがじりじりとあたしから距離をとりはじめた。

 ……どーゆー意味だ?

「い、いや、ほら、つーか、なぁ? 俺べつにほら、兄貴とか、よ、呼んでねぇし、なぁ?」

 なんかアルトリートも激しく動揺しているらしく、意味不明なことを言いながらおろおろと周囲を見渡している。着崩れまくってる服がいっそうズレてあられもない格好になっているが、まぁなんだ、相手がレメクじゃないから半脱げでも全脱げでもどーでもいい。

「そ、そうだよベル。ほら、あぁ、えーと……あ……? ん? でもそれだったら別にクラウドール卿を『兄貴』呼びでもいいんじゃない?」

「なにを言ってるんですか!」

「なに言ってんだよ!」

 途中でイイコト思いついた的なケニードに、何故かレメクとアルトリートが揃って同じ反応をする。

 ケニードはヘラッと笑って、その劇的な反応をユルくかわした。

「え。だってほら、僕が『ケニードの兄貴』なら、クラウドール卿が『クラウドールの兄貴』でも不自然じゃないじゃないですか。世話になったから兄貴呼び、って、それで通じるんじゃ?」

 なるほどなケニードの声に、二人は絶句。アルトリートがすぐに考える顔になったのは、やっぱり『なるほど』と思うところたあったからだろう。

 すンごい御貴族サマなレメクには、ピンとこないようなのだが。

「……そっか。そーだよな。なにも気構える必要ねぇんだもんな」

「え」

 相変わらず一人動揺しているレメクに、アルトリートはグルッと向き直る。

「あ……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「じれったいッ!!」

 なんかお見合いみたいに緊迫感アリアリな構えで対峙する二人に、あたしはキレて声を上げた。

 ギョッと振り返る二人に、ビシビシと指を突きつけて怒る。

「男二人で見つめ合うのはイカンのです! そう! おじ様が見つめる相手はあたし!」

 さぁ! おじ様!

「……」

 さぁ! かむかむ!!

「…………」

 なぜかじりじり後退するレメクに、あたしもじりじりと間をつめる。

 そのままじりじり動いていくあたし達に、置いてきぼりをくらったアルトリートが空気の抜けた声で呟いた。

「……なんでさっきより緊迫感があるんだよ……」

 失敬な。

「そ、それよりも、あなたは服の着付けをしてもらいなさい。選ぶ段階で(つまづ)いているわけでしょう? 夜会までそれほど時間はありませんよ」

「ぐっ……つーか、なぁ、ほんっとに、もうコレでいいんじゃねぇか?」

 半脱げの上等な服を指して言うアルトリートに、レメクはメイドさんが用意してくれた紅茶を受け取りながらツメタイ目。

「……そんなだらしない状態で判断してくれと言われても非常に困りますが」

「ぐぅっ……!」

 ベルトする前に走ってきたせいか、ズボンがズリ落ちて大きめのぱんちゅまで見えている。だらしないにもほどがあるだろう。

「そーなのです。アルはだらしない子なのです」

「ちみっちょ! おまえにだけは言われたくないぞ!」

「あたしはしっかりやってるわよ!? 一応!」

「走って吹っ飛んでパンツ丸見えだったのは誰だ!」

「ぬぅ!? いつそんなトコ見たの!?」

「クラウドールの兄……貴、に! 飛びかかってる時は毎回だろーが!」

「そこは目を瞑ってあげるのがシンシってやつなのよ! そしてパンツはおじ様のお手製! 苺柄!!」

「ンな情報はいらん!」

 ぐっと親指を押っ立てて言ったあたしに、アルトリートが何故か絶叫。

 ふふん! このミリキがわからんとは!

「ワンポイント苺のせくすぃーさが分からないなんて! アルはやっぱりだらしない子なのです! ね! おじ様!」

「……どっちもどっちです……」

「「ひどっ!!」」

 呆れ顔で言うレメクに、あたしとアルトリートは声を揃えた。

 なんか向こうでケニードやメイド部隊さんがクスクス笑ってる。

「まぁまぁ。妹姫様も、若君もそのへんで。紅茶をどうぞ」

 クスクス笑いながらやって来た美人メイドさん(確かフェンとかいう名前)が、あたしとアルトリートにも紅茶をふるまってくれる。

 暖かいカップに噛みつくようにして飲みながら、あたしはふとアルトリートを見上げた。

 ぱんちゅが見えてるアルトリートを。

「アルのぱんちゅは灰色なのです」


 ごほっ


 なんか男三人が茶を吹いた。

「つーかちみっちょ! てめぇは何を観察してるんだ!」

「それ以前にあなたは身なりを整えなさい!」

「情操教育に難がありまくりだよね……」

 わぁわぁ言い始めた三人に、首を傾げつつあたしは脳内メモに書き込みをする。

 アルのぱんちゅは灰色で、なにやらちょっと見窄らしい、と。

 御貴族様なのだから、もっとビラビラーでキラキラーな下着だと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。

 いやまぁ、あたしが狙う秘宝『レメクのぱんちゅ』だって黒の健闘士下着(ボクサーパンツ)というシンプルすぎて華やかさのないものなのだが。

 ……というか、アレ、いったいいつになったらゲットできるのかな……

「なんでしょう……今、そこはかとなく嫌な予感がしてきたんですが」

 ジーッとレメクのぱんちゅ(着用中)を注視しているあたしに、レメクが悪寒でも覚えたように身を震わせる。周りの男二人が生ぬるい笑みを浮かべているのが、レメクとの対比で非常に気になった。

「まぁ、えーと……ほら、下着はともかくとして、夜会までそれほど時間もないことだし、歌の習得はまた後にして、とりあえず着替えを済ませたほうがいいんじゃないかな?」

 ケニードの声に、レメクが頷く。

「それもそうですね。こちらも準備をし……なぜ目を輝かせて走り込んでくるのです? ベル」

「あたしが手伝うのです!」

「いいです。けっこうです。自分で出来ます」

 三連続で拒否がキタ。何故!

「あたしだって手伝うのです!」

「どうやって手伝う気ですか。上着持っても引きずるでしょう、あなたの場合」

「着替え終わった後の服を片づけてあげるのです!」

「そうやって自分の巣に人の服を確保するのはやめなさいと前から言っているでしょう(一息)! だいたい、以前渡した私の服はどこに持って行きましたか!」

「か……返したのですよ!?」

「返ってません!」

 ぷぷっぴぷ♪ と口笛を吹くあたしに、レメクが怖い目で言う。

「一度屋敷中を家捜ししないといけないようですね」

 なんと!?

「だっ駄目なのですよ!? オンナの秘密を暴いてはイカンのです!」

「何が女性の秘密ですか! 私の家です! そしてそもそも私の服です!!」

「そしてひいてはあたしの宝物ですッ!」

「なんでそうなるんです!? というかやっぱり隠し持ってるわけですね!? ベッドの下も棚の上もくまなく探したのに、いったいどこに隠しているんですか!」

 ……言えません。

 ベッドの天蓋の上だなんて。

 きゅっと口を両手で押さえたあたしに、レメクがゆらりと不気味に揺れる。

「……ベッドの天蓋の上ですか……」

 ああんっ!

 闇の紋章で筒抜けだった!!

「ぅぁーん! あたしのなのあたしのなのあたしのなのーッ!!」

「あなたのでは無く、私のです! だいたい、ベル! 盗みをしてはいけないと教えておいたはずですよ!?」

「借りてるだけだものいつか返すんだもの!! ……百年ぐらい後に」

「どれだけ借りてるつもりですか!?」

 レメクの足にしがみついてるあたしと、それを引っぺがそうと変な踊りをしているレメク。

 ちょっぴり離れた場所にいるケニードとアルトリートは、何故だかとても遠い眼差しであたし達を見ていた。

「……てゆか、もう諦めたほうがイイんじゃねェか、って俺思うんだけどよ……」

「そうだね……僕もそんな気がするよ……」

 その意見には大賛成だ。

 レメクにベリッと引き剥がされながら、あたしは二人に向かって「うんうん」と頷いてみせる。

 ──と、

「──姫様がおいでになりました」

 くすくす笑いながらこちらを見ていた美人メイドのフェンが、さっと身を翻して戸口へと向かった。

 あたし達の目は勢いそちらへと向かう。

 その瞬間、

「ベル! そろそろ夜会の準備を致しますわよ!」

 ぱーん! 音をたてそうなほどの勢いで扉が開き、美しい姫君が現れた。

 輝く金髪、煌めく瞳。なにやらひさしぶりに会う気がするが、その実たった数時間前に別れたばっかりの我が義姉上、フェリ姫である。

「きゃあ!」

 そのフェリ姫は、何故か部屋を見るなり顔を真っ赤にして身を翻してしまった。

 彼女が見た部屋の中っていうと……

 ……えーと……

「……服はちゃんと着ましょうね……」

 未だにぱんちゅ半見えなアルトリートに、ポンと肩を叩きつつ疲れた口調でレメクが言う。

 おぅ、と慌ててズボンをはくアルトリートに、他一同も半笑いだ。

 どうも深窓の姫君には刺激が強い内容だったらしい。

 ただのぱんちゅなのだが。

 ……って……んん?

 ふとあるコトを思い出して、あたしはため息をつきながらボタンの留め方を教えているレメクを見上げた。

「そーいえば、おじ様。神様はね……」

「お待ちなさいベルそれは言ってはいけませんのよッ!!」

 ……なんかスゴイ勢いでフェリ姫が飛んで来た。

「もむーふふ!」

「おねえさま、ではありませんわ! いいえ、お姉様ではありますけれども!」

 ……どっちだ。

「く、クラウドール卿! お気になさらないでくださいましね! ベルは、その! ちょっと好奇心旺盛なだけですわ!」

 わしっ! と口を塞がれて、あたしは「もがむが」とジタバタ。

「あの……」

「あぁっ! もうこんな時間ですのねッ!! まぁ大変!」

「ええ……」

「寝室をお借りいたしますわ! ベルを着飾ってあげなくては!」

「……はぁ」

 レメクに何かを言う間を与えず、フェリ姫はあたしを抱えて脱兎の如く寝室へと逃げ込んだ。

 その後からメイドさん部隊が慌てて駆け込んでくる。

「それではクラウドール卿! 殿方はそちらで衣装を整えてくださいませ! 全てが終わってからお会い致しましょう!」

 ごきげんよう! と鮮やかなな笑顔を振りまいて、フェリ姫はバタンと扉を閉めた。

 ようやく口を解放されたあたしは、ひーふーと深呼吸する。

 それにしても、フェリ姫。

 銀のスプーン以上に重い物持ったことがないとか言ってたのに、あたしを軽々運んでたな……

 意外な力に感心して、あたしはクルリとフェリ姫に向き直り、

「べ~る~……」

 相手の魔物さながらの形相に、飛んで逃げた。

「お待ちなさい」

 あっ! 逃げるの失敗ッ!!

 首根っこをひっつかまえられて、あたしはワタワタと空気を引っ掻く。

「あれだけアレは聞いちゃいけませんと言ったでしょう! なにをしれっとお聞きになろうとしていますの!」

「だ、だってお義姉しゃま……」

「可愛く言っても駄目ですわ! カワイイですけれど!」

 ギューと抱きしめられて、あたしの喉がキュッと絞まる。

 嗚呼! お義姉さま!

 愛情を注いでいるようにみせかけての首絞め攻撃! 見事ですぐぇええ!!

「ひ……姫様、妹姫様が大変な状態になっておられますが」

 見かねたフェンに救出されて、あたしはひーはーと必死に酸素を取り入れた。

 助かった!!

「大丈夫ですか? 妹姫様」

 言って、美人メイドはあたしを抱えて扉と反対側に方向転回。

 やり取りの間にスタンバイしていたらしいメイド部隊が、そこにズラリと勢揃いしていた。

 衣装籠片手に。

「お時間もあまりありませんし、手早く着付けいたしますわね。さ、あちらのコルセットからいきましょう!」

 助かってなかった!!

 一瞬で青ざめたあたしを抱えたまま、彼女は拷問具の前へとあたしを連れて行く。


 ……数秒後、あたしの悲鳴が部屋中に響き渡ったのは言うまでもない。


   ※  ※  ※


「女って……すンげェ大変なんだな……」

 ようやく地獄から生還し、よろよろと談話室に出てきたあたしを見て、着せ替え人形が終わったらしいアルトリートがそう呟いた。

 あたしはその前でよろよろパタンと倒れ伏す。

「……ち……ちにました……」

「生きてます」

 あっさり一言で片づけながら、あたしをヒョイと抱き上げてくれるのはもちろんレメクだ。

 相変わらず男の色気満載なレメクは、今日は光沢のある黒を基調とした服を着ていた。

 いつもの黒服より格段に装飾品が増えたその服は、袖口、襟元、服の裾などに豪華な刺繍が入っている。

 もちろん袖のところには華麗なフリルがあり、よく見れば刺繍の入った裾にもフリルがこっそりと施されていた。

 なんて言うか……フリルが似合わなさそうな感じなのに、意外に似合うのがレメクなんだな……

 そんなレメクは持ち上げたあたしをじっくりと見て、優しい顔で微笑んだ。

「今日も可愛らしいですよ、ベル」

「なんと!?」

 笑顔プラス素敵発言に、あたしの生命力は一気に復活。

 プランプラン揺れながら必死にレメクに腕を伸ばした。

 ……ええ。短すぎて全然相手に届かないですが。

「おじ様あのねっこの服ねっちょっと重たいのっ」

 袖口に「これでもか!」とふんだんにフリルが縫いつけられたあたしのドレスは、青を基調とした典雅なもの。手を伸ばすとワサワサするほど、そのフリル量は凄まじい。

「でも裾のトコとか刺繍がキレーなのよ!」

 この前の夜会の時よりちょっと横広がりなスカートは、たっぷりのドレープがとられており、なんだか全体的にフワンフワンしている。

 スカートの中央は、足下から上へと登る形で豪華な刺繍が入っていて、それは舞い上がる羽根と咲き誇る花、そして空へと登る蔓草のような形をしていた。

 よーするに、クネクネでブワッとしている感じの模様である。

「そしてコルセットはギューギューなの!」

 最後に一番苦しい内容を告げると、レメクは優しい笑顔のまま頷いた。

「そうですね……あなたは特に樽のようですから」

「ちっけいなぁッ!!」

 樽って……! 樽って……!!

 たしかに最近、あたしも「自分って樽に似てるかも」とか思うぐらいアレな体型してるけど! してるけどーッ!!

「……クラウドール卿……今のはかなり失礼ですよ……」

「……女に言う言葉じゃねェよな……」

 さすがに他男二人もあたしに同情気味。

 涙目でそちらに訴えかけると、カワイソーニナ、というなま暖かい目で見守られた。

 ……あんまり同情されてない気がする。

 そんなゴクアクヒドーな二人はというと、これがまたなかなかにスバラシイ姿だった。

 アルトリートは深い緑で(結局あの服に決まったんだな……)、ケニードは濃紺。どちらも金糸の縫い取りが素晴らしく、袖口には華麗なフリルがついている。

 襟元のフリルと留め具も完璧で、これを昔、レメクが着ていたと思うと……おっといかんいかん! ヨダレが出ちゃったじぇ。

 と思ったら、男二人の腰が逃げた。

「……なんだろうな……俺、一瞬だけど、兄貴の悪寒を理解しちまったぜ……」

「……なんか狩られそうな気配ってゆーか、ちっこい怪物を見る気持ちだよね……」

 ナゼかじりじりとあたしから距離をとる二人。

 どーゆー意味だ?

 ちなみに、アルトリートもそうだが、どうやら一緒くたに着替えさせられたらしいケニードも、いつもより二割増しに美形だった。おそらく着ている服が良いのだろう。

 ……てゆか、アウグスタ……

 ……本当に男服の趣味はいいんだな……

 たぶん、身近に史上最強の美形を従えているからなのだろう。じゃがいもの異名をもつアノヒトを。

(それに……)

 着せ替え人形になっていたアルトリートを思い出して、あたしはチラとレメクを見た。

 素敵レメクは不思議そうに首を傾げる。

(……たぶん、アウグスタ……レメクを着飾りたくてしょーがなかったんだろーなぁ……)

 いつもそっけない黒服ばっかり着てるから、夜会の時ぐらいはと張り切ったに違いない。なんかそういう場面が簡単に想像ついちゃって、あたしはしみじみとため息をついた。

「オンナに服を貢がれる男って、カイショーとしてはどーかと思うのですよ、おじ様」

「……私は今、窘められているのでしょうか?」

 真剣な顔でぼやくレメクに、ケニードとアルトリートが口を押さえてそっぽを向く。

 ため息一つでその話を打ち切って、レメクはあたしを抱えてフェリ姫に向き直った。

 ちなみにフェリ姫の今日のドレスは淡い金色。

 全体に細かい刺繍がびっしりと入り、小さなフリルも恐ろしい量縫いつけられている。おそらく体重は軽く二倍になっているだろう。

 もちろん、そのかわりに素晴らしく美しいのだが。

「フェリシエーヌ姫、いつもベルのためにありがとうございます」

「あら。かまいませんのよ、クラウドール卿。ワタクシにとっても大事な妹ですもの」

 羽扇子で口元を隠して、フェリ姫は優雅に笑う。

 ……そうか。笑う時はホホホなのか。今度練習しよう。

「ワタクシこそ、卿には深く感謝しておりますのよ。よく……本当に、よく……ベルを見つけ、助け出し、ここまで育ててくださいました」

「……育てる、というほどのことはしておりませんが」

 ほほほ、と優雅に笑って、フェリ姫は眼差しを細めた。

 あたしもこっそり「ほほほ」と声だけ真似してみる。真顔で。

「人々の闇に埋もれてしまっていた幼い子供をこれほど愛らしく生まれ変わらせたのです。育てた、と言っても過言では無いでしょう? 例えそれが、わずか二ヶ月ほどの間だとしても」

「二ヶ月かよ!?」

 ナゼだかしらないが、アルトリートにすごいビックリした声をあげられた。

「二ヶ月でアレかよ? つーか、マジか?」

「大マジだよ、ビックリだよね。人って、二ヶ月であんなに変わるんだねぇ」

 それはきっとあたしの変貌っぷりを称えてのことだろう。

 エヘンと胸を張ったあたしに、イヤおまえじゃないから、とアルトリートが真顔で手を振る。

 ……ショックだ!!

 ガーン、と固まったあたしに困り顔を向けながら、レメクがよしよしと頭を撫でてくれた。

「うふふ。卿のそんな姿が見られるだなんて、王宮の誰もが思っていなかったことでしょうね。大祭の初日にお二人を見た時には、ワタクシも、まさか自分がこんな風にお二人と接せられるとは思っていませんでしたわ」

 うふふ、と真似しながら、あたしもウンウンと頷いた。

 最初、フェリ姫ってばすっごいおっかなかったもんなぁ……いや、今も時々おっかないけど。

「クラウドール卿。貴方様がベルを見つけてくださらなければ、ワタクシはベルとは出会えませんでしたわ。そして、ワタクシ以外の者も皆、今の貴方様と出会うことも出来なかったことでしょう。……お二人の出会いに感謝と祝福を。出会ってくれて……そして、出会わせてくださってありがとうございます」

 言って優雅にお辞儀するフェリ姫に、レメクは少しだけ息をつめ、そうしてほろりと笑みを零した。

「……私はただ、自分が出来ることをしてきただけです」

 深い声だった。

 穏やかで暖かい──あたしの大好きなレメクの声。

「ベルのことは……」

 言って、彼は腕に抱えたあたしを見る。

「ベルがベルであったからこそ、今の私達があるのだと……そう思います。私が何かをしたわけではありません。ベルが私に与えてくれたのです」

 ……あたしが……『与えた』……?

 不思議な言葉に、あたしは目をパチクリさせる。

 なんか前にもそんな感じなコトを言われたのだが、相変わらず意味不明な内容だった。

 一体いつ、そして『何を』レメクにあげれたんだろーか?

「ふふ。ベルは何の自覚もないみたいですわよ?」

 ふふ、と真似しながら、あたしはキョトンと首を傾げる。

 レメクはなぜだか軽く苦笑して、あたしの頭を撫でてくれた。

「……気づかずに行っているからこそ、沢山のものを含んでいるのだと思いますよ」

「そうですわね。打算のない真心というのは、得難いものですもの」

 くすくす笑って、フェリ姫はパチンと羽扇子を閉じた。

 そうして、優雅な仕草でレメクに手を差し出す。

 受けて、レメクはこれまた優雅にその手の甲に口付けた。

「あなたを義兄とお呼びできることを心から嬉しく思いますわ」

 ……ナゼデショウ。

 レメクの顔が引きつりました。

「……まだ結婚しておりませんが」

「ほほほほほ」

 楽しげに笑って、フェリ姫はまた羽扇子で口元を隠してしまう。

 ほほほほほ、と真顔で真似するあたしをジッと見て、レメクはなんだか遠い眼差しを窓の向こうへと逃がした。

「……遠いですね……」

 どういう意味だ!?

 そんなあたし達に、自分の服をチョイチョイ引っ張ってたアルトリートが笑う。

「まぁ、いろんな意味で遠そうだよな。つーか、ガキなんだからそれぐらいが普通じゃねぇか?」

「そのわりにおかしな知識が沢山あるのですが……」

「下街で一回暮らしてみっか? そこらでいろんな言葉聞かされるぜ? 意味なんか知らないうちから先に言葉覚えちまうんだ。誰も何も教えちゃくれねぇからよ」

 苦笑含みにそう言って、アルトリートは軽く肩をすくめた。

「自分で見聞きして、自分で考えて、自分で知識にしちまうしか方法がねェんだ。お偉い連中みたいに、賢い先生がついて何でもかんでも教えてくれるんなら、間違った知識なんか覚えたりしないんだろーけどよ」

「……そうですね」

 苦笑に苦笑を返して、レメクはあたしを抱えなおす。

 しっかりとその体に抱きついて、あたしは「でもね」と声をあげた。

「おじ様はあたし達のもキョーヨーを身につけさせるために、あちこちに手ぇまわしていろんな先生をつけてくれたのよ? 新しい孤児院にはね、ちゃんと先生がいるの!」

「へぇ……」

 さすがにそれは初耳だったのか、アルトリートが軽く目を瞠る。

 そうして、くしゃりと笑って言った。

「……いいな、そういうの。王都に住んでるやつらは幸せだな」

 それが何処と比べてなのか……問うまでもなかった。

 彼はレンフォード家の人間だ。彼が身近に接している下層の人間は、レンフォード領の人間に他ならない。

「王都も、ついこの前ようやく救われたところだよ。ほら、一斉粛正があったっていう話題、レンフォードの方では噂にならなかった?」

 ケニードの声に、アルトリートは「あぁ」と何かを思い出す顔になる。

「なんかおっかねェ断罪官が高官をばっさばっさ斬り飛ばしたって噂があったな」

「……斬ってませんが……」

 さすがに微妙な顔になったレメクに、アルトリートはケラケラ笑って手を振った。

「あー、噂なんてそんなモンだろ? 断罪官ってのがどんなのか、ってゆーのも、普通、俺等の仲間連中にゃ伝わってこねぇしよ。なんか怖くてスゴイ力もった裁判官だ、っていうのがせいぜいだ。てことはだ、一昔前の正義の味方みたくよ、悪人をザクザク切り倒すようなヤツかなって思うじゃねぇか。ほら、昔流行った劇みたいによ」

「ああ! 『怪盗ヴォルサーク』ですわね!」

「うおっ!? なんか意外なヤツを姫さんが知ってるよ……」

 目を輝かせたフェリ姫に、アルトリートがギョッとなる。

 それに向かってムッと顔を膨らませ、フェリ姫はアルトリートを睨み上げた。

「失礼ですわね! ワタクシ、演劇と名のつくものはほとんど網羅しておりますのよ! まぁ、もっとも、恋物語のような甘く華やかな物語のほうが好みですし、ヴォルサークは何をどう言いつくろったところで盗人。民衆の味方であり、悪党を懲らしめるくだりは胸がスッとしますけれども、悪・即・斬の思慮に欠ける振る舞いは少々難ですわ!」

「あぁ!? あのぬたくった蜂蜜みたく甘甘なコイモノガタリとヴォルサークを比べてどーするんだ!? 誰もがムカつく連中を懲らしめてくれるってぇんで、ヴォルサークは人気なんじゃねェか!」

「なんですって!? あなた! ルドヴィカの劇を一度でも見たことありますの!? 人の恋の切なさも苦しみも織り交ぜたあの物語の、どこが蜂蜜みたいですって!?」

「どのみち甘甘なんだろーが! だいたいなぁ! 所詮他人事の恋だの何だのにキャーキャー言えるのは、それだけゆとりのある連中だけだっつーんだよ! 生きるのに必死な奴等にゃ、そんなのは夢もまた夢って話だ!」

「それだったらヴォルサークだって一緒ではありませんの! 現実にはそんな人いないんですのよ!?」

「いるじゃねぇか! ほらここに!」

 ここに、と指さされて、レメクがヒジョーに呆れた顔でペチッとアルトリートの手を叩いた。

「人を指さすのはいい加減やめなさい。そして私はヴォルサークではありません」

 ……てゆか、レメク、怪盗ヴォルサークを知ってるのか……

 演劇として非常に有名なお話を思い出しながら、あたしはお楽しみとは無縁そーなレメクをジッと見つめた。

 怪盗ヴォルサークというのは、老若男女に支持される大衆娯楽活劇で、一言で言えば勧善懲悪の物語である。

 とある貧乏貴族の青年が、夜な夜な黒い衣装に身を包み、民衆を苦しめる悪い高官を叩きのめすという物語なのだが、その途中で沢山のお金をゴッソリ盗み、貧困に喘ぐ人々の戸口に投げ入れていくので非常に人気の高い作品だった。

 ……そーいや、レメクってヴォルサークみたいだな。黒服だし、悪人懲らしめるし、お金をあたし達ビンボー人のために使いまくってくれるし。

「おじ様はヴォルサークだったのね!」

 なるほどと目を煌めかせたあたしに、ナゼかレメクがスゴイ微妙な顔で呻いた。

「私は……あんなに……節操なしなんですか……」

 ……?

 せっそーなし、って、どーゆー意味で?

 きょとんとしたあたしに、外野三人がこそこそ話し出す。

「……そういや、ヴォルサークは毎回違う女性と恋仲になってましたよね。作中で」

「決まったヒロインいなかったか? ほら、有名貴族のお姫様」

「ある意味身分差の恋ですわよね。そこはワタクシ、けっこう好きですわ」

 こそこそひそひそ。

 なんかレメクが密かにしょんぼりしているようなので、あたしは慰めを込めて肩をポンと叩いてあげた。

「だいじょーぶよ! おじ様の方が数倍スゴイから!」

 ……ナゼでしょうか。

 レメクがよけいに落ち込みました。

「あっあのっ! ヴォルサークはともかく! ほら、えぇと……そろそろ会場に行きませんか!? 控えの間は開いてるでしょうし、その、クラウドール卿達や姫君はともかく、僕達はパートナーも探さないといけませんし!」

 僕達、と自分とアルトリートを示すケニードに、落ち込み顔だったレメクが一瞬で復活した。

「あぁ、その点でしたらご心配なく。ルドにあなたへの言付けを頼んだ時、一緒にご令嬢を捜してくれるよう依頼しておきましたから」

 んを?

 てことは、ケニードが喜び勇んでこの部屋に来たのは、バルバロッサ卿を介して連絡がいってたからなのだな?

 ……というか、パートナー云々って、なんだっけ?

「夜会は男女ペアで赴くものなのですよ。初日はともかく、四日目以降はパートナーがいない人はダンスホールに入れない決まりになっています。ですから、独身の方や連れ添いの方と離れてご出席されている方は、最初の三日間の間に四日目以降でパートナーとなってくれる方を見つけておかなくてはいけないのです」

「……そんなルールがあんのかよ……」

 やや青ざめた顔でぼやくアルトリートは、あたし同様、そーゆー内容を全く知らないようだった。

「つーか、それ、俺ヤバイんじゃねぇか? 飛び入り参加みたいなもんだろ? 出席しないといけねぇらしいけどよ、パートナーなんていないぜ?」

「そちらも大丈夫です」

 万事抜かりないレメクの言葉に、アルトリートは安堵とガッカリとがまぜこぜになった顔で眉をひそめた。

「……大丈夫っつったって、俺、そいつのこと知らないし、そいつも……俺のこと知らねぇだろ?」

「そうでもありませんよ。お話を向けたところ、快く引き受けてくださいましたし」

 レメクの言葉にアルトリートは訝しげな顔になる。

 ……って……

 ん? もしかして?

 あの人かな、と想像すると、レメクがちょっと悪戯っぽい表情で頷いた。

 なるほど。やはりあの人か。

 てことはアルトリート……たぶん、すンごい振り回されるんだろーな……

「……をい。ちみっちょ。なんで俺をかわいそーな子を見るような目で見る?」

「なんでもないのヨ? がんばってね!」

「なんの応援だ!? つーか、おまえ、心当たりあんのかよ!?」

 ぷぷっぴぷ♪

「うわ! 無駄に上手い口笛が倍むかつく!」

 アルトリートが向かって来たので、あたしはピョイッとレメクの腕の中から飛んで逃げた。

「こら待てちみっちょ! ちょっと説明しろ!」

「お楽しみなのです!」

「楽しみじゃねェ! つーか、俺はダンスなんざ踊れねぇぞ!」

「壁の鼻になりやがるのです!」

「壁に鼻はねェだろ馬鹿っちょ!」

 誰が馬鹿っちょだ!

 ちょこまかとアルトリートの腕をかいくぐっていたあたしは、数部屋抜けた先でグルッと回転してゴロツキ貴族と対峙した。

 場所は応接室。そう、あと一部屋で廊下に出る場所。

 そして標的はアルトリート。意識もバッチリ一点集中。

 確か、こーやればハンテンムカとかゆーのが発動するはずである。

「……うっ!?」

 途端、あたしの異変に気づいたらしく、アルトリートの足が止まる。

 じりじりと互いに隙をうかがいつつ対峙して、あたしはシュッシュッと拳を打ってみせた。

 しゅっしゅっ

 しゅっしゅっ

「……くそ……」

 しゅっしゅっ

 しゅっしゅっ

「見た目はメルヘンなのに、その馬鹿力はどーなんだ……」

 メルヘンってどーゆー意味だ!?

 クワッと目を怒らせ、ついでに特攻しようと足を踏み出すと、廊下側の部屋から美人メイドさんが顔を出した。

「あのっ! 妹姫様、お客様がおいでになっているのですが」

 しゅっしゅ……?

 軽快なステップで間合いをつめようとしていたあたしは、その言葉にキョトンと振り返る。

「「「お客様?」」」

 その声は、あたし達を追って来たらしいレメク達の側から。

 レメク、ケニード、フェリ姫と一風変わった三人組は、互いに目配せをして首を傾げる。

「陛下……ではありませんね?」

「あ……はい。その……」

 フェンとは違う美人メイドさんは、心持ち困った顔であたし達全員を見てからこう告げた。

「……クリストフ、とおっしゃる方がおいでです」


   ※ ※ ※


 メイドさんに案内されて来た美青年は、部屋の中にいるアルトリートを見るや否や、挨拶もそこのけに駆け寄ってきた。

「アル! 本当にここにいたんだね!」

「……あ……あぁ」

 出迎えたアルトリートは困惑顔で頷く。

 いやしかし……

 並ぶと余計にわかるのだが、背格好のよく似た二人だった。

 クリ……えー……

 クリ……えぇい! クリンクリンさんの方が、確か髪の毛がクリンクリンだったはずなのだが、こうして髪を整えられてしまうとそれもよく分からない。

 とはいえ、アルトリートをよく知った今では、外見以外のものでハッキリ見分けることができるのだが。

(……ちょっと影があるけどサッパリしてるのがアルトリートで、どろっとしてるのがクリンクリンさんね)

 そう。クリンクリンさんはドロッとしているのだ。

 何か、奥底によくないものを抱えているよーな感じで。

「さっきすごい騒ぎがあったろ? 心配で心配で……! けど、クラウドール卿が連れて行ったってことは……その、僕なんかが口を差し挟める内容じゃないってことかな、って思って。……でも! だからって何もせずにいられなくて……! それで、ここに来させてもらったんだ」

「……この辺りは王宮でも限られた人しか出入りできないはずですが」

 レメクの静かな声に、クリンクリンさんは慌てて居住まいを正す。

「す、すみません、クラウドール卿! そして姫君。突然押しかけたうえ、ご挨拶が遅れてしまいました!」

「……いえ」

 静かすぎる声で、レメクは答える。

 それに気づかず、いや、それが普通だと思っているのか、全然気にしてない顔でクリンクリンさんは鮮やかに笑って優雅に一礼。

「初めまして。クリストフ・アルトゥルです」

 簡素な名前に、しかし笑う人は誰もいない。

「レメクです」

 さらに簡素に返したレメクに、クリンクリンさんは輝く笑顔。

「存じ上げています。クラウドール卿といえば、レンフォード領にもその名が伝わってくるほど高名な方ですから!」

 憧れの英雄を見る眼差しで、彼はレメクを見上げていた。

 対するレメクの方はといえば、わずかに目を伏せてみせるだけ。

「この前の孤児院の子供達を救った一件は、すでに民衆の間で語り草になっています! ナスティア史上二人目の断罪官であるあなたは、民にとってはまさに英雄ですから!」

「……民、ですか」

「ええ!」

 笑顔で頷いて、クリンクリンさんは言葉を続ける。

「これからも王都の民のために、どうか頑張ってください!」

 その言葉は、あたしのような貧困層にいた人のために頑張ってほしい、という願いのようにもとれる。

 けれどあたしは、違和感を感じていた。

 なんか……なんとなく、イヤな感じがする。

 だいたいにして、王都の民のため、って……強調するのが妙に気に入らないのだ。

「……それより……いいのか? そっちの用事とかは」

 放っておけば延々レメクに話しかけてそうなクリンクリンさんに、アルトリートがやや遠慮がちに声をかける。

 あっ! という表情をしてから、クリンクリンさんは慌ててアルトリートに向き直った。

「ごめん! 舞い上がっちゃったよ。……姫君も、すみません。きちんとご挨拶できないままで」

 これはあたしに対して。

 てゆか、本気でレメク以外の人のこと眼中外だったよな……この人。

「別のいーの。用事って?」

「え? あ……そう、アルに」

 あたしの返事に一瞬キョトンとしてから、クリンクリンさんはアルトリートを見る。

 そうして、すごく真剣な顔で彼に向き直った。

「アル。これからお城で舞踏会があるんだけど、パートナーがいないと出席できないらしいんだ!」

 それをさも重要なことのように言うものだから、あたしは思わずポカンとしてしまった。

 だが、貴族にとってはすごく大事(だいじ)なことのようだ。

 特に途中参加するクリンクリンさん達にとっては大事(おおごと)なのだろう。

「俺もさっきソレ聞いた」

「本当か!? 僕もここに来て初めて知って……! だってほら、僕はこういう所、縁がなかったから……!」

 その言葉に、ナゼかレメクがツメタイ眼差し。

「でも、王都だと君も一緒だろう? 奥方様が相手の人を見つけてはくれたんだけど、どうしよう……君のパートナーがいないんだよ……!」

 その後半の台詞は、まさにアルトリート自身が言った言葉だった。

 だが、

「彼のパートナーでしたら、ご心配なく」

 静かな声で口を挟んだレメクに、他にも何か言おうとしていたクリンクリンさんが慌てて向き直った。

「ご心配、なく、って……クラウドール卿?」

「すでに申し分ないご令嬢がパートナーについてくださっています」

「ご令嬢……? ! まさか……」

 何に思い至ったのか、クリンクリンさんは慌ててフェリ姫を見た。

「?」

「フェリシエーヌ姫。まさか、シーゼルのパートナーである君が……?」

 シーゼルの名前に、フェリシエーヌの目が一気に冷たくなる。

 ……ナゼダ。

「……ワタクシはシーゼル以外の殿方のパートナーにはなりませんわ」

「そ、そうですよね。でも、そ、それじゃあ、誰が?」

 理由は不明だが、クリンクリンさんからはすごく焦ってるような気配がしていた。

 その様子にあたしは首を傾げる。

 どうも彼は不自然だった。……思い返せば、最初の出会いから不自然だったよーな気もするが。

 気になる点はもう一つある。

 なんかインパクトのある知人の匂いがするのだが、遠慮のない性格だったはずなのに、何故だか控えの間からこっちに来る気配がまるで無いことだ。

 クリンクリンさんより後から来たんだろうけど……なんで入ってこないのかな?

「アル。君の噂は社交界じゃけっこう広まってるし、王都にいるような姫君は、僕や君のような人を見下す人が多いから、すごく心配だったんだけど……」

 ひどく困惑したような声と表情で、クリンクリンさんはアルトリートに言う。

「ねぇ、誰が君のパートナーになってくれたんだい?」

 そんな人いるの? 本当に?

 そんな声が聞こえてきた気がした。

 もちろん、クリンクリンさんが口で言ってるわけじゃない。

 けれど、そんな風に聞こえたのだ。

(……この人って……)

 あたしは眼差しを細める。

 最初に出会った時から態度が悪いのはアルトリートの方で、クリンクリンさんは礼儀正しかった。

 対応もどちらかといえば控えめで、一生懸命かしこまろうとしているようにも見えた。

 けれど──

(……レメクは……)

 ──違和感があった。

(最初から、無視してた……)

 その違和感が何なのかは分からなかったけれど。

(……レメクは、何か、クリンクリンさんに思うことがあるの……?)

 違和感の理由は分からない。

 大人の難しい事情とか、レメクはあたしに話してくれないから、そーゆー内容も全然知らない。

 だからあたしは想像するしかなくて、正直、その想像だってサッパリだから、どーしてどーして? と思うしかないのだが。

(……でも、なんとなく)

 それでもなお、分かるものがある。

 肌で感じるものがある。

 どうしてレメクが最初からクリンクリンさんにはツメタイ反応なのか。

 どうしてレメクはアルトリートには最初から優しくて暖かいのか。

 アルトリートはガサツでゴロツキみたいで全然お貴族様っぽくないけど、すごく真っ直ぐで熱い正直者なのだ。

 クリンクリンさんは控えめっぽくてアルトリートよりお貴族様っぽいけど、すごく曇った硝子を間に挟んでるような、妙にナニカチガウと感じさせる相手なのだ。

 嘘っぽい。

 何かが嘘っぽい。

 いや……もしかすると、彼の全部が。

(……そー思うのは、あたしが疑い深くて、悪い見方しかできないイケナイ子だから……?)

 レメクからは、人をすぐに悪い風に決めつけてはいけないと言われている。

 けれど、自分の直感を否定することはできなかった。

 これでも極悪な環境下を生き抜いてきた。自分の直感を信じたから助かった場面も多い。

 そのあたしの直感が告げるのだ。ナニカガチガウと。

 彼は『違う』と。

 あたしは困った表情で立つアルトリートと、心配そうな顔を作っているクリンクリンさんを見比べ、たしッ! と一歩を踏み出した。

「アルにはちゃんと、素敵なパートナーがいるのです!」

「……姫君?」

 ちっちゃいあたしを見下ろして、クリンクリンさんが眉をひそめる。

 あたしはアルトリートの前に走り込んで、クリンクリンさんの前に立ちはだかった。

「だから、クリンクリンさんはお呼びじゃないのです!」

「……ベル」

 ナゼかレメクが疲れた声。

 背後から「……クリンクリンじゃねェ」とかぼやき声が聞こえてきたが、この際ソレは無視だ。

「……姫君は、そのご令嬢をご存じなのですか?」

 なんかちょっとヤな目になったクリンクリンさんに、あたしは大きく胸を張る。

「知っているのです!」

 そうして、あたしは彼の後ろ──控えの間を指し示した。

「そこにいるのです!」

 全員が一斉にそちらを見た。

 開け放たれたままの大扉の向こう、宛然と微笑む、驚くほど美しい黄金の姫君を。



「ごきげんよう、皆様」

 その人は、そう言って優雅に微笑んだ。

 アウグスタのように張りのある美声とは少し違う、しっとりとした美しい声。

 長い金髪を優雅に結い上げ、白い花を散らした姿はまるで女神のよう。

 体の線にそって流れる白いドレスは、驚くほど整ったプロポーションをこれでもかと際だたせている。

 アウグスタのキワドレスと違ってデザイン自体はごく普通で、胸が大きく開いているわけでも足が見えているわけでもないのに、なんともいえない色気がホワホワと漂っていた。

 淡く化粧を施した顔は、アウグスタにこそわずかに及ばないが、これまた目が覚めるような素晴らしさ。綺麗な珊瑚のような唇は、つやつやと輝いていて魅力的だった。

「夜会が始まってしまう前に一度お会いしたいと思い、恥ずかしくもお伺いさせていただきましたの。……どうかわたくしを、はしたない女と思わないでくださいましね」

 そう言って淡く微笑む様は、まさに物語に出てきそうな深窓の姫君。

 清らかに美しいのに、なんだか男心をワシッと掴みそうなほど妖しい色香があった。

 ……なんとゆーか……宿のおねーちゃん達とイイ勝負しそうな『仕草』だ……

「あ……え……」

 その美女に真っ直ぐに見つめられて、アルトリートが愕然とした顔で声をつまらせている。

 美女は微笑みを深め、しゃなりしゃなりと優雅にアルトリートに歩み寄った。

 思わずアルトリートの体がじりじり逃げかけるのに、素早く伸びたしなやかな手が相手の腕を優雅に掴む。

 ……いや、優雅なのは仕草だけだ。

 掴んだ瞬間、アルの腕がミシッと鳴ったのをあたしは確かに聞いていた。

「ねぇ、アル。そんな顔をなさらないで」

 おそらく痛みで顔を引きつらせたアルトリートに、美女は淡く儚い微笑。

「あなたに見合う姿になろうと、頑張ってみましたの。……何かお言葉をいただけないかしら?」

 わずかに身をかがめて上目遣い。

 アウグスタに今一歩届かないもののビックでバイーンな胸の谷間が、アルトリートの眼下にドンと強調されていた。

「わたくしはそんなに……見窄らしいかしら……?」

 悲しそうに、寂しそうに、そう言って微笑む美女に、複雑怪奇な顔をしていたアルトリートが「そうじゃねェけど……」と魂を振り絞るような声でぼやいた。

 途端、美女が華やかに微笑んでアルトリートにしなだれかかる。

「あぁ、アル! あなたのその言葉は、わたくしに寄せられる幾千幾万の美辞麗句に勝りましてよ! 今日はお義母様もあなたのためにお時間をとってくださるそうなの。ぜひ会ってくださいましね?」

「お……おぉ……」

「約束でしてよ? 破ったら承知いたしませんわよ?」

 悪戯っぽい表情を浮かべて、美女はしなやかにアルトリートの腕に自分の腕をからめる。そのタイミングや仕草といったら、自然で滑らかで美しく、あたしがやったらレメクと変な踊りになるというのに、この差はなんだろーかと思わずにいられなかった。

 ……今度、極意を聞いておこう。

「……あら。そこにいらっしゃるのはレンフォードの方?」

 今更のようにクリンクリンさんに視線を向けて、美女は口元を羽扇子で隠す。

 ……いつのまに取り出して広げてたんだ? あの羽扇子は……

「あ、あの……アル、の……パートナーの方ですか?」

「えぇ」

 言って、美女は婉然と微笑む。

 その輝く空色の瞳に強い光をたたえて。

「ナスティア王国第十王女、アデライーデと申します」



「……お見事です」

 半ば以上アディ姫に追いはらわれるようにしてクリンクリンさんが退出した後、レメクが深いため息と同時にそう言った。

 受けたアディ姫は、優雅に微笑む。

「たいしたことはしていませんわ、クラウドール卿」

 その仕草もまた『王女』に相応しい美しさと威厳をかねそなえたもの。

 が。

「ってゆーか、あー! すっとした!!」

 直後にガバッと大口を開けて、彼女はあたしの知るアディ姫らしい声をあげた。

 その様子に、あたしとフェリ姫はパッと駆け寄る。

「アディ姉様! 素敵でしたわ!」

「おねーさま、なんで変身してるの!?」

「うっふっふー。てゆか末姫ちゃん、変身て何、変身て」

 へんっしーんっ! とポーズを決めてから、あたしはビシッとアディ姫の輝く金髪を指し示す。

「髪の毛が金色になってるのです!」

「あー……」

 納得したのか結い上げた髪に手をあてて、アディ姫は軽く肩を竦めた。

「なんてゆーか、金髪に青い目っていうのが、うちの『王女』の特徴なのよね。別に揃える必要ないんだけどさー、こうやってれば素の姿だと楽じゃない? ほら、街中歩いたって『王女様だ!』なーんてバレないしさ」

「え。じゃあ、そのために髪の毛取り替えたの?」

 あたしの言葉に、アディ姫は「あっはっは」と大笑い。

「染めただけよー、染め粉、染め粉。最近のはスゴイわよぉ。こんなにキンキラキンになるんだから! といっても、その分、髪の毛痛んじゃうからイヤなんだけどねー。……落とすと最初からやり直しだから、あと三日ぐらいこの髪でないといけないし。ムレて痒くなるのがイヤよねぇ」

 ……なんか百年の恋も冷めそうな言動だ。

 思わずチラとアルトリートを見ると、彼は不気味なものを見るような目でまじまじとアディ姫を見ていた。

「ん? なにアルルン」

「その呼び方ヤメロ。てゆか、おまえ、どこが金髪だ?」

「おろ?」

 アルトリートの声に、アディ姫はキョトンとした顔。

 だが、誰に何を聞くより早く、ニヤリと唇を歪めて言った。

「あっはー。龍眼にゃ染め粉は効かないかぁ」

「!」

 あっさりとリューガンを見破られて、アルトリートがギョッと退く。その腕にからまったまま、アディ姫はニヤニヤと笑み崩れた。

「最初っからずーっと引っかかってたのよねェ。君の態度はちょっと普通じゃなかったし、庭に行った時にわずかに聞こえた会話とかね~」

「…………ッ」

 アディ姫の含みありげな声に何を感じたのか、アルトリートが顔を引きつらせた。

 レメクとケニードも一瞬で顔を引き締め──ナゼかフェリ姫が青い顔で進み出る。

「……アディお義姉さま」

「ん? なぁに?」

 フェリ姫はそれ以上の言葉を紡がない。

 ただ静かな表情で、ゆっくりと首を横に振った。

 まるで、言うな、とでも言うように。

「……んん。……ま、あたしとしちゃ、誰が誰だろーとどーでもいいわけなんだけどね?」

 ニヤッと小悪魔のような笑みを浮かべて、アディ姫はそう言った。

 未だに腕を組んだ(というか組まされている)アルトリートをグイッと見上げて、ニヤリと笑みを深める。

「あたしはさー、真実を知りたいだけであって、知った真実を誰かに言いたいわけじゃないのよねー。だってさ、せっかく得たとっておきの真実を、何の苦労もしてない連中に渡すのってシャクじゃない」

 なんとなくアディ姫らしく感じるその言葉に、その場の全員が軽く苦笑する。

 一同を代表して、軽く嘆息をついたレメクが言葉を零した。

「……あなたのように、一で百を察知する人はそうそういませんしね」

「お! 侯爵様ってばイイコトゆった! んふふ。あったしは褒められるとグングン育つのよこの胸のよーに!」

 その立派な胸をバインバインと揺らせて、アディ姫は心底嬉しそうな顔をアルトリートに向けた。

 揺れる凶器に思わず目がいっていたらしいアルトリートは、見上げられて慌てて顔を背ける。

「だから、ま、心配しなさんなって。侯爵からも言われてるし、お義母さまも心配してるから、君はあたしが守ってあげるわ。なんたって、借りのある二人からそれぞれ頼まれちゃったわけだからね!」

 ……借りってなんだろーか?

 首を傾げるあたしの前で、レメクが小さく苦笑する。

 なんか貨しでもあるのだろーか? アディ姫に。

「ま! まずは王宮のこわ~い夜会を上手く切り抜けてあげちゃいましょ! あたしの言うとおり振る舞ってくれれば、完璧……は無理でも、ほどほどにこなしてあげちゃうわよぅ? なんたって、逃げ場所もちゃんと確保してるし、準備は万! 全! んまー、一つだけ不備があるけど、そこさえクリアすれば無問題よ!」

 綺麗な手でグッと握り拳をつくるアディ姫に、相変わらず引っつかれて複雑な顔のアルトリートがぼやく。

「……つーか、兄貴の言ってたパートナーっておまえかよ?」

「そう!」

「……なんで引き受けてんだよ?」

「面白そうだから!」

 なんかアルトリートがガックリ肩を落とした。

 そのガッカリの意味は何だろーか?

「まぁ……アデライーデ姫がパートナーを務めてくれるなら安全だね。王宮で一二を争う智者だし、すごく頼りがいのある女性だから」

 感心したように言うケニードに、アディ姫は鮮やかに笑って投げキッス。

「さっすがアロック男爵の跡取りさん! 女性を褒めることに関しては右に出る者がいない達人だわ!」

「……宝飾技師よりそっちが有名なのかよ……」

「どっちもよ! ……というかねぇ、なんか大怪我したとかなんとか噂がめぐってたけど、あれれ、アレってばデマだったのかしらん?」

 さすがに情報通なアディ姫は、目をキラリンと光らせてケニードを見る。

 ぐっ、とつまった隣のアルトリートに気づいて、彼女はにんまりと微笑んだ。

「ま。そのあたりは君からたっぷりねっとり聞かせてもらいましょ!」

「やな聞かせ方だなオイ!」

「時間はあるんだし、いーじゃなーい。それに、アルルン知らないの? ニコニコ笑顔でひそひそ話してたら、ハタからはコイバナに見えるっていうミラクルが発動するのよ?」

「しらねぇ! つーかアルルンは本気でヤメロ!」

「じゃー名前教えなさいな」

「だから……!」

 苛立ったように名前を言いかけたアルトリートの唇に、綺麗な指がチョンと触れる。

 ギョッとなって身を引く彼の前で、人差し指をピンと立てたアディ姫が鮮やかに微笑んだ。

「そっちの名前じゃナーイ。……もらったでしょ? あなただけの名前」

「……なんだよ、それ」

 ちょっと顔を赤くしながら、じりじりとアルトリートが体を離そうとする。

 それを一息で引っ張り戻して、アディ姫は大きな胸を押しつぶすようにしてアルトリートに密着する。

「もらったでしょ? 教会に行ったと・き・に!」

「なっ……おっ……ちょっ……」

 むっちりとした胸が二人の間でモッツリと潰れている。

 あたしとフェリ姫はイイ教材だとじっくり二人の様子を見上げていたのだが、ナゼか音もなく背後にまわったレメクに目をふさがれてしまった。

 ……エー……お手本がー……

「会ったでしょ? 猊下に」

「い、いや、俺は……!」

「猊下に会った、でしょ?」

「あ、会った、つか、俺は、すれ違った程度で……!」

 レメクの手と戦うあたしの視界は真っ黒クロクロ。

 じたばたしながらなんとかチョロ見できたのは、アディ姫がなにやら「勝ったゼ」的なイイ笑顔でアルトリートを引っ張り出したところからだ。

「んふふ。そこが唯一つの不備だったのよ。んふっふふー、さーぁもらった名前をおしえなさーい。そしてあたし達はラブラブ腕組みでクネクネ夜会を練り歩くわよ!」

「キモイ! 普通にキモイぞその言動! つーかなんで俺を引っ張って行く!?」

「パートナーだからじゃなーイ。ほらほら名前言っちゃいな。言っちゃいなヨ!」

 ぐいぐいアルトリートを引きずっていくアディ姫に、見送り一同がなにやら唖然とした顔。

 一人必死な形相のアルトリートは、救いを求めるようにレメクを見て、

「……行ってらっしゃい」

 非情にも見送られてしまった。

「ひ、ひどくねェか!? つかひどくねェか!?」

「大丈夫です。他の方にからまれるよりは身の危険は少ないです」

「フォローになってねェ!」

 叫ぶアルトリートに、おほっほーと不思議な笑いをあげながら、アディ姫がイイ笑顔であたし達に手をふる。

 なんとなくそれに手を振り返すあたし達の前で、アディ姫は最後の抵抗のように戸口に張り付いたアルトリートをベリッと剥がして持っていった。

 ……なんかすごい怪力だ。

「やぁねぇ、お医者様にかかるちっちゃい子みたいになっちゃってー」

「降ろせーっ! つかおまえ! なんだその怪力は!」

「アルルンってばかわいー」

「アルルンはやめろ! 本当にやめろ!」

「だから名前言っちゃいなヨ~。教皇サマからせっかくもらったんだからさ~。じゃなきゃアルルンよ~」

「『アルフレッド』だ!」

 なんか絶叫めいた声が聞こえてくる。

 その言葉にレメクが「おや」と呟きそうな表情になり、その直後に苦笑した。

「……なるほど、アルフレッドですか」

 ……なにやらウレシソーな顔なのはナゼでしょう?

「あれを聞くと、なんというか、確定だなぁって思いますよね」

「というか、バレバレですのよ。騙してるなんて、冗談にしか思えませんわ」

 レメクと同じような苦笑を浮かべるケニードに、呆れ顔で言うフェリ姫。

 メイドさん部隊もなんともいえない微苦笑を浮かべていて、あたしは一人「?」を飛ばしながらそんな一同を見渡した。

「なにが『なるほど』で、なにが『確定』なの?」

 あたしの問いに、レメク以外の全員がキョトンとする。

 唯一の例外であるレメクは、ただ微苦笑を浮かべてあたしに歩み寄った。

「あなたは気づいてはいなかったんですね」

 手を差し伸べられたので、遠慮無くピョンと飛びつく。

 抱っこされ、目の前にある素敵なお顔をじっくり見つめて、あたしは首を傾げた。

「だから、何が?」

「アルフレッドのことですよ」

 苦笑を深めて、レメクは言う。

 あたしはさらに首を傾げた。

 そんなあたしの頭を撫でて、レメクは言葉を紡ぐ。

「あなたに『ステラ』の名を贈ったように、猊下は王族と認めた相手にのみ名を贈ります」

 どこか暖かくて、優しい声で。

「名を贈られるのは、王族の直系、もしくはそれに準ずると認められた証」

 そう、つまり───


「『彼』が本当の『クリストフ』です」







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