12 ケニード
「ッ!」
息を呑んだアルトリートに、レメクが何かを言いかけ、それをポテトさんが片手で制した。
仰ぎ見たポテトさんの顔は、厳しく引き締まっている。
「駄目ですよ、レンさん。あなたには口を挟む権利がありません。『契約者』の保護下にあるあなたに、私との交渉権はありませんから」
ケーヤクシャってなんだろーか?
などと思いつつ、駄目出しされたレメクのかわりに、あたしは彼の腕の中からビョンッと飛び出す。
「あたしは!?」
「お嬢さんも駄目ですね~。今のあなたでは私に代償を支払えません」
……しょんぼりだ。
「……てことは、俺か」
ガックリと着地したあたしの斜め後ろ、顔をひきつらせたアルトリートに、ポテトさんは宛然と微笑。
「ええ。今、この場において、私に契約を持ちかけることができるのはあなただけです」
その笑顔のスバラシサといったら、たぶん、フツーの人なら速攻で倒れるシロモノに違いない。
向けられたアルトリートの顔の青いこと青いこと。
そんなアルトリートにさらに笑みを深めて、ポテトさんは指を一本、ピンと立てた。
「一つの契約につき、代償は一つ。それだけを頂戴いたします」
「……一つ、か」
「ええ。ちなみに、私、個人との取引は三つまで、と『先代』から言われています」
(……『先代』とかいたんだ……)
思わず心の中でツッコむあたし。
てゆか、このヒトの『先代』って、どんなんだろーか?
ヒジョーに気になる疑問だったが、口を挟める雰囲気では無い。仕方なく口をギュッと両手で押さえると、気づいたレメクが、うんうん、という顔で頷いてくれた。
……褒められました!
「あぁ、代償ならご心配なく。あなたの名前が必要だと私が判断した時に、たった一度だけ、その名を使わせていただければ結構。……言うなれば、あなたの未来の一欠片をいただく形ですね」
「俺の名前……なんかを……かよ?」
「ええ。あなたのお名前を」
掌でアルトリートを指して、ポテトさんはさらなる深い笑み。
「あなたに必要でなくとも、私には必要な時がありますから」
「ッ」
その指摘にどんな意味が込められているのか。
サッパリなあたしは首を傾げていたが、アルトリートはひどく動揺していた。
だが、すぐに目に力を込めて口を開く。
「俺の名で──」
「駄目です」
その声を遮ったのは、さっきから厳しい顔でポテトさんを見ていたレメクだ。
あたしへの「うんうん」の時にはビミョーに暖かい目をしていたのだが、今は完璧に目が据わっている。
対するポテトさんはなんとも言えない呆れ顔。
「……レンさん……」
「なにを考えているんです? お義父さん」
レメクの問いに、ポテトさんは緩い笑みを浮かべた。
「……今は、ご主人様とあなたのことを、ですよ」
……ソレはいつものよーな気がするのだが。
「では言わせていただきますが、例え『陛下のため』にこの子を使ったとしても、それで陛下が喜ぶとは思えません」
相変わらず『この子』扱いのアルトリートが、実に微妙な顔でレメクを見る。
それにちっとも気づいていない様子で、レメクはただ真っ直ぐにポテトさんを見つめた。
「……他に方法は無いのですか? 彼は───アロック卿は、私が知りうる限り最高の宝飾職人です。その腕に何かあったとなれば、国の損失とさえ言えるでしょう」
「ふふふ。つまり、ひいてはご主人様の損でもあるから、何とかしてくれ───と言いたいわけですね?」
なにやら楽しそうにそう言って、ポテトさんは軽く腕を組む。
「言わんとすることは分かります。助けが必要であることも。けれど、レンさん。この願いは『私の』願いではありません。そして、自分以外の誰かの願いを……何の代償もなく叶えることは私にはできません」
その言葉に、どこか苦しげな顔で俯いて、レメクはゆっくりと頷いた。
「……知っています」
「誰かの願いを叶えるためには、それ相応の力が必要です。それがその人の『運命』に強く作用することであれば尚更に。……そう……かつてあなたの『運命の女性』が、あなたをこちら側に繋ぎ止めるために、魂すらふり絞ったように」
まるで神託を告げる聖者のように、厳かにポテトさんが言う。
何故か全員が揃ってこちらを見たので、あたしは自分の後ろを振り返ってみた。
誰もいない。
「おじょーさん。あなたです」
「おふっ!?」
ごすっ! とつむじに指の一撃を喰らわされて、あたしは思わず飛び上がった。
……てゆか、オトーサマ、一瞬で間合いを詰めるのはやめてくれないかな……
「人の運命を変えるというのは、それだけの力を要するのです。そして、残念ながら、今のあなた方の願いの力というのは、かつてお嬢さんが見せたような奇跡の領域にまで達していません。……天を動かすほどの願いでなければ、世界はそれを叶えない。私であれ、私以外のモノであれ、届かぬ願いを叶えることはできないのです。……そう……『代償』が無い状態では」
意味不明なことを言って、ポテトさんはクスクスと笑った。
首を傾げるあたしの前で、そのヒトはアルトリートに向き直る。
「さて───」
アルトリートが思わずビクッとなるのは、相変わらずポテトさんが苦手だからだろう。
……いやまぁ、今のポテトさんの雰囲気は、誰でもビクッとなりそーな感じなのだが。
「レンさんに遮られてしまいましたけど、どうしますか? 『アルトリート』という名の人」
「……どう、って……?」
「技師さんのことですよ。願いを叶えず、現状のままで放置しますか?」
……ヤな聞き方するなぁ……
あたしは思わず窘めの意味でポテトさんに視線を送り───
彼の向こう側に見えた人物に、パッと顔を輝かせた。
「あ!」
あたしの声に、レメクとアルトリートも弾かれたようにそちらを見る。
「もしそれが……ぼくの、けがのことなら……」
穏やかで柔らかな声。
穏和な気配。
「ぼくはじたいしますよ、ろーど」
力無く起きあがったケニードがそこにいた。
「ケニード!」
簡易寝台の上で身を起こした彼に、あたしはベッドによじ登り、その勢いで飛びついた。
「ケニード! ケニード!! ケニードっ!!」
「うわっ」
ぎゅーっと遠慮無く抱きつくと、反動でひっくり返ったケニードが力の抜けきった声で笑う。
「あははは~。べる、そんなにちからいっぱいだと、いたいよ」
ケニードの声は、相変わらず優しくて暖かい。
……けれど、飛びついた瞬間、その体が強ばったことにあたしは気づいていた。
「アロック卿……」
足音一つたてずに近寄ってきたレメクが、ケニードに声をかける。
ケニードが顔を上げるのにあわせて、あたしも涙目でレメクの方を見た。
「具合は……いかがですか? 痛むところや、動かしにくいところは……?」
「ぁ~いや……それよりも、しょうじき、なにがどうなっているのか、よくわからないんですが」
レメクに向かって、相変わらずのんびりと答えるケニード。起きあがろうとするのに手をかして、レメクがほんのわずか眉をひそめた。
(……ん?)
「違和感は……ありませんか? なにか、常と違っているところは」
「いえ……そういうのも、あまり、わからなくて」
やはりのんびりとした口調で答えるケニード。
のんびりと……
…… ……のんびりと?
あたしは眉をひそめ、慌ててケニードを見上げた。
ケニードはちょっと困ったような、戸惑ったような顔で頭に手をあてている。
「なにか、ぶつかって……それからいしきが、ありませんでしたから」
声はいつも通り優しく、穏やか。
けれど、どこか間延びしているように感じられるのは、あたしの気のせいだろうか?
(……どゆこと……?)
激烈にイヤな感じがして、あたしはレメクを振り仰ぐ。
レメクの顔も少し強ばっていた。
「……気分が悪いとか、そういうことは……ありませんか?」
「いえ。すこし、ふわふわしてるかんじがしますが、それぐらいです」
「頭が痛むとか、そういうことは……?」
「それもないです。だいじょおぶですよ」
くしゃりと笑う彼の表情も、いつも通りだ。
でも──
(口調が……)
ちょっと……違う気がする。
ろれつが回っていないような、そんな感じがするのだ。
(……なんで……?)
レメクの手がケニードの頭に伸びる。
おそらくそこが、花瓶で強打された場所なのだろう。後頭部に近い左側の部分に触れて、戸惑うように告げた。
「あなたが負った傷は……治しています。鬱血なども……」
闇の紋章を持ってるレメクには、もしかすると触れるだけで異常とかそーゆーのがわかるのかもしれない。
だが、その表情を見る限り、ケニードの頭に異常は見あたらなかったようだ。
なら──どうして……!
『おじ様! ケニードの頭、変なトコないの!?』
あたしはレメクをひたと見つめ、渾身の力で心の声を送信した。
レメクが困惑顔のまま頷く。
……つーじたのか……触れあってないのに……
……い、いや、今大事なコトはソコじゃなく!
『じゃあ、なんで言葉が舌ったらずなの!?』
あたしはさらに心の声を送る。
が、今度はただただ困り顔をされてしまった。
……それは『私にもわかりません』という意味なんだろうか? それとも通じなかったってことなんだろーか?
「傷は……もう無いはずなのですが……」
困惑を浮かべたままの顔は、少しだけ青ざめている。
後頭部を撫でられているケニードは、照れ笑いをしながら頷いた。
「ないと、おもいます。……なんとなく、はなしは、きこえてました。すこしまえから、いしきがもどってたんです」
言って、眩しそうにレメクを見上げる。
「ありがとうございます、くらうどーるきょう。……ほんとうなら、あんせいにしなくてはいけなかったのに……」
それはきっと、自分のために紋章術を使ったことに対して。
レメクのことが大好きな彼だから、自分のために何かをしてくれたという、それだけで天にも昇る気持ちなのだろう。
それなのに表情がちょっと悲痛なのは、本当にレメクが大好きだから、無理をさせてしまったことに胸がいたんでいるからだろう。
「あなたが……それを、言いますか? 最初に、自分を犠牲にしてまで、あの子を助けに行ったのは、誰です!」
どこか怒ったように、珍しく声を荒げてレメクが言う。
ケニードは一瞬きょとんとしてから、それはそれは嬉しそうに笑った。
「だって、しかたがないじゃないですか」
……仕方ない、って……!
「めのまえで、あぶないひとがいるんです。かんがえるまとか、ありませんよ」
「…………ッ」
その微笑みに、ポテトさん以外の全員が声を失った。
あまりにも自然で、あまりにも暖かくて──教会の聖母像だってこんなに暖かい顔してないんじゃないか、ってぐらい、優しい笑顔だったからだ。
「それに、かれになにかあったら、かなしむでしょう?」
ケニードは、誰が、とは言わなかった。
言わなくても、わかった。
わかったから……レメクは何も言えずに唇を引き結ぶ。
「ケニード……」
あたしは彼の名を呼んだ。
困ったように微笑んでいるケニードをぺちっと叩いて、注意を自分に向けさせる。
「でも、だからって、ケニードが危なくなったら、おじ様は悲しむのよ?」
「……うん」
「危ないのは、駄目なんだかりゃね?」
目の前が涙でにじんで、あたしはぎゅっと唇を引き結んだ。
優しい手があたしの頭を撫でてくれる。
「うん……ぼくもね、もうちょっとたいみんぐよくできたら、よかったんだけどね」
そーゆー意味じゃなくて!
ペチペチ叩くと、少しだけ強く頭を撫でられた。
大丈夫だよ、と言うように。
「うまくいかないもんだね……あのときは、あぶない、ってきもちでいっぱいだったけど……もっとはやくきづいてて、もっとはやくうごければ、だれにもめいわくかけなかったかもしれないのにね」
「迷惑だとか、誰が言うのですか?」
レメクが少し怒った声で言う。
顔もちょっと怒ってるよーな……いや、あれは、もしかしてちょっと傷ついてるんだろーか?
言われたケニードはくしゃり笑いだ。
「つよいもんしょうは、からだによくありませんから」
「だからと言って……!」
「それに、あなたはいま、むりをできるからだでは、ないでしょう?」
数日前まで昏睡していたレメクは、なんとも言えない顔で沈黙した。
そればかりは反論できなかったのだ。
あたしはスンと鼻を鳴らす。
額を服に擦りつけると、ポンポンと優しく叩かれた。
「だいじょおぶだよ。そんなにしんぱいしなくても」
──大丈夫だろうか? 本当に?
あたしには、とてもそうだとは思えないのだが。
不安を抱えるあたしの慰めながら、ケニードは言葉を続ける。
「じっさい、なにがどうなったのか、よくわからないけど……いたいとこともないしね。それと……」
言って、彼は顔を上げた。
気配でそれを感じて、あたしも顔を上げる。
「……これは、だれのせいでもないんだよ。もちろん、かびんをおとしたひとのせいではあるけど、それいがいのひとのせいでは、ないよ」
それは、あたしに言っている言葉はなかった。
ケニードの目は少し離れて突っ立っている青年に向けられている。
そう──アルトリートに。
「きみのせいじゃ、ないんだよ」
アルトリートの顔が歪んだ。
泣く一歩手前の顔で必死に留まって、戦慄く唇を開く。
「なんで……そうやって……笑ってられるんだよ!?」
「…………」
「わかってんだろ!? なんか具合悪いな、って! いつもと違うって! 腕だって……でかい怪我してたんだ、どうなるのか、わからねぇじゃねーか!」
「……うん。いやまぁ、おおきいけがだったのかどうかは、ぼくには、よくわからないんだけどね」
「でけぇ怪我だったんだよ!」
そのへんは気絶していたからピンとこないらしく、ケニードは左手をワキワキさせて首を傾げる。
その眉が少しひそめられているのが、あたしの不安をさらに煽った。
「指、ちゃんと動く?」
「……え? あぁ、うん。うごくよ」
ウソダ。
なんとなくわかった。
優しいケニードの笑顔は、いつも通りのものだ。
だけどわかるのだ。嘘だということが。
……指に、変なトコロがあるのだ。
「でもさ、べつに、いきしににかかわる、ってかんじじゃないし」
「そーゆー問題じゃねェだろ!?」
のほほんと笑って言うケニードに、アルトリートは絶叫気味。
「なんであんた、そうやって笑えるんだよ!? 大事なことだろ……!? あんた、あんなすごいモン作れるぐらい、有名な職人なんだろッ!?」
「そんなに、すごくは……」
「俺にだってそれっくらいは分かるんだよ! 見ろよコレ!」
声と同時、アルトリートは懐から小さな革袋を取り出し、中に入っていたものをケニードにつきつけた。
「俺は今まで、コレ以上にすげぇモンは見たことなかった!」
金色の時計だった。
掌に収まるほどの大きさで、表面にも綺麗な模様が入っている。
──宝冠を被った双頭の黄金鷲の模様が。
「あいつ……いや、ババァが持ってるやつだって、確かに綺麗だったけど、これよりスゴイのは持ってなかった。だけど、あんたの作ったっていうヤツは、これより綺麗だった!」
「…………」
目の前でプランプラン揺れる金時計をケニードはジッと見つめている。
あたしも一緒にプランプラン揺れる金時計を見つめながら、そわそわと手を動かした。
……なんか、レメクが、金時計じゃなくあたしの方をジッと見つめているのが、今とてもとても気になりますが。
「なぁ、それは……スゴイことじゃないのか!?」
アルトリートの声に、ケニードは答えず、目の前で揺れる金時計を指さして呟いた。
「……これ、おーでぃるくししょうのさくひんだ……」
「し……へ? 師匠?」
「うん……けんじょうひんの……」
けんじょーひん、ってなんだろか?
間の抜けた声をあげるアルトリートを見上げて、ケニードは呆れ顔。
「……ほかのひとには、みせないほうがいいとおもうよ。すごく……めずらしいもの、だから」
その瞬間、アルトリートの顔が真っ青になった。
青ざめる意味がわからず、あたしはキョトンと首を傾げる。
「珍しいものなの?」
「……うん……」
ケニードは不思議な微苦笑。
「ケニードのお師匠様って、たしか、ずっと昔に亡くなっちゃった人だよね?」
「うん……」
「誰かに見せると、盗られちゃうぐらいスゴイってこと?」
「……そうだね」
にこ、と微笑む彼は、なんだかちょっと心が遠い感じがした。
これは隠し事をされている時によく感じるやつである。なんというか、レメクが時々こんな感じになるのでよくわかる!
けれど、いったい何を隠されるというのだろうか?
ぐるっと周囲を見渡すと、何故か全員がそろって顔を背けてしまった。
……どーゆー意味……?
首を傾げまくっているあたしに苦笑しつつ、ケニードはアルトリートを見る。
「……あのさ……ほんとうは、ことばづかいをあらためないといけないんだろうけど……」
「……ッ」
「けど、いまはこのままで、いわせてもらうよ」
困り顔で微笑みながらケニードは言った。
「ぼくは、きみとあったのはついさっきで、そんなにきみのことしらないけど……なんていうのかな、きみは、じぶんのことを、どうでもいいようにおもってるきがするんだ」
アルトリートは無言。
ポテトさんがチラッとレメクの方を見るが、これはたぶん『誰かさんとそっくりですね』と言いたいんだろう。
「じぶんがここにいるのは『ばちがい』で、どうでもよくて……でもちょっときょうみがあって……でもやっぱりじぶんはこことはむかんけいなんだって、おもってるようにみえたんだ」
「…………」
「……けどさ、きみはもうむかんけいになれないひととであってるだろう? あわなくちゃいけなくて、そしてたぶん──あってみたかっただろう人と」
その言葉に、アルトリートがハッと息を呑んだ。
探るようにケニードを見つめる瞳が、一瞬、レメクの方をチラと見る。
「あわなきゃいけないひとは、もうひとりいるよね。……ほんとうは、もっとはやくに、もっとちゃんとしたかたちで、あいたかったんじゃないかな」
「……それは……ッ」
「でも、むりだとあきらめてなかった?」
何かを言いかけ、声をつまらせるアルトリートに、ケニードは穏やかな微笑。
「どうでもいいって、じぶんにいいきかせてなかったかい?」
「……俺……は……」
何か言いにくいことがあるのか、言葉を必死に探している様子のアルトリートに、ケニードは微笑みを深める。
「いまも、むりなままだとおもってるのかい?」
それはとても優しい顔だった。
小さな迷い子を見守るような、あったかくて、触れたらフワンと包み込んでくれそうな表情。
「むりじゃないんだよ。もう、ぶたいはととのっている。……ほんとうはととのっちゃいけないかたちのぶたいだけど、それでも『あう』きかいはえているんだ」
「……けど、よ」
何かを反論しかけ、しかしやはり言葉にできず、アルトリートは俯いた。
「きみは、じぶんがあえるわけないって、おもいつづけてきたんだろうけど、そんなじぶんだけのじょうしきは、すててしまったほうがいいよ」
「…………」
「どんなかたちであろうと、きみはもう『おうきゅう』のなかにはいって、いま、このばをこうせいするひとりとして、くみこまれてしまっている。……きみがここにきて、であったひとたちのかおをおもいだしてみて」
素直に思い出そうとしているらしいアルトリートに、ケニードの笑みが深まった。
「そのなかに、きみがいてもいなくてもどうでもいいっていうひとが、なんにんいる?」
「…………」
「すくなくとも、このへやにいるひとのなかには、いないとおもうけど?」
アルトリートは唇を噛みしめた。
瞬き一つしないのに、俯き、睨むように見つめる絨毯の上に、ぽたりと何かが零れ落ちる。
それが何なのかは、あえて言う必要はないだろう。
「……きみは、じぶんがだいじにおもわれてるんだって、じかくしたほうがいいとおもうよ。……もったいないじゃないか。くらうどーるきょうにだいじにされるだなんて、なかなかないことなんだよ!?」
「……そこは強調するようなことなんですか?」
ケニードらしい駄々漏れな本音に、なにやらミョーに無表情な顔でツッコむおじ様が一人。
ケニードは輝く笑顔で頷いてから、アルトリートを見て、右手を伸ばした。
よろめくようにして近寄って来た彼の手を軽く叩いて、お日様のような笑顔でニッコリと笑う。
「しんぱいしてくれるのは、うれしいよ。きみが、ぶっきらぼうだけど、やさしいひとなんだってわかるから。だけど、だからって、じぶんをぎせいにしてでも、っておもうのはだめだよ」
「……あんたは、したじゃねぇかよ……!」
ボソリと呟いて、アルトリートは乱暴に自分の顔を腕で拭う。
「俺を助けなきゃ、怪我なんてしなかったんだぞ!?」
「それはとっさにうごいちゃったから」
ケニードはへにょっと笑った。
少しだけ情けなくて、とびっきり暖かい笑顔で。
「で、たいみんぐがわるくて、けがしちゃった、ってことだよ。でも、さっき、きみ、じぶんがなにかのだいしょうになるようなこと、いおうとしてただろう? そういうのは、だめだよ」
「けどよ……!」
「ひとのうんめいって、きっと、ひとがとっさにうごいてしまったこととか、そういうののつみかさねなんだよ」
アルトリートの声を遮って、ケニードは穏やかに言った。
「だから、かみさまのちからとかをつかって、かえようっておもっちゃだめなんだ。そうしたら、きっと、どこかでひずみがでるから」
「……………」
身に覚えでもあるのか、ポテトさんが苦笑し、レメクが少し辛そうな顔で俯く。
それらに淡く微苦笑を向けてから、ケニードはアルトリートへと視線を戻した。
「じぶんをたいせつにしなきゃ、だめだよ。そうしないと、かなしむひとがいるんだから」
(……ケニード……)
あたしはギュッと唇を噛む。
その言葉を、ぜひ、彼自身に言ってやりたかった。
アルトリートが怪我をしなくても、ケニードが怪我をしたら悲しいのだ。
大切にしてほしいのだ。あたし達にとって、ケニードは大事な人だから。
だから──
「ケニ……」
「……まいりますね……これはどうも」
あたしが声をあげる寸前、なんとも言えない口調で人外の美貌が苦笑した。
思わず視線を向けたあたし達の前で、そのヒトは眼差しを細める。
ケニードを見る瞳は、なぜかしら、何かを懐かしむような感じだった。
「……昔、ね。……あなたと同じことを言った人達がいましたよ。底抜けにお人好しで、いつも貧乏くじばかりひいてる人達でした」
その人のことを過去形で語るのは、きっと、もういない人だからだろう。
口調の端々からそれを感じ取って、あたしはキュッと唇を引き結んだ。
ポテトさんはゆっくりとケニードの傍に行く。
なにをするでもなく、ただ懐かしさを込めて、きょとんとした顔の相手を見つめた。
「……断言しましょう。あなたの身に降りた災いのうち、いくつかはその身に残っています。指に感じる違和感に、言葉を喋りにくい感覚、『頭上にあるもの』や、上半身より上の位置に『飛んでくる』ものに対しては、恐怖を感じることでしょう」
その言葉に、ケニードは大きく目を瞠って──困ったように微笑んだ。
「しかたがないですね……」
ごく自然な声だった。
どこまでも穏やかなケニードに、ポテトさんは苦笑し、あたしはケニードの腕の中からピョンと飛び降りる。
「べる……?」
「ベル……?」
ケニードとレメクが同時に声をあげる。視線がジッとついてくるのを感じながら、あたしはケニードの傍らに立つレメクの背後にまわりこんだ。
ちょっと思いついたことがあるのである。
とはいえ、レメクが自然体を装いながら心の中で身構えているよーなので、今やっても失敗しそーな気がするが。
(むむむ……)
「……ベル」
「もい」
「……なにか、その、異様な気配を感じるのですが」
「なにもないのですよ」
なんかレメクの背中がいっそう緊張しているのだが、これはきっとケニードのことで気が張っているからだろう。うん。
(てゆか、近くにいるポテトさんがちょっと邪魔だけど……)
と思ったら絶妙に位置をズレてくれた。
よし! これで準備は万全だ!
「ベル……」
またレメクが声をかけてくる。
「その……そこはかとなく嫌な予感がするのですが」
「別になにもないのですよ? 気のせいってなもんです」
腕をカッポンカッポンいわせながら、あたしはへーぜんと答えてあげた。
とってもセンサイなレメクには、安心を与えてあげないといけないのだ。
ええ。今回は別にお尻を狙ってるわけではないのだから。……いつもと違って。
(よーしガンバレがんばれガンバレあたし! チャンスは一回!)
常に隙のないレメクだから、一回で完璧にやっちゃえなければ次は無い。
あたしはジッと素敵なアングルで相手を見上げながら、目を光らせてチャンスを狙った。
「…………」
「……なにか……レンさんが緊迫感アリアリな状態になってますが……まぁ、それはともかく」
面白そうにあたしとレメクを眺めたポテトさんが、ひょいと無造作に手を動かした。
その瞬間、ゾワッ! と凄まじい悪寒に全身が粟立った!
「「なッ!?」」
目の前のレメクと、その横にいるアルトリートがギョッとなる。
声をあげるほど驚くレメク、というのはなかなか珍しいのだが、アルトリートの顔が一瞬で真っ青になったのがそれ以上に気になった。
「なっ……なっ……なっ!」
よろめくように後ずさり、彼はポテトさんを指して指を震わせている。
……えー……
……位置的に、レメクの背中が邪魔になって何がなんだかサッパリわからないのだが……
あたしは位置とタイミングとを外さないようにしながら、チラチラとポテトさんの方を見る。
どーやらケニードに何かしたみたいなのだが、さっきとそう体勢が変わってるよーには見えない。体勢的には、ケニードの頭に手をやってるよーな感じっぽいのだが……
あたしは必死に体を伸ばし、様子をうかがった。
……サッパリ見えません。
「痛みは無いはずですよ。さてと……」
言って、ポテトさんはわずかに後退る。
手が何かを手繰り寄せるように動いており、それはどうやら、ケニードの髪の毛……というか、頭から伸びているもののようだった。
……なんだろうか?
あたしは更に背伸びしてソレを見る。
あ。ちょっと見えた!
どうやら、ケニードの髪の毛のあたりから、黒い紐のようなものが出ているよーである。
ポテトさんはそれを引っ張ってぐるぐる手繰り寄せているのだ。
(……なんだろ、アレ)
すごく気になる。
とはいえ、それに気をとられていてはチャンスを見逃す。
現段階、ポテトさんの謎行動にレメク達は目が釘付け。たぶん、意識が全部そっちに向いた瞬間がチャンスだ。
あたしは『その瞬間』に集中しながら、チラッチラッと問題の黒い紐を観察する。
……なんか、見てるとすごい背筋がゾワッとするのだが……
それが何かはやっぱりサッパリなのだが、悪いモノなのは間違いないだろう。うん。
「まぁ、こんなところですかね」
ポテトさんがそう呟くのと同時、ケニードの髪の間から黒い紐がすぽんと抜けた。
レメクの視線も、黒い紐のようなソレに集中。
──チャンスだ!
「とぅ!」
ごづんっ!
「「ッ!?」」
ものすんごい音がして、レメクの頭とケニードの頭がぶつかった。
おぉぅ……自分でやったことながら、なんかすっごいイタソーな……
「おっおっおっおまっ……ちみっちょ! おまえ何やった!?」
なんかアルトリートがすごい驚愕の顔でこっちを見る。
あたしは両腕でレメクの両足を抱えたまま、アルトリートに向かって胸を張ってみせた。
「おじ様とケニードをごっつんこしてあげたのです!」
やり方は簡単だ。
目の前にあったレメクの両足を、あたしがエイヤッと持ち上げたのである。
一息で。
「「~~~~ッ!!」」
そんなあたしの前、なんか変な格好でレメクが頭を抱えている。
ケニードも頭を抱えているようなのだが、その顔が痛そうなのか嬉しそうなのかは不明だった。なにせあたしの位置からだと見えやしないので。
とりあえず気配は幸せそーだ。
そんな二人の傍ら、ポテトさんは唖然とした顔であたしを見つめていた。
「……さすがに……これは、私でも予想外です……」
なんと。ポテトさんの意表もついたようだ!
えっへん!
「……えー……胸を張られても困るのですが」
「つーか、おまえ! どうやって持ち上げた!? てゆか、どんだけ怪力だよ!?」
「あたしはやるときゃやるオンナなのです!」
「説明になってねェ!」
なんか悲鳴じみた声で叫ばれた。
「というか、反転付加属性をフル活用してますねぇ……標的さえきちんととらえていれば、巨人でも持ち上げることは可能ですからね。しかも、下手に抵抗すればあなたを蹴ってしまうせいで動けないレンさんの、配慮と愛情を盾にとった攻撃ですか。……素晴らしい」
褒められた!
目をキラリと輝かせるあたしに、ものすごい怯えた目で遠ざかるアルトリート。
「……反則だ……ぜってー反則だソレ。なんでそのナリで力だけ倍以上に跳ね上がってんだよ……」
……彼の目には何かイロイロなモノがうつっているのかもしれない。
本当に、一度リューガンってやつの視界を見てみたいものである。
「それよりも、そろそろ離してあげたほうがよくないですか? お嬢さん」
チョイチョイとあたしの手元を指さすポテトさん。
おっと。ずっとレメクの足を抱えたままでしたよ。
どーりでレメクが変な格好のままだと思いました。失敗失敗!
「よいしょー」
「…………」
キレーに捕獲していた両足を離したあたしに、体勢を立て直したレメクがぐるぅりと振り返る。
……あ。
怒ってる。
「……ベル」
怒ってる怒ってる。
「ちょっと、ソコに、座りなさい」
あんっ!
「……なぁ、あんた平気か? ……すげぇ幸せそーなツラしてっけどよ……」
本気で怒ってるレメクと対峙するあたしの視界の中、簡易ベッドに転がってるケニードの方では、アルトリートがビミョーな顔で相手に声をかけていた。
心配するべきか呆れるべきか、判断に困っている顔だ。
ちなみにケニードの顔はあたしからは見えないが、その様子から察するに、たぶん、いや、きっと心底シアワセそーな顔に違いない。
……って、よそ見したら余計にレメクの気配が怖くなっちゃいました。
あぁん!
「あれですかね。お嬢さんは、もしかしてショック療法みたいなのをしたかったんですかね」
じりじりと対峙するあたしとレメクに、ポテトさんはゆるい微笑。
その両手では黒い紐がぎゅーぎゅー圧縮されており、けっこうな長さがあったはずなのに、今では小さな丸薬のようになっていた。
……どんだけ握力強いんだろーか……おとーさま……
「なんですか。そのショック療法というのは」
レメクは静かな怒り声。
黒い丸薬もどきを懐に仕舞いながら、ポテトさんは微笑み、
「昔はよく聞きましたけどね。頭を打って記憶を失った人に同じ衝撃を与えるとかなんとか」
「……頭を強打されて障害が出ている人に、さらなる衝撃を与える理由にはなりませんね」
ツメタイ一瞥をくらって半笑いで後退した。
……おとーさま……レメクに弱いよな……
……いや、アウグスタにも弱いけど……
「だいたいにして、ベル、さっきのは悪戯にしても質が悪いですよ。私もそれなりに痛かったですが、アロック卿はもっと痛かったはずですから」
「……超弩級の石頭ですものね……」
ポテトさんがぼそっとぼやき、レメクに素早く睨まれていた。
「で、でもっケニードはシアワセそーなのですよ!?」
「……シアワセそーだよな……確かに……」
慌てて言うあたしに、アルトリートが呟きを零し、レメクが静かな眼差しをケニードへ。
そう。ケニードは大変シアワセそうなのだ。
主に気配とか気配とか気配とかが。
「い、いや、えーと、痛かったのは痛かったんですよ? でもほら、得難い体験というか、普通に有り得ない体験とゆーか」
レメクにジーッと視線を向けられて、シアワセそーに頭を抱えていたケニードが慌てて弁解。
しかし、顔はゆるゆるだ。
「ほら、おじ様! おじ様の頭突きはシアワセなのですよ!」
「……私はそこそこ痛くて不幸だったんですが」
「じゃあ、今度はあたしが、むっちゅーっ! とオマジナイをしてあげるのです!」
「いりません」
光の早さで拒絶キタ。なぜ!?
「あ、愛が足りないっ!」
あたしはビシッとレメクに指をつきつけ、ピョイコラ跳ねながら抗議する。
「おじ様! 愛が足りないです!」
びしびし。
「あ……そ、そういう話では無いでしょう!? あなたは少し、年相応とか、そういう言葉の意味を考え……いえ、覚えてください!」
……怒られちゃ。
「だいたい、さっきの変な攻撃にしても、私がとっさにバランスをとろうと動いていたらどうなっていたと思うんです!?」
しょんぼりと見上げるあたしに、何故か焦り顔で言うレメク。
レメクがバランスをとろうとしてたら……
えー……
どーなってたんだろーか?
真面目に首を傾げるあたしに、レメクは目をさらに怒らせた。
「義父も言っていたでしょう! あなたを蹴っていたかもしれないんですよ!」
そーいや蹴り飛ばされる畏れもあったのですね。
「まぁ……下手に動くと、少なくともお嬢さんのちっちゃな顔は蹴られてましたね」
「……抵抗するに抵抗できなかったわけですね……クラウドール卿」
「……ひでぇな……ちみっちょ……」
レメクに同情の視線を送る男三名。
ううっ……!
なんか形勢が悪いですよ!?
「で、でもっ! シアワセな記憶って、悪い記憶を拭っちゃえるんだもん!」
「い、いや、確かにそこはシアワセだけど!」
「……てゆか、そこでシアワセを感じる時点でなんかチガウ気がするんだけどな……俺としては」
ケニードの言葉に、アルトリートが静かにツッコミ。
そうしてから、彼は怖いはずのポテトさんに真っ直ぐな視線を向けた。
「……てゆーかよ、『叶えられない』んじゃなかったのか?」
視線がわずかに揺れたのは、ポテトさんが懐に仕舞った丸薬もどきを示すため。
ポテトさんは軽く肩をすくめた。
「『他人の願い』は、代償なしには無理です。そういう風に、呪われてますから」
「……じゃー、コレは?」
という台詞は、ケニードを指さしながら。
……指さしちゃイカンのだっつーのに、アルトリートってば……って……
んん?
目をパチクリさせたあたしの前で、ポテトさんは悪戯っぽい笑み。
「この方の」
と掌でケニードを示して彼は言った。
「そこはかとなく歪んでいながらもひたすら真っ直ぐ言動は、そこそこ気に入ってますから」
……歪んでるのに真っ直ぐなのか。
ケニードの言動は、なかなか複雑な形をしているよーである。
「まぁ、サービスですよ。……ただし、これが最初で最後です。……古き良き時代を思い出させていただきましたからね」
「お義父さん……」
呟くレメクの声には、驚きと、それを上回る感謝が滲んでいた。
それに気づいたのだろう、ポテトさんはどこかくすぐったそうだ。
「私達の力はあてにしない……目の前にあって、本気でそう言える人は珍しいですしね。とはいえ、指の後遺症に関しては何もできません。あまりにも深く運命に関わっていますからね。……それは自力で治していただくしかありません」
「後遺症……ですか」
その声に、自分の指を見つめてケニードは呟く。
一瞬だけ目が暗かった気がするが、それは本当に一瞬だった。
誰もが見つめるその顔には、いつもの笑顔が浮かんでいる。
「がんばりますよ! 命さえあれば、いくらだって可能性はあるんですから!」
「……その意気です」
苦笑を浮かべて頷き、ポテトさんは笑い含みの一瞥をレメクに送った。
「ちなみにレンさん。『生命の賛歌』は身体能力の活性と修復です。お嬢さんが歌えば、かなりの効果が期待できると思いますよ」
「!」
……あたし……?
突然の指名に、あたしは首を傾げた。ケニードとレメクが弾かれたようにあたしを見るのだが、意味はサッパリ不明である。
てゆか、せいめいのさんか、ってなんだろーか?
「お嬢さんもいい練習になることでしょう。それでは皆さん、また、『私』の時間になった頃にでもお会いしましょう」
言うやいなや、謎めいた笑みを残してポテトさんの姿が消えた。
慣れているあたしやレメクは普通に見送ったが、ケニードとアルトリートはポカンとしてその消滅場所を見つめている。
……まー、普通は驚くわな……ヒトが目の前でいきなり消えるんだから……
「……『生命の賛歌』……ですか」
絶句している二人の間で、レメクがポツリと呟いた。
あたしは首を傾げながらレメクの足をよじのぼる。
「おじ様。せーめーのさんか、って何?」
「ベルッ」
べりっと足から引き剥がされて、あたしはプランプランと揺れながらレメクに持ち上げられた。
目の高さまで持ち上げて、レメクは呆れ半分な困り顔であたしを見る。
「足をよじ登るのはやめなさい。……『生命の賛歌』は歌ですよ。歌にはもともと聞き手に作用する特有の『力』があるのですが、メリディス族が歌えばその力は何倍もに引き上げられます。クラヴィスの紋章術と同じく、メリディスに伝わる種族特有の魔術です」
「歌なのに?」
「ええ」
頷き、何故か目をキラキラさせているケニードをチラッと見て、レメクは言う。
「それが、メリディスが音声魔術の使い手と呼ばれる由縁。……万物に作用する『呪歌』です」